第拾弐話:どんどん焼け
洛陽動乱から五日。わたしは参加しなかったが、幕府から残党捜索を命じられた。
負傷者の多い新撰組に、会津藩からの増援も送られてきたが、遠目から伺うだけでも雰囲気はよしとはいえない。
明保野亭に潜伏していたとみられていた長州藩士たちだったが、実際に滞在していたのは土佐藩士。
斬り合いとなり、浅田という土佐藩士に怪我を負わせてしまった柴司さんという若い会津藩士が切腹した。
土佐藩と衝突に発展しかねない状況となったことを憂いていた会津藩主、松平容保公のためにと、自主的に切腹した彼のために流れる涙は多い。
わたしとも年齢の近いほどの若さだったからこそ、素直にその選択ができたのかもしれない。そして、これほど惜しまれたのかもしれない。
そのころわたしは、暑気あたりからすぐ歩き回っていたからか、微熱をだしていた。
風邪だろうかとの山崎さんの診断で、わたしは養生を命じられている。
「お春、大丈夫か?」
「ええ、大事ありません……っごほ」
「むりすんなよ?」
同室の平助に風邪が移ってないことが不幸中の幸いといえよう。
わたしが風邪を引いてから開け放たれたままにされている障子から、生ぬるい風が入ってきた。
その風はわたしと平助の髪をなでて、部屋の中に落ちつく。
それからまた数十日。松平容保公から、長州藩の挙兵の一報を受けた。伏見からの侵入路である竹田街道の守護を命じられる。
わたしだけではなく、山南さんまでもが身体を壊していたために参加できず、未だ額の傷が癒えていない平助は出陣することとなった。
「平助、ほんとうに大丈夫?」
「ああ、平気だって! 山崎さんもいるし、鉢巻してりゃあ傷も隠れるしな」
「すっかり山崎さんになついたんだね」
「人を犬みたいにいうんじゃねぇよ」
もと医者という経緯もあり、監察方としても隊医としても立場を確立しつつある山崎さんは、洛陽動乱で怪我を負った隊士たちを治療して回っていた。
その中にはもちろん平助も含まれていて、最初こそつんけんとした態度をとっていた彼だが、いまではすっかり兄のように慕っている。
それを指摘すると唇を尖らせるさまは、外見もさることながら非常にかわいらしい。
声を抑えて笑ってしまったわたしがほほをつねられていると、話をすればなんとやら。手ぬぐいを代えにきた山崎さんがその手をとめた。
「あー、もー。藤堂組長、またやっとるんですか?」
「山崎さん!」
突然握られた腕に微量な殺気を込めた瞳で振り向いた平助だったが、その腕の主が誰かわかると目を輝かせる。
解放されたほほをさすっていると、山崎さんは額に乗せられたぬるい手ぬぐいにそっと手を伸ばした。
微熱とはいえど冷やしておけと散々いわれ、渋々受け入れたそれだが、こう涼しくもない気候だからか心地よい。
冷えた井戸水につけられた手ぬぐいは、またひやりとして額の熱を奪っていく。
「沖田組長、むりだけはしたらあきまへんよ。おれらがおらんくてもきちんと薬飲んでくださいよ?」
「わかってますよ」
「甘味ばっか食ってんじゃねぇよ?」
「平助まで! わかってるよ、きちんと治すって」
そろそろ出立の刻らしい。ふたりも無茶はしないで。そう告げて部屋から送りだした。
笑顔で部屋からでていくふたりのうしろ姿が、逆光ということもあるのか眩しくみえる。
こんなときに微熱で一緒に行けないなんて、情けない。
笑顔の別れと、そんな反省をしてから早半月が経とうとしていた。
新撰組はいま、会津藩士とともに鴨川の九条河原に陣を敷いているらしい。
出立してすぐに山南さん宛に届いた文の内容に、そう記してあったそうだ。
微熱も落ちつき、縁側でぼんやりと空を見上げることが多くなった。
いまごろみなは戦いの準備に身を投じているのだろう。
そう思うと、いまこうして養生のためとはいえ屯所に滞在していることが、また情けなく感じていた。
寝間着の浴衣に、髪も結い上げず肩の辺りでゆったりと結っている。近ごろずっとそんな格好のわたしは、もうずいぶんと刀を握ってはいない感覚だ。
傍らに置いてある加州清光に手を伸ばし、そっとその鞘をなでた。
「総司──平助にも、名をつけてもらったんだよ」
返事はない。いまは誰も通らぬ縁側でも、返事をくれはしないのか。
寂しくないといえば嘘になる。なぜ返答してくれないのかと、思っていないわけでもない。
あれから何度も報告していることだが、わたしは懲りもせずに口にだしていた。
「わたしのほんとうの名、まだ思いだせないんだ。ねえ、総司。総司につけてもらった名は、なんだった?」
やはり応えてはくれない。
もしやすでにこの刀にも魂はないのではないか。あの光景を提示されたあの日から、いままでずっと応えがない。その事実がそんな考えさえ起こさせていた。
それでもやはり鞘をなでるくせが治らないのは、ほかの刀よりどこか温かいからだ。
「みんな、戦ってるのかな──」
「どうでしょうね。報せがないのが一番ではありますが、どうしても案じてしまいますね」
誰もいないと思っていたからこそのひとりごと。あわよくば総司が応えてくれはしないかと思っていたことは隠せない。
だが、そんな思いとは裏腹に、返した声の主は予想外の相手だった。
おどろいて顔を上げたわたしにほほえみかけていたのは、おなじく身体を壊して参加していなかった山南さん。
彼もすっかりよくなったようで、局長と副長ひとりが不在の中、必死に書類を片づけていた。
息抜きにでもきたのだろう。盆に湯呑みとまんじゅうを乗せた山南さんは、それを置くととなりに腰かけた。
「そう考え込んでいても仕方ありませんよ」
茶を勧め、庭を愛でながら、山南さんはきれいにほほえんだ。
つられるようにほほえみ、湯呑みに手を伸ばす。山南さんの心遣いが染み込むようで、ほうとひと息ついた。
さわり。さわり。心地よい風がほほをなでる。山南さんの前髪がゆられるのを、なんとなしに眺めていると、目が合った。
総司も感じていた、この温かな感覚。それはきっと、兄のようなこの人のやさしさにふれていたからだろう。
「ところで、いつかの答えはみつかりましたか?」
「いえ、まだ──」
「そうですか。若いのですから、ゆっくり悩むべきです。あなたも藤堂くんも、強いですから」
それは、剣の腕をいっているのだろうか。もし、心が強いと思っているのなら大まちがいだ。
わたしは自分の気持ちすら曖昧で、誰かに導かれなければ、自分の気持ちを知ることすらできない。
山南さんに。源さんに。そして、平助に。いわれた言葉でようやく自分の気持ちに気づくような、ゆらぎやすい人間だ。
それに気づけたのは、抱きしめられたあの日からずっと、自分の気持ちに向き合う時間があったから。
もしいまは、微熱をだすこともなく、戦いに身を投じていたのなら、気づくことはできなかっただろう。
突然黙ってしまったわたしに影がかかる。我に返りそちらへ目線をやると、山南さんが眉を八の字にしてこちらを覗き込んでいた。
苦笑混じりにほほえみ、すみません、とひとこと告げる。なにごともなかったかのように茶をすすると、ようやく山南さんの視線も外れた。
「自分の感情に正直になるのは、誰しもむずかしいものです。他人にいわれて初めて気づくことも山ほどあります。それに気づいたときどう行動するかで、人の心の強さは問われるのですよ」
山南さんの言葉は、いつも以上にすっと心に浸透した。
じわりと心が熱を持ち、鼻の奥がつんと痛くなる。泣きそうだと気づいたときには、ほほにひと筋の涙が伝っていた。
困ったようにほほえんだ山南さんは、そっとその涙を指でぬぐい取る。見上げると兄のようなほほえみがあり、またひとつふたつと涙があふれた。
「……泣き虫ですね」
「すみません……」
「そうして少しずつ、自分の感情をみつけていけばよいのです」
はい。とすら、いえない。言葉にならない。
必死にうなずきしずくを撒き散らしていると、山南さんの体温に包まれた。
その体温からはやはり兄のようなやさしさと、おだやかな愛が伝わってきた。
「山南さん……」
「はい?」
「愛って、なんですか?」
背をなでていた彼に呼びかけると、すぐに身体を離してほほえむ。首をかしげる仕草が、安心を呼んだ。
ちらりと山南さんの笑顔をみると、やはり目をみたまま問うのは照れくさくて、目をそらす。
わたしはいつも唐突すぎるのだろうか。山南さんは、呆気にとられたのち、苦笑した。
茶を吹きださなかっただけよしとしたのだろう。傍に置いていた湯呑みを手に取り、ひと口茶を飲むと、長く息を吐く。
「どのような、ということでもちがうのでしょう。わたしがあなたに感じているのは、『家族愛』ですから」
「……わたしにはまだわかりません。一くんから感じた感情も、山南さんから感じた感情も、平助からのものも……すべてが温かいのに、どれもちがう。山南さんのものが『家族愛』ならば、一くんはきっと『仲間』なのでしょう」
「藤堂くんからのものは、むずかしいですか?」
地に目線を投げて話すわたしの頭に、山南さんの温かな手のひらが乗る。
小さくうなずくと、その手のひらはなでるように髪を伝った。
少しうつむいたままみると、山南さんは困ったようにほほえんでいた。なぜ、と思う間もなく、髪をなでていた手は離れる。
茶を一気に飲み干して、部屋に戻った山南さんのうしろ姿をぼんやりとながめていた。
ひとりになると、くせのように刀の鞘を撫ではじめる。
答えは自分でみつけなけらばならないということか。深いため息がもれたところで、思いきりほほを叩いた。
芹沢さんやお梅さんのことでは、散々悩んだ末になにもできなかった自分自身。頭でいくら考えたところで、なにも行動できなければ意味がない。
あのとき、総司の仇だろうと冷静に対処できたように、これからはそうあるべきだと喝をいれた。
それからしばらくして、屯所に衝撃が走った。
ふたりで、転がり込んできたある町娘の話を聴く。隊士のほとんどがでている中、わたしと山南さんは着の身着のまま屯所を飛びだした。
病み上がりといってもよいわたしたちふたりは早くも息を切らしていたが、それが足をとめる理由にはならない。
一刻も早く事態を確認しなければ。市中警護を任されている新撰組幹部としての使命感が、わたしたちを急がせていた。
「なんてこと……」
声もでないわたしに代わり、山南さんの声が落とされた。
目前に広がる炎の緋。うつくしき町並を巻き込み、護るべき人々は逃げ惑っている。
思わず膝をついたわたしは、手のひらに握った土が人々の生命に感じ、ふるえがとまらなかった。
ふるえる脚を叱咤し、なんとか立ち上がる。河の方へ逃げなければ、人々の生命はない。
だが、人というのは対岸の火事には野次馬になる生き物のようで。渡ろうとする人々を妨げるように、河を挟んで人々がたむろっていた。
「大丈夫ですか!」
「平気や……。早う逃げへんと、死んでまう……!」
我先にと走る大人たちに突き飛ばされてきた少女に手を差し伸べると、泣きべそをかいた彼女はまたすぐに走りだした。
大人たちの壁に弾き飛ばされ、突き飛ばされながら、必死に逃げようとする彼女の姿。それに気づく大人はいない。
またまや地に倒れてしまった少女をみた瞬間、わたしの中でなにかが弾けた。
「退きなさい!」
「なんや、おれらに死ねいうとるんか!」
「順に避難してください! あなた方の生命ももちろん大切です! だからといって、弱い子どもの生命が犠牲になってよいわけがないでしょう!」
突然叫んだわたしの声に、周りの人々の動きがとまる。山南さんも目を丸くしてこちらをみていた。
ひとりのがっちりとした体型の男性が掴みかかるように声を張り上げ、それにつられるように声が上がる。
たしかに自分の生命は大切であることには代わりはない。だが、このままでは逃げきれる可能性の低い幼い子どもたちが犠牲になってしまう。
砂にまみれた少女の着物を払い、大人たちを睨みつける。
なにもいえなくなった人々は、ただうつむいて唇を噛みしめていた。
そのうちにと、少女の肩を抱いて橋へ急ぐ。屯所のある対岸では被害はなさそうで、ひとつ安心材料ができた。
山南さんの声もあり、幼い子どもを中心に先に渡らせる。対岸にたむろっていた人々も捌けさせた。
大人たちは、子を孕んでいる女性や高齢の方、怪我人を中心に橋へ誘導。健康な人々には、申し訳ないが浅瀬を渡ってもらった。
たったふたりでは、すべての人が避難できたか否か確認するにも刻がかかる。
町の人々の生命が奪われていないことを、祈るしかなかった。
「総司!」
「平助! みなも、ぶじでしたか!」
「こっちは大事ないよ。それより……」
九条河原に陣を敷いていた新撰組。情報を聴きつけてか、続々とこちらへ駆けつけてきた。
隊士たちの誰もが言葉を失い、京の町を包む炎の怪物を眺めている中。わたしを呼んだ一際大きな声は、平助のものだ。
平助の瞳に炎が映る。きっと、ここにいる誰も瞳にも映っているだろうそれは、赤鬼を思わせる芹沢さんの件より、ずっと大きい。
少し離れた場所では、近藤先生がいまにも泣きだしそうな表情で町を眺めていた。近くには唇を噛みしめる土方さん。切なげな表情で近藤先生の背に手を添える源さん。そして、状況をできる限り説明しているのだろう山南さんが固まっていた。
「近藤さんも辛いだろうな。今回は後手に後手に回っちまったし、京の町もこんなになっちまって……」
「わたしですら、ここまで胸が痛いんだから……近藤先生の気持ちは計り知れない」
土方さんの指示で、燃えている側の住人たちの寝床の確保を優先的に考え、四方八方へ隊士たちを派遣した。
それから約二日に渡り、消火活動もできないほどの大火は牙を剥いた。
鎮火したのち、監察方を筆頭とする隊士たちで火もとの確認を急ぐ。
どうやら長州藩屋敷に火が放たれ、会津藩が中立売御門に攻撃した際に起きた火災も重なり、二箇所から炎が上がったらしい。
北は一条通り、南は七条の東本願寺という広い範囲で被害がでてしまった。
近藤先生は町を護れなかったと心底悔いて気を落としている。
それでも、気を落としてばかりはいられないと気丈に振る舞う唯一無二の局長の姿に、隊士たちも気を引き締めた。
『どんどん焼け』と呼ばれる大火が治まってから二日。
徐々に復興作業が行われはじめていた中、近藤先生は大変な報せを持って帰ってきた。
御所に向かっての発砲したこと。長州藩主の毛利父子が国司親相に与えた軍令状が発見されたことが重なり、藩主である毛利敬親の追討令が発せられる。それに伴う形で、長州が朝敵となった。
いままでも敵対してきたわたしたちと長州藩だったが、これまで以上に危険が多くなるだろう。
長州藩にとってわたしたちは、いわば仇のようなものだ。
洛陽動乱の際、吉田と名乗った彼はいっていた。幕府が、彼らの大切なものを奪ったと。
幕府から命を受け動くわたしたち新撰組は、彼らからみれば幕府側の人間で、まさしく敵なのだ。
だが、負けるわけにはいかない。
復讐に染まらなくてよかったといってくれた総司のためにも。温かな感情を向けてくれる、みなのためにも。わたしは、生きて、生きて、生き延びて。近藤先生の役にたってみせる。
何度か下坂し、長州の浪士たちを追っていたわたしたちに休息が訪れたのは、文月も終わりのころだった。
京に戻ってきたわたしにようやく回ってきた非番。やはり平助とともにいる。
これでやっと落ちついて甘味が食べられるというものだ。
「はー、やっと落ちついたな」
「ほんとう。市街もこれから少し慌ただしくなるだろうけど、復興も進んでるしね」
辛うじて大火を逃れた甘味処のひとつを訪れると、復興の休息中なのか、非常に混み合っていた。
店前で茶と団子を頼み、ぼんやりと町並を眺める。大工風の男性や買いだしの女性が忙しなく行き来し、大火が牙を剥いたとはおもえないほどの賑わいだ。
噂好きの多い京の人々の結束力は強い。人のよい木材屋の主人につられ、次々とさまざまなものを提供する店も増えている。
もちろん、我関せずを徹底する人もいるが、大概そういう人は白い目でみられ、愛想を振りまきながら手伝うことになる。下手をすれば町中の人間から白い目でみられかねないという強迫観念ゆえだろうか。
こういうときに恩を売っておけば、噂が噂を呼んで商売繁盛。という腹黒い部分もなきにしもあらずなのだろうが。
「思っていたよりも早く、もとの町並に戻りそうだね」
「ああ。おれらもできる限りのことはしてるし……って、まあ力自慢がしごかれてるんだけどな」
「そういえば、左之さんは毎日大工の親方にこってり絞られてるみたいだね」
新撰組も、巡察などの通常の隊務に加え、大工の手伝いや賄いを配ったりと活動を行っている。
大工の親方に気に入られたらしい力自慢の左之さんは大雑把な仕事に怒鳴られながらも、がんばっているらしい。一方、繊細な仕事をする一くんも重宝されている。
隊士たちの御膳担当でもある源さんは、町の女性たちとともに賄いに励んでおり、すっかり母親のような面になっている。元来料理好きな源さんだから、なんだかんだと楽しんでいるようだ。
わたしや平助など若い隊士は子どもたちの面倒を積極的にみているし、山南さんに至ってはその頭脳で簡易的な寺子屋まで開こうとしている。
初めこそ、壬生狼が悪行をごまかすためにしたくもないことをしている。などと噂されたものだが、いまではすっかりそれもなくなった。
それに一番安堵しているのは近藤先生ではないだろうか。
土方さんは書類を片づけで忙しなく、近藤先生もさまざまなところから呼ばれて動き回っている。
そのためなかなか顔をみることもない毎日だが、それでも安堵しているのだろうことは朝餉の刻の表情でわかる。
「そうだ、平助、訊きたいことがあったんだ」
団子をほおばりながらこちらに目線を向け、小首をかしげる仕草は、一体どこで憶えてきたのだろう。
一応は女であるはずのわたしより断然かわいらしいのだから、息がつまってしまう。
ひとつ咳払いをしながら、山南さんとの会話を思いだしていた。
近藤先生も、山南さんも、源さんも家族愛なのだろう。一くんはきっと、仲間として信頼してくれていると思う。
ただひとり、与えられる温かい感情が、ちがうのは平助だ。
「平助がわたしに感じている“愛”は、どんな愛?」
「ぶは……っ!」
またもや唐突すぎたのだろうか。いつもわたしに感情に関する疑問を問われた人は、吹きだすか咳き込むか、或いは両方か。
ちょうど茶を飲んでいたらしい平助は茶を吹きだし、変なところに入ったのだろうか激しく咳き込んでいた。
背をさすってやると、涙を浮かべた瞳をこちらに向ける。咳き込んだからか、ほほは赤く染まっていた。
「なに、それ、どういうこと?」
「総司として生きているからか、わたしにも温かい感情を向けてくれる人たちがいる。それはすごくありがたいことで、感謝してもしきれない。近藤先生たちは、家族愛。一くんは、きっと信頼──でも、平助の感情だけはうまく読み取れないんだ」
ただ黙ったままの平助だが、目線は外れていない。
わたしの方が照れてしまって、地に視線を落としていた。
顔を覗き込むようにして続きを促す彼の瞳はまっすぐだが、ほほはやはり赤いままだ。
自分が感じた、平助を傷つけたくない。失いたくないという感情も、平助が山崎さんを敵視するような発言をしていたあの言葉も。
そこからつながるものがなんであるのか、わたしにはわからない。
失いたくない人なら、近藤先生も山南さんも源さんも。もともと総司の仲間であり“わたし”を受け入れた人たちはみなそうだ。
だが、平助に感じたものほど激しいものは、いまはまだない。
洛陽動乱のときですら、近藤先生の力量を信じて離れることができた。
平助も永倉さんがいるから大丈夫だろうと、そう思えた。
決して平助の力量が低いと思っているわけではない。だが、怪我のひとつもしてほしくなかったという本音。
それを伝え終わったころには、平助は顔を背けてしまっていた。
「平助?」
「おまえ、それはまずいって……」
間にある団子の皿を避けて手をつき、平助の方へ乗りだすと、ため息混じりの声が落ちた。
なにがまずいというのだろう。首をかしげるわたしの手の甲を、そっと平助の手のひらが包んだ。
目を見開いたわたしに、勢いよく振り向いた平助は目を伏せたまま呟く。
「それ、おれのことを好いてるって聴こえるんだけど」
「好いてるよ、きらいな相手ならともに甘味処にきたりしないでしょう?」
もみじの如きほほの赤みが消えていく。
なにを当たり前のことを。という態度のわたしに、呆れたようなため息を吐かれた。
一気に脱力したようで、しばし動かなくなった平助。だが、隊務の刻が迫っていると、慌てて甘味を口に運んだ。
急がなくてよいという平助に首を振り、わたしもすっかり冷めてしまった茶を飲み干す。甘味はひとりで食べても美味しくないから。




