5 ロッテ正体ばれ、飛び出した途端。
「…何だよロッテ、ずいぶん難しい顔して」
マスターは丸椅子の上で膝を抱えているあたしを不思議そうに眺めた。
「ほいカフェオレ。ミルクたっぷり、甘みたっぷり」
「あ、ありがとー」
「今んとこはいいけど、忙しい時には忙しいぞー。今日は」
「いいけど」
あたしはカフェオレをず、とすすった。
「あたしは今日、何をすればいいの?」
「何って… 言ってもなあ」
「まあ、気絶しなければ、いい」
ほい、とマスターは口をはさんだドクトルにもカフェオレを渡した。
「気絶!?」
「けが人がやって来るんだ。今日は連中の貸し切り。だから、俺もお前もそのお手伝いな訳よ。お前、血は大丈夫?」
「…い、一応」
「生理は来てるか?」
「な」
ドクトルの言葉に思わずあたしは顔が熱くなるのを感じた。
「十三にしては、発育が悪い」
「悪かったわね! ちゃんともう毎月毎月来てるわよ!」
「あ、それは俺も保証する」
マスターは片手を挙げる。あたしはその頭を無言で張り手した。
「なら大丈夫だ」
「…なら、って何よ」
「女の方が血には強い」
「あ、それは言えてる。…俺も参ったもんなー、当初は」
「スプラッタの方がましって、前、言ってたじゃない」
「あのねロッテ、自分がドンパチの主人公になる場合と、観客の場合じゃ違うんだよ」
「主人公になられてたまるか」
ぼそ、とドクトルはつぶやく。おや、とあたし達はそろって彼の方を向いた。
「何、パパさん、それは父性本能って奴ですか?」
「馬鹿野郎、そうでなくても、これ以上そういうことがあるのは良く無いだろうが」
はいはい、とマスターはにやにやと笑った。そしてちょいちょい、と窓の外を指さす。見ろ、ということだろうか。
あたしはガラスにぴったりと顔を押しつけて、メインストリートの左右に目をやった。よく晴れて、ちょっと風の強い日。メインストリートには砂ぼこり。
「右から来るのが、アンテパスティ一家。左から来るのがゴヴリーン組」
「…もろギャングじゃない…」
「いや一応、アンティパスティ一家は、食品産業の方にも手を出しているし、ゴヴリーン組は、人材派遣業という奴が建前だ」
「建前ってことは」
「つまりアンティ一家は」
彼は省略する。まあ確かにあまりフルネームで言いたい名前ではない。…料理と間違えそうだ。
「食品流通の方が建前でね。だからウチに当初金を貸してくれてたのはあっち」
「…もしかして、ウチに材料とか卸してたりする?」
「いんやそれは無し。それやっちまうと、後でややこしいじゃんか。だからそれは『アンデル』の業者使ってるよ。だいたいそもそもどーしていちいち隣町の業者通さないといけないよ」
それはそうだ。
「ただ食品と言ってもイロイロありまして」
「はあ」
あたしはうなづく。
「食品の箱の形をしていれば、中のものは何か判らない、ということも大有りでしょう」
と中央TVのニュースキャスターの声でマスターは言った。
「と言うことは… 密輸?」
「正解」
にや、とマスターは笑った。
「一応マトモな食品の箱の中には、マトモでない食品が入ってたりもする訳さ。例えば幻覚キノコとか」
「…違法でしょ」
「違法すれすれ。こーゆーとこが姑息っーか何つーか。ロッテお前、ミラクルマッシュルームって知ってる?」
「ウチの学校で退学になった馬鹿が居た」
「そーゆーこと。退学だけで済んだでしょ」
「あ、そか」
「成分に依存性が無いものは一応法律では取り締まっていないけど、それによって幻覚見た奴が犯罪起こす確率が高いモノ。そーゆーものをこっちからあっちへ流す商売、というものはやってるワケよ」
「…一応違法では、ない、と」
「そ。でも数年以内には違法になるけどね」
「本当?」
「本当。それは確実な情報」
…そんなもの、何処で仕入れるんだ? そう思ったが、顔をしかめただけで、あたしは口には出さなかった。
この人達には時々そういう所がある。何処からか判らない「確実な情報」というのが時々やって来る。
そしてマスターときたら、そんな貴重だかんだか判らない情報を、結構あたしにはぽろぽろ流す。彼があたしのことを信用しまくっているとは思えないのだけど。
わからん人だ。全く。
「で、だロッテ、向こうのゴヴリーン組は」
「…ゴヴリンってあたりが既にとっても怪しいんですが」
「小鬼? 確かに」
あはは、とマスターは笑った。
「ま、あそこはあそこで、いろーんな仕事に人材を派遣する、…いろーんな、仕事にね」
「いろんな?」
「例えば運び屋とか」
「…じゃあ市場は違うじゃない」
「だから、あくまで『抗争』。何っか、血が騒ぐんだってさ」
何それ、とあたしは目を丸くした。
「あれは、ああいう連中なんだ」
とドクトルが口をはさむ。
「時々ドンパチをやらかさんと、血が騒ぐんだ。だったら町民に迷惑かけるより、時間限定でやらかした方がいいだろう。そのために『警報』を出す様には双方に言ってある」
「…じゃあ抗争って言っても、それって遊びみたいなものなの?」
「いや、本気だ」
ドクトルはすっぱりと言う。
「本気で、銃の撃ち合いをするのは確かだ。けが人も出るし死人も出たこともある」
「ばっかじゃないの!! 遊びで本気の殺し合いする訳?」
「馬鹿かもしれないが、連中にはそれが必要なんだ」
「…わっかんないよ」
あたしはどん、とカップをデスクの上に置いた。カフェオレが跳ねた。デスクに滴が飛んだ。
おじーちゃんの医院にあったのと良く似た、木製の大きなデスクだ。その上にはきちんとカルテが立てられて整頓されている。
「だって銃、本物なんでしょ?」
ああ、ドクトルはうなづいた。
「何それ。何だってそんなことしたい訳? 死んだら哀しいじゃない! 周りのひとも。馬鹿と違う!?」
「うん、馬鹿だ。すっげー馬鹿。だけど、せずには居られないことってあるだろ」
「マスターまで…」
あたしはぎ、と唇を噛みしめた。
「おいロッテ、そんな怒るなよ、だいたいけが人ったって、そのためにこいつが待機してるんだろーに」
「マスターっ」
きっ、とあたしはマスターの方を向く。おっ、と彼はのけぞった。
「止めようとしたことは、無いのっ?」
「だから俺はそれなりに関係が」
「それで死人が出るのはいいっての?」
「ルイーゼロッテ」
ぴしゃ、とドクトルの声が降りかかる。
「この先、見たくないなら、さっさとハルシャー市に帰りなさい」
有無を言わせぬ響き。
「巻き込まれることに対して覚悟ができているというなら、そういうものを見るというのも覚悟の上だろう?」
「それはそう… だけど」
「どれだけ君にとって馬鹿馬鹿しくても、それはそれで、ここの現実だ」
「おいK、その言い方は」
「事実だろう?」
う、とマスターは眉を寄せて、口ごもる。
「この町に居るのは、その馬鹿馬鹿しさを日常と割り切れる奴だけだ。君がそれができないなら、この医院やカフェの前の店主の様に、出て行く方がいい」
頭がぐらり、とした。
―――だから、それを打ち消そうと。
だん!
あたしは木の床を強く踏みしめた。
「おい、ロッテ…」
だんだんだんだんだん!
「地団駄踏んでも状況は変わらない」
「知ってるわよ!」
だんだんだん! だけど、止まらないのだ。
「それに、ルイーゼロッテ、君のことに関しては、話をつけてある」
ぴた。
足が止まる。
「どういう… こと? ドクトル」
「言葉の通りだ。君の居た学校の方には、こちらから連絡をしてある。一時的に預かっていると」
「…言ったの!?」
「君が居たのは、政府の学校だろう?」
はっ、とあたしはあるひとの顔を思い出した。確か―――確か、あのひとは。
―――…本物?
本物だよ、ありゃ。だって俺、前TVで顔見たぜ。
…そうそう! あの新年番組ん時も…
あ、俺も見たぜ? 確かにそうだ…
でもそれが何だって…―――
それは、いつのTVだったろう。
それは、何の時だったろう。
TVで「彼」の顔が流されることは実はそう無い。だから「彼」の姿を見たというのは。
「あのひとは―――あの長官は、確か…」
「遅い」
ドクトルは短く、だけど鋭く言った。
「新しい科学技術庁長官が、クーデター側から出た、という情報くらい、君は知っていたと思っていたよ、ルイーゼロッテ」
知らなかった訳じゃ、ない。…情報と情報をつなげることができなかっただけだ。
でも結果は同じだ。あの科学技術庁長官と、このひと達が同じ側の人間である、ということに… どうして気がつかなかったんだろう。
あの時、リストを全部記憶しておけば。
その中にきっと、「ゼフ・フアルト教授」の名もあっただろう。写真入りでしっかりと。
ぱんぱん、と外で音がし始める。
「…ああ、始まったな」
ドクトルはふらり、と窓の外を見る。確かにあちこちで、何かが弾けている。
この医院の窓から見えるのは、柵向こうの道の空き地。その向こうには鉄道。空き地の横には何ってことない普通の家。やっぱり「警報」を知らされているのか、窓も扉もぴったりと閉ざしている。
その柵の一本が突然折れた。ぞく。
それまで、TVのモニター越しにしか見たことの無いものが、いきなり現実に迫ってくる様な気がした。ぴし、とこの医院の周りを囲んでいる木の枝にも当たったみたいだ。
「奴は君に興味を持ったんだ」
「…奴って… 長官のこと?」
「そう。ゼフ・フアルト教授。我々の中で最も今度の政府で出世した奴かな」
「出世って言うより、あいつは御指名だったろ?」
「それでも出世には違いない。当人はどう思おうとな。―――そして奴自身、その地位を楽しんでいる。それも事実だ。政府のため、そして自分自身のため」
あの長官が。見かけはともかく、ひどく子供じみたところがある、あのひとが。
「さてそこで、だ。何で奴が君の学校にわざわざ君をスカウトに来たか判るか?」
「あたしが有能だったから、…だけじゃないんでしょ?」
「そう。有能は有能だ。ただし、物騒な有能だ、ということもある」
あたしはうなづく。否定できない。
「当初、君をスカウトする予定だったのは、確かにキルデフォーン財団だったんだ。ところがそのデータに誰かが不正アクセスしていることが判った」
ち、とあたしは舌打ちをした。
「それがヘライ女史ということは、すぐに判った。今後直接のアクセスに関しては禁止された。当の本人はどうでも良さそうだった、ということだが」
「…で、あたしが割り出された?」
しかめっ面であたしはドクトルを見返す。
「いや」
彼は腕を組み、首を横に振った。
「そこまでは、ただの『不埒者の学生』のやったことだ、と情報管理の連中もいつもの通りに処理するつもりだったらしい」
「いつもの通りって」
「簡単なことだ。気が付かなかったか? ヘライにはそのパスワードを使用することを制限し、その上で次に使う者を割り出して逮捕すればいいだけのことだ」
…それは予測した。だからこそ、なるべく特定されない様な場所でアクセスし、プリントアウトしたはずだった。
「君のやったことは、ある程度有効だ。ただ、図書館のカメラの解像度に関しては読み間違ったな」
「…そう」
ふう、とあたしは目を閉じて、思い切り深呼吸した。
「我々の資料にアクセスした者は、基本的にマークされる」
「それの何処が悪いの?」
あたしは反撃に出た。
「だってそうじゃない! 『尋ね人の時間』、ああいう番組だってあって、政治犯のひとで、記憶消されたひとってのは、身元確かめたいってひとも多いんでしょ?」
「ねえロッテ、逆もまた、多いんだよ。しかも、中には、調べられては未だに困る奴も、多いんだ」
「マスター…」
心臓が跳ねた。
マスターの表情は、今まで見たことの無いものだったのだ。重い―――
いや、違う。疲れている―――様に、見えた。
「…ともかく、それで探り当てた今度の『不埒な学生』が、十二、三の少女だったことに、さすがの情報管理局の方も焦って、一日がかりで君のプロフィルを調べあげたって訳だ」
「あたしの―――プロフィル」
「それは、ここにある」
あ、とあたしは声をあげた。それは最近良く来ていた「ジオ」という人からの手紙だった。ずいぶんと大きいと思っていたら、…資料が入っていたのか。何ってアナログな方法。
「案外この方法は穴でね」
ドクトルは封筒の中身をざっ、と引き出す。
「あのねロッテ。何かしらの端末を使った通信だと、そうやって君の様な『不埒な学生』あたりに聞き取られてしまうこともある訳だ。だがただの郵便には案外皆油断するんだ」
マスターは苦笑しながら説明する。そうですか。確かにそうですよ。あたしは何も知らずに、あたしに関する資料を「はい郵便」とばかりにあなた方に渡していた訳ですから。
「そしてそのプロフィルを見て、我らが仲間の科学技術庁長官は、驚いて楽しがって、なおかつこんな面白いものを、キルデフォーン財団なんかに取られてはたまらん、と思った訳さ」
「…あたしは面白いもの、って訳ね?」
そう言えば、あの時もバケモノ呼ばわりしたな。
―――でもバケモノ結構。才能は生かすべき。才能を殺すのは、罪悪に等しいさ。
彼はそう言った。そして、こうも。
―――ただ惜しむらくは、その才能の使い方をよぉく知らないことだよね。
なるほど、このことを言ってたのか。もうこっちは知ってるんだ、と。
さすがに内容をそのまま言うのははばかったけど、あたしがその位のアタマがあるなら、こっちの意図を読みとってみろ、と。
「でももう三ヶ月経ってるわ。いい加減、あたしは退学にでも何でもなっていて、おかしくないはずよ」
「それは止まってる」
「つまりねロッテ。…君がここに来てから、すぐに俺達は仲間に連絡取ってしまってたんだよ」
「…嘘…」
「だけど嘘というなら、君もそうじゃないか?」
ドクトルは出した資料をぱらぱらとめくる。はっ、とあたしはその意味を察した。
「…止めて」
「君の本名はルイーゼロッテ・ケルデン。…現・本籍地、マジュット県ハルシャー市。ただし…」
「止めてってたらーっ!」
あたしは耳を塞ぐ。
「いいわよ、出てくわよ! ここから、出てく!」
だから、だから、その先を、言わないで!
少なくとも、あなたの、口から!
あたしはそのまま、扉の方へと駆けだした。
「おいロッテ!」
マスターの声が背中から追いかけて来る。追わないで欲しい。
ばたん。
扉を開けて、大きな音をさせて閉じる。マスターはその扉から身体半分出して、とびきりの大声で叫んでいる。凄い声。もの凄いヴォリューム。
「おい今の状態が判ってんのかお前! ロッテ! ルイーゼロッテ!」
今の状態? 何だっけ。ええと。
メインストリートに、一歩、足を踏み出した時だった。
「う」
背中を、ひどい力で、どつかれて。
前のめりに、倒れて。
ああやだ、鼻でもぶつけたらどうすんの。これ以上馬鹿にされるとこがあったら。綺麗だったママに似てないって言われるとこが増えたら。
だって。だってあたしは。
「双方停止ーっ!! 中断ーっ!!!」
強い力で、あたしは自分の身体が持ち上げられているのが判る。びんびんに響くマスターの声。
「馬鹿やろう!!」
ねえ、それが最後なんて、嫌な言葉じゃない?