誰かが見てくれている
『どこかで誰かが見てくれている』は、福本清三氏の著書だ。『カイジ』の福本伸行氏ではない。日本一の斬られ役、福本清三氏だ。
幼年期、私は時代劇が好きだった。『暴れん坊将軍』や『三匹が斬る』が好きだった。グロテスクを排斥された剣劇に、かっこよさを見いだしていたのだ。その当時、私は福本氏の名を知らなかった。ただその存在は知っていて、「狼のひと」と呼んでいた。目張りでとんがったような顔が、幼心に狼を連想させたのだろう。
ブラウン管のなかに「狼のひと」を見つけると、幼い私の心は躍った。斬られてのけぞり、大仰に死ぬ。死んだはずの「狼のひと」がその場に再登場して、また斬られる。大仰な二度めの死。その姿に欣喜雀躍する幼い私。
長じてその名を知り、『仁義なき戦い』での死にざまも観た。『レッド・シャドウ』や『ラスト・サムライ』での名演も、チェックした。ただ著書は買っていない。サイン会も近くでやっていた。行きたいとは思ったが、行かなかった。金がなかったのだ。
だが、ブラウン管をとおしてずっと観てきた。著書は買わなかったけれども。
誰かが見てくれている。そう。「小説家になろう」も、そう。ここに投稿した作品は、誰かが見てくれている。感想も評価もゼロでも、誰かが見てくれている。決して、無駄ではない。