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お春  作者: 生川 恵愛
第壱章
8/27

第漆話:陰と明

 知らせを聴き駆けつけたわたしたちを待ち受けていたのは、ごうごうと燃え上がる大和屋の蔵。

 大和屋の傍。蔵に近づけさせまいと抜き身で威嚇する新見さんたちとは別に、芹沢さんはその炎を眺めていた。

 ほかの面々がしばしの間唖然としている間に芹沢さんへ駆けよった。


「芹沢さん!」

「沖田か。もう聴きつけてきたのか?」


 蔵から離れたところで後生だと喚く大和屋の主人。炎に照らされた愉快気な芹沢さんの笑みは、みたこともない赤鬼を連想させた。

 芹沢さんにやめてくれと頼むのはむりだろう。到着した土方さんを振り返ると、あまりの惨状にひとつ舌打ちをしている。

 夜が明けるころ。芹沢さんはすっかり燃え尽きた蔵から目を離し、家財道具を家屋からださせた。

 ひたすら説得する近藤先生の言葉にも耳を貸さず、新見さんたちは続々と持ちだしてくる。

 そして、試し斬りだといわんばかりに、家財道具や家屋を打ち壊していく。

 その音に目が覚めたのか、京の人たちも集まってきた。遠巻きにみていると思いきや、武器となるものを手に取って打ち壊しに参加しはじめた。


「これまでの恨み、晴らさせてもらうで!」

「そや。あんたらがええ思いしとる間にうちは……!」


 恨みつらみを吐きながら壊されていく家財道具たち。

 いつか聴いたあの噂は、ほんとうだったのかもしれない。

 次々に壊されるそれに、大和屋の主人はもうただ傍観するしかないと打ちのめされていた。

 体力の限り打ち壊しに参加した人々は、使いものにならなくなったそれに、わっと声を上げた。


「大和屋め、やっと思い知ったんやないか?」

「ほんまに! おおきに、おおきに」


 口々に芹沢さんたちへ礼を告げる人々。芹沢さんは気が大きくなったのか、もう充分だというのに目の前でいま一度火をつけた。

 無責任に、もっと燃えろ、と叫ぶ人々。悠々と帰っていく芹沢さんたち。

 我に返ったときには、土方さんが隊士たちに火を消すための指示をしていた。近藤先生は土方さんに進言され、芹沢さんのあとを追っていく。

 近くの井戸から、桶でひたすら運び続けるしかないこの作業は、京の人々からの協力が得られるわけでもない。

 それでも、ほかの家屋に飛び火することだけは防がねばならないと、わたしたちは必死だった。

 ようやく鎮火した炎に安堵する。隊士にあとを任せて先に屯所へ戻ると、近藤先生は八木邸にて話し合いを設けているらしかった。

 大阪力士との乱闘以来、すっかり心労の増えた近藤先生の身を案じているのは、わたしだけではない。

 みなが一度は八木邸を一瞥して前川邸の門をくぐった。

 大和屋が悪どく稼いでいるという噂は聴いていた。それだけではなく、過激尊皇攘夷派に資金の調達までしていると耳にしたときには、局長ふたりは大和屋へ向かった。

 最後には芹沢さんの強談と化したが、主人の留守を理由に断られたらしい。

 まさかそれを根に持って火をつけるほど、芹沢さんは考えなしではないはずだ。

 京都守護職からの信頼がなければ、この組は存続することはできないのだから。

 いつの間にかともに戻った助勤たちは、すっかり中へ入ってしまっていた。

 わたしも戻らなくては。足を前川邸に向けた瞬間、八木邸からお梅さんが真っ青な顔ででてきた。

 わたしをみつけると泣きそうに表情をゆがめた彼女を連れ、壬生寺へ向かう。


「うちのせいや……うちがあないな話してしもうたから」

「“あんな話”とはなんです?」


 いうべきか、いわざるべきか。迷っていたお梅さんだが、そっと流れた涙をぬぐうと、こちらをみつめた。

 意を決したようで、一度唇を結ぶと、小さく口を開いた。

 そもそも前提として、大和屋は生糸商を営んでいる。

 わたしたちとは相容れない思想を持つ連中に資金調達をするということは、わたしたちの敵となる相手だとみていた。

 あの船が来航して以来、この国は外国との交易は盛に行われていた。幼いながらに総司に恐怖を与えたあの船の存在は、わたしもよく憶えている。

 この国からは主に生糸や茶を渡しているらしい。

 そこで大和屋の悪どいやり方がはじまる。

 生糸の交易がはじまって以来、この辺りでの生糸の値段は高騰していた。その理由が大和屋だ。

 大和屋は輸出品の調達と称して生糸を買い占めはじめる。そのため生糸の量は減り、値段は高騰。

 京の人々の生活を脅かしているというそれを、彼女が代弁し芹沢さんへ伝えてしまったという。

 芹沢さんはきっと、先日断られた資金調達の件もあり、そのようは不届き者ならば構わないと思ったのだろう。

 まさかあの焼き討ちの原因が、お梅さんのひとことだったとは思いもしなかった。しかも芹沢さんは、辺りに住む人々に予告までしていたというのだ。

 近藤先生はこれを知っているのだろうか。

 すっかり顔色の変わったわたしと、まだ青い顔をしているお梅さんは、それぞれの邸へと足を向けた。

 前川邸に戻ったわたしは、土方さんの部屋へ向かっていた。

 いまのわたしでは信用ならないのもむりはないが、それでもお梅さんの話がほんとうならば、話さないわけにはいかない。

 あと一歩というところで、土方さんの部屋から話し声が聴こえた。


「てぇことはあの人は、佐伯の件にしても、この件にしても、天誅を下したつもりだってことか」


 唯一聴こえたその声に、その場から逃げるように走りだした。

 土方さんは知っているんだ。芹沢さんが大和屋を焼き討ちした名目を。佐伯さんを斬ったことを。その理由も、きっと。

 唯一佐伯さんの話をしたのは平助だ。平助が土方さんに話していたとしても、責めることはできない。

 だが、今回の件はまだ彼にも話していない。彼女との会話を聴かれていたことになるのではないか。


「……っ、平助!」

「総司? どうしたんだよ……って、おい!」


 隊士に稽古をつけていた平助をむりやりに引っ張り、人気のない裏へ向かう。

 彼が稽古をつけている隊士たちには申し訳ないと思いながらも、誰かに聴かれていたのではと思うと恐ろしかった。

 なぜこんなことをされたのかわからないといった様子の彼に、自分の中の暗い感情が少しずつ落ちついていく。


「いきなり、すみません。いま、土方さんの部屋の前で聴いてしまったんです。“佐伯の件にしても、この件にしても、天誅を下したつもりだってことか”って……それって」

「芹沢さんのこと、だよな。どっから仕入れたんだ、そんな情報……」

「やはり、平助ではなかったんですね」

「当たり前だろ! 話すつもりなら総司も連れてくっての!」


 感じていた通り、まっすぐな人だった。

 一時の混乱に任せて平助を責めずによかった。加州清光の鞘をそっとなでた。

 お梅さんから聴いた情報をわたしが話すより、きっと信頼している人物からの情報なのだろう。

 そう思うと胸が痛むが、それでもいまは土方さんに話そうという気は起きなかった。

 それから、わたしたちにはとくに情報が流れてくることもなく、近藤先生は事態の説明のため奉公所や京都守護職に文を書いたり、はたまた向かったりと忙しない日々をすごしていた。

 わたしはというと、ときおり前川邸までくるお梅さんと会話を交わしていた。芹沢さんの様子を訊いてみたり、他愛もない話をしてみたり。

 平助はそれをあまりよくは思っていないようだが。

 芹沢さんたちと直接会うこともなく、焼き討ちの傷跡もそのままだった。

 ある朝。源さんの朝餉の手伝いのため厨にいたわたしは、朝早くに平助が近藤先生の自室へ向かうところを目撃した。

 大方、土方さん経由で呼びだされたのだとは思うが、ほんとうは総司が呼ばれるはずだったのだろうかと手がとまる。


「気にしなくても大丈夫だよ。副長は、信頼していないわけではないんだ」

「……どういうことです?」

「彼はまだ、総司がいなくなったことを受け入れられてないんだ。あなたと総司は、どれだけ似ていたとしてもやはり別人。わたしも“総司”と呼ぶことに抵抗があるのだから、仕方がないのさ」


 総司として生きる。そう決めた以上、わたしは総司になろうと努力するべきだったのだろう。

 わたしがわたしとして生きていたことを否定できずにいる自分を、愚かだとも中途半端な存在だとも思う。

 源さんはそれを見抜いているのだろう。総司に向けるのとおなじようにほほえみ、そして髪をなでた。


「総司はいたずら好きな息子だったが、あなたは不器用な娘だ。亡骸を抱いてはいないが……いるはずのないおなじ顔の人物が現れたのだから、神の導きとして受け入れるしかあるまい?」


 野菜を手に取り桶に張った水で洗いながら笑う源さんは、ほんとうにそうして受け入れているようだ。

 総司の代わりとして生きる。総司がするべきことは、わたしが代わりにこなしてみせる。

 それでも、わたしはわたしとして、わたしがしたいことをしてもよいのだ。

 源さんとの会話は、それを教えてくれた。感情をとめることはできないし、する必要もないのだと。

 それを胸に、わたしは朝餉ののち土方さんを訪ねた。もちろんとなりには平助がいる。


「もう知っているとは思いますが、わたしから報告させてください」


 土方さんが持っている情報とおなじだろう。その予想は裏切られず、ただ聴き役に徹している彼にすべての情報をぶつけた。

 すべてをお梅さんから聴いたのだとわかると、ようやく土方さんの眉は動いた。訝しげにみつめるその視線は、何者だと問うているようにもみえる。

 その視線を真っ向から受けとめみつめ返すわたしは、土方さんにはどのように映っているのだろう。

 先に目線を逸らしたのは土方さんだった。鼻孔からため息を逃すと、そっと目を伏せる。


「たしかに、その情報は手に入れていた。にしてもおまえ、何者だ? あの女がそう簡単にそんな話するとは思えねぇが」

「わたしは総司であって総司でない者、ですよ」


 意味がわからないと眉をよせた土方さんに、満面の笑みを向ける。

 源さんに訊いてください。そういい残し退室したわたしに、平助は慌てて続いた。


「やけにすっきりしてると思ったら。源さんとなに話したんだよ?」

「平助こそ。今朝、土方さんと近藤先生に呼ばれていたでしょう? ずるいです」

「なっ、ずるいってなあ!」


 軽口をいえるほど、わたしの心は少しだけ軽くなっていた。

 まだ、芹沢さんとお梅さんの問題が残ってはいるが、わたし自身を認めてもらえた気がしているのは事実。

 ずいぶん単純な人間だとも思うが、それがわたしなのだから仕方ない。

 開き直りにも似たその思い。だが、むずかしい顔ばかりみていた平助が笑ってくれるのはうれしかった。

 大和屋の焼き討ちから五日。突然受けた任務に、屯所内は忙しなくなった。

 会津藩と薩摩藩で同盟を結び、尊皇攘夷色の強い長州を京からすべて排除する。そのため、御門の警備を任されたわたしたちだが、出動は午の刻(正午)だった。

 理由としてはやはり大和屋焼き討ちの件があったようで、土方さんはあからさまに舌打ちをした。

 せっかく組の名を上げる好機だというのに。そう考えているのは明白だ。

 誰も土方さんの舌打ちになにもいわないまま、各自装備を整え御門へと出発した。

 さすがの芹沢さんも酔ってはいない。新見さんたちの士気も高そうだ。

 掲げた誠の旗が、隊士全員の士気も存分に上げている。

 御門に到着したわたしたちの目に映ったのは、一発触発の会津藩兵と長州藩兵のにらみ合い。

 芹沢さんはそれを一瞥すると、御門の警備をしている会津藩兵へと近づいていく。


「お主たち、何者だ!」

「京都守護職お預り、壬生浪士組だ。出動の要請を受けて参った。通らせてもらおう」


 近づいてくる芹沢さんにいち早く気づいた藩兵のひとりが声を上げる。

 それにより藩兵の注目を集めた芹沢さんは、堂々とした所作で名乗る。

 聴いていないという会津藩兵に、芹沢さんの空気が変わる。となりの近藤先生が一歩前にでると、藩兵と話をつけようとしはじめた。

 足どめを喰らった隊士たちの士気は空回りし、徐々に下がっていくのを感じる。

 近藤先生たちの後方に位置する土方さんの舌打ちが聴こえる気がした。

 ちらりと後方に視線をやった芹沢さんの舌打ちひとつ。その音に藩兵の槍は彼の鼻先まで伸びる。

 だが、それをものともせずに懐から鉄扇を取りだし開いた。

 『盡忠報國の士 芹澤鴨』そう書かれた鉄扇は、わたしにとっては大阪での乱闘を連想させるものだが、新見さんたちのほほが紅潮している理由もわかる。

 酔っていない彼が鉄扇を開く姿は、いままでとは比べものにならないほどに雄々しくみえた。

 隊士たちの士気はもちろんのこと。近藤先生についてきた助勤たちの士気も一気に上がる。


「さすが筆頭局長だよな!」


 酔っては暴れる。そんな印象の強い芹沢さんだからこそ、この行動によりここまで士気を上げることができるのだろう。聴こえてきた隊士の言葉からそんなことを思う。

 一度は怯みかけた藩兵だが、それでも退こうとしないため、芹沢さんがむりやりにでも通ろうとしたそのとき。


「おまえたち何をしている!」


 突然ひびいた怒号に、藩兵が槍を下ろした。

 藩兵は声の主を確認すると慌てて脇へ避ける。声の主は芹沢さんの前にでると小さく頭を下げた。

 藩兵が目を丸くしてみているのをよそに、声の主は口を開いた。


「こちらの不手際で、とんだ無礼をいたしました。どうぞこちらへ」

「かたじけない。助かりました」


 ここからはみえなかったが、どうやら幕府公用方のひとりだったらしい。

 先頭を行く芹沢さん。それに近藤先生が続き、幕府公用方に小さく礼をいう。

 ふたりの局長の堂々とした姿に、隊士たちの眼差しは熱かった。

 かくいうわたしも、あぐりさんや佐々木くんのことを忘れたわけではないが、それでも背中をみつめる視線は熱かったことだろう。

 南側の警備を任されたわたしたちは、そこで長州藩兵を威嚇していた。

 抜刀こそしなかったものの、ぶつかり合う視線と闘志は、いまにもあたり一面を燃やし尽くしてしまいそうだ。

 結局、翌日の七ツ半(午前五時)までにらみ合いは続き、いよいよ人を斬らねばならないのかと覚悟を決める。

 だが突然、いまのいままで発砲する勢いだった長州藩兵の撤収がはじまった。長州藩撤退の勅命が下ったのが大きかったのかもしれない。

 戦わずして勝利したわたしたちだが、隊士たちはどこか不満げだ。

 左之さんなどは暴れたかったといわんばかりに槍を振り回し永倉さんに当たってしまい、危ないと小突かれている。

 小雨が降る中、わたしたちは御門をあとにした。

 それぞれ、これほどの事態に出動できた歓びと、刀を抜くことなく終わった戦いに対する不満。そして、初めて目にした芹沢さんの姿を語り合いながら、屯所への帰路についた。

 あれから不機嫌な土方さんの眉のしわを伸ばしたのは、武家伝奏から『新撰組』を拝命し、正式に市中取締りを下命したことだった。

 いまにも改名しようとする近藤先生に待ったをかけたのは土方さんだ。

 山南さんすらおどろかせた土方さんの意見に近藤先生が理由を問うても、土方さんはなにもいわなかった。

 そのとき、土方さんの瞳の奥が鈍色に光ったようにみえたのは、気のせいだと思いたい。


「なあ、どう思うよ?」


 近藤先生の報告を聴き、自室へ戻る途中。

 土方さんの瞳の奥が光るとき──それは、なにかよくないことを考えているときだ。

 総司が初めて人を斬ったあの日も、土方さんの瞳は鈍色に光っていた。

 わかりずらいようで実はわかりやすい彼の瞳は、いまの私には恐怖でしかない。

 きっとこれからなにかが起こる。その予感だけを平助に告げると、理由のわからないと首をかしげる。


「きっと、わからない方がいいですよ」

「なんだよ、それ!」

「まあまあ。土方さんは恐ろしいってことですよ」

「んなことはわかってらぁ!」


 ごまかすように笑う。平助は子どものように拗ねてみせ、少し歩幅を広げた。

 このいやな予感は、あっという間に知れることとなる。

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