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第二章 鉱山の祈り

「んっと……」

 夢も見ない程に深い眠りから目を覚ましたディレイアは自分が寝かされている場所が何処なのか分からず、意識がハッキリとするまで周りをぐるっと見回していた。

 ベッドの側に置いてあった自分の荷物を見つけてようやく合点がいったように何度かうなずいた。

「そっか。グラジオン王国に来たんだった」

 そして、昨晩の夕食のことを思い出し、おもむろに窓の外を見やった。

「まずい! 遅刻する!」

 朧気に思い出してきた昨日の会話では、グレアと名乗った鉱山の親方は確か、日が昇るぐらいに詰め所に来いといっていた。

 窓の外に見えるグラジオン王国の山々からは、まだ太陽が顔をのぞかせていなかったが、徐々に白んでいく山の端を見ると夜明けまでそれほど時間はなさそうだ。

 この国の日の出というのが何を基準にされているのかは分からないが、急がなければならないことに変わりはないようだ。

「宿代は前払いだったし、朝食は……昼と一緒でいいや。後は……荷物も持っていこう」

 昨晩は風呂にはいることが出来ず、長旅のすり切れたような臭いが身体中から漂ってくる。しかし、朝風呂をもらうほど余裕はないことはよく分かっていた。

 取り敢えず下着だけ替えておこうと思い当たり、荷物からまだ汚れのついていない上下の下着を取り出すと、あわただしく服を脱ぎ捨てそれらを急いで付け替えた。

 部屋の隅にある鏡台に浮かぶ自分の裸身を見みてしまったディレイアは、そのあまりの貧相さに溜息をついてしまった。

 平らに近い胸元を被う下着など、自分には不要だと思いながらも、無いと先が服に擦りあわされて痛みを感じる。一時期包帯でも巻いてしまおうかとも思ったが、それはそれで何かを捨ててしまうような感じがしてとても嫌だった。

 考えれば考えるほど溜息しか出てこないのに辟易して、背中に回した手でホックをパチンとはめ込み、さっさと上着を着てしまうことにした。

 そうして何とか身支度を済ませ、荷物を入れた小さなリュックを背負うと、その側に立てかけてあった剣を腰に差した。

 正直、これを帯びて町中を歩くのは気が引けるが、まだこれを預けられる場所がないため仕方がない。

 街の骨董品屋の隅で見つけたなまくら剣だが、この剣のお蔭で何度も窮地を救われた。

 買った当初はずいぶんこれを重く感じたが、今となっては手にも腰にも馴染む相棒として頼りに出来る。

 ディレイアはそのまま部屋を飛び出ると、既に掃除をし始めていた客室係に軽く挨拶を交わし静寂に沈む町並みを急いだ。


 王宮の朝は鉱山夫に負けないほど早い。夜も明けきらないというには少し大げさだが、少なくとも空が白み始める頃には徐々に人が起き出して宮殿の廊下を行ったり来たりし始める。

 ベルディナもその内の一人だった。

「ベルディナ大導師、昨晩はずいぶんと遅くまで飲んでいたらしいですね」

 廊下ですれ違いざまに同僚から言われた言葉にベルディナは苦笑を返さざるを得なかった。

「たまには大目に見てくれよ、アグリゲット。こうでもしないと日頃の鬱憤なんて晴らせるもんじゃねぇって、お前も分かってるだろう」

 少しまだ酔いの残っている頭を振りながら、ベルディナは精一杯皮肉を込めて肩をすくめて見せた。

「ええ、存じていますよ。別に咎めた訳ではないのです。ただ、あまり王宮で酒の香りを漂わせるのはどうかと思っただけですから」

 同僚、アグリゲットの言葉を聞いて、ベルディナは、

「そんなに臭うか?」

 と言いながら王宮勤めの証でもある灰色のローブに鼻を寄せた。

「もちろん、臭いませんよ。魔法薬の臭いがきつすぎて体臭さえも漂ってきません」

 アグリゲットは珍しくまんまと引っかかってくれたベルディナに、これ見よがしに胸を張ると彼の隣に並んで歩き始めた。

「テメェも言うようになったな、アグリゲット。つい最近まで泣き虫小僧だったのがよく成長したもんだぜ」

「ベルディナ大導師。人の過去をむやみに持ち出すのはあなたの特権とはいえ、自重するべきだと思いますな」

 ベルディナは豪快に笑うと、今後は自重しようと口先だけの約束を交わした。

「ところで、昨晩はずいぶんお楽しみのようでしたが、何かあったのですか?あなたが泥酔するまで飲むのも珍しいと思いましたが」

 アグリゲットは、議会に提出する書類を確認しながらふと、そう聞いた。

「少しおもしろい奴に会ってな。若い冒険者ってガキだったが、いい目をしていた」

 アグリゲットは「ほう」と答え、

「若い冒険者ですか。最近はそういう者が多いですな」

「世界がそれだけ揺れ動きつつあるってことだ。最近都市部でも孤児が増えてるって話じゃねぇか」

「それが行き着く先は、その日暮らしの冒険者か、人身売買の商品か」

「嫌な話だ」

 グラジオン王国ではまだその傾向が見られていないのはそれだけこの王国の政治が上手くいっている証拠だと思いたいが、ベルディナは城下町を目にすると、その傾向が到来しつつある気配を日増しに強く感じるようになる。

「だがな、あいつはそういうのではないように思えるんだ。どちらかというと、希望に満ちている。今時珍しいガキだ」

 ベルディナは酒場で出会ったディレイアのことを思い出していた。本来ならまだ遊び回っているか、親の仕事を手伝い始めているかの年頃だろう。

 おそらく、両親は既に死別してこの世には居ないと思う。

 それで冒険者の道を選ばざるを得なかった身の上に、彼が見てきた者達の多くは悲観的で、既に人生の絶望を味わい尽くしたかのような目をしていたが、あの子は全く違う。

 悲観的ではなく、絶望もまだ知らないような無垢な瞳を絶やすことはなかった。あんな目をされて、鉱山の仕事を求めるのに親方はさぞ面食らっただろうなとベルディナは思った。

 あいつがこれからどのような道を歩むのか、今日の昼あたりに抜け出して様子を見に行こうとベルディナは心の内に決定すると、アグリゲットを従えて会議場の前に立った。

 さあ、面白味のない一日が始まる。その扉の向こうに立つ有象無象の連中をこれから相手にしなければならないと考えると一気に陰鬱な感情があふれ出してくるが、昼の予定を何とかして頭に思い浮かべることでようやく気休めにはなった。

「さあ、行こうぜ。俺達の戦場だ」

 アグリゲットはその言葉に深くうなずくと、ベルディナに率先して会議場の扉を開いた。


 詰め所に着いたディレイアは急いでそこに座っていた受付の男に話を通すと、受付の男は直ぐにグレアを呼び寄せてくれた。

「よう、来たな坊主」

 顔をあわすなり気さくな笑みで迎えてくれたグレアにディレイアは頭を下げると、

「遅れて申し訳ありません。それと、ボクは坊主じゃなくてディレイアです」

 と言った。

「なに、鉱山の連中はみんなずぼらだからよ、こんな程度は遅刻にはいらねぇよ」

 がはははと笑うグレアにあっとされながらディレイアはうなじをかきながら姿勢を正した。

「さてと、早速中にといいたいところだが、実は、急用ができちまって案内ができねぇんだ」

「ええ?」

 流石のディレイアもそれには驚かずにはいられなかった。

「心配すんな。ちゃんと代役を立ててあるから」

 と、ぽんぽんとディレイアの肩を叩くと、グレアは周りを見回して、これから鉱山に入る準備をしていた少年に目を付けた。

「おーい。ロベルト、ちょっとこっちに来い」

 ロベルトと呼ばれた少年は、その大声に目を白黒させながら周りを見回し、まるで飼い犬を呼び寄せるように手を振るグレアを見つけて、あからさまに嫌そうな表情を浮かべながら近付いてきた。

「と、いうわけだ。案内はお前に頼んだぜ」

 ロベルトは、

「な、何のことですか親方」

 と言いながら、怪訝な視線でディレイアを見回した。

「このディレイアに鉱山を案内しろってことだ。仕事現場をな、出来るだけ隅々まで」

 簡単だろう?と言わんばかりの目でロベルトを見おろすグレアに、ロベルトは仕方ないなと溜息をつきながら、

「分かりましたよ」

 と答えた。

 おそらく、こういうやっかい事を押しつけられるのは初めてではないのだろう。ロベルトの瞳の奥にはいやがりながらも、逆らっても無駄だという諦観の様子がありありと浮かび上がっている。

「まあ、若いもん同士上手くやってくれ。自己には気をつけろよ、それとあんまり奥には行くな。特にあの場所にはな」

 グレアは矢継ぎ早にそう告げながらその場を走って去っていった。

「ねえ、グレアさんの急用って何なのかな」

 ディレイアは姿を消してしまったグレアの方を見つめながらロベルトに聞いてみた。

「たぶん、上に呼ばれてんだろう。作業が遅いとか人手がどうとか」

 ロベルトはあたかも面倒くさそうに答えながら、グレアに呼ばれて中断していた準備を再開させていた。

「昨日聞いたよ。人手が足りないんだってね。だから、君みたいな子供も働かされているってことかな」

 確かにロベルトは見た目ディレイアより何歳か幼く見えるが、ロベルトとしては自分より華奢な体格のディレイアにそれを言われるのは酷くおもしろくない。

「お前だって子供だろう。まさか、この鉱山で働きたいなんて言わないだろうな」

「もちろん、そのつもりさ。そのためにこの国に来たんだから」

 ディレイアは「えっへん」という音さえ聞こえてきそうな様子で胸を張った。

「やめといたほうがいいぜ、そんななりで鉱山夫がつとまるとは思えない。そう思ってるなら僕達を侮辱してる」

 ディレイアはそんなロベルトの様子に「ふーん」と感心したような声を漏らすと、

「ごめん。別に君たちを侮辱するつもりはなかったんだ。だけど、君もボクの力量を見ないうちから無理だって言うのはやめてほしいな」

 ディレイアは実は意外に思っていたのだ。鉱山で働く少年といえば、大抵好きでもないのに働かされている場合や、誰かを養うために仕方なく働いているものだと持っていた。

 ロベルトの最初の印象からは、彼はこの仕事に誇りを持っていないと感じていた。

 しかし、彼はどうやらこの仕事に自分なりの誇りを感じているようだ。

 そんな風に誇りを持てる仕事に従事しているのを見て、ディレイアは少し目の前の少年を尊敬した。

 結局自分は、実入りのいい仕事としてしかこの鉱山を見ることしかできなかったのだから。

 驚いたのはロベルトも同じだった。

「ああ、分かってくれたんならそれでいい」

 ディレイアが今まであってきた人間は彼の言葉を聞くとたいていの場合、「ガキが何言ってやがる」とか、「偉そうなこといいやがって」という答えしか返ってこなかった。しかし、今彼の目の前にいる”少年”はそんなロベルトの言葉に、ある一定の敬意を払ってくれたように感じられた。

(変な奴)

 と思いながらロベルトはディレイアが今まで会ってきた者達とは何処か違う人物なのではないかと思うようになった。

 ディレイアはロベルトが鉱山に入る準備をしている様子を、その一手挙動をつぶさに観察していた。

 作業がしやすく、それでいて暗闇でも目立ちやすい色彩の作業服、頑丈なミスリルで作られた安全帽、踏ん張りやすい出っ張りが裏にいっぱい敷き積まれている頑丈そうな安全靴。

 そして、長く頑丈そうなロープを左肩に巻き付け、右肩には木で出来た柄の先に鋭くとがった太い棒が埋め込まれた道具が乗せられている。

 ディレイアにもロベルトがかぶっているものと同じ安全帽が渡され、鉱山に入る準備は整ったようだ。

「その剣、中では邪魔になるかもしれないから、詰め所に預けてきたら?」

 と言うロベルトにディレイアは、

「持って行くよ。これとはあまり離れたくないんだ」

 と答え、剣のグリップを持つと腰に結わえなおした。

 ディレイアとロベルトの周りには二人と同様鉱山に入る準備を終えた鉱山夫達がにわかに集まり始め、それぞれ思い思いに談笑をしあい、お茶を片手に今日の仕事の確認をし始めた。

 昨日は西の方に掘ったが、あっちの方は固い岩盤で進みにくい。あの先にいいミスリルがあるのは確かだから、今日は北から回り込んでみてはどうか。

 いや、むしろ下の方から回り込んではどうだ。正面から掘ると堅いところにぶち当たるが、あれはどうもでっかい岩が一個埋まってるようにも感じられる。だったら、比較的柔らかい下の方から掘った方が効率が良いのでは。

 だが、それでは万が一上にある岩が崩れ落ちたら助かりようがねぇぜ。

 じゃあ、上から。

 そんな面倒な子とするぐらいなら素直に北から回り込んだ方がいい。それにそこから方々に発展して一石二鳥じゃねぇか。

 等々。端から見れば単に駄弁を洩しているように見える彼らも、仕事着を着てロープとピッケルを握りしめればその思考は完璧に鉱山夫のそれにシフトするのだろう。

 そうして彼らがその命と人生をかけて掘り出した高品質のミスリルが世界中にもたらされ、人々の生活へととけ込んでいく。

 それらの全てにはここにいる彼らの多摩市が吹き込まれているのだと考えると、ディレイアには埃っぽく、汗臭い現場にもなにか精霊のようなものがいるような気がしてくる。

「おい、あんた。ぼさっと立ってないで行くぞ」

 ディレイアの物思いはロベルトの罵声によって遮られた。

 ディレイアは、

「ごめんなさい、すぐに行きます」

 と言ってロベルトの後を駆け足で追った。

「まったく、こっちは忙しいんだからな。しっかりしてくれよ」

 ディレイアは年下の少年に叱られる自分を少し滑稽に思いながら、渡された安全帽のあご紐をしっかりと止め直しロベルトの隣に並んだ。

 鉱山は岩山を切り取り、幾つかの道が造られていた。その道はそこより少しばかり小高い山の裾野まで伸びており、そこから更に幾分も分岐して道が続いている。

 途中の分かれ道には第一鉱山、第二鉱山等とかかれた標識が点てられており、その数の多さから随分多くの岩山がこうして切り開かれていることが伺える。

 ロベルトはその中でも最も新しい数字があてがわれている第七鉱山の標識を目で追いながら、狭い道を時折すれ違う大柄な鉱山夫に道を譲りつつ、小石や砂利で滑る岩道を器用に歩いていく。

 ディレイアもそれに負けじと歩調を強めるが、足の裏を時々突きかかる小石に何度も調子を崩されながら、気がつくとロベルトを見失いそうなほど遅れてしまっていた。

 それでもロベルトを見失わないのは、彼が時折遅れるディレイアを待ちながら後ろを振り向いているためなのだろうか。

 そのたびにディレイアは謝りながら、何とか目的の坑道へと到着することが出来た。

「ここが入り口になる。この先に第七鉱山があって、途中で第五、第六鉱山に出る曲がり角がある」

 ディレイは、

「へぇー」

 と歓声を上げながら、薄暗い坑道の先に目を向けた。

 その視線の遙か向こうから僅かな光の一点が漏れ出している。あれが出口になるのだろうか。

 それをロベルトに聞くと、彼は違うと答えた。

「あれは中継地点だ。鉱石を運ぶには広い通路が必要になるだろう。だけど、そんな広い通路を一から十まで掘ってられるほどみんな暇じゃないから、あそこみたいに途中で広場みたいな所を作るんだ。明るいのはそこだけ照明されているってこと」

 ディレイアはなるほどと合点がいき、薄暗い坑道の壁に手をおいて先に進もうとした。しかし、ロベルトはそんなディレイアをにらみつけると強引に引き戻した。

「なに?」

「お祈り。今日初めてはいるからお祈りをしないといけない。僕がやるようにまねてみて」

 ロベルトはそういうと、ロープとつるはしを床に置くと、両膝を付き安全棒を脱いで自分の正面に置いた。

 ロベルトがうなだれるように頭を垂れるのを見て、ディレイアも慌てて跪くとかぶっていた安全帽を置いて同じように頭を垂れた。

「鉱山の奥に眠る聖銀の主よ。私達はあなたの住まう山を削り、それを糧に日々を生きる者です」

 ロベルトは横目でちらっとディレイアを見、ディレイアは慌ててそれを復唱した。

「どうか、これからあなたの住処に侵入し、それを踏み荒らす私達をお許し下さい」

 所々舌を噛みながら一字一句丁寧にディレイアは祈りを捧げる。

「聖銀の主よ、私達はけしてあなたの眠りを障げません。どうか、罪深き私達に慈悲の心を」

 それは、鉱山に住まう神や精霊達に自分たちの愚かしさを告白し、自らの愚を知りながらもそれに頼るしかない事に許しを請う。そんな祈りの言葉だった。

「「ルーヴィス」」

 サイリス教の聖句を最後に口にした二人はそのまま暫く頭を垂れ、ロベルトが立ち上がったところを見計らってディレイアも立ち上がった。

「これを一日、二回。仕事が始まった時と、仕事が終わった時に一回ずつするのがここの決まりだから」

 ロベルトは安全帽をかぶり尚し、ロープとつるはしをまた肩にかけると、ディレイアを中へ案内した。


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