第6話「電気信号.2」
政府保護区にある建物は、シヴァ訓練所や学園、寮、病院などが主である。ネオは負傷した足や手を診てもらい、鎮痛剤や軽い治療を施して貰った。手の内の僅かな機械損傷と、右足脛の骨にヒビが入っていた。
治療が終わるまで己の足の代わりに動作してくれる、負傷者専用のアーマーを側面に装備し、当面はそれを足として使う事になる。
くたくたになってチームの共有部屋へ帰ると、真っ直ぐ自身の寝台スペースへと身を倒した。
「お帰り、ネオ」と、隣で俯せになりながらネットを見ているリックが、ネオに気づいて言った。
「あー、今夜は薬がなくても眠れそうだ」
「お疲れ様。ロッドは見つかったのかい」
「まあな。あいつ、シヴァを抜けるんだってよ」
「え?……そっか」
リックは複雑な表情をネオに向けた。ルウは床に胡座をかいて瞼を閉じ、精神統一をしながら二人の会話に耳を傾けていた。
「ネオは止めたの?」
「ん?いや。俺はアイツにはここにいて欲しくねえんだ」
横に向き寝姿勢を変えながら。
「腹が減ったなぁ。なあリックー。お菓子くれよ」腰を掻きながら間延びした声で強請る。
「お菓子無いよ。さっき全部食べた。キャンディーはもうないのか?」
「アレな。もう全部たいらげちまったよ。しゃあねえ、何か買いに行ってくるかな」
「こんな雨の中?宅配を頼めばいいのに」
「あれ、夜間になるとロボットが運んでくるんだろ。ゾッとする」と、苦い顔を浮かべ舌を出した。
「僕がこの前頼んだ時は人間だったような」
「面の皮を剥いだらロボットかもしんねーぞ」
「怖いこと言うなよ」
「とにかく行ってくる」
「じゃあ気をつけて。ついでにモルクバーガー買ってきてよ」
リックはホログラムのボードを叩いて画面に集中し何か調べものをしていた。
「わーったよ。ルウは何もいらないか?」
「必要ない」
「了解。んじゃ、ひとっ走り行ってくるかな!」
寝台から飛び起きて立ち上がると、防雨服を身に纏って部屋を出ていった。
男子棟から外へ繰り出すと、止む気配のない雨が我よ我よと降っている
走りながら友の事を考えた。共に今まで闘ってきた友の異変の事を。彼は今まで真面目で従順に任務をこなしてきた。ロッドを初めて見たのは、13歳の時だった。シヴァとして本格的に鍛えるため、訓練所の廊下を歩いていた時だった。銀髪の少年と目があった。不覚にも綺麗だなと感じた。すぐにその気持ちを払拭した。同じく訓練を受けていた少年が教えてくれた。テドウ統帥の息子のロッドだ。あいつは天才だ。知能も運動もレベル10まで一気に上りつめた。天才っているんだなぁ。でもちょっと人間じゃないみたいで怖いよな。
ネオはそれを聞いても恐怖は感じなかった。ただ、不思議な彼の存在感に目を奪われていった。
初めて接触をしたのも自分からだった。食堂で一人で食事をしているロッドの隣に座った。よお、俺はネオ。よろしく。シンプルに距離を詰めたが、ロッドは疑問一つ浮かべずにネオの手を握って言った。俺はロッド、よろしく。
初めて友人が出来た。それからはよくロッドに話しかけ、語り合った。ロッドはほとんど聞き役だった。彼は自分を語りたがらない。それがまたネオにとっては好奇心を擽られる存在だった。彼が庭園で一匹の蝶を指に乗せながら初めて質問をしてきたのを覚えている。
──ネオ。自由って何だ?
答えに詰まった挙句、こう返事をした。
──自由ってのは、全部失うことだ。
雨を踏みしめる足を速めていくと、どんと誰かにぶつかった。胸に小さな衝突を受け、びっくりして「わっ悪い」と謝る。防雨服のフードに着いているツバのせいで最初は誰か分からなかったが、顔を上げたその人物はトルネだった。一気にどぎまぎと調子が狂って、一歩距離をとった。
「ご、ごめん。トルネ、気づかなくて!」
「やっぱりネオだ。こんな雨の中にどうしたの?」
「お前こそ」
「私は、別に何でもない。ネオに言うと、口が軽いから」
と、トルネは頬を少し赤くさせそっぽを向いた。服の中で何かを大事そうに抱え込んでいるのが分かった。
「もしかして俺にプレゼント?」
「ちがっ。…これは、ロッドに」
「へぇ、アイツに?何で」
「明日。って言ってもあともう少しで今日になるけど。誕生日だから」
「知らなかった。アイツにも誕生日あったんだ」
「うん。前にロッドから聞いたんだ。本当は星を見に誘おうとしたんだけど、この雨だと無理っぽいよね」
ネオはトルネの弾む声を聞いて、面白くないような顔をして不貞腐れた。
「そうか。頑張れよ。けど、あいつ最近寮に戻ってこねえんだ。通信も途切れてるし。良かったら俺から渡しとこうか?」
「えっ!いい!ネオに持たせたら壊しそうだもん」
「はあー!?何だと!?」
「夜が明けたらロッドを探しに行く。ありがとうネオ。あっ、ネオの誕生日は12月24日だよね」
「何だよ覚えてたのかよ」
「当たり前でしょ。大事な友達なんだから」
トルネは穏やかにそう笑った。ネオは胸の辺りが小さく締め付けられる心地がして、不格好な笑顔を作った。
「はは。まあな!友達だもんな」
『ピーピー。ここから約500メートル先でロボットが暴走。シヴァはただちに任務遂行せよ』耳元で不穏な通知が鳴ると、トルネの方を向いて笑顔で手を振った。
「じゃあな。俺行かねえと」
寮へ一度戻る為踵を返した。その気配に気が付かなかった。雨に濡れたロッドが立っていた。
「えっ」
ネオは目を丸くして、つい先刻まで話題にしていた友の姿を何度と瞬きをして確かめた。
「ロッド。どうしたんだよそんなずぶ濡れ──」
よく眺めてみると、友の異変に気がついた。両目は焦点があっておらず、右腕の肘から下が無かった。断面からはぽたぽたと黒い血が流れ落ち、千切れた配線が数本垂れ下がっている。ネオは咄嗟に銃を構え、トルネを背中に庇って身を守った。
「っ!」
ロッドは冷たい蝋人形のように生気のない顔で二人を見遣ると、瞬間──目に捉えられぬ速さでネオと、鼻が掠める程の距離まで移動し、首を掴んでその場に押し倒した。手の中から銃が地面へと転がる。
尋常ではない力の強さだ。両手で必至に引き剥がそうとするネオ。トルネはその状況に立ち尽くし、狼狽えながら見る事しか出来ずにいた。
顔が赤くなるまで奥歯や全身に力を入れ、専用アーマーを嵌めた足で腹部を思い切り蹴り上げた。ロッドの力が少しばかり緩んだ所で、反動を利用し一転体へ馬乗のりになり片手を押さえ込んだ。
「ぐうぅううっ!」
一体どうしてこんな事に。事態を把握するより先に今目の前にいる相手を何とかしなくてはならい。武器を。武器を使えネオ。彼女を守る為に……!
「ネオ」そう、変わり果てた友が呼んだ。
「自由って何だ」
瞼が硬直して震えた。無くなった右手の断面から黒い配線が、自分の意志を持っている動物のように伸び、ネオの腹部を鋭く貫いた。
「かはっ」
唇から血を吐き出す。気持ちの悪い痛みが体内を侵した。体は言う事を聞かずに反射的に仰け反りごろごろと地面へ倒れ込んだ。
「答えろ。ネオ」
早く倒さなくては。早く。ネオは目線の先の銃へ弱々しく手を伸ばす。ロッドはその様子を何の感情もなく見下ろしていた。視界がぼやけ、意識が朦朧とするのを何とか覚醒させようとする。
「お前みたいに甘い奴に、殺せない。俺の事は」
そう銀髪の悪魔は、赤い目をして言った。
「はっ。お前っ、どうしちまったんだよ。とうとう薬でもやったか!?」
冗談を言いながら、精一杯の無理をして余裕ぶった笑みを浮かべてみせる。
「薬か。違うな。見つけたんだ」
数時間前。ロッドは奇妙な声を脳に受信した。その声の主は悪夢と同じ言葉を発していた。
──オマエ、ハ、オレノ…モノダ
こめかみがどくどくと脈を打ち、今にも爆発しそうに血は狂い踊る。心臓がそっくりそのまま頭へ移ったかのようだ。頭を片手で抑えながら引き寄せられるままに足は進む。一歩、また一歩踏み出すうちに次第に声が大きくなっていく。
「うるさい。黙れ」
脳内へと反発し掠れた声で一蹴した。それでも何度も何度も、己を呼びかける声に気が狂いそうだった。足は司令塔へと向いていった。それからワープフロアに立ち、何故だか分からないが、存在し得ない階を勝手に指定していた。
「最地下、ナンバー5」
見たことのない地下の階層に辿り着く。だが、ロッドはここが初めてではないような違和感を感じていた。前にもここへ来た事がある、曖昧な記憶の隅でそう感じた。
禁止のマークの中に、Rの字が書かれた大きくて少し錆びついた門がある。その横の壁にパスワードが設置されている。ロッドは近寄った。数字とアルファベットのボタンが羅列されている。本来なら分かるはずもないのに、ロッドは不思議なことに脳内に数字とアルファベットが浮かんできた。それを正確に打ち込むと、門がギイイと音を立てて開いた。
足が竦むことも、恐怖も感じない。ただただ、その空間に引き寄せられた。奥まった通路を前進する。同じ間隔で壁に扉が繰り返し取り付けられている、単調で面白みのない景色が続く。このまま帰れば、いつも通りの日常が待っている。何事も無く放置しておく事も出来るのだ。しかしどうしても、脳からの指令に体は逆らえずにいる。
ある扉の前でロッドは急に動悸がし始め、胸を苦しげに掴んだ。吐き気と目眩がし、壁へと凭れかかった。
「ぐっ……」
目の奥が締め付けられ、視界が凝縮してゆく。必死に呼吸を繰り返しながら、灰色の壁を緻密に見てみると、他と違って四角に区切られている箇所があった。そこをドンと手で叩いてみると、ウィーンと四角く壁が開き中から再びパスワードが現れた。偽装でなければ、この先の部屋には何か政府管理下の重要機密が隠されているに違いない。ロッドはそう確信した。
迷うことなく指先でパスを打ち込む。ロックが解除され、扉が開くや部屋の中へ雪崩れこんだ。
「はぁ、はぁ」
床を這いずりながら酸素を吸い込もうと肺を膨らます。顔を上げて辺りを見てみる。そこは真っ暗な闇だった。だが、嫌な予感がした。立ち上がって前へ進もうとしたその時、何かに引っかかり滑って尻もちをついた。手で掴んで目を凝らしてみると、それは電気コードだった。
ロッドは不安に辿々しく指をピアスへ這わせ、ネットグラスを起動させた。乾いた唇を舐めて喉奥から声を捻り出す。
「ナイトビジョン」
目元を覆うホログラムから覗く視界を暗視モードに切り替えると、「うわあぁ!」と声をひっくり返らせた。
「何故、ここが。何故、夢の中の場所が…!」
ミミズのように絡み合う配線と機材。それから中央には寝台。天井に楕円形の照明。あの少年は寝ていなかったが、ここは夢に見たままそっくりの場所であった。