図書室
秘密基地を作り始めてから三日、私たちはそうそうに壁にぶち当たっていた。
「そもそも木の上にどうやって吊るすかなんだよねぇ…」
あの時はノリでやろうと言ってしまったものの、木の上に建造物を作るのはいささか小学生の手に余る。
そもそも木に釘を打ち込むわけにもいかないし、秘密基地を乗せる枝の強度もそれなりにないと危ない。
「どうしても板が落っこちちゃうね…」
「どうする?」
お互いに顔を見合わせる。残念ながら小学生に建築学なんぞ身についていない。
「別のところに作る?」
「えー、でもそれだと男子に追い抜かれちゃうよ」
他の子達も困ったように、みんなで書いた設計図や中途半端に作った秘密基地の土台を見下ろしていた。
そう、この秘密基地計画はただの秘密基地を作るのではなく、競争なのだ。どっちが早く、そしてすごい秘密基地を作れるかっていう。
うーむ、仕方ないなぁ…。
そもそも何の知識もなしにただ作ろうとしたのがダメだった。
「じゃあ図書室に行って調べてみる?」
ひとつ提案してみると、リーダー格の子が諦めたように頷いた。
「そうだねー。じゃあ今日の集合は図書室で」
「りょうかーい」
というわけで、今日の放課後は現場の山には行かず図書室で木の上に家を作る方法を調べることになった。
あーあ、高校生だったらネットでぱぱっと調べられたのに。小学生って不便だなぁ。
そう思いながら、私は世界の家という本を開く。私の記憶が正しければ、東南アジアに高床式の家があったはずだ。
ペラペラと目次を眺めていると、
「あれ?陽菜ちゃんのお姉ちゃん?」
という舌ったらずな高い声が聞こえた。
「ん?」
誰だろ、と振り返るとそこにはミニサイズの神崎五月…さっちゃんが立っていた!
「うぇ⁈さっちゃん、ちっちゃ!」
「え?」
さっちゃんが目を丸くする。
おっとと、ここは私の小学生時代の夢の中だった。そりゃ私より年下なんだから、さっちゃんも小さいよね。
さっちゃんは二つ年下の私の妹、陽菜の小学校からの友達の男の子だ。そして高校生の陽菜の彼氏くんでもある。
そんなさっちゃんは本来の私が生きていた時代では高校生で、すでに私の身長より大きくイケメンさんになっていた。
「いや、なんでもないよー」
そう言いながらも心臓はバクバク暴れまわっている。
いやー、ビックリしたよ。小学生の頃のさっちゃんって陽菜よりも小さかったんだ。それに今はイケメンさんというよりは可愛い男の子って感じだね。
悪い人に誘拐されてしまわないか、お姉さんは心配よ?
私が心の中で驚愕していることを露とも知らないさっちゃんは無邪気に、
「そっか。ねえ、陽菜ちゃんのお姉ちゃんは何やってるの?」
と私の手元の本を覗き込んできた。
「光でいいよ。私はね、今木の上のお家のことが書かれている本を探してるの」
答えて本のタイトルを見せると、さっちゃんはくりくりとした丸い目をさらに丸くさせた。
「木の上にお家作れるの?」
「作れるんだよ。えーっと、ん、あったあった。ほら」
写真を見せるとさっちゃんはすごい!とじっと本を見つめた。
うんうん、すごいよねぇ。私たちもそんな感じの家を作りたいんだよ。
この本の写真を見た感じだと、柱とか屋根とかを紐で木の幹にくくりつけている感じかな?
「遊びに行きたいなぁ…!」
さっちゃんが目をキラキラさせている。だよね、ツリーハウスはロマンだよね!
「じゃあ完成したらおいで。みんなにも話しといてあげるよ」
「うん!」
さっちゃんは大きく頷いて、じゃあね!と風のようにかけていった。元気でよろしい。
「さて、私は資料集め、もうちょい頑張るかね」
呟き、私はわかったことや出てきた案を紙にまとめながら建築物関連の本を読み漁っていった。
学校に六時の“夕焼け小焼けで日が暮れて”と音楽が鳴り響く頃。
「うーん、これくらいかな」
私は鉛筆を投げ出して伸びをした。
机の上には何冊か広げた本と調べたことを書き殴った紙が散乱している。その中には、ノートを引きちぎった紙に少しだけ丁寧に書いた、秘密基地建設案の紙もある。
やっぱり土台を丈夫な紐か布で幹に括り付けるか、もういっそ高床式にすればいいんじゃないかなっていう案だ。
それ以外にもやり方はあったんだけれど、小学生には技術的にも金銭的にも無理があるから却下ということで。
「ふむ…この紙は明日みんなに見せるとして」
この走り書きだらけの紙、どうするかなぁ?
ただゴミ箱に捨てるだけなのもつまらないし、男子に見られたら私たちの秘密基地がバレるかもしれない。それはちょっとまずい。
…よし、面倒くさいしここは簡単に紙飛行機にして飛ばしてしまおう。
幸いこの学校にはもう誰も残っていない。ごみ捨て場に向かって飛ばせば、中身は誰にも見られないでしょ。
立ち上がる時にぐっともう一度伸びをして、本をササッと片付ける。そして私はいそいそと紙飛行機を作り始めた。
紙飛行機は簡単な作りのものとちょっと凝った作りのもの、変わった形のものの全三種類。そのうちのひとつには“空まで届け!”といういたずら書き付きだ。
紙飛行機を抱えて思い切り窓を開けると、夕陽が目の前いっぱいに広がった。優しいオレンジの光が図書室を包み込み、私や本棚の後ろに長い影を作る。
「綺麗な夕陽」
ポツリとつぶやき、夕陽をぼんやりと眺める。
そういえばこの走馬灯、長いよね。走馬灯って一瞬で一生分の夢を見るって聞いてたんだけど、私の場合はそんなこともないみたいだ。
この三日間、みっちりと小学校の思い出に浸っている。
秘密基地ができたら私、本気で死ぬかもしれないなぁ…。あの状況からして、タイムリミットは短いはずだし。
それはそれで辛いんだけどね。夢とはいえ、みんなといるとやりたいことが溢れてきて止まらなくなるよ。
死が近づいてくると、わかってるからこそ。
胸を突くような虚しさと、胸を掻き毟りたくなるようなこの世への未練が湧き上がってくる。
「あはは、はは……はぁ。私、まだたくさん生きたかったんだ…」
なんて、今更気付いても遅すぎる。
あのトラックに轢かれた瞬間は、未練なんてなきに等しいかったのに。走馬灯って、本当に優しくて残酷だよね。
大きく息を吐き出し、夕陽を見つめる。
夕陽はゆっくりと山の向こうに沈んでいき、代わりに一番星が紫紺の夜空にポツリと現れた。
…どうせ死ぬなら、この夢を完結させたいなぁ。それで、秘密基地できたねってみんなで喜んで、最期は笑って気づかないまま死んでいけたらいい。
紙飛行機を飛ばす。まるでボールを投げるみたいに、大きく振りかぶって。
案の定紙飛行機はそんなに飛ぶこともなく落ちていった。
ひとつ、またひとつ。投げ捨てるように飛ばした紙飛行機は夜の帳に落ちていく。
最後のひとつ。“空まで届け!”と書かれた紙飛行機を見つめて、ため息を吐く。
もともと紙飛行機にこの言葉を書いてたのはシロだった。こうすれば長く飛ばせる気がするんだとかなんとか言って。
「…本当に長く飛ぶのなら」
空じゃなくて、シロのところまで届けばいいと思う。
アイツなら、あの世からの紙飛行機も笑って受け取ってくれるだろう。もしかしたら私の遺書だって言って仏壇に飾りに行くかもしれない。
…それはちょっと嫌だなぁ。
その光景を想像してしまって、思わず笑いが漏れる。
最後の一つの紙飛行機を飛ばす。
紙飛行機は悠々と夕陽に向かって飛んでいき、夜のしじまに溶け込むように消えていった。
空を眺めていうちに優しいオレンジの光は消えて、夜の闇と星の光が空を支配し始めた。
「さぁて、帰ろっかな」
私はわざと明るい声でそう言って、椅子の上に置いていたランドセルを担いだ。そしてそのまま図書室を走り出たのだった。