匈奴とモンゴロイド
アメリカ先住民がある程度片付いたので、本来の目的である匈奴に戻ろうと思う。匈奴のデータ読み間違えていた。全くの偶然だが、3体の遺体どちらも正しかった。だから計6体の遺体データからになる。おそらく結果待ちで研究成果のタイムラグ出来ただけだと思う。一片にやれよとなるが、発掘調査と研究は別なのじゃないか?と見ている。先に3体のデータから研究を開始して、随時やっていた発掘調査で、もう3体発見したという事だと思う。場所は全く同じなので勘違いした。
Q1a2a1a1(M3)この系統はアメリカ組で間違いない。アジアのデータが何か調査してみて分かったのが、これ東南アジアで見つかるQのものだと分かった。ベトナムはまだ分からない。ざっとすべての系統見たがベトナムのデータが見つからない。あれだけ高い数値なのに謎だ。おそらく古代中華王朝の南下組だとは思う。
東南アジアと日本を含めた東アジア組は系統が全く違う。これは東南アジアでNが高く見つかる事に理由がある。この民族何故Nなのか?単純でトナカイの放牧と海獣狩りを両立させている。ハプロでずっと語ってきたので分かると思うけど、トナカイの家畜化といえばNグループになる。この2つの民族が混血して誕生した集団。良く分からないが南下した。この系統がモンゴルで見つかった場合良く分からない。何故なら以前書いたけどモンゴルの初期はNの領域だから。今でも残ってるのでNとQが分離して出てしまうだけだと思う。
どう考えてもトナカイの放牧やってない。トナカイから南に行くと馬に乗り換えるという話しは良く聞く。東南アジアでみつかるんだから途中の中国モンゴルなんて居て当然。
さて、Q*、Q1A、Q1Bが本物だと分かった。このうちQ1BはQ1B1になる。表記が適当らしい。英数識別子がM378となってるので、間違いない。ハプロの表記では良くある事。ただこれが問題。それならウイグル特有のものになる。多分今残ってるウイグルのこの系統、匈奴の子孫。
全くの偶然で、アメリカ居残り組みと西方Qが同時に同じ地域で暮らしていたようだ。これ全くの偶然。一応M3がアジアのどこで見つかるか?調べて、それで東南アジアのグループだけ見つけたので、ああ北方から移動したんだなとその根拠は上で書いた。これは西方の起源ではない。だが、Q*、Q1A、Q1Bこれは西方かもしれない。アフガンが近いので、氷河期はちと困難だが、漢の時代ならもっと前から西からコーカソイドがたんまり来てる。
そもそも匈奴の位置が問題なんだ。西の月氏と東の東湖の間の中国北方にある。後から匈奴帝国を広げたけど当時は小さな小国家でしかない。この位置は西方からの移住者が多い。後からウイグルに広げたので、その時加わったグループじゃないか?となるが、まだ一致は確定じゃないが、後裔のフン族でもモンゴル平原でもQが見つかっている。
何故私がこれほどQに拘るか?と言うと今少ないグループほど中心のグループだと見てるから。当時今少ないのに多いのは理由があるはずだと見るから。もちろん部族連合なので統一した血族集団ではない。だが元の中心になった小国家匈奴のグループがやはり中心にはいるはずだと見てる。
結論から言うと以上の情報を統合して、匈奴は元の王国はQ系のコーカソイドだと推測する。起源はおそらくアフガン以西となる。そこからウイグルに来て東に移動したか?月氏に追いやられて東に行ったが東湖にはばまれて中央に位置したと見てる。当時コーカソイド系が中国の北に位置するときは、モンゴル高原の南下じゃなくて、タリム盆地からの東進が大体のパターンになるから。モンゴル高原からの南下の場合先にモンゴル高原である程度大きな勢力になって南下し無いと過去未来の例で無い。そして人種的には混血だと見てる。
これは理由がある。そもそもウイグル地域が過去からそうなのだから。月氏の場合イラン系と言う分かりやすさがあるのでコーカソイドそのもので良い。それより人骨の調査で混血型と出ている。しかもこのウイグルのデータ以外はC2が付随して見つかるので、たまたまウイグルと言う地域性のためC2が出てないだけと見ている。
問題はトルコ系の言語の別系統って点。これはウイグルがすでにトルコ系になりつつあったのでは?と見ている。トルコのベースはNだと書いた。今回見つかってない良いのか?まって欲しい。ウイグルの混血を誰がリードしたのか?それはバイカル湖に居ただろうNになる。これは王族や兵隊だろう戦士の墓だろうと予想できる。ウイグルのトルコ化の言語ベースはやはりNが作り上げたものじゃないのか?って想像になる。
現在Nはウラル系言語が主流になる。だがあれはウラルで完成したもので、元のルーツはアジア東北部になる。コーカソイドと強く混血したグループと共通言語体系を作り上げたので、言語が全く同じだとはさすがに思わない。
中央アジアと言ってなかったか?ならだから中国のすぐ北が問題になる。私は中央アジアのコーカソイドの東進はすべてモンゴル高原で吸収されてしまうと見ている。ここで負け組みになって逃亡するぐらいしか、小さな勢力で移動してくるのがとても想像できない。中国の歴史でそいうのは余りなかったから。
中国の歴史の大半は中原の上の部分しか描いてない。あれすごく偏ってる。あれじゃモンゴル高原の状況は一切分からない。そのモンゴル高原の状況が分かる時は大きな勢力が出来た時に限られる。特に東湖という大きな遊牧民国家があったのに、南下してくるのはちと想像できない。
M3が南下してきたのと話が矛盾してるじゃないか?これ多分貴族だとしても中心層じゃない。他の系統が西方よりのに大して、これだけ東方のものってのは不可解。偶然ウイグルにすみついたよりも、モンゴル高原からじわじわと移動してきただけの別グループだと見てる。帝国が出来た後の参加者となる。
おそらくウイグル地域から出てるけど、初期の小国家は東湖の隣にあって月氏に挟まれ居て、後帝国を作り上げた後の支配領域になる。当然モンゴル高原をすでに支配下におさめている。そっちで合流して南下してきたグループだろうと見ている。全く別の系統が何故一緒にいるか?これならすぐに分かるから。
たまたまそれが同じQだったというのがなんと言う偶然かと思うが、M3が西方に居るより、Q1B1が東方起源の方がありえないから。全く起源が違う系統だと見て良いとおもう。例えば、アメリカで欧州系のQが見つかるのだが、これ分岐が最近。考えれば、欧州からの移民だなだなと予想が付く。当人はインデアンと同じとも思ってないだろう。こういった偶然は現代発達した交通網と過去は同じじゃないが、過去でも特に遊牧民は起こりやすい。
普通はこれ西方なのでは?と迷うだろう。私はこれ偶然の一致だと思う。もし、匈奴がモンゴル高原で大きくなった系統なら中央アジアからやってきた系統だと見ていたと思う。意見が変わったのは元々私は、場所が問題だとずっと書いてきた。それで逆にこれですっきりしている。根本的にスキタイから始まった事なので、特に大きな変化は無い。スキタイがステップロードから来たなら匈奴はシルクロードから来たグループだと見ている。
ポイントは匈奴は初期小さくて急激に大きくなった点。チンギスハンはモンゴル族を纏めてまず土台を作ったけど、匈奴はどうしても全く別の民族を吸収して大きくなるしかなかった。この点でQが突出して多くでないのと、コーカソイドよりモンゴロイド的集団の色が強く出てしまってると見てる。そもそも混血集団なので、言語的にモンゴロイド系じゃないか?と見られてる点。ここが印欧語のトカラ語じゃないか?と言われてる月氏の決定的違いだと見てる。同じタリム盆地からやってきて、何故違うのか?で多分統一したウイグル語って無かったんだと思う。
トルコの方に文字が無いのでこれはもう想像しかない。Q1B1はQ1Bがカザフから広がってウイグルで変異した系統だと見ていた。だが、匈奴の位置を見ていると、アフガンのO1Bから広がってウイグルでQ1B1に変異した系統だと見ている。イランユダヤに広がりを持ってるのは、ステップロードよりその後のトルキスタン(突厥)のシルクロード(ステップロードも支配してるけど…)の広がりを感じるから。
一緒に出たQ*、Q1A*が大きな問題になる。これを前は分析しれきなかったと見たけど、これ古い元系統だと言う意味も今なら考えられる。それが出るのはアメリカ残留組よりアフガンになる。シベリアのアメリカ残留組はその下の系統に固まっていて、エスキモーもその下の別系統になる。Qで古い血統が西方起源を疑えと私は見ている。これに付随して見つかったので、モンゴルとカザフのステップロードじゃなくて、アフガンウイグルのシルクロードだと見た。
歴史的には南下らしい。そうなると、これカザフ起源になる前の話に戻る事になる。まあ別に良いか…。ルートが逆になった。匈奴帝国の末裔のQ1B1が突厥の広がりによって西方に進出した。こういう感じかと。これまで話したことなんだったんだ?となる。ただおかげで言語の問題がすごくすっきりした。あの辺りがトルコ語のルーツだと見ていたから。
それと言うのも、テュルク(トルコ)語系にウイグル地方がなるのは、突厥からで、そこからウイグル国誕生でさらにトルコ語系のウイグル語になる。その前はトカラ語が使われていたのは分かっているけど、全域か?は分からなかったから。
中央アジア起源ならコーカソイドでもないし、西方起源でもない。ベタな混血系になる。モンゴルの色が強くて後に完全にモンゴル化してしまうが、紀元前1000年付近ってスキタイの影響でモンゴル高原の西半分はコーカソイドとの混血になってた。おそらくカザフのあたりまではそんな感じだと見てる。そういう文化の違いがモンゴルとトルコを分けたんだろうなと見てるから。
それはシルクロード系じゃない。ステップロード系の言語発展になる。カザフから西へ向かって、トルコ、モンゴル、ツングースの順になっていく感じで、突厥登場まではシルクロードは印欧語の影響が強いと見てる。ものすごく大雑把に見るとだけど。
アフガンとカザフのQじゃ全く意味が違う。言語的にアメリカ移住組みの先祖になるので、多分どこかシベリア系と言う系統に似てる部分があると見てる。そこでトルコっぽいがトルコじゃないってものになったかと。印欧語じゃない。これだけで良い。元々はウラルアルタイ系とまとめられていたので、アルタイからやや外れる感じで良いかと思う。
全く文化的にも人種的にも言語的にもシルクロードとステップロードじゃ系統が違う。東方グループの一番西。これが匈奴の位置づけで良いと思う。シベリアからのモンゴル高原に出た西進組じゃないけど、カザフからモンゴル高原に来たグループは私は東方系に位置受けてる。スキタイの元になったイラン系のように西から来たらそれはもう西方系だと思う。この後モンゴル系の色が強くなる前駆集団となる。
日本で言うと沖縄と本土の関係似てる。縄文をコーカソイドに例えるとそうなる。これは同一集団の混血の程度の違いと見て良いでしょ?
何故ここまでQに拘るか?と言うとQが高ければ高いほどCの割合が減るから。過去C2の割合が西方に行くほど低かった話をするためしはじめた話だから。新モンゴロイドと言うのは東方からモンゴル高原に進出してきたもので、今の分布から多くの人は勘違いをしてるから。いつからC2が中心になるのか?なら遼だと思う。突厥はその中間体、そして匈奴はQを中心にしたCとの連合体。当然Cの割合は低くなる。なおかつ形質的にもカザフ集団の色が強いのでスキタイほどじゃないがコーカソイドの色が強い。
突厥はC2だと思うけど、ハプロで単純みたら駄目なのは、まだモンゴロイドって分かり易い集団じゃないと思う。西洋人から見たら一緒にされるけど、東洋人から見たら何か濃いわこの人って集団だと見てる。なおかつ突厥はRを強烈に取り込んだ集団なので、匈奴よりも国家としてはコーカソイド色が強い。
何故オスマントルコはR系なのか?と言うと、おそらくC2系の原型を留めていたかもしれないセルジュークトルコがさらに国家を広げて、アナトリアのR1Bの民族を取り込んだから。直系じゃなくても彼らはトルコ人だと思う。そもそもセルジュークトルコも十分怪しいから。
一つだけハッキリしたのは、中国古代王朝(殷周のみ)とは父系では何の関係も無い。
狄も整理しておきたい。これが明確にモンゴル高原と北方の関係が強い勢力。でもこの勢力、ウイグルにも居たらしい。困った。どっちが起源なんだろう。ただこの系統は明確にテュルク系となってる。後でそれらに繋がるとの記述があってこれは信頼できる。元々匈奴はちとずれたテュルクと言われてて、それで信頼できなかった。
これで西方起源じゃないのは理解できる。場所的には内モンゴルのあたりらしい。うーんちっとも北じゃない。西じゃないと言いたいだけみたい。ああこりゃモンゴロイドだ…。素直にC2だと思う。それと言うのもこの辺り、じわじわとC2系が増えた過去があるから。BかCか?は分からない。大体この辺りはC2C。トルコが明らかにC2Bが多いと思われるけど、何故か中国だとC2C系になってしまう。
この後スキタイが来て匈奴がモンゴル高原を支配する。この赤狄の広がりとスキタイの広がりでカザフの東と西が適当になると見てる。スキタイの前にすでにバイカル湖がC2Cが増えた原因になっていそうだ。
何故C2CじゃなくてC2Bが中心になったのか?はモンゴル高原に広がった時に元のC2Cが薄れてしまったためと思われる。おそらく匈奴はこの広がりでモンゴロイド的なグループに参加したとみてる。その後のスキタイによって遊牧から騎馬民族化したのかと。
狄が鉄の生産をしたと言うのはスキタイからだと思うのだがどうも時代が合わない。中国での鉄器の生産が早すぎる。ウイグル方面か?スキタイの持ち込んだものか?が分からない。
匈奴がややトルコ系としてずれるというのは良く分かる。また決定できないのも良く分かる。おそらくそれはカザフモンゴルの間ぐらいのグループが起源だと見てるから。遊牧民なんて当てにならないだろう?それが、あの系統って古くからいるのが分かってる。むしろC2が東から移動してきたんだ。カザフから広がるアルタイ地域までの領域からアメリカ移住組みはやってきたのだから、こっちが元グループになる。N系の拡散や、元々シベリアアジア集団だったのと、赤狄の広がりでモンゴロイド化してしまったのだろう。極東シベリア組とは違うが狩猟採取から遊牧、騎馬民族化って流れは多分同じ。
Cの広がりがイマイチ本格化しないのは、こういった元から居るグループを加えてトルコ化していくから。それを何度も繰り返す事で西方にC2Bを運んだと見てる。だからC2Cの多いモンゴル帝国はもう一つ西方に広がってないと見てる。
それでもC2がスキタイ前の僅かな時期にカザフとバイカル湖まで進んだのはわかった。
もう一つトルコかモンゴルかよく分からなかった柔然が東胡の後だった。鮮卑に近いかと。どっちか決着ついてはないが、モンゴル系に近いで良いとは思う。何故トルコかモンゴルか分からないのかやっと分かった。鮮卑がそういう集団だから。ツングースとモンゴル高原系の間みたいな集団だから。
この地域が柔然だとおそらくC2C。モンゴルに近いと言うのもそう。扶余がそんな感じだし。後はやっぱO2いるとは思う。そうなるとバイカル湖に影響を与えた候補として重要。結構統一の歴史が長い。鮮卑が短いのは実質創始者一人が死んだからすぐ瓦解したから。この国は何代かあるので結構長い。
遼の登場まで待つと描いたけど柔然かなり重要。C2Cのバイカル湖での濃さも重要だけど、C2のモンゴル高原とカザフあたりまで含めた分布はスキタイからスタートしてどんどん濃くなってると思う。そもそも赤狄自体C2Cは不明だけど、C2自体はもうかなり広がっていたと思う。薄いとは思うけど。
赤狄的からがC2の今の分布に近くなるスタートだと思う。