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お春  作者: 生川 恵愛
第壱章
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第伍話:異色の乱闘事件

 総司がいた心の穴を埋めることもできぬまま数日。わたしたちに新たな任務が与えられた。大阪町奉公よりの依頼で、近藤先生、芹沢さんをはじめとするわたしを含めた十名が大阪へ向かうこととなった。

 なんでも、壬生浪士組の名を語り悪事を働く連中がいるとか。近藤先生の顔に泥をぬるような真似はできぬと、わたしは心の底でひとり闘志を燃やしていた。

 あれから京では、とくにわたしが当番の際には平和なことが多く、まだ人を殺めたことはなかった。

 蒸し暑い日の夕刻。すごしやすくなったころを見計らって、わたしたちは出発した。


「早いとことっ捕まえて旨いもんでも食いに行くか」


 道中。前を行く芹沢さんが突然そんなことをいってわたしたち──とくに永倉さんと左之さん──の士気を存分に上げた。

 屯所を出発し、一日かけて大阪へ到着。それから早々に捕物を終えたわたしたちは、用があるという近藤先生と源さん二人と別れ、京屋忠兵衛宅を目指していた。

 芹沢さんの、舟を浮かべて涼みながら酒食をたのしもうという提案に反対する者はいない。

 懸案があっさりと片づいたことで気が緩んでいたのか、斬らずに終えたことに安堵していたのか。やけに機嫌のよい芹沢さんの様子に気づくことができずにいた。


「やはりこの刻の舟はよいものですね」


 平山さんが媚びるように芹沢さんへお酌する。胡麻をする言葉を気にすることもなくひと息に酒を煽った芹沢さんのほほはすでに赤く染まっていた。

 永倉さんと左之さんの笑い声がひびく。

 あまり酒は得意ではないわたしは山南さんと一くんのとなりで、舐める程度に口に運んでいた。

 おなじ舟に乗っていながらも全くといってよいほど干渉はせず、それぞれがたのしむ様子を眺めているのもよいものだ。

 ふと、となりからうめき声が聴こえた。

 一くんが寡黙なことなど周知の事実。宴会などでもひとりで黙々と呑んでいるような人だからあまり気にしてはいなかったが、彼の酒はほとんど進んではいなかった。


「一くん、どうしました?」

「いや、大事ない。すまない……っ」

「顔青いですよ、酔いました?」


 顔を覗き込むと心労かけまいとむりに作った笑顔で首を振られたが、すぐにうずくまってしまった。

 背をさすりながらこちらの様子を伺っていた山南さんに目線を送る。山南さんが改めて問うと、苦しさからか山南さんの立場からか、腹痛だといった。

 そのころには芹沢さんもこちらを伺っていた。


「芹沢さん、すみません。一くんが腹痛らしくて、すこし舟を止めていただけますか? わたしたちだけ先に降ります」

「いや、おれらも降りよう。あいつを休ませながら呑み直すか」

「おお、いいねぇ、さすがは筆頭局長だ! 太っ腹だなぁ。なあ、がむしん!」


 それを聞きつけた左之さんが、怖いもの知らずといった様子で絡んでいく。それを横目に一くんへ近づき背をさすり続けた。

 ちょうどみえてきた鍋島川岸に舟を着け、休息所を探し歩いていると、北新地の入口までたどり着いた。蜆橋しじみばしという小橋を渡りはじめた芹沢さんのすぐ後ろに、平山さんと野口さん。そのまた後ろを一くんを支えるわたしと山南さんが通る。

 わたしたちが渡りはじめたのをみて、前方から力士の集団が渡ってきた。

 人ひとりずつなら余裕で通りすぎることができるだろう広さのこの小橋で、片方が力士となればそうはいかない。

 真ん中でかち合ったわたしたちだが、力士は一歩も引く様子はない。

 一くんの顔色はまだわるいまま。それ以上に、京都守護職であられる松平容保公より命を受けるわたしたちは、すでに武士集団であると自負していた。

 その思いは芹沢さんもおなじはずだ。


「おい、そこを退け」

「おれらが先に渡りはじめたんや、退くのはあんさんらやろ?」


 芹沢さんの取りだした鉄扇に目もくれず、馬鹿にしたように笑う彼らに、芹沢さんの雰囲気が変わった。

 力士らはそれに一切気づかぬまま、わたしたちを身分の低いものだと思い込んでいるのか一向に引く気配はない。

 引いてくれ──そのねがいは案の定、届くことはなかった。

 小橋に集まってきた野次馬たちに一層苛立ちを募らせた芹沢さんは鉄扇を振り上げる。あまりの速さで振り下ろされたその鉄扇は先頭の力士の肩に命中し、その力士はぐうと声をもらして尻もちを着いた。


「無礼者が。早く退け!」


 相手を見下し鉄扇で自らの肩を叩く芹沢さんに、力士たちは悔しげに唇を噛んでいた。

 少し腹痛は落ちついたようだが、それでも顔を青くしたままの一くんから手を離し、芹沢さんの肩を叩く。


「芹沢さん、先を急ぎましょう」

「おい、もう一発喰らいてぇか?」


 するどい眼光でわたしを射抜いた芹沢さんは、ひとつ大げさに舌打ちをすると倒れたままの力士をみやる。

 仲間に怪我をさせた鉄扇で自らの肩を叩く彼の仕草に、力士たちは真っ赤な顔で怪我を負わされた仲間を支えながら避けていく。

 威厳をみせつけるよう堂々と先頭を歩くその存在を、力士たちは橋の傍で睨みつけていた。

 新地内の『住吉楼』が、ようやく芹沢さんの目にとまった休息所だ。

 急ぎ部屋をとり一くんを寝かせたわたしたちは、となりで呑む六人の声を聴いていた。


「総司、おれはもういい。筆頭局長のところへ」

「いえ、わたしはもともと酒が好きなわけではありませんから。一くんが回復したら、ともに行きましょう」

「……すまない」


 安心させるためにとほほえんだわたしの意図は伝わったのだろうか。

 謝罪を口にする一くんに首をふるのみで応え、横になっている彼の腹に熱を与えるようにゆっくりとなでた。

 芹沢さんが芸子を呼んだのだろう。女の鼻にかかる独特の声が混ざり、不快感が込み上げる。

 小さくついたため息は一くんにみられてしまったようで、可笑しそうに笑われた。


「おおい、沖田。おまえもこっちへこい!」

「仕方ありませんね、先に行ってます」

「ああ、すまなかった。もうしばししたらおれも行こう」

「むりは、されないように」


 となりからわたしを呼ぶ左之さんの声がひびく。大きくため息を吐くと肩をすくめる。

 心配いらないとほほえんだ一くんの腹から手を離し、もうひとつため息を落として笑顔でふすまを開けた。

 山南さん以外はすでに酔っており、遅いぞと声を上げていた。苦笑いで応えながら、酒の進みの遅い山南さんのとなりへ胡座をかいた。


「斉藤くんの具合はいかがでしたか?」

「もう少しすればこちらへくると」


 安堵して表情を緩めた山南さんは、わたしに膳を進めた。酒が苦手なことを知っている心づかいに感謝する。

 原田さんは切腹跡をみせつけ踊り、あまり騒ぐ質ではない野口さんですら諸手を叩いていた。

 これは長くなりそうだ。あまり進まない箸を置いてぼんやりとそれをみつめていると、不意にふすまの開く音が騒ぎをとめた。一くんだ。


「すまなかった」


 口下手な彼がただひとことそういうと、原田さんは酒壷を蹴りとばしながら近寄っていった。


「おう、もう大事ねぇのか!」

「ああ。迷惑をかけた。すまない」

「いいってこった! おまえ、もう酒飲めるか!?」


 酒精のせいか大音量となった左之さんの声に、若干顔を引きつらせる一くんには同情する。

 手招きする芹沢さんに誘われとなりで酌をしながら酒を煽る彼は、ずいぶんと馴れないことをしている自覚はあるようだった。


「大変でございます!」


 すっかり飲めや歌えやの大騒ぎとなったこの部屋にひびいたのは、店主の叫び声だった。

 なにごとだとふらつきもせず立ち上がった芹沢さんに続き、山南さんが店主に事情を問う。


「へ、へえ。大きな八角棒を持った力士がぎょうさん押し寄せて──お客さんらも早うお逃げください!」


 みなすっかり酔いは覚めたようで、野口さんが障子窓を開けて店先を見下ろした。

 二十……いや、三十だろうか。いきり立つ力士たちを遠巻きに取り囲む野次馬たちの声も相まって、店の前は大変な騒ぎになっていた。


「早う浪人をださんかい! ここにおるんはわかってんねん! ださへんなら屋敷潰してまうぞ!」

「……ほう、おもしれぇ。酒の余興ぐらいにはなるんだろうなぁ!」


 この言葉にはさすがに山南さんも眉をよせた。それに芹沢さんが耐えられるわけもなく、残虐な笑みを浮かべると脇差を手にとった。

 まずいな、わたしたちも行くべきか。思案する間もなく、すでに芹沢さんは力士たちに囲まれていた。


「おまえらも懲りねぇ奴らだなぁ」

「あぁん? こっちは怪我させられとんねん、容赦せぇへんぞ!」

「このまま帰るっつうなら命までは取らねぇでやるよ。どうすんだ?」


 こちらが酒に酔っているからか、人数を集めたからか。芹沢さんが抜いた刀をみても油断している力士たちに、冷や汗がぬるりと背をなでた。

 飛びかかっていく力士をみてまずいと思ったのはわたしだけではなかった。血の気の引いた平山さんと、それに続く野口さん。面白がっている左之さんと永倉さんがまた続き、座敷に残るのはわたしたちだけとなった。

 いても立ってもいられなくなり飛びだす。総司、と叫ぶ一くんの声を背で聴きながら抜刀した。

 これはもう飾りじゃない。これは総司の魂。


 ──大丈夫、わたしがついていますよ。


 風に乗るように聴こえた総司の声は、ただの幻聴かもしれない。それでも、わたしにはこれ以上ないほど士気の上がる声だ。

 そうだ、わたしは。わたしと総司は、快楽のために人を斬るわけじゃない。

 柄を強く握ると、かちりと刀身が鳴った。


「おれらは攘夷の先駆けやぞ。無礼者はどっちやねん!」


 叫びながら襲いかかってきた力士の八角棒を刀で押さえ込む。

 相手の歯ぎしりが聴こえた。どう大人しくしてやろうかと心中呟いた瞬間。


「問答無用!」


 明らかに苛立ちに支配されている芹沢さんは、力士の脇腹に刀を突き刺すと手首をひねり肉を抉った。

 酔っているとはいえ、さすがは壬生浪士組の筆頭局長だ。一瞬のうちにつめていた間合いにはおどろきを隠せない。

 うめき声を上げ血濡れの手を伸ばす彼に、芹沢さんはひとつ鼻で笑うと刀を抜きわたしとともに数歩分飛び退いた。

 大量の血液。鉄くさい匂いが辺りに漂う。誰ひとり動かぬまま、魁となった力士はどしりと重々しい地ひびきを上げて倒れた。


「貴様ら……よくもぉ!」


 ひときわ大きな力士が涙を流しながら声を上げた。それを合図に、力士集団とわたしたちの乱闘がはじまってしまった。

 この場で未だにたのしんでいるのは、芹沢さんと左之さん、平山さんくらいのものだろう。

 当初乗り気にみえた永倉さんも困惑の色をみせていた。

 わたしたち三人は相手に怪我をさせぬようにと八角棒を折ることに専念していた。それでも数名に軽傷を負わせてしまい、わたしは己の無力さを痛感していた。

 ようやく乱闘が治まったころには、比較的身体が細いためか集中的に攻撃されたわたしや、一番激しく斬っていた平山さんは打撲や切り傷を作っていた。

 力士の中には一刀両断された者や、腕を失してしまった者。血濡れで倒れ動かぬ者。たった八人で相手にしたとは思えぬほど重傷の者は多い。

 力士たちは打って変わり怯えた様子で怪我をした仲間を担いで逃げていく。


「なんだ、もう終わりか。余興にもならなかったな」


 逃げていく力士たちのうしろ姿を鼻で笑い、懐紙で刀の血をぬぐう。かちりと聴き馴れた音が辺りにひびき、芹沢さんは住吉楼へと踵を返した。

 それに伴うのは平山さんと左之さんだ。

 あまりの惨劇に目をそらす野次馬たちにいたたまれなくなる。

 山南さんがわたしの肩をひとつ叩いた。むりやりに口端を上げてほほえむと、血をぬぐい芹沢さんたちを追う。

 先ほどとおなじ部屋へ戻ると、そこではすでに呑み直しがはじまっていた。上機嫌な芹沢さんに捕まらぬよう、隅でひとり猪口を傾けていると、山南さんがそっと近づいてくる。


「いまの総司は、あまり人を斬りたくはないのですね」

「……すみません」


 兄のようにほほえみ、山南さんは猪口を傾ける。おなじものを口にしているというのに、この上品さはどこから醸しだされるのだろう。

 そっとうつむいたわたしの頭に、山南さんの温かな手が乗せられた。

 幼いころから知っている試衛館の仲間たちは、いまでもときおりこうして幼子扱いする。

 いつもならそれをいやがるだろうが、いまは少しここちよかった。


「あなたはやさしくなりましたね。よいことですよ」

「そうでしょうか……?」

「もちろんですとも。初めに人を殺めてからのあなたは、刀を持つと別人のようになっていました。凛々しくも痛々しいと、そう思いませんでしたか?」


 顔を上げると山南さんのやさしいほほえみがみえた。

 彼はわたしの話をすべて信じてくれているのだろう。だからこその問いに、力なくほほえんだ。

 たしかに総司は、刀を振り下ろす瞬間心を閉ざしていた。人を斬ることに怯え、人の命を奪ってしまうことを恐れていた。

 それゆえ、なにを感じることなく人を斬る夜叉だ。といわれていたことは、わたしも知っている。そしてそれにひどく傷ついていた総司の心も。


「総司はきっと人一倍人を斬ることが恐ろしいと感じていたのです。だからこそ、斬る瞬間はなにも感じぬように心を閉ざしていた」

「わたしにはわかっていますよ。そしてそれを、あなたが支えていたのでしょう?」


 ここまで手放しにわたしの話を信用してくれていたのか。目を丸くして見上げた先には、山南さんの満面の笑みがあった。

 照れ隠しに耳たぶを掻き、笑ってみせた。総司とわたしは徐々におなじものになろうとしている。それを教えてもらえた気がして、心は歓喜していた。

 すっかり酔って歩けなくなる前に。すでに若干ふらついている左之さんをみて、山南さんがそう進言した。宿舎では近藤先生たちが待っているだろう。

 あれから酒の進みが悪かった野口さんと山南さんが灯を持ち、呑みすぎて足元がおぼつかない左之さんを永倉さんが支える。そしてわたしと一くんが常に刀に手をかけ、辺りを警戒しながら宿舎へ向かった。

 宿舎へ到着すると、近藤先生と源さんはすでに寝支度をはじめるところだった。

 筆頭局長の威厳をもって近藤先生を別室へ連れていく。それに付き添った山南さん、平山さんを除いた四人はそれぞれに寝支度を整えはじめた。

 だがすぐに戻ってきた近藤先生は、先ほどの騒動を聴いたのだろう。源さんを連れて宿舎をでていった。

 その後遅れて戻った山南さんの話では、芹沢さんが騒動を報告し、近藤先生は源さんを連れて比較的近くにある大阪西町奉公所へ向かったという。


「あとのことは近藤局長と源さんにお任せして、我々は先に休ませていただきましょう。野口くん、芹沢局長と同室でしたね」

「……はい、失礼します」


 めずらしく少し強い口調で話す山南さんに、野口さんもなにもいえずに部屋をでていく。

 自分たちが起こしたことを近藤先生にお任せして先に休むなど。そう思いもしたが、有無をいわさぬ仏の副長の笑みは、鬼の副長の怒号よりも恐ろしかった。

 翌朝。近藤先生はずいぶんと疲れた顔でわたしたちの前へ顔をだした。なにごともなければ京に戻るはずだったが、そうもいかなくなってしまったのだろうか。


「まったく。こういいたくはないが、役人というのは頭が固いな」

「めずらしいですね、源さんがそんなこと」

「ああ。田舎侍だと散々いわれてしまってね。ああ、ここだけの話にしておくれ」


 部屋の隅で身支度を整えていると、源さんが疲れた顔で傍に腰を下ろした。

 疲れきったため息を吐きだしながらごちたその言葉は、あまりにも源さんらしくない。聴き耳をたてられぬよう、自然な動作で傍による。

 いたずらをした子どものように笑いながら頭に手を乗せられると、総司をみていた昔の記憶が蘇る。総司がなにかいたずらをしたとき、源さんは叱りもしたがその後こうして笑っていたっけ。


「そうだ。例の力士たちだがね、どうやら小野川部屋の力士だったようだよ」

「え、小野川部屋といえば名門ではありませんか!」

「ああ。だが、無礼打ちとしてなんとか処理してもらえたよ。今日にでも小野川部屋の親方が届けをだすとは思うがね」


 大阪相撲の名門である小野川部屋の力士か。もしかしたら厄介なことになるかもしれないと頭のどこかで思案していた。

 そして、源さんのいう通り。その日のうちに奉公所には、小野川部屋からの届けがだされたらしい。

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