廃墟の屋敷2
由紀は入口から吐き出される冷気を感じて、足が竦んでしまった。入るのを躊躇していると、奥から苛立たしそうに呼ばれた。
「おいっ。何やってんだよ、お前等。さっさと来い!」
しかし、足が動かないのだ。すっかり立ちすくんでいると、慎太に手を取られた。数珠をはめた冷たく大きな手が、守るように由紀の小さな手を包み込む。暗がりの中で、彼が大丈夫だと言うように頷く。
「一緒に行く」
「……うん、ありがとう」
慎太の手をきゅっと握り返して、由紀は足元に散らばるガラスの破片を、懐中電灯で照らしながら、慎重に玄関から室内へ上った。
入ってすぐに目に入ったのは、左側に置かれた靴箱だった。上には手の平くらいの五体の人形が飾られていた。古いもののようで、着物と袴を着た子供の人形が交互に並んで立っている。埃こそ被ってないが色褪せた姿は、長い年月の経過を感じさせた。
廊下は三通りの方向にあるようだ。直進が一つ、途中から左右に分かれている。六人は二列になって、懐中電灯を頼りに軋む廊下をまず直進に進む。天井は部分的に剝がれて垂れ下がり、薄汚れ廊下には複数足跡が残されていた。以前にも不法侵入した者がいたのだろう。
左右に二つずつある部屋はどれも和室のようで、障子は破れて倒れていたり、畳が腐っていたりと酷い有様だ。
「ねぇ……変な音しない?」
敦美の言葉に、足を止めたのは誰が先だっただろうか。耳を澄ませば、確かにどこかでドン、ドンと壁を叩くような鈍い音がしている。
「嫌だ、本当に出たのっ?」
「そんなわけないって」
「馬鹿、落ち着けよ」
周囲は混乱して、由紀の心臓は恐ろしさで早鐘打つ。その音が頭の中で大きく響いている。
「どうしよう、ど、どうしよう、小林君!」
「しっ、大丈夫だから」
泣きそうになりながら隣の彼を見上げる。焦りのあまりにどうすればいいのか判断がつかないのだ。パニックになっている由紀を宥めるように、慎太は繋いだ手に力を込めてくれた。
「うるせぇ、全員黙れ!」
大声を上げそうになった佳代子の口を、克樹が押さえる。その瞬間、一際大きくドンッ、ドンッという音がした。それを最後に音が消える。
全員が身を強張らせて息を潜めた中、克樹が動き出す。
「確かめに行くぞ。幽霊なんて怖かねぇ。オレがぶっ倒してやる」
迷いのない足取りに、雄也と敦美が付き従うように暗闇の中を進み始める。
「ここまで来たのに収穫なしなんて、冗談じゃないね。オレは克樹君と行く」
「まだそれらしいもの見てないし、アタシも」
「ちょっと待ってよ、皆!」
突然、克樹が走り出す。それに引っ張られるように全員が足を速める。何かを見つけたのだろうか。由紀の心には不安が募っていく。
先頭を走る克樹の背中が、廊下に突き当たり左右の道を左に曲がり、姿が見えなくなる。
「うわあぁぁぁぁ!!」
克樹の悲鳴が聞こえた。
慌てて五人が廊下を曲がると、尻もちをついた克樹は脅えるようにじりじりと後ずさっていた。その目は天井付近を凝視している。
「大丈夫か? あんな悲鳴上げて、何があったんだよ?」
「い、今、女が、そ、そこに……」
「どこよ? 何も居ないじゃないの」
「こんなとこで冗談よしてよ。悪趣味だわ」
克樹が指を指している部分は、やはり彼が目を向けていた場所だった。周りの反応が懐疑的なことを感じたのだろう。立ちあがった彼は興奮した口調で、必死に訴える。
「冗談なんかじゃねぇよ! 本当に見たんだ! 着物を着た血まみれの女が、こっちを見てたんだよ!」
目を血走らせた克樹は、尋常じゃない様子だ。ほんの少し前まで強気でいた彼は、ここまで豹変するものを見たのだ。三人は無言で顔を見合わせた。
ふと由紀は変な音に気付く。ぽつっぽつっと雨漏りのような音がしている。雨が降り始めたのだろうか。安心したくて、由紀はおそるおそる周囲を懐中電灯で照らした。奥ではない。左右は壁だ。来た道を映した時、曲がり角の部分が濡れている。やはり雨漏りだ。由紀はほっとして何気なく天井を見上げた。
顔面が血まみれの女が、首を吊った状態で由紀達を見下ろしていた。
「ひっ!」
引き攣った声が喉の奥から出た。その瞬間、女の目がぎょろりと動き、由紀と合う。首縄をつけたまま女が落ちてきた。
ドンッと床にぶち当たり、全員が悲鳴を上げる。
「いやぁぁぁぁ──っ」
「ぎゃああああ!」
「逃げろっ!!」
慎太の声が金縛りを解く。由紀は彼に手を引かれるまま全力で駆け出した。後ろでは女が宙に浮きあがり、追いかけてくる。
逃げ遅れた克樹が捕まった。首に縄を掛けられて必死に抵抗している。
「いやだぁぁっ! 誰か助けろぉぉぉ!」
「ごめん、ごめん克樹っ!」
「無理だよぉ!」
前を走る二人は泣きながら逃げていた。一番先に逃げ出した雄也の姿はもう見えない。放置されたデジタルカメラが廊下に転がっていた。
由紀は必死に後ろを見る。克樹は首を絞められて、足をじたばたと動かしていた。その度に、ドンッドンッと壁を打つ音が聞こえる。
「止まって小林君! 斉藤君を助けなきゃ!」
「……駄目だ、岡本」
慎太の固い声が、もう手遅れだと言外に告げた。ますます走る速度があがる。暗闇の中懐中電灯の光が乱舞する。由紀は再び背後を振り向く。女が克樹の首を抱え込む。彼が必死にこっちへ手を伸ばしている。その顔が絶望に染まっているのが、見えた気がした。
「ぎゃああああああ──っ!!」
廊下を曲がり克樹の姿が見えなくなった時、背後で悲鳴が上がった。