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1―――こうなったというのも(到着時)

「え?」


 カウンターの中から、マスターはにっこりとあたしに笑い掛けた。


「もう一度、言ってくれる?」


 うん、何って素晴らしい笑顔。


「だから、お金ないの」

「もういちど、言ってくれるかなあ…?」

「何度でも言うわ。お金無いの。何にも」


 ふふふふふふ。

 あたしとその店のマスターは顔全体に笑みを貼り付けたまま、にらみ合った。


「…すると君、君が今まで二時間を掛けてじっくりじっくりと食べた、『今日の特別定食』と紅茶とココアとザッハトルテと木イチゴのタルトに対する代金は全く無い、と」


 「そ」とあたしは大きくうなづいた。そらそーよ。首府からこのど田舎の「アンデル」へ来るには金がかかったんだから。列車に乗る前に買ったココアの缶がコインの最後。


「それは君、無銭飲食って言うんだよ?」

「うん」


 ここぞとばかりに、あたしは両腕をカウンタにつき、身を乗り出す。そして上目遣いで。


「あたしは持ってないけど… あのねマスター、この町に、あたしのパパが居るの」

パパ? お父さん?」


 言葉の端が震えてます、マスター。うん、とあたしはもう一度大きくうなづく。


「…そう、じゃあお父さんに払ってもらおうね。そのひとの名前は? 居場所は?」


 顔を近づけて、矢継ぎ早の質問。うーん、思っていた以上の迫力。プラチナ・カラーの短い巻き毛、あまり背は高くなくて、でも筋肉はそれなりについている様な身体、そして何と言っても、その蜂蜜色の瞳。

 ふうん。なるほどね。


「んーと… 住所はこの町としか知らないの」

「君ね… 大人をからかうもんじゃないよ!」

「でもパパはマスターがよぉく知ってるひとのはずよ?」

「俺が?」

「そぉ。ね、『トパーズ』さん」


 彼の表情が凍る。


「…コンラート・カシーラー」


 すかさずあたしは一つの名前を囁く。音はぴた、と止まった。その時、からんからん、と扉の方からカウベルの音が聞こえた。

 カウンタにはあたししか居ないけど、周囲のテーブルには客が数組。


「あ、いらっしゃーい」


 彼は即座に営業スマイルに変わる。


「…ちょっと待ってて」

「はあい」


 注文を聞きに行く。それなりに流行ってるんだな、この店は。

 あたしが食事している最中も、食事でもお茶でもない中途半端な時間なのに、客はひっきり無しに入ってる。でもまあ当然と言えば当然かなあ。何せ駅前に一軒だけの「食事もできるカフェ」なのだから。


「さっきの。それが君のお父さんの名前?」


 カウンタ内に戻ってきた彼は注文のコーヒーを淹れながら問いかけた。


「『ドクトルK』って言った方がいい?」

「…そう思いたくはないねえ」


 そう彼は言い捨て、口を歪めた。あたしは再び身を乗り出した。


「どっちにしても、あたし、行くところが無いの。首府からここは遠かったわ。お金だってもう無いし」


 彼の手が止まる。


「少しでいいの。パパに会いたいの。場所を教えて欲しいの」

「…無銭飲食者の言う台詞じゃねーがな」


 そう言いながらマスター―――「トパーズ」と、とあるリストに記されていた彼は、ため息をついた。


「お前その皿持って、こっち、来な」

「え…」

「今日の仕事が終わるまで皿洗い! それでその皿の分は、帳消しにしてやる」

「パパのことは?」


 くっ、とあたしは皿をまとめながら笑った。


「それはその後だ!」


 勝った、とあたしは思った。



「よーし、今日はこれで終わり」


 はふ、とあたしは思わず食器棚に両手をついた。


「結構やるじゃないか、お前。ほれ、夕飯」


 残り物の寄せ集め。焼き物揚げ物。それに煮物を利用したパスタ。豪華と言えば豪華。正直、お腹ぺこぺこだったので、そこは素直に席につき、フォークを手にする。


「ほいお茶」

「ありがとう… でもあたし、お前じゃないわ、ルイーゼロッテっていうの」

「ルイーゼ・ロッテ。ほー、おかーさんかおばーちゃんがどっちかの名前?」

「両方。おかーさんはマリアルイーゼ、おばーちゃんはシャルロッテ」


 そう言うとあたしはずるずるとパスタをすすり込んだ。あー美味しい。お茶時間に一応軽くつまませてもらったけど、やっぱり労働(とか勉強)が終わった後のご飯というのは何って美味しいんだろう。

 あれからこのマスターは、昼からお茶時間から夜まであたしを臨時の皿洗い兼ウエイトレスにしてくれやがった。

 当初は皿洗いだけか、と思ったら、あたしが遠くで聞いていただけのオーダーを一発で覚えていたのを聞いて、「お前オーダー取ってこい」とぬかしやがった。一食の恩義があるから何ですが、人づかいの荒いひとだ。


「んでなあ、お前の目的のひとだけど」

「ん」


 あたしはパスタを口にくわえたまま、マスターの方を見る。


「もうそろそろ来るぜ」

「もうそろそろ、って」

「だから、お前の言うとこの『パパ』さん。あいつはいつもここでメシ食ってくから」

「いつも?」

「オトモダチのとこでメシ食ってって、何か悪い?」

「…悪くない」

「それにアイツ、全然そのテのこと出来やしねーの。あんだけ傷縫ったりするのに器用なクセに何だろーね」


 ん? やけに穏やかな口調。

 何となくあたしの中で危険信号が走る。

 やがてからん、とカウベルの音がした。

 マスターは扉のところを見向きもせずに、言葉を投げた。


「お客が来てるぜ、K」

「私に客?」


 低い声。あたしはまだパスタを口にしたまま、その方向を見る。

 パスタがぽろり、と皿に落ちた。


「…パパ―――だ」

「は?」


 マスターよりやや背が高く、やや恰幅もいいそのひとは、思った通りの反応を見せた。そのままその場で固まって、あたしとマスターの顔を交互に見る。


「と言うことらしい、ぜ、K」

「…と言われたって、なあ」

「と言うことなんだけど。ルイーゼロッテ」


 うん、とうなづくと、あたしはカウンタの椅子から降り、つかつかと「K」と呼ばれているひとの前まで歩み寄った。


「あたし―――ルイーゼロッテ・ケルデンって言います。マリアルイーゼ・ケルデンの娘です。クルト・ケルデンさん」

「ふーん、あんた、そういう名だったの」

「…いや、判らない」


 きっとそう言うだろう、とは思ってた。


「あなたが知らなくても、あたしは知ってるんです」



「…なるほど確かに、私の姿だ」

「間違い無いのかよ、あんた」


 四人掛けのテーブル。あたしを前に、マスターと「パパ」は並んで座っている。空いたスペースにあたしはママのアルバムを開いた。


「…確かに、これは私なのかもしれない。私は実際医者だった訳だし」

「じゃあ、認めてくれるの?」

「おいK、認めるのかよ!」


 あたしとマスターの声は揃った。


「事実としては、な」

「って」


 あたしは「パパ」の方を真っ直ぐ見つめた。


「それに普通、私を捜すなら、君ではなく、君のママの方じゃないか? …君、今幾つだ? 見たところ、十…一? 二?」


 あたしは思わずぱん、とテーブルに手をついて立ち上がった。


「十三よ! それにママに探せるなら、…」


 あたしの声は詰まる。


「ちょっと待て、おい、それってもしかして… ルイーゼロッテ、お前のおかーさんって」

「ママは、死んだわ」


 今度は「パパ」の眉が大きく上がった。だけどそれは一瞬だった。


「しかしそれはそれ、だ」

「おいK」

「私が記憶を無くしていることくらい、君は判ってここにやってきて居るのだろう?」


 あたしはうなづく。


「だったら、私を捜しても、今更どうにもならないことじゃないか? それとも何か、他に目的があるのか?」

「…別に何かしてもらおう、なんて、思ってないわよ! …さっきまでは、ママのお墓参りをして欲しいと思ってたけどね」

「死んだ人間は元には戻らない。もし私が君の言うところの人物だったとしても、それは既に戸籍の上では死んでいる。死んでいる人間には何もできない」

「おい冷たいんじゃないか? K、それは」

「事実だろう。いずれにせよ、ルイーゼロッテ、君の『パパ』であるべき男は、ここには居ないんだ」

「ええよーく判りました。訪ねてきたあたしが馬鹿見た、って訳ね」


 そして立ち上がる。既に食器もカップも空になっていた。


「帰る」

「ちょっと待て」


 強い力でテーブルの横を通り抜けようとしたあたしはぐっと引き止められた。


「何よ」

「お前さん、行くとこ、あるわけ? お金無い、ってさっき言ってたろ」

「…それは」


 確かにそうだった。没収される前にって下ろして来たのは全部旅費に回った。


「それに俺達のことを知ってここまでやってこれたあたり、とんでもねーガキだよなあ、なあ? K」

「それは」


 パパ… いや「ドクトルK」は、言葉に詰まった。


「俺達は確かに、自分を捜して欲しい場合には、データをメディアに提供したけど、そうでないヤツ、探して欲しくないヤツは、結構そいつを秘密にしておいて、って頼んでおいたはずだしなー」


 あたしはぷい、とその蜂蜜色の目から目を逸らした。


「ま、お前さんがとんでもない子供だってのはよーく判ったし、まあたぶんこのひとの娘だろーし、そーすると確かにお前さんにはこの町に居る権利が無きにしもあらず、だ。俺自身としては、別に構わないと思う。ただ」

「ただ?」

「その前に、お前さんの目の前のカフェオレは呑んでしまって」


 ? 言われるままに、あたしはややぬるくなったカフェオレを飲み干した。


「OK?」

「OK」


 んじゃ、とばかりにマスターは唐突にドクトルの後頭部に腕を回した。何を。


「あ」


 ぶちゅ、と音がしそうな程に、彼はドクトルの唇に吸い付いた。うわ。うわ。うわ。き、キスしてるーっ!! いや単にキスだったら別に驚かない。だって軽いキスなんて、男同士だってマウストゥマウスはありだ。だけど。

 だけど目の前で長々と行われているのは…ディーーーーーーープキス、というヤツだ。

 …そしてどのくらい経っただろう。ぷは、と空気補給、とばかりに離れた二人は明らかに上気していて。


「…おや、結構しっかりしてるねー」


 ふふふふふふふ、とあたし達はまた笑いながらにらみ合った。


「…つまりマスター、トパーズさん、アナタ達もーしかして」

「もーしかしなくても、そうなんだよね」

「それって思いっきり、ホモって言うんじゃないでしょうか」

「思いっきり言います。言わなくちゃおかしいです。でも付け足すとね、先に俺をこましたのはこっちのオヤジだからね!」


 あたしははた、とドクトルを見た。彼は「仕方ないだろう」とつぶやくと、悠然とコーヒーのお代わりをカップに注いだ。


「…つーまーりー、マスター、あたしがもしこの関係に対して平気で居られるなら、ここに居てもいいってこと?」

「おお、さすがに察しがいい」

「おいトパーズ」

「いいじゃんかよ、この歳で物騒な覚悟の逃走してきたなんて、頼もしい。いい覚悟」


 そう言って彼は、あたしの頭をぐりぐりと撫でた。


 そしてあたしは、この「アンデル」駅前「食事もできるカフェ」の居候・兼・ウエイトレスになった。

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