3-1 こうなりつつあるとき(まえ)
それは最終学年になって、一ヶ月位経った頃のこと。あたしはその頃、週末となると必ず外出していた。それは首府内のこともあったし、ハルシャー市まで行くこともあった。
あれ以来あたしは「パパ」クルト・ケルデンの消息をずっと探し求めていたのだ。
ママの死はあたしの世界を一気に変えた。
それまでのあたしにとって、未来は「ママと自分」のためだった。
自分のためだけの未来なんか考えたこともなかった。
なのにそのママが居なくなった。あたしの未来予想図は粉々に散ってしまったのだ。
それまでの「予想図」にかけて来た力が強ければ強い程、修正するのは難しい。だから気持ちの切り替えが必要なことは判っていても、そうしてしまうのはまだ辛かった。
あたし「だけ」のことを考えるなど。
だからとりあえず、気持ちを逸らすことにした。
この時、あたしは「パパ」を探すことに学校以外の全てのエネルギーを注ぎ込んでいたと言ってもいい。
止まってじっと考えているのはゴメンだった。そんなことしていたら、どんどんどんどん、ママのことばかり考えてしまう。
「こうしたらよかった」「ああしたらよかった」と、今更言っても仕方ないことばかりが頭の中をぐるぐる回ってく。そんなのは嫌だった。だからそんな時はあたしは唇をぎっ、と噛み、幾つかの言葉を祈る様につぶやいた。
ママは死んだ。もう帰らない。
死んだひとは戻って来ない。
泣き叫んでもわめいても何をしても無駄だ。
そしてあたしは生きてる。
後を追うつもりもなくこの先生きてくなら、とにかく動くしかない。
ただ。
それでも何も無かったかの様に、学校で前と同じ様なことにひたすら時間を使うことはできなかった。目的を無くした勉強に熱意は必要以上にかけられない。
じゃあ何に熱意を持てばいい?
そこで「パパ探し」が浮上した。
何かいつもと違うこと。でもママに関連すること。すればあたしが納得すること。
目的を設定して。問題の解き方を考えて。
―――動く。
その結果得られることに関しては、その時考えよう。
ただもう、足を止めないことだけが、この時のあたしにとって大切なことだった。
*
だがハルシャー市民病院では、ケルデン医師に関する資料は全て破棄されていた。
彼が居たという証明すら、婦長さんの様な、当時のスタッフの「記憶」以外無かった。
だから当時のスタッフを捕まえては少しづつでも聞こうとした。―――のだが。
「無理よロッテちゃん」
婦長さんは当初「知らない」「死んだのよ」を押し通すつもりだったらしいが、結局、あたしのしつこさに負けた。「探し出してママのお墓参りをさせたい」と説明すると「仕方ない」と思ったらしい。
そこで婦長さんの証言。
まずパパは、婦長さんとそう歳は変わらない、現在だったら三十代後半であること。
それはあたしも知ってた。ママも「生きていれば」ということを時々つぶやいていた。
皆の憧れだったこと。
「私達は、皆で彼に何か行事にかこつけて学生の様に告白したものよ」
「婦長さんも!?」
こほん、と彼女は咳払いを一つ。そのあたりはあまり追求しない方がいいらしい。
「でも実際、彼が大人しいマリアルイーゼを選んだ時には、皆びっくりしたものよ」
「どうして」
初恋すらまだのあたしには、男女の気持ちなんて、さっぱり判らない。
「だってマリアルイーゼは、あの頃本当に引っ込み思案で… ああ、ごめんね。別にけなしてはいないわよ」
婦長さんはひらひらと手を振った。判ってます、よぉく言いたいことは判ります。ママは優しかったけど、陽気ではなかったから。
「仕事は真面目だったけど――― そうね、例えば患者さんにどうしても鎮静剤を打たなくちゃならない時があったりするでしょ」
うん、とあたしはうなづいた。あの時のママの姿が脳裏によみがえった。
「それってやって当然なことなの。患者にとって、それが必要なら、押さえつけてでも私達はそれをするのが仕事なのよ」
「ママはできなかった?」
「いいえそんなことは無かった。マリアルイーゼは、毅然とした態度でやってのけたわ。ただ、その時の患者の気持ちが伝染ってしまう様で、後ですごく悩んだりしたわ」
「…ママは優しかったから」
「そう、優しかった。だけど外科の看護婦としては、少し弱い方の優しさだったわ。…でもママとしては本当に良かったでしょう?」
「もちろん!」
あたしは大きくうなづいた。だが何となく話が逸れそうだったので、慌てて引き戻す。
「…ねえ婦長さん、婦長さんから見て、パパはママと仲良かったんでしょ? だったらどうして、そんな、捕まる様なことになっちゃったの?」
婦長さんの顔が歪んだ。
「だから、詳しいことは判らないのよ」
「詳しくなくてもいいの。捕まったのは、パパだけなの?」
「居たことは居たわ。誰かは忘れたけど…」
彼女は目を逸らした。
嘘だ。
婦長さんに会う前にあたしは医師会関係の資料を検索していた。
パパと同じ時期に医師の登録を抹消されたひとは三人しかいなかった。
確か神経外科のひとが二人、内科のひとが一人。
だけど、そのひと達はIDまで消去はされていなかった。
パパが居なくなったあたりにあった政治犯関係の事件。
これも新聞社の公開情報の中から見付けることができた。そこには複数の医師が関与した事件が確かにあった。時期も重なる。パパがこれに関係した、と考えるのはたやすかった。そして逮捕された中で、パパだけが、「ライ」へと送られた。
―――何故だろう。
だけど婦長さんからはそれ以上のことは掴めなかった。
*
しかしひょんなことからあたしは、とあるものを入手した。
今年初めに一気に市民登録をした「元政治犯」のリスト。一度は入手しようとして、だけどあきらめかけていたものだった。
何と言っても、所詮あたしは専門のハッカーではない。証拠を残さず危ない橋を渡る度胸もなかった。
だけどひょんなことから、危ない橋が目の前に掛けられてしまったのだ。
「悪かったわね~ごめんね~でもわたしの授業、今日は休みだし~」
と、「文章作成法」のヘライ先生は、朝の光が射し込みつつある部屋で、へらへらと笑いながら濃いコーヒーをすすめた。
昨晩、寮住まいをしているヘライ先生は、急にあたしにスペルチェックの「アルバイト」を頼んで来た。何でも教師という立場にも関わらず、様々なペンネームを駆使してこっそり、大々的に活躍している彼女は、この時ちょうど締め切りが重なったらしい。
「でも本当に、速いわ~ 凄いわ~ これからもお願いしてもいい~?」
「…お断りします」
さすがにあたしもそこはぴし、と言った。
「あら~ 残念~ 読むの速いし正確なのに~」
…それは自信があるが。
「帝大からお誘いも来てるし~」
「へ?」
「あら~ 初耳?」
初耳だった。思わず大きくうなづいた。
んー、と彼女は首を傾げると、一度離れた端末の前に座った。と。
あたしは目を見張った。見覚えのある画面。
「んーと… *、*、*、*、*…」
一つ一つ、アルファベットを読み上げながら、彼女はとある画面の真ん中に打ち込んだ。
「あ、出た」
うふふ、と笑いながら、彼女はずらりと並んだ文書リストを指す。
「こないだ見た、ケルデンさん関係は…」
あたしの目は画面に釘付けになっていた。情報に、ではない。その画面に、だ。
先生が出すその一つ前。そこまでは、あたしも行けたのだ。「パパ」の情報を探した時、医師関係からまず手繰ってみたけど、どうしても出て来なかった。
業を煮やしたある日、もしかしたら、と「今年初めに新規に市民登録された三十代後半の男性のリスト」を出そうと思いたった。
だけどそれは駄目だった。「そのひとはデータバンクにありません」と言われるだけだが「居ない」ことを調べることはできた。
けど「居る」ことは。
ヘライ先生が出した、あの画面。パスワード請求の、あの画面。あれを越えることができたら。
「あら~やっぱりケルデンさんよ。…あっら~スポンサーは、キルデフォーン財団?」
凄い~、とヘライ先生はあたしの腰を三回も叩いた。おかげで正気に戻る。
「き、キルデフォーン財団?」
「やーだー、知らないの?」
「知ってますよ… 有名じゃないですか」
食品産業に端を発する、中堅どころの財団。
「きっともうじき、お話が来るわよ~」
うふふ、と彼女は笑った。そうですか、とあたしの唇は動く。
内部情報を勝手に見てもいいんですか、といつもだったら突っ込むあたしも、この時には、それどころじゃなかった。
*****。
ヘライ先生の声を何度も何度も、あたしは頭の中で繰り返していた。
*****。
覚えろ、と自分に命令しながら。
*
チャンスは一度だ。
翌日、授業が終わるとすぐあたしは中央図書館へと出向いた。
館内の本の検索端末の前に座る。斜め上には監視カメラ。
落ち着け。こういうカメラは不審な人物の不審な行動を見る程度の画像しか映し出さないと――― 思う。だから態度さえ堂々としていれば大丈夫。
楽観的だとは思った。けど何処でやっても結局その程度のことはつきまとう。だったらやると決めた以上、仕方が無い。
そのままキーを操作。館外文献の検索のふりをする。
その途中で裏技をかける。これは卒業した先輩から教えてもらったものの改良版だ。時間が経てば対策も立てられる。対策を考慮した改良版。それをかけると、役所の情報バンクにつながる。
一応、そこまでは成功している。そこまでは―――
軽犯罪程度にはなるが――― 学生だったら一度は誰でも試すことであり、学校側も黙認していた。
そしてそこから更に、幾つかのトラップをくぐり抜け、先日ヘライ先生が映し出した画面までたどり着く。
パスワードを無言で打ち込む。
―――出た。
あたしはその中から目当てのデータを取り出して、自分の記録カードの中へと入れた。
一応用心のために、大量の情報が入れられるカードをあらかじめ買っておいた。
データ量は実際には大したものではなかったのかもしれない。だけどこの時落とす時間はずいぶんと長く感じられた。
心臓がどくどく言うのが感じられた。手首に浮いた血管が跳ねているのが判るくらいに。
…保存終了。
あたしはカードを手に、そのまま移動した。
今度は首府の繁華街の有料端末の店へ。
あたし達の学校だけじゃなく、中央大学の学生もよくそこを利用している。この日もずいぶんと混み合っていた。そこであたしはデータを全てプリントアウトした。
そしてカード自体のデータを全て消去し、工作ルームに置いてあったハサミで紙吹雪くらいの大きさにまで切り刻んで、ゴミ箱に捨てた。
残されたのは、プリントアウトされた大量の紙。隣にある雑貨屋で可愛らしい袋を買うと、それをくるりと丸めてリボンをかけて突っ込んだ。
上手くいった… とは思った。だが本当に大丈夫だろうか、という気持ちも残った。
だけどやってしまったことは仕方がない。その時はその時だ。あたしは可愛らしい袋を抱えて、寮へと帰った。