第弐拾参話:御陵衛士と新撰組
いよいよこの刻がやってきてしまった。
伊東さんは戻ってくると、すぐさま近藤先生との対話を望んだという。
鈴木さんと篠原さんの熱意で拝命までこぎつけた御陵衛士。伊東さんはそれを盾にあくまでも“分離”という形で対話を進めた。
噂によると近藤先生は分離を承諾。伊東さんは鈴木さん、篠原さん、加納さんをはじめとする十六人を連れて屯所をでていくこととなる。
そこには前もって聴いていた通り平助の姿もある。意外なのは、一くんがそこに顔を連ねていることだ。
「一くんまで、行くのですか」
「……すまない」
なぜ、心を赦す人々はみな離れていってしまうのだろう。
一くんから目線を外し、思わずと漏れた言葉は彼に伝わってしまったらしい。小さな謝罪はわたしの罪悪感を刺激する。
一瞬うつむき、唇を噛みしめた。すぐ顔を上げると、ぎこちなくもほほえんでみせる。
「一くん、元気で。……平助をよろしくお願いします」
「ああ、わかった」
むりをしていることなど百も承知なのだろう。それでも一くんはなにもいわず、ひとつうなずくとまとめた荷を背負いわたしとすれちがった。
がらりとした部屋。平助の部屋もおなじようになっているのだろうと思うと、胸が締めつけられる。
痛む鼻の奥と咳を耐えるため、奥歯を噛みしめる。
顔を背け足早に廊下を歩く。
平助とは顔を合わせられない。きっと覚悟を決めているつもりでも、引き留めてしまうだろうから。
固く握りしめたこぶしも、無意識に寄った眉間のしわもそのまま。残った幹部たちが集められている局長室へ向かった。
まだ刻は早いとわかってはいる。だが、自室に戻れば平助の部屋が近すぎるし、外にいれば次々とでていく仲間たちの姿が痛すぎる。
局長室の目と鼻の先。副長室の反対側に位置する伊東さんの自室であった参謀室付近。
あ。と重なった声。会わないつもりでいた相手と顔を合わせてしまったわたしたちは、互いに気まずげに目線を逸らした。
無言のまま、しばしの刻が流れる。口を開こうと顔を上げると、おなじ頃合で彼もおなじ行動をしていた。
顔を見合わせる形となり、思わずこぼれた笑み。おもむろに近づいてきた彼に一瞬包まれ、ひとつの口づけを落とされて、離れた。
すれちがいざま香る彼の匂い。振り向くと、彼は一度たりとも振り向くことはないまま廊下を曲がる。
誰にいわれるまでもなく、わたしたちはもう会うことはないかもしれないことを悟っていた。
「伊東について行った連中との接触は禁じる」
伊東さんのみならず、平助と一くんも欠けたこの局長室に、土方さんの抑揚のない声がひびいた。
そりゃあそうだ。といいたげな左之さん。こぶしを握りしめどこか悔しげな永倉さん。さみしげな源さん。
わたしはというと、なにも感じていないと自分にいい聴かせ無表情を貫いていた。
「伊東くんは“分離”だと申していたが、わたしも土方くんも“離脱”だと捉えておるのだ。いまはまだなにもせぬが、もし我々の前に立ちはだかることがあるはらば……斬るほかない」
近藤先生の声は厳しく、そして冷たかった。
ふるえがくるほどのその声色に、無意識にこぶしを握る。
かつてというべきか。仲間であったはずの──ともに生命を賭けて戦ってきたはずの彼らをなんの迷いもなく斬るといいきった近藤先生。
もうどんな隊規違反も赦すわけにはいかないという覚悟を感じ、わたしは平助と一くんの生命だけは助けてはくれないか。という甘いねがいを口にすることはできなかった。
「御陵衛士として離脱した連中に無断で接触したやつは間者とみなす。みつけたら即刻切腹だ。平の連中にも漏れなく伝えるように」
土方さんのそのひとことで、今回の集まりは解散となった。
ただそれぞれ肯定の意を表し部屋をでていくことしかできない空気に逆らうことはない。
副長、局長のふたりと、源さんを残してわたしを含めて全員が部屋をでる。
その足で稽古場へ向かったわたしを待っていたのは、予想外に抜けてしまった隊士たちに不安を抱えはじめた平隊士の姿だった。
一くん率いていた三番隊。平助が率いていた八番隊の面々はみな、特に不安げな表情を浮かべている。
なにか声をかけることはできない。わたし自身もこれからこの組はどうなってしまうのだろうかと不安があるからだ。
ただ、毅然とした態度を崩すことだけはしてはいけない。それだけはまちがいない。
自分の中の不安をかき消すように、平隊士たちとの稽古に精をだしていた。
咳を堪えるのも限界がある。平隊士たちに不審に思われないうちにと早々に稽古場をあとにしたわたしには、いつもとなりにいたはずの体温が戻らないかもしれないことが辛くて仕方がない。
現実のすべてから逃げだすように、ゆるりと瞳を閉じた。
翌日。御陵衛士は早速城安城をでて五条の善立寺へと宿舎を移した。
早くも居場所を移すこととなった背景にはなにがあるのだろうか。土方さんの舌打ちを聴きながら、きっとこの情報は山崎さんが取ってきたのだろうと推測していた。
思えば顔をみることがまた少なくなっていた。土方さんの命で、いまは御陵衛士を探っているのだろう。
山南さんもいない。平助と一くんもここをでてしまった。せめて、山崎さんはぶじにここへ戻ってほしい。そんな身勝手なねがいを胸に秘めたまま、残り少ない弥生の日々はすぎていった。
卯月も中ごろに差しかかろうというころ。田中寅三という隊士が脱走した。
心を赦す人がいなくなってしまったからか。無意識に気を張り続けていたわたしの病状は悪化し、捜索にすらでることはできない。
悔しいと思う反面、やはりわたしは病に倒れる運命にあるのだろうと、諦めている部分もでてきてしまった。
ひとり床につき、もらすため息は誰に聴かれることもない。盛大なため息ののち込み上げる発作を、耐えることなく吐きだす。
いやなもので、重い血液を吐きだすのも馴れてしまった。手のひらに広がるどろりとしたそれを、どこか冷めた瞳でみつめていた。
翌日、寺町本満寺に潜伏していたのを発見された田中さんは捕らえられ、屯所にて切腹した。
その場に居合わせることもできなかったわたしは、すっかり重たくなった身体をも起こし、彼もまた死んだ先の世で幸せになれることを祈ることしかできない。
水無月に入ると、御陵衛士がまたもや宿舎を移したことを、山崎さんが報せた。
善立寺から東山月真院へ移った御陵衛士の面々と、わたしたち新撰組の面々が相見えることはなく。とはいえ、一応は“分離”という形をとった伊東さんの意向もあり、定期的に近藤先生と伊東さんは文を交わしているようだった。
平助と一くんは、元気にしているのですか。そんな簡単なひとことを問うことすらできない。
そんな中、新撰組百五人にも転機が訪れた。
「なんと……!」
そばにいた源さんが声をあげた。それもそのはず。うしろにいる平隊士たちも、わたしとおなじほかの幹部たちも。誰もがぽかりと口を開けて現実味のないといいたげな様子だ。
近藤先生が久方ぶりにみせる満面の笑みで源さんにうなずく。そしていま一度わたしたちに目線を向けた。
全員を見渡すように視線を動かすと、先ほどとおなじ言葉を口にする。
「我々新撰組は、いままでの忠義の心を買われ、幕府召し抱えとなった!」
しばらくののち。横からもうしろからも、わっと声があがる。
ようやく言葉の意味を理解した。そんな様子の面々は、近くの者といまにも手を取り合い、抱きしめ合うほどに喜びを表していた。
だがそれからたったの二日後。茨木司さん、佐野七五三之助さんたち十人が局を脱した。
月真院へ向かった彼たちは、伊東さんに糾合したというが拒否される。
すぐさま脱走だと捜索がはじまることなど、わかりきっている。十人はもちろん戻ってくることはなかった。
翌日。十人は京都守護職へ新撰組離脱の嘆願書を提出。それを聴いた近藤先生と土方さんは、守護職敷へ赴き説論した。
伊東さんにより思いの外人数が減った新撰組。これ以上人数が減ると、今後の活動に不安がよぎる。
わたしもいまは籍はあるものの戦闘には加わることのできない。
わたしも含め、組長以上も数名抜けた状態では、京の町を護れるものかと思う隊士もいることだろう。
情けない──そう思い何度も隊務に臨もうとしたが、発作が悪化しているいまのわたしがでれば、それはむしろ足でまといになる。
その事実があるからこそ、未だに部屋に閉じこもっている状態だ。
近藤先生と土方さん説諭されても説を曲げず、離脱を弁じた十人に、ふたりは戻ってきた。
熱くなってしまった弁論に、一度頭を冷やすべきだという判断らしい。
どこか疲れた顔、諦めた表情をみせる近藤先生に対し、土方さんはこの組のいまの繁栄ならば戻るはずだと思っているようだ。
翌日。おなじように説諭しにでかけた近藤先生と土方さんだが、十人はやはり説を曲げることはなかった。
放っておいて伊東さんたち御陵衛士に新撰組の情報を漏らされてはたまらない。そんな意図もあったのだろう。
近藤先生と土方さんは、茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、富川十郎の4人は斬り捨てた。
ほかの六人は、四人をみせしめとした形で追放することを決定。もちろんわたしがそれを知ったのは、すべてが終わったあとだったが。
それから1週間もしないうちに、近藤先生は親藩会議に出席。それを狙ったかのように、武田観柳斎さんが竹田街道道銭取橋で殺害された。
なぜそこにいたのか。そして、なぜ殺害されたのかはわからないが、ともかく亡くなったことだけはまちがいない。
誰も彼も、あっという間に生命が奪われてしまう。そんな時代だとわかっている。それでも、やはり先に逝くだろうわたしが生きていて、まだまだ戦える人たちが死んでしまうのは切ないものがある。
隊務にもでれず、いつ伝染るかもわからないわたしを置いたままなにもいわない近藤先生にも土方さん。ありがたいことだとはわかってはいるが、心のどこかで猜疑心が芽生えてしまっていた。
病に勝てないまま。組の状況も知らされなくなってしまった。
ただただ季節がめぐるのを眺めて、咳をして。そして身体の重さとおなじように重たくなってきた血を吐きだした。
自分でも弱ってきているのがわかる。だからこそ、自分か情けない。
いつか山崎さんからもらった薬は、平助からもらった簪とともに奥へしまい込んである。
隊士がずいぶんと減り、むりを強いているいまこそ使うべきなのではないか。そんな思いがないとはいえない。
だが、心が警告をだしていた。いまではない。いまが使うときではないのだ、と。
いつしか五月がすぎていた。いないはずの人が、屯所に姿を現したのは。
「はじめ……くん?」
「久しいな、総司。……ずいぶんと、痩せたな」
「どうして──あなたは伊東さんについていったのではなかったんですか!?」
ずいぶんと久方ぶりに声を上げたからか、興奮したからか。常よりも激しい発作に襲われた。
眉を下げ、いなくなる前のように背をさすられる。振り払う余裕すらない。喀血は、あのころよりも増えてしまった。
「悪くなってるのか」
「……よくはなってませんね」
ようやく治まったのを見計らうように、一くんはつぶやいた。
着物の袖で口元を乱暴にぬぐう。目線を合わせることもなく応えたわたしに、一くんは空気のみで訴えた。
──諦めてしまうのか。
口よりも、瞳よりも、強く訴えてくる。思わず下唇を噛みしめた。
諦めたくなどない。だが、こんな身体では──こんな状態では、諦めざるを得ないのではないかと考えてしまう。
しかしわたしにはまだ最後の切り札は残っている。山崎さんからもらった薬──効果が切れたとき、下手をすれば死んでしまうかもしれないという、あの薬。
どこから手に入れたのか。どんな薬なのか。そんな疑問がなかったわけではないが、それを訊ねることもできないまま、ずいぶんと刻はすぎてしまった。
怪しいと、ほんとうに飲んで大丈夫なのだろうかと。そんな想いがないわけではない。だが、わたしにはそれにすがるしかないのだ。
それを口にするわけにもいかず、口をつぐんだまま背を向けた。
わたしの部屋の前に立っている一くんの足が動かなければ、わたしは彼と離れることはできない。
ひとつ、できれば訊きたいことがある。だが、なぜだか口にはだせなくて、無意識に視線が下がっていた。
「──平助は変わりない。安心しろ」
わたしの心を見抜いたような言葉。わたしの返事を待たず、一くんの足音は遠ざかっていった。
たたみをみつめていたためか。ほほを流れることもなく落ちた涙。
自覚した途端もれた嗚咽を堪えることはできず、咳き込みながらただただそれに身を任せた。
きっと彼は、わたしがここまで弱ってしまったなどと、思いもしないのだろう。諦めてしまっているなどと、考えてもいないのだろう。
彼はいまでもきっと信じているはずだ。わかってはいる。
それでも、わたしにはもう病と戦う力など、残されてはいないように思えていた。
一くんが戻ったことに、なにも知らされていなかった面々はおどろきを隠せずにいるらしい。
すでに参加できなくなった幹部の集まりの間。監督が伍長のみとなったことをよいことに、隊士たちはそれぞれに集まって会話をしていた。
そのうわさ話によると、どうやら一くんは今回の間者が終わり、山口二郎と名を改めたらしい。
名を改めたとはいえ、付き合いの長い組長たちは、呼び馴れた名で呼んでしまう方が多い。
とくに左之さんなどは、部屋からでることも少ないわたしですら、悪びれもせず呼ぶ場面をよく目にする。
少しずつ変わってゆく組。その中でも変わらないものを作りたいとねがう心が、きっと試衛館時代からの仲間にはあるのだろう。




