第弐拾話:予感
長月に入ってすぐ、松原さんが切腹した。
山南さんとおなじく温厚な性格だったが、今弁慶の異名を持つほどの風貌から誤解の多い人物だった。
あまり会話をした記憶もないし、なぜ切腹してしまったのかもわたしの耳には入ってこない。
もしかしたら、わたしの病を知っている数人がそのような“死”を連想させるものをわたしから遠ざけているのかもしれない。
松原さんは一命を取りとめたものの、土方さんより組長から平隊士へと降格させられた。おなじ隊の隊士たちはやりにくいことこの上ないだろう。
隊士たちに少しばかり同情しながら、それはほぼ組長不在の状態である一番隊もおなじことだろうと、申し訳なさが募る。
あっという間に霜月に入り、近藤先生たちは京を旅立った。それはとても寒い日で、見送りにでた隊士たちはみな早々に部屋へ戻るほど。
数月分の薬を確保したという山崎さんにそれを手渡され、部屋の中で別れを告げる。
ぶじに戻ってくれれば、それでいい。
近藤先生たちも、山崎さんたちも。わたしが死ぬまでは絶対に死なないでほしい。
どうにも病のせいか心が弱っているらしいわたしは、旅立った日からこっそりと月にねがいをかける日々が続いていた。
今宵もみなが寝静まったころに障子を開けたわたしは、できるだけ足音をたてないよう縁側へとでた。
いつもより少し気候のよかった今宵は、やはり少し暖かい。縁側へでたのは正解だったかもしれない。
羽織りを肩からかけ、髪も下ろしたまま。そんな格好のわたしはさらしさえも巻いてはいなかった。
ゆるりと腰を下ろし、ぼんやりと月を見上げる。そこには澄んだ星空と少し欠けた満月が浮かんでいた。
この満月はこれから徐々に満ちていくのか。それとも欠けていくのだろうか。
もし、これが満ちていくのならば、わたしの病もおなじように治っていくかもしれない。
ふとそんなことを思っては、なにを柄にもないことを。と、苦笑してしまった。
「沖田組長、お身体はよろしいのですか?」
ふいに背後からかけられた声。振り向くとそこには、伊東さんの実弟である鈴木三樹三郎さんが立っていた。
どことなく伊東さんに似た雰囲気だが、彼の方が自然体に感じる。
剣も学も弁も。すべてにおいて兄には敵わないと笑う彼の姿をみたことがあるが、それすらも己の心中を表しているようにどこか悔しげでもあり、さみしげでもあった。
そんな彼がなぜここにいるのか。
作っているわけではない、人なつこい笑み。
つられて笑みを浮かべてしまうほどのそれは、伊東さんとはまた別の意味で厄介かもしれない。
「眠れないのですか? おれもなんです。もしよろしければ、少しお相手していただけませんか?」
なにも答えないわたしに、笑顔のまま問う。伊東さんならばなにもいわずにとなりに座すか、もしくは夜も更けたと部屋へ送り届けられるところだろう。
姿かたちや雰囲気が似ていても、こういうところは似ていないのだな。そう思うとなぜだか素直にとなりに座してもらうことができた。
いまだけは発作が起きないように。彼らのぶじだけでなくそれを祈りながら、鈴木さんと無言のまま月を見上げていた。
ふと、鈴木さんが顔を下げた。まだ月を見上げたままのわたしに視線が向いた気がして、そちらへ顔を向ける。
「兄上は──ぶじでしょうか」
眉を八の字にして一度ほほえんだそれは明らかに紛いもの。すぐさま目線を地にやった彼は、ぽつりと言葉をこぼした。
ぶじか否かはわたしにもわからない。だからこそこうして祈りを捧げているのだから。
だが、便りがないことがぶじの証拠ともいう。そう伝えることだけはできる。
鈴木さんは少しだけほほえんで、いま一度月を見上げた。
「三樹三郎さん! 」
あまり話したことがないとはいえ、おだやかな刻が流れていく。
どことなく心地よいそれに身を任せていると、ふいにそこに声が割って入った。
おどろいてそちらを向いたのは、おなじ頃合いだったと思う。
そこには平助が思わず突いてでてしまった声を押さえるように口に手を当てて立っていた。
この声で起きたものはいないらしい。屯所は静かなままで、わたしたち三人は一斉に安堵した。
土方さんでも起こしてしまえば大目玉を喰らってしまう。
「なにしてるんですか? こんなところでふたりで」
わたしを挟み鈴木さんの反対側へ腰かけた平助は、探るような目線で彼をみつめる。
それをどうとすることもなく、鈴木さんはありのままを話して聴かせた。
それを聴き、どこか安堵したように力を抜いた平助に、鈴木さんはきっと気がついていないのだろう。
その反応に首をかしげそうになる衝動を抑え、異色ともいえる三人は並んでいた。
と、そのとき。平助がきたことで気がゆるんだのか、空咳がもれた。
背をさする平助と、わたしを支えようとする鈴木さん。
肩を借りそうになってしまったが、いまはさらしを巻いていないことを思いだし、なんとか羽織の前を押さえる。
「ごほっ──すみませ……っ」
「いいからいまは話すな。三樹三郎さん、おれは総司を部屋まで送り届けてきます。もう冷えますから、三樹三郎さんも部屋に戻った方が」
「ああ……。しかし、ひとりで大丈夫か? おれもともに肩を貸した方が……」
「平気……です、すみません」
発作自体は大したことはなかったようだ。血を吐くこともなかったし、すぐに治まった。
深く息を吸いながら、ゆるりと顔を上げたわたしの顔色をみて、鈴木さんは眉を下げる。
だが、平助にもわたしにも平気だといわれてしまえばそれ以上いうこともできないのだろう。お大事に。とひとこと残し、ひと足先に部屋へ戻っていった。
平助に肩を借り立ち上がる。朝稽古だけではやはり細くなっていく身体をとめることはできない。
平助に軽々と支えられて歩く自分自身に、悔しさが込み上げた。
ごめん。と、口を突いてでそうになった言葉を、自室へついたことで飲み込む。
這いでたままの布団をみられるのはあまりよいものではない。部屋の前でよいといったのに、彼はそのまま障子を開けた。
そのままの布団。側に置いてある刀。平助は布団よりも刀に対して、おまえらしい。と笑った。
羽織も脱がされ、担がれるように布団に寝かされる。となりでわたしの羽織を馴れない手つきでたたむ彼に、思わずほほえみがもれた。
「……なに笑ってんだよ」
「ごめんごめん、なんだかうれしくて」
少し声にだしていたようだ。平助は不服そうに若干唇を尖らせる。
そんな仕草も、きっとわたしだけにみせるのだろうと思えばうれしい。
発作で苦しかった身体が少し楽になったからか、こうして幸福を感じていられるからか。
ほぼ無意識に彼の羽織のすそを掴んでいた。
くい、と引っ張られるそれに気づいたらしい。平助は羽織を置き、ゆるりとこちらへ向き直った。
どうした。そういいたげに首をかしげる平助をみつめ、指先に力を込める。
もう刻も遅いというのに、まだもう少し、離れたくない──。
口にだすのは照れくさいが、それ以上に心が求めている。羽織を掴んだ指先が、かすかにふるえていた。
ふと、その指先が温かいものに包まれる。ゆれる影がわたしを覆い、押し倒されるように抱きしめられた。
子犬のようにすり寄ってくるほほがくすぐったい。口にださなくとも察してくれたことが心を満たし、背に腕を回して力を込めた。
部屋に溶けた吐息がどことなく熱い。
それが首すじに当たったのだろう。一瞬肩をふるわせた平助が腕の力だけで起き上がる。
腕がちょうどわたしの頭の横辺りに突かれ、暗い中で彼の熱を持った瞳が浮かんでみえた。
「ん……っ」
息もできないほどの動悸がわたしを襲う。苦しくて、それでも囚われているように目が離せない。
熱い唇に塞がれた瞬間、思わずもれた声が羞恥心を煽った。
いままでのどの口づけよりも熱い。ただ触れるだけのものしか知らないわたしには、啄むような溶けるような口づけにはついていけなかった。
息を吸おうとする度、かすかに声がもれる。
どれぐらい唇を合わせていたのだろうか。離れたときにはすっかり息は上がってしまい、吐息はこもった熱を吐きだそうと熱くなっていた。
「……っ、ごめん」
「い、いや……そんなっ」
至近距離でそんな姿をみられたことに羞恥を感じるより前に、平助は慌てて起き上がり顔を背けた。
右手の甲を唇に当て、こんなわずかな月明かりの中でもわかるほど、耳までゆで蛸のように染まっている。
それに気づくとわたしまで一気にほほに熱が集まってしまい、どもりながら小さく言葉を返すことしかできなかった。
早く寝ろよ。そういい残し飛びだすように部屋をでた平助だが、部屋はとなり。
障子を慌てて閉めた音が聴こえると、彼も思わずしてしまったということか。と、なぜだか笑みがこぼれた。
頭まで布団を被り、猫のように丸くなる。先ほどの羞恥心を幸福に変え、熱くなるほほを両手で挟んだまま眠りについた。
翌朝。朝稽古で顔を合わせた平助は、昨晩のことを引きずっているのかどことなく動きが固い。
わたしも彼の姿をみると思わずほほがゆるみそうになるやら、照れくさいやらでいつもの通りに振る舞うのは至難の業だった。
今日の一番隊は、平助率いる八番隊との巡察だ。とくに今日はなぜかなかなかに身体が軽い。
朝稽古が終わるころ。谷くんに、今日の巡察は久方ぶりに同行する旨を伝え、ひとつ伸びをした。
朝稽古中、一度も発作に襲われなかったのは久方ぶりだ。
理由はわからないが、山崎さんからの薬が効いているのかもしれないし、わたし自身がどこか満たされているからかもしれない。
もし満たされているためだとしたら、こんなにも単純なことで病の進行は抑えられるのだろうかと苦笑してしまう。
同行を伝えたときの谷くんの笑顔を思いだす。平助にも伝えておくか。と、朝餉をとるために部屋へ急いだ。
すっかり屯所を空けることの多くなった近藤先生と、さまざまな名目のもとにそれについていく伊東さん。
近藤先生はそんな伊東さんがまんざらでもない様子で、土方さんはそれについての不満を溜めているようにみえる。
この日も、広島出張中の永井主水正さまが帰路につくも、近藤先生率いる新撰組の隊は残る旨を、眉間にしわを寄せながら話していた。
どのような活動をしているのか。それはわたしたちにも話されていない。
だが、なんとなくいやな予感が胸をよぎり、思わず平助の顔をうかがった。
「ほんとうに大丈夫なんだな?」
「もう、平助心配しすぎ。今日は調子がいいんだ。たまには隊務もこなさないと、形だけの組長になっちゃうからね」
「心配すんのは当たり前だろ。……むりだけはすんな、辛くなったらいつでもいえよ?」
朝餉ののち。平助とともに廊下を歩きながら、昼の巡察の話を切りだす。
病の正体が正体なだけに、ほんとうはいくら調子がよくとも療養していなければならないのだろう。
だが、わたしはここに身を置く限り、できるだけ組長としての役割を放棄するわけにもいかない。
朝の稽古だけでは体力も落ちる一方。調子がよいときくらいは巡察にもでたいというものだ。
案じてくれている平助にわざと軽口をたたき、笑顔をみせる。少しは安心してもらうには、やはり笑顔が一番だろう。
昼の巡察までは大人しくしていろ。とむりやりに約束させられ、わたしはひとり部屋へ戻る。
自室にいる刻がずいぶんと長くなった。平助が江戸へ旅立つ前のように甘味処へ行くこともなくなり、心配ばかりかけてしまっている。
これではいけないと思うのに、病はそんな心とは裏腹にわたしの身体を蝕み続けているのだろう。
そんな弱気なことをしばらく考えてしまっていたらしい。
盛大なため息を吐きだした瞬間、障子の向こうから平助の声が聴こえた。
そろそろ巡察の刻だという彼の声で我に返ると、急いで準備を済ます。
こうして黒づくめの隊服に身を包み、屯所の前へ集まるのはいつぶりだろう。
久方ぶりに隊務に顔をだしたわたしの姿に、平隊士たちはざわつきをみせる。
そんなものは気にもとめず、平助は巡察出発のために声を上げた。
少数で行っていた巡察も、いまでは危険が多いためにずいぶんと人数が増えたものだ。
安全のためとはいえ、人数が増えれば増えるほどに統率がとれにくいと思う。
とはいえ、そこをなんとかまとめ上げるのがわたしや平助の腕のみせどころだ。
なんとなしに町の人々の様子をうかがうと、この黒づくめの集団にも馴れたようで、みなそれぞれの生活をみせていた。
壬生狼だ人斬りだと恐れられ姿を隠されていたころに比べると、ずいぶんと人当りもましになった気がする。
やはり町中で斬り合いをせざるを得ない場合がある以上、面倒ごとを持ち込んだり人斬りだと思われている節もあるだろう。
それでも京の人々を護ろうとしている姿勢は伝わっているのではないかと、わずかに心がはずんだ。
谷くんの報告ではほとんど毎回のように斬り合いがあったようだが、今回はなにごともなく終了した。
久方ぶりの巡察だということもあり、隊士の誰よりもわたしが一番安堵していることだろう。
「平助、頼みがあるんだけど、よいかな?」
「うん? なんだよ、頼みって」
防具を外しにそれぞれの自室へ戻る途中。大部屋の平隊士たちと別れたわたしたちは、ともに廊下を進んでいた。
唐突に頼みがある、などといわれては怪訝に思うのも仕方ない。
わたしの頼みとはそんな滅多なことではない。ふところから取りだした小さな巾着袋を掲げ、甘味処へ付き合ってほしい。と、告げた。
一瞬ぽかりと口を開けた平助だが、わたしのいたずらな笑みをみて笑顔をみせる。
「ほんとうに調子がいいんだな。そういうことなら付き合うよ。久しぶりだしな」
「ありがとう、平助」
歯をみせて笑う平助につられる形で、わたしも満面の笑みを浮かべる。
決していつもより食欲があるわけではないのだが、巡察にでたせいか無性に町にでたい。
黒を脱ぎ捨てたわたしたちは、早速町へくりだした。
西本願寺からの申し出で砲術の練習場として移動した壬生寺には、あまり子どもたちは集まっていないようだ。
ちらと覗いたそこは少し寂しげだった。
あの日平助がかんざしを買ったであろう店。あのころよく通った近くの甘味処。
もしかしたらもうこんな風に漫歩できないかもしれない。そう思うと記憶にあるすべてがなつかしく、そしてかけがえのないもののように思える。
あそこも、ここも。と回っているうちに疲れてしまい、己の身体の状態に苦笑をもらす。
いつかあぐりさんを男たちから助けた際に紹介した老夫婦の甘味処。小さいながらも繁盛しているそこに足を運んだ。
茶の一滴までも丁寧なそこは人気があるのもうなずけるだろう。
まんじゅうを茶請けとして、熱い茶をすするなどいつぶりか。思わず、ほう。と息をついたわたしに、平助は笑みを浮かべていた。
その日、奇跡的に外で発作に襲われることはなかった。
屯所に戻ると、久方ぶりの外出に思っていた以上に疲れていたらしく、自室へこもることになってしまったが。
眉を八の字に下げ心配そうな平助の表情に、もういくら調子がよかろうともむりしてはいけない。と、心に誓うこととなった。
翌朝。まだ暗いうちから熱に浮かされ、その辛さから目が覚めた。
水を飲みたいという身体の欲求と、動きたくないという心の欲求が交錯する。
結局しばし動かずに唸っていると、空が白けていくのが障子越しにわかった。
いつもならもう起きて稽古の準備をしているころだろうか。今朝はむりだな。
そんなことを考えていると、ふと源さんから声をかけられた。
「総司、大丈夫かい?」
「源さん……?」
「入っても構わないか?」
唸るように返事をすると、ゆるりと障子が開いた。朝の澄んだ冷たい空気が、部屋の中へ侵入する。
自分でもわかるほどの熱だ。きっと、傍からみればすぐにわかるのだろう。
源さんは顔をみるなり額に手のひらを乗せ、はっとしたようにすぐに離した。
白湯を持ってくるとすぐさま部屋をでた彼のうしろ姿をぼんやりとした視界の中でみつめる。
もう聴こえてはいないだろうとわかってはいても、謝罪を口にしてしまう。
源さんはほんとうにすぐに戻ってきた。
小脇に小柄な桶を抱え、その端には手ぬぐいがかけられている。器用にももう片方の手で盆を持ち、そこには白湯の入った湯のみが乗せられていた。
湯のみを手渡され、それを飲んでいるうちに手ぬぐいが冷やされる。
飲み干す勢いでなくなった白湯に、我慢してはいけない。と、案じ顔でいわれてしまった。
すぐ横にさせられ、目をつむってしまうほどに冷やされた手ぬぐいが額に乗せられる。
「それじゃあ、粥ができたら持ってくるから。そのまま寝ているんだよ」
「すみません、源さん……」
「謝る必要なんてないだろう? 総司とおなじでほんとうに人に甘えられない子だ。こういうときは、感謝すべきだ」
「──源さん、ありがとうございます」
源さんに諭され、布団を口もとまで上げたわたしは、ぼそりと礼を口にする。
迷惑ではないだろうか。こんな、人手の足りないときに。
そんな思いは、彼の満足気なほほえみで消えてしまった。
つい目を細めたわたしの前髪をなで、源さんは部屋をでていく。
朝稽古をする隊士たちの野太い声が部屋まで届いた。昨日の今日で稽古にでられなかったわたしを、巡察にでた面々はどう感じているのだろう。
源さんが拵えてくれた粥は普段の食事よりも喉に通りやすく、常より少しは食べられた気がする。
横になったままぼんやりと天井を見上げていると、このまま弱って死んでしまうのではないかとふるえてしまう。
ふと、外の声が収まった。そろそろ朝稽古が終わる刻らしい。
稽古とはちがうざわつきをみせる敷地内。こんな熱さえでなければその場にいたと思うと、それに背を向けたくなる。
もぞもぞと布団の中で体勢を変えていると、足早にこちらへ近づいてくる足音がひびいた。
誰だ。と思う前に、障子に影が映る。その大きさから判別することができた。
「起きてるか?」
一度障子に手を伸ばし、ためらった影。小さく部屋に問いかける声は遠慮がちで、思わず笑みがこぼれてしまった。
起きてるよ。できるだけ熱を感じさせない声で答える。ゆるりと開いた障子から顔をだしたのは、予想通りというべきか平助だった。
わたしの顔色をみて眉を下げた彼は、空気を入れ替えようと少し障子を開けたままにして、わたしの側に腰を下ろした。
「熱でたんだって? 昨日むりしすぎたかもな。ごめん……」
「いや、わたしが付き合わせたんだんだから、謝らないでよ。ごめんね」
互いに謝罪して、互いのそれに対し首を振るとは。交わった視線にどちらからともなく笑みがこぼれた。
少しだけ稽古での隊士の様子を聴き、平助はそのまま朝餉に呼ばれていく。
先に粥を食べてしまっていたわたしは、大部屋からもれる隊士たちの話し声を聴きながら、しばしの眠りについた。
目が覚めたころには少し楽になっていて、ゆるりと身体を起こす。
側に置いてある白湯を口に運びひと息ついた。
いまどれぐらいだろう。一部だけ開けられた障子から覗く景色だけでは、刻もわからない。
布団から這いだして羽織りを手に外へでると、源さんとばったりかち合ってしまった。
身体を案じてくれる源さんをありがたく思い、少し楽になったことを告げると、安堵したようにほほえんでくれる。
むりは禁物だと部屋に戻されてしまったが、部屋にこもった空気を逃すべく開けられた障子は広がった。
一日ずっと眠っていたせいか、翌朝にはいまのわたしの熱はほとんど下がっているように思えた。
多少の身体のだるさも、発作的な咳き込みも。前日までの熱に比べればなんてことはない。
むしろ、きっと微熱はあるのだろうと思ってもそれが楽に感じてしまう。
身体はたしかにだるいのに、ずいぶんと馴れたものだ。思わず苦笑がもれた。
広島に行っていた近藤先生たちは、一度年内には戻ってきた。だが年が明けてすぐ、またもやおなじ名目で広島行きが決定。
近藤先生が決めた面子もほとんど変わらないというのだから、土方さんの眉間に刻まれるしわが深くなるのもうなずける気がした。
山崎さんと吉村さん以外は、如月に入る直前に出発。そのあとを追うように、監察方としてふたりも出立した。
山崎さんも有能だからこその多忙なのだろうが、身体を壊さないか心配だ。土方さんも彼を使いすぎではないかと思う反面、それほど信頼しているのだろう。
伊東さんがいなくとも続く、伊東派の会合。いまは実弟である鈴木さんや、同門である篠原さん、加納さんたち数名が中心となっているらしい。
ただ、伊東さんほど弁に長けている者がいるわけではないのか。伊東さんのような講義ではなく、あくまでも意見を交わし合うという目的のためだと話していた。
徐々にそれに参加する人数が増えていくことに不安を憶えている最中、一くんや平助までもがそれに参加していると小耳に挟んだ。
平助は同門のよしみであるとも考えられるが、一くんの参加には疑問が隠せない。
少し足が遠ざかっているようにも思える平助の見舞いの際、訊いてみようか。
その考えは、彼が部屋に訪れないことで破綻しそうだ。
「平助……?」
もうすぐ弥生に入ろうかというころ。宵の口であるとはいえ、部屋を隔てるふすまからほんのりともれている明かりに声をかけた。
向こうで身じろぐ音はするのに、なぜかふすまが開くことも、返答が返ってくることもない。
あの発熱からしばらくは他愛のない生活を送っていたというのに、なぜいまこれほど避けられてしまっているのだろう。
少々乱暴ではあるが、いっそこのふすまを開けて中に入ってやろうか。そうふすまに手をかけた瞬間、中から声がもれてきた。
「──女なのだろう?」
「なにを……」
「疑念はあの宵だ。咳き込んでいる沖田組長の胸もとがゆれた気がしてな。だが、男だと思っていたのだから、疑念は疑念のままだった」
わたしの名が告げられた瞬間、思わず声を上げそうになってふすまから飛び退いた。
これも盗み聴きというのだろうか。頭の片隅でそんなどうでもよいことを考えつつ、声も発作もでないように両手で口を押さえているほかない。
そんな。そんな。露見していただなんて。まさか、伊東さんにも話したのだろうか。否、彼が話していないことなどあるものか。
伊東さんが屯所にいないのは、幸か不幸か。
ふるえる唇がとまり、無意識にそれを噛みしめる。
そろりとふすまへ近づき、未だ続いているだろうとなりの会話へ耳を傾けた。
「どうする……おつもりですか」
「いや、おれはどうもしないよ。ただ、兄上どうお考えになるかは、わからないけれど」
「……っ」
「ともかく、これからも集まりには参加してくれるね? 兄上からも、藤堂くんには参加してもらえるようにといわれているんだ」
「──わかりました」
障子が開く音。鈴木さんがとなりをでて行ったのだろう。
思わず息をついたわたしとは裏腹に、となりの雰囲気はまだ切れそうなほどに鋭かった。
いまの会話はなんだ。そう問いただしたい気持ちを抑え、ふすまに背を向ける。
わたしの性別のせいで、平助は脅されているのだろうか。
伊東さんから? それとも、鈴木さんから? 鈴木さんが中心となっているのであれば、彼も伊東さんとおなじだったということか。
兄より素直な男だと思っていたのは、わたしのかんちがい。実はその裏で──そう考えると身ぶるいが起こる。
となりの平助と、わたしのため息が、ほぼ同時に空気に溶けた気がした。
翌朝。稽古中にみかけた平助は寝不足なようで少し暗い顔をしていた。
彼を見張るようにとなりにいるのは鈴木さん。一くんにもおなじように加納さんがついていた。
徐々にそれが当たり前となっていたのだろう。隊士たちはなんの疑問も抱かずに稽古を続けている。
わたしも今日まで気にしてはいなかった。とくに平助に関しては変わらずわたしと会話をしていたものだから、彼と並んでいる姿はどこか違和がある。
できるだけわたしに近づきたくない。というよりは、自分に張りついている鈴木さんをわたしに近づけたくない。と受け取った方がよいのだろうか。
あの会話を聴いていなければ、確実に傷ついていただろうその態度は、さすがに鈍感な左之さんにも伝わっているようだ。やりにくそうに頭を掻いていた。
朝稽古も終わり、朝餉の刻。今朝は永倉さんだったようで、源さんも楽だっただろう。
汗を流すべく井戸端へ向かう隊士たち。わたしは踵を返し自室へ向かった。
朝餉中はさすがに解放されるだろう。その考えは甘く、いつもとなりに座していたはずの平助は少し離れたところにおり、そのとなりには鈴木さんが座していた。
鈴木さんも九番隊組長。そう考えれば不自然ではないのだが、わたしはそちらへ視線をやることはできなかった。




