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お春  作者: 生川 恵愛
第肆章
23/27

第弐拾弐話:最初で最後の姿

 伊東さんたちが尾張から戻ってきて二月。師走に入ってようやく、一橋慶喜公が十五代将軍になられた。

 家茂公がお隠れになられてから早四月。その間も朝敵となった長州との争いは絶えず、これで少しは落ちつくだろうかと思われた。

 そして年が明けようとするころ。孝明天皇が崩御された。

 落ちつきをみせるかと思った情勢だが、そんなことはまったくなく。むしろ孝明天皇がお隠れになられ、新撰組も年明け早々問題が発生し、休む暇もない。

 土方さんの眉間のしわは深くなる一方。それもそのはず。

 年が明けた翌日。伊東さん、永倉さん、そして一くんを含む数人が島原の角屋にて酒宴を開いていた。そこまではよいのだ。

 だが、山崎さんを使った土方さんからの帰還要請も通らず、結局彼らは四日間は帰営しなかった。

 さすがの左之さんですら呆れた所作で伊東さんたちをみつめ、土方さんは彼らに謹慎をいい渡す。

 切腹まではする必要はない。だが、組の規律を乱したことには変わりない。それゆえの謹慎だ。

 二日ほどで解けた謹慎を終え、永倉さん、一くんとともに、わたしは久々の隊務に勤しんでいた。

 とはいっても、巡察ほど危険なものではないため、帰りは漫歩しているようなものだ。

 久方ぶりに役にたてているだろうか。そんな高揚感を胸に歩みを進めていると、四条大橋に差しかかる。

 と、そのときだ。いきなり背後から鯉口が切られる音がした。

 わたしたちも刀に手をかけ振り向くと、そこには数名の浪士たち。


「なに者だ」

「おんしら、新撰組だな?」

「……土佐の人間か?」


 突然はじまった戦闘。土佐の人間がなぜ──と、考えかけたそのとき。坂本龍馬の名が浮かんだ。

 みたこともなく、わたしには名前のみしか馴染みのない彼だが、どうやら長州に肩入れしている土佐藩士だということは知っている。

 坂本の仲間か。そう考えれば土佐の人間に襲われているこの状況にも納得がいく。

 頼むから、ここでは発作は起きないでくれ。そのねがいは届いたらしい。わたしの舞を邪魔するものはなかった。

 結局致命傷を与えるまではいかず、全員が逃走。こちらとしても三人しかいなかったため追うことはできない。

 永倉さんはひとつ舌打ちすると、刀についた血をぬぐい鞘に納めた。


「ったく、なんだったんだ? いまのは」


 永倉さんのぼやきも最もだ。おそってきておきながら、結局わたしたちの誰にも傷を負わせることなく去っていった。

 とにかく報告だけはしなければ。三人のため息が重なった。

 目的がわからないままの斬り合いから数日。伊東さんが新井さんを連れて西へ遊説の旅へでた。

 いま西へでかけるとは。そう思うのはわたしだけではないはずだ。

 近藤先生がそれほど伊東さんを信頼しているのか、もしくはなにか思うところがあるのかは定かではない。

 伊東さんがいない間。続いていた演説会は休止していた。代わりに鈴木さんたち伊東派の面々はなにやら怪しげな動きをみせている。

 そこに平助や一くんが連なっていないことが不幸中の幸いともいえるだろうが、なにやらいやな予感に肌が粟立つ。

 なにごともなければよいのだが。

 隊務が忙しなくないからこそ感じるのだろうこの屯所の空気。なにもできない自分が腹立たしく、こぶしを握った。

 弥生に入ったある日。わたしは山崎さんに呼ばれ彼の自室にお邪魔していた。


「どうしたんですか? 珍しいですね」

「ちょっと、ある人に頼まれてん」


 ある人とは一体。そんな疑問はさておかれ、いわれた通りに持ってきた簪を山崎さんへ手渡す。

 ほう。なにやら感心したようなその反応に、わたしは首をかしげるしかない。

 ところせましと並ぶ薬の反対側には、変装のための道具が揃っているようで。そこを漁り取りだしたのは、うつくしい着物だった。

 暖かくなってきたとはいえ、淡すぎないかと思われるさくら色。そこにまるで吹雪のように白いさくらの花びらが染め抜かれている。

 それこそ、うつくしい娘が着ていたならばそれはそれは話題の人物になることだろう。

 山崎さんは口もとに笑みを浮かべ、それをわたしに羽織らせた。

 口もとのみの笑みが、わたしに拒否権などないことを伝えている。苦笑をもらし抵抗できないことにあきらめてそれに袖を通す。

 山崎さんは少し離れた場所からその姿をみると、ひとつうなずいた。


「よし、やっぱり似合うとる。それに着替えよか」

「え、ええ? む、むりですよ、わたしにこんな着物! というか、なんで女の格好なんて……!」

「まあまあ、ええからええから。楽しましたるで?」

「意味がわからないんですがっ!」


 理由もわからないままさくら色の着物をとられ、そのまま着物を脱がされる。

 一応異性なのだが。とは思うものの、わたしでは女の着物など着れるはずもなく。仕方なしにそのまま身を任せる。

 男物の質素な着物は、女物のうつくしい着物に。

 ただ髪紐で結っただけの髪は下ろされ、鏡の前に誘導された。

 丁寧に櫛を通された髪は、これほど艶のあるものだったのかとおどろかされる。

 すぐに男に戻らなければならないだろうことを考慮され、普通はつけるはずの油はつけられない。

 町娘のようにきれいな日本髪を結うことはできないが、それでも女らしくまとめられた髪には、感動のあまりため息がもれる。

 薄いながらも化粧まで施され、一度背を叩かれると背すじが伸びた。

 監察方が任務の際にこっそりと使う通路があるという。

 山崎さんに連れられ、馴れない女物の下駄に苦戦しながら敷地外へとでる。

 西本願寺から少し離れると、ふと平助の姿が確認できた。

 ちらりと前を行く山崎さんへ視線を送る。自分の役目はここまでだ。そういいたげな笑みに、平助から頼まれたのだとようやく察した。

 立ちどまった山崎さんの視線に背を押され、未だ気づいていない様子の平助のもとへ足を進める。


「……平助?」

「お、お春……か?」


 初めての格好。自分では全体像をみたわけではないし、やはり違和のあるものだが、平助にとってはどうだろう。

 声でわたしだとすぐにわかったようだが、すぐに目を見開き言葉をつまらせた。そののちに落ちたのは、疑問形の言葉。

 ひとつうなずくと、平助は目線をそらし口もとを隠した。

 やはり違和しかないのだろうか。理由もわからずされたとはいえ、不安が胸を支配する。

 ついうつむいてしまったわたしに降りてきたのは、予想外だという平助のつぶやき。

 予想外に醜いということか。近ごろめっきり負の思考に陥りやすくなっていたわたしは、重たくなる心を隠せずにいた。

 と、そのとき。ふと手を握られて顔を上げる。

 照れたような平助の表情があっという間に近づいて、うすく紅の塗られた唇にやわらかいものがふれた。

 あ、と思う前にそれは離れ、平助は手の甲で唇をぬぐう。


「想像より、ずっと似合ってる。よかった」


 照れているのを隠そうともせず笑顔をみせた平助に、先ほど重くなった心はあっという間に熱くなる。単純なものだ。

 ゆるむほほを抑えることもできず、ありがとう。と紡いだ声は、いつもよりも女らしい気がした。

 ついいつものようにとなりを歩いてしまいそうになる足。なんとか歩幅を小さくして、一歩うしろを歩く。

 まず平助が足をとめたのは、いつかかんちがいした小物屋だった。


「ここって……」

「そう。おれがその簪買ったとこ」


 今日はわたしがいるからだろうか。中に足を進めた平助を追っていくと、あのときみかけた娘さんがこちらに気づいた。

 あ。と口を開いたかと思うと、こちらへ笑みを向けた。


「あのときのお侍はんやないですか。上手くいかはったんですね。よう似合うとりますわ」

「あ、ありがとうございます……」

「ほんま、春の陽射しようなお人やわ。ええ人みつけはりましたな、おねえはん」


 わたしの簪をみるなり関係を察したようで、娘さんはこれ以上ないほどの笑みを浮かべた。

 平助は照れくさそうにほほを掻き、いたたまれなくなったわたしは礼とともに小さく頭を下げる。

 快活な笑顔。きっとこれ目当てにくる客も多いのだろう。ごゆっくり。と手を振った彼女に、遠慮がちに振り返す。

 あまりこのような小物屋にくることのないわたしは、どうにも居心地が悪くてそわそわする。平助はというと、少し前の方で髪紐を眺めていた。

 と、そのとき。うしろからぽん、と肩を叩かれた。振り向くと、先ほどの娘さんだ。

 なんの用だろう。と、首をかしげると、手のひらに乗せられた小さな紅入れ。唇に立てた人さし指をあて、娘さんは不敵に笑う。


「これ、うちからのお祝いや。あの人、ほんまにおねえはんのこと好いとったみたいやから。何度もうちの店にもきて、その簪選んではったんやで。で、この紅入れもあの人が悩んではったひとつやねん。あ! ほかの人には内緒やで?」

「ほんとうに、よいんですか?」


 見ず知らずといっても過言ではないほどのわたしに、これほどよくしてもらってもよいものだろうか。

 そんな思いから口を開くと、娘さんはまたもや快活な笑みを浮かべた。

 したくてしてることだから。と、そういわれてしまえば遠慮することすらできない。

 紅入れをそっと胸に抱き、わたしにできる最大級の笑顔で礼を告げた。

 それをみてほんとうにうれしそうにほほえむことのできる彼女は、きっと素敵な女性なのだろう。

 今度、甘味処にでも行こう。そんな、いつ実現できるかもわからない──実現することなどないかもしれない約束を交わしたところで、平助に呼ばれてその店をあとにした。

 次に訪れたのは最初にふたりできた甘味処。その次は壬生寺。

 それから次々と足を運ぶのは、少ないながらもわたしたちの思い出の場所だった。

 思えば、わたしたちはふたりででかけることなどほとんどなかった。それでも、こうして少なからずその刻のことを思いだせる場所に訪れることができるのは幸運だと思う。

 壬生寺の子どもたちには、わたしだとわからなかったようで。平助は子どもにまで散々からかわれている。

 近くの長椅子に腰を下ろし様子をみていたわたしに話しかけたのは、女子の中では一番年上の子だ。

 どことなくかがやく瞳でみつめられると、目のやり場に困ってしまう。

 それでもその子につられるように見上げてくる少女たちに、内心困りながらも笑みを返す。

 するとその子たちはぱっと顔を明るくし、年長の子がわたしのとなりに腰かけた。


「あのお兄さん、新撰組らしいけど、恋仲なん?」

「え? え、ええ、まあ」


 ずいぶん明け透けに訊いてくるものだ。思わず苦笑しながら応えると、ふうん。とひとことつぶやく。ちらと男子たちへ視線をやってからこちらへ身を乗りだしてきた。

 なにごとかと少々警戒したものの、少女の口からはとんでもないことが飛びだし、思わず吹きだしてしまった。

 彼女がいうには、どうやら平助は女子に興味がないと思われていたらしい。恋仲がいて安心した。と笑う少女に、わたしは苦笑するしかない。

 大人びている。といえば聴こえはよいだろうが、少々将来が心配な子だ。

 平助が少年たちと暴れ回っている間。わたしは数人の少女に囲まれてあれやこれやと彼との話をさせられていた。

 とはいえ、わたしが普段沖田総司として新撰組にいることなど話せるはずもない。あまり嘘をつき馴れている質ではないから、幼子でなくてはごまかせなかっただろう。

 最後に、これは女同士の秘密の話だ。と、少女たちにほほえんだ。

 これくらいの少女たちはきっと、一人前にみられたいとねがい、幼子扱いされることに不満を持っている。

 こうして女子の格好で話してみて、ようやくそれがわかった。

 だからこそのその言葉。案の定、少女たちは目をかがやかせて幾度もうなずいた。

 いつの間にやら陽がずいぶんと傾き、子どもたちは家路につく。遠くで聴こえる笑い声は、少年たちのものだろう。

 堪えていた咳を吐きだし、こちらへ歩みを進める平助にほほえんだ。


「ったく、こうなることはわかってたけど、あいつら元気すぎ」

「久しぶりだったから、余計なんだよ、きっと。うれしかったと思うよ、平助がきてくれて」


 長椅子に腰かけていたわたしのとなりを、当たり前のように占領する。

 両手をうしろにつき、空に吐きだしたため息は、ため息というには軽すぎた。

 こうして笑い合いながら話せることの、なんと幸せなことか。

 今日の目的を知らないわたしは、おなじように空を見上げてほほえんでいた。

 ふと、となりで平助の体勢が変わった。うしろに置いていた重心を前に。膝の上に置いた腕に体重を乗せ、先ほどとは一転。なにやら考え込んでいるかのような体勢となる。

 首をかしげたわたしに向けられたのは、なにやら覚悟を決めた瞳だった。

 平助──思わず呼びかけた声は、思いの外弱々しかった。

 ちらりと目線をこちらに向けた彼の表情は、やはりなにかを決意している。わたしにはもう、どうすることもできないようは固い意志。

 せめてなにをしようとしているのか、話してはもらえないものだろうか。

 膝の上に重ねていた手のひらが、徐々にこぶしになっていく。

 平助はそれを一瞥し、途端に表情をやわらかくした。


「ごめん。今日はさ、ほんとうは話したいことがあったからこうしてでかけたんだけど……やっぱいいづらくて。──副長に外泊許可もらってるんだ」


 お春の分も。そう小声でささやくと、すぐさま立ち上がる。

 手のひらをこちらへみせ、吹っ切れたような表情でほほえむ彼の姿に、どことなくいやな予感におそわれた。

 それにみてみぬふりをし、彼の手を取り立ち上がる。平助の一歩うしろを行き辿りついたのは、旅館──というよりは茶屋だった。

 顔を上げられずにいるわたしの手を引き中へ入る。どうやら客はいまはほとんどいないらしい。奥の部屋をひと晩とっている。平助のその言葉で、女将さんはすぐさま部屋へ案内してくれた。

 どうやら訳ありということは伝わっているようで、それがまた生々しく感じてしまう。

 通された部屋はこじんまりとしていた。奥の部屋につながるふすまさえみなければ、普段酒宴を開いているところより小さいという印象のみ。

 ふすまの方へは視線をやれない。逃がさないといわんばかりにつながれた手のひらを振りほどくこともできない。

 女中が御膳と数本の酒を持って現れると、そこからはもう障子はぴったりと閉められた。

 平助に右手を握られたまま、となりに座り酌をする。いつ話すべきかと思案しているようにもみえる彼に、先ほどの話を問うことはできなかった。

 ふと、平助の手のひらに力がこもる。ついにきたか。身構えながら彼の表情をうかがうと、真剣な瞳に絡めとられた。


「あの、さ……。おれ、伊東さんについていこうと思うんだ」

「どういう、こと?」


 なぜいま、西へ遊説中であるはずの伊東さんがでてくるのか。

 思わず眉をひそめたわたしに、平助は目をそらした。

 伊東さんは近ごろ、鈴木さんや篠原さんを方々へ遣いにだしているらしい。その指示をしたためている書簡はすべて処分され、土方さんですらなにも掴めていないという。

 平助はその内容を知っていた。

 鈴木さん、篠原さんは、伊東さんの命を受け、御陵衛士拝命を現実のものとしているらしい。

 伊東さんの独断で拝命までこぎつけようとしている御陵衛士。

 そもそも西へ“遊説”というのも怪しいものだ。と、いまさらながらに気づいた自分自身の鈍感さに腹が立つ。

 思わず噛んでしまった唇を、平助の指がそっと解く。紅のついた親指をそのままに、平助は言葉を続けた。

 もう、拝命までは目の前だ。伊東さんが戻ってくるまでに拝命できなくともよし。拝命できたとすれば、それで近藤先生に分離の話を通すという形になっているらしい。

 実際、鈴木さんと篠原さんの熱意はとてつもないものだという。伊東さんが戻ってくるまでにはどうにか拝命しようと奮闘しているとか。

 なぜ、あれほど近藤先生に信頼されながら、分離などと。どういい訳するかは気になるところだが、それ以上に苛立ちが募る。

 あの人がきたせいで。などいいたくない。だが、伊東さんがきてから隊の空気がおかしなことになっていることはたしか。山南さんだってもしかしたら──。

 すべての責任を押しつける気などないはずなのに、人のせいにしたいとする自分の愚かさに、奥歯がいやな音をたてた。


「きっと御陵衛士は拝命できると思う。……そしたら、おれは伊東さんたちとともに行く」

「──っ、なぜ! 山南さんですら切腹したのに、なぜ……」


 なぜ。どうして。そんな言葉しか口にできないわたしを、平助はそっと抱きしめた。

 そのぬくもりがなくなってしまうことが怖くて、それでもいまの自分には彼の意思を変えることなどできないだろうとわかっている。

 いまはただしがみつくように彼のぬくもりを求めるしかできない。

 離れてしまったら、それですべてが終わってしまうような──そんな予感がしていた。

 それでも彼はしがみつくわたしからゆるりと身体を離した。目前いっぱいに平助が広がる。


「なあ、お春。おまえとの約束忘れてねぇよ。おまえより先には死なない」

「平助……」

「おれはおまえとはちがう立場で、おまえの病を完全に治す術を探したいんだ」


 彼の眼差しは、あまりにもやさしすぎた。

 どこか最期の山南さんのようにもみえて、そんなものはどうでもよい。と突っぱねてしまいたくなる。

 だが、わたしとて治したくないわけではないのだ。

 できることなら病を治して、彼とともにこの先も歩んで行きたい。そうねがっている。

 わかった。と、そういわざるを得ない。彼がわたしを思っていってくれているのがわかるから。

 いやだなどといえるはずもない。彼がほんとうに組を──わたしから離れることを望んでいるはずがないのだから。

 数えるほどしかしていない口づけだが、今日はやけに苦くて、甘い。

 離れた唇を追いかけるように、はじめて自ら口づけた。

 なにもいわれずとも、彼がこの場を設けた意味がわかってしまったから。きっともう、こうして触れ合うこともできなくなるであろうことを想定しているのだ。

 女であるわたしと、最後かもしれない刻をすごすために。

 もしかしたらもう生きては会えないかもしれない。それは互いにわかっていた。

 平助の誘いは断らない。むしろ、“そうなりたい”とわたし自身の女である部分がねがっている。

 ふすまの向こうにはこれみよがしともとれる大きめの布団が敷かれていた。

 その上で向かい合い、照れたように笑う。そのままいま一度口づけたわたしたちは、絡まるように倒れ込んだ──。

 翌朝。腰の痛みで目が覚めたわたしは、目前に広がる平助の幸せそうな寝顔に目を奪われた。

 なぜともに寝ているのか。はて、と一瞬首をかしげたが、昨晩の記憶が蘇るとほほに熱が集まる。

 そうだった──。

 急に顔がみられなくなりうつむくと、至近距離で動いたせいか彼が身じろぎする。

 強く抱きしめられる形になると、今度は肌の触れ合う部分に赤面してしまった。

 互いにはだけきったままの姿で寝ているために、羞恥心が煽られて仕方がない。

 せめて背を向けさせてくれ。必死の思いで腕の中で動いていると、ついに目を覚ましてしまったらしい。


「おはる、おきたのか……?」

「う、うん。ごめん、起こしちゃったね」


 寝ぼけ眼で舌っ足らず。こんな平助の姿など、同室だったとはいえみたことがない。

 少しの困惑と、胸に広がる激しくつまるような感情がわたしを支配した。

 表にださないよう、できるだけ冷静に。心中呪文のように唱えながら応えると、平助はほほをゆるめる。

 軽く回されただけの腕に力を込め、髪にほほをすり寄せられた。くすぐったいような、うれしいような。ついほほえみが浮かんでしまう。

 はだけた着物から覗く胸板にほほを寄せる。彼の心の臓は予想以上の鼓動を聴かせてくれた。

 生きている。彼はいまこうして生きているのだ。

 これから先、たとえ離れていたとしても。わたしの病が治らないとしても。彼の生命だけは護らなくてはいけない──。

 こんなにもやさしい人をみすみす殺してしまうことがあれば、わたしはきっと、わたしを保ってなどいられなくなる。

 改めて誓った言葉を胸に、いましかない幸せを噛みしめていた。

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