第4話「愛するあなたにお休みは言わない.2」
「本日は特売日ぃ! 皆々様、レアな品物が勢揃い。どうぞとくとご覧あれぇ!」
赤や黄や緑の光を放つ〝飛行型電球虫〟が無数に空中を飛び交い舞い踊る。目が痛くなる蛍光色の表通り。それと共に流れるテクノミュージックと和楽器の融合。夜の静けさをかき乱す商売人達は、音に乗せた浮かれた足取りで陽気に華やかに客引きのパレードを開催する。
ラッパとシンバル、太鼓が織り成す鼓笛隊、移動式のお祭りは、食べ物から骨董品といった様々な品物を積んだ屋台を率いて道を闊歩する。やれパンダと人間、ウサギと猿のミックスやら、訳の分からぬ型をしたロボット達が、屋台の車を引いており、人々は無遠慮に群がった。
ネオはロッドを探しに近辺を歩いていたが、その一連の騒がしさに反吐が出る思いで険しい表情を浮かべた。
愉快気な賑わいとは裏腹に、背の高い建物の影に埋もれ光の失せた区域、X地区では生きた屍達の住処となっている。
貧困で住処を失った人々や、悪事を働いた者はこの辺りに大体所在している。ここにいる人間は皆目の焦点が合っていない者ばかりだった。
水だか油だか分からないねっとりと濡れた階段を降りた。それに何だか分からない異臭までする。健常な精神でいたいなら、こんな場所に好んで入ろうとする奴はいない。ロボットが入ろうものなら論外。日頃の鬱憤晴らしに壊されるのがオチだった。その為無残に地面に転がっているロボットのパーツを時々目にする事があった。
「クソ。あいつどこ行ったんだよ。通信も繋がらねえ」ピアスに指を触れてインネットグラスを起動するものの、ロッドへのアクセスはERRORと表示される。ネオはどうしようもない状況に髪をかきむしって。
「ハァ、クッソー」苛立ちを吐き出すために、地面に転がっていたロボットのパーツを蹴り飛ばす。
「ようネオ!また金を貸してくれや。何も食ってなくて死にそうなんだ」
声をかけられて目を向けると、壁際に背中を丸めた赤ら顔の爺さんが手招きして呼んだ。
「そう言ってまた酒でも買うつもりなんだろ、オッサン。食べ物が欲しいならこれをやるから我慢しろよ。今度こっそり食料を持ってきてやるから」
ネオは腰の鞄から、空腹を紛らわす事の出来るキャンディーを取り出し彼の手に放った。曲線を描くそれをしっかりキャッチして爺さんは「へへ、いつもありがとな」と元気に手を上げ、キャンディーを包装紙ごと一気に口の中へ放り込んだ。
奥まで足を踏み入れていくと、若い男の声が壁に反響した。はっと立ち止まり、ネオは壁に背を貼り付けて、気配がバレないように慎重に息を潜めて様子を窺った。
「眠れぬ子羊の皆さん!知ってるかい、このとてもとても、とーても便利な薬のことを」
全員がたちまち男の声に反応をした。広場には伝染病で皮膚の溶けた者や、片方の目がないもの、痩せこけた者など、多くの人が集まっていた。
「この薬は、SHEEPTRIP。これを飲むだけで、嘘のように深い眠りに落ち、素晴らしい夢の世界へトリップすることが出来るんだ」
ネオは影から男の顔を覗いてみた。そこには笑顔を矯正するように唇の両端に取り付けられた金属器具をしている、金髪の男がいた。ネオは彼の存在を知っていた。前々から幾度か取り締まった事のある男だ。名前は確か……長ったらしい名前だった。
不気味な面で、ズボンのポケットからカプセル型の薬を取り出し観衆に掲げて見せつけた。死んだ瞳をしてる人達が、彼へと擦り寄って、足元へ縋りついた。
「頼む!くれ!その薬をお願いだ。ひと粒、いや十粒くれ!」と、痩せこけた浮浪者の男が足元で懇願した。
「まあ、まあ。落ち着いて。一粒で十分な効果を得られるのがこの薬の凄い所さ。初回サービスで特別にタダであげよう」
「ああ、ありがとう…!なんと親切な」
薬が頭上から落とされるのを、男は心底有難そうに拾った。それを見た他の連中も羨ましそうに、薬を強請り始めた。
ネオは銃を手に握り、大勢の場に躍り出ようとした。その時だった。嗄れた老人の声がいっぱいに張り詰めた。
「皆騙されるんじゃない!」
全員、老人の方へと向き。
「こいつは、ワシの妻を殺したんだぞ。これを見ろ。こんなに痩せ細って。もうワシの事も分からなくなった」
老人は妻の頰を指先で撫でた。その頬に涙が一筋伝った。老人から零れたものだった。
「どんなに夢の中は美しかろうが、いずれワシの妻のようになるぞ。騙されるな!」
骨ばった腕の中に、老人の妻がほとんど骸骨みたく死んだような顔をして、かろうじて鼻孔から息をしている。骨と皮だけの姿は、その瞳だけ煌々とどこかを見据え、剥がれた唇から呼吸と一緒に何かを話している。夢の中の何かに話しかけているように。
観衆は、その姿を見て勢いを無くした。しかし薬を貰った浮浪者は一人は声を上げた。
「バカ野郎!何言ってるんだ。俺の現実はこんな糞の吹き溜まりでただ生きてるだけじゃないか。だったら。それだったら夢でも見て死んだ方がマシに決まってる。俺達には希望もない。もう疲れた。生きたくないんだ。せめて幸せなまま死なせてくれ」
だんだんか細くなっていく浮浪者の肩は小さく落ちていった。その光景に、矯正器具の隙間からあはははは!と声を上げた。
「そう!その通り!ここにいる男の言う通りだ諸君。皆もう現実では何もない。失うものもないだろう!?だったら皆で笑って死のうよ。夢の中では独りぼっちじゃないんだ」
と、大口開けて笑いながら腕の中に抱かれている老人の妻へ近寄ってはしゃがみこんで顔を覗きこんで、指をさした。
「見てよ、このババア。幸せそうに笑ってる。そうだ、どうせなら奥さんと一緒に行きなよ。大丈夫、人のせいにすれば何も怖くない。これは全部僕のせいってことにすればいい」
そう言って薬を差し出した。老人は震えながら顔を上げた。そしてゆっくり手を伸ばしかけた。
「名前を思い出すのに時間がかかったぜ」
ネオが、薬を差し出す男の後ろへ立ち、銃を構えた。
「確かルドリッチ、だっけな。それともリドルッチ?」
「ルドリッヒ、だよ。ネオ君」
ルドリッヒは振り返りながら笑顔を絶やさずにそう言ったが、目の奥では嫌な客が来やがったと言っていた。
「はっ、覚えづれーからルドでいいだろ。任務外に仕事を増やしてくれるなんて最高だぜ」
「それは僕の台詞だよ。おかしいな、ここは政府管轄外のはずなのに、政府の犬がどうしてここにいるんだい?」と、不気味に笑顔を保ったまま。
「その気持ち悪い口を閉じろ。俺はお前の顔が嫌いなんだよ」
ルドはぴくりと眉を動かした。
「それによー、これは俺の脳みそからの指令なんだ。分かったらここから出ていけ。ここは政府管轄外。俺がここでお前を撃つ事だって出来るんだぞ」
銃口を背中に押し付けて脅す。ルドはおどけたように手をひらつかせる。
「おお、怖い怖い。はいはい分かった、分かった。出ていけばいいんだろう?大人しく出ていくさ」
「何も言わずに出ていけ。んで、二度と帰ってくるな。ここに」
銃を突きつけながらルドを出口へと誘導する。狭い通路へ入り込む手前でルドは、ははははは!と気味の悪い笑い声を上げた。
「さっき僕の笑顔が嫌いって言った?」ルドは太腿を持ち上げたかと思うと後方に蹴りだし、踵でネオの脛を目掛けて攻撃した。
「うぁあっ!」ビキビキと伝う鈍痛に、ネオは片膝から崩れ落ちた。直ぐさま銃を構える。しかしネオはそれから指が硬直して、トリガーを滑らす事が出来なかった。そんなネオを面白そうにルドが見下ろすと、頭を踏みつけそのまま地面へと擦りつけさせるように力を込めた。
こめかみに青筋を立ててネオは必至に起き上がろうとした。だが叶わない。足の力は尋常じゃなかった。どうやら足にも装置を嵌めているらしかった。ルドはいやらしいにたにた顔をして言う。
「どうしたんだい?ネオ君。撃たないのか?ああそうか、君は撃てないのか。人間を殺したら奴らと同じになるものな。君が何より憎んでいるロボットと一緒に」
「ルド……!」ネオは鋭く吐き捨てた。
「怒らずに笑ってくれよ。僕はね。ねえ聞いてる?いつも母に笑えと躾られてきたんだ。笑顔がないとこうやって、いたぶられたものだよ」そう言うとネオの手の甲を思い切り踏みつける。
「ぐあっ」痛みに悶え喉を逸らし、目を見開いた。体を引こうとするも容赦なく手をぎりぎりと踏みつけにされる。ネオは額に開けを滲ませ叫び声を上げた。
「笑え!笑えったら」
愉快な高笑いが響く。恐ろしさから誰も助けようとする者はいなかった。
──憎しみを武器にして生きろ。ネオ。
ドクン。心臓が強く脈打つと、ネオは歯を食いしばった。右手の血管が浮き出て、熱いエネルギーが手指に集中していくのが分かる。
「待て、何を隠している」
異変に気がつき足を退かすと、ネオの手に嵌められている手袋へ触れた。「触るな!」必死の形相でネオは言った。
だが忠告も聞かずにルドは強引に手袋を剥がした。そして平の方へひるがえして見ると、そこには青く光る輪っかが埋めこめられていた。これは機械装置だとルドは察した。触れた温度が人間のものより遥かに高く、暴発寸前だった。それを見たルドはおかしくて堪らず、腹の底から笑いがこみ上げた。
「ひ、ひひひ。お前っ、お前!ロボットを憎んでいるのに、奴らの仲間じゃないか。自分の体に奴らの一部を埋め込んでいるんだからな。全く笑わせてくれるよ。ネオ君!」
ネオはガクガクと痙攣する手をしっかり掴んで抑える。
「とにかく、遊びはもう終わりだ。さあ、寝る時間だよ。おやすみを言え──」
空を斬って振り落とされる足の音が鮮明に聞こえ、歯を食いしばる。右手はそんな己の心身の昂りを緻密に受信し反応をする。掌に熱が集まる。いよいよだ。しかしネオは強く高ぶる猛獣を抑え続けた。
一秒後、頭上からうめき声が一つ聞こえる。痛みはいくら待ってもやって来ない。ゆっくり片目から開くと、白目を剥くルドリッヒが地面に倒れていた。
視線を仰ぐと、銀の髪を夜風に添わせ、真っ赤に燃える両目を光らせる男がそこに立っていた。
「ロッド!」
「甘い。敵に余裕を与えると己の身が危険になる。躊躇うな。こいつは殺しても構わない人間だ」
ロッドは地に膝を立てて座ると、気絶をしているルドの首元へ手を這わせた。
「待て!」とネオは叫ぶ。
「そいつだって人間だ。クズかもしれねえが、人間を殺すのはしちゃいけない事だ!」
ネオは体をゆっくり起き上がらせた。足と手に軽い負傷を負って、ふらついた。幸い、防御に長けているアーマーシールドのお陰で大きな傷にはならずに済んだ。ネオは手を伸ばし、ロッドの手首を掴んで阻止をした。
「殺しちゃいけない。何故」
「それが人間だからだ」
「人間。ロボットは簡単に壊せるというのにか」
ロッドは自分でもこの発言が口から出てきたことに戸惑った。考えて発した言葉ではなかった。ネオの目の色は変わって。
「俺達とアイツらを一緒にするんじゃねえ」
「何が違う。中身か。こいつらには血と肉があり、心があるというのか。人を貶め、苦しめる人間にも心があるというのか」
ホルダーから銃を取り出し、ルドの額へと向けた。ネオは「よせ!」と口を挟む。
夜を切り裂くような、冷たい瞳がネオを捕らえた。その瞳に少しの恐怖心がぞくりと腹の奥を這い上がった。
ロッドはトリガーに指を滑らせようとして一寸惑うと、銃をしまって立ち上がった。
「俺は今、人を殺そうとしたのか」
そうぽつりと言ったセリフの意図を、ネオは理解出来なかった。ただぼんやりと、彼の姿が月に消えてしまいそうなほど曖昧に見えた。
「待てよ。もう俺らの元には帰ってこないのか?」
「…ああ、俺はシヴァを抜ける」
「そうか」
ネオのあっさりとした返事にロッドは引っかかった。
「引き止めないのか。想像の答えと違ったな」
「バーカ」と舌を出して。
「お前なんていない方がせいせいするっつーの」
「そうなのか」
「こんな所抜けた方がいいだろ。世界はでっかいんだぜ!居場所なんていくらでもあんだろ」
「トルネも同じ事を言っていたな」
丘の上で夢を語っていた昼間の出来事を思い出してそう呟く。
「でも、お前が抜けるつもりなら、これ言わなくてもいいんじゃねーかな」ネオは言いながら頭を掻いた。
「何の話だ?」
「テドウ総帥がお前を呼べって。俺はそれだけのためにお出ましになったんだよ」
テドウ。実の父なのに、その名前を聞くと全身が縛り付けられるような緊張感が走る。
「分かった…」
立ち去ろうとした刹那、最後にルドへ視線を投げて告げた。
「頸髄を打っただけだ。数時間後には起きるだろう。ここは政府管轄外だが、お前の功績ならそいつを縄にかける事も出来るだろう。悪いが、ソレを任せてもいいか?」
ネオは胸をどんと叩いてにかっと歯を見せて笑う。
「おう!任せろ。こいつはやり過ぎだ。ロッド、一応礼を言っとくよ。助けてくれてありがとうな」
それから落ちていた手袋を拾い、右手に被せた。ロッドはその一連の様子を横目で見送り。
「その力を使えば、自分の身くらい守れるだろうに」と、理解の出来ない風に言った。
「武器は本当に大切な時に使わなくちゃ駄目なんだ。これは、俺の人生の枷だ。忘れられない、忘れちゃならない憎しみの枷」
どうあがいても過去は消せない。ネオはそのことを身を持って知っていた。
テドウ統帥に拾われたあの日。事件後の心の傷から何日も寝込んだ。そんなネオにテドウはこう提案した。シヴァに入らないか?お前の力を貸してくれ。
最初は何度と拒否をした。もうあんな怖い体験をするのは嫌だったからだ。何度も同じ夢を見る。黒い触手のような機体が母の体に刺さる夢。
「ネオ、助けて。お願い。何で助けてくれなかったの」
起き上がると自分を殺したい憎しみで頭がいっぱいになり、とうとうある日ベッドの上で発狂をした。高い所から飛び降り死のうと思った。上層階にある、バラバラな季節の花が咲く庭園の柵の前で、外の景色をぼうっと眺めた。生暖かい風が気色悪く頬を撫でる。その時女性の声が背中に呼びかけてきた。振り向くと短い黒髪の女性がそこにいた。
「あなた、死ぬの。死ぬくらいならどうして今までそうしなかった?本当は生きたいくせに。生きて復讐をしたいんでしょう。だったら惨めな格好でも、生き抜けば」
切れ長に収まる瞳はどこまでも黒かった。
ネオは抑え込んでいた涙を一気に放出した。泣き終えた体は、汚れた水分が抜けきったような抜け殻な感覚がした。ネオは決意をした。己の右手に憎しみを嵌めこみ、生きていこう。決してその怒りの火を絶やさぬように、ロボットを憎みながら生きようと。
「憎しみか」
ロッドは呟いた。
「お前なら俺の気持ち分かるだろ」
問われてみて、ロッドは己の記憶をほじくり返してみた。脳裏に鮮明に映し出るのは、買い物中に母がロボットに襲われた。母の腕から零れ落ちた花束は血飛沫で汚れた。
「ああ。俺はロボットを憎んでいる」
ロッドは唇を噛み締めて言った。なのに俺はシヴァを抜ける。自分でも自分の気持ちが謎だった。
ロッドは夜の空気の隙間をすり抜けるようにして消えていった。その後先程の老人がネオに近づいてきてルドのことを指して「そいつには重い刑罰を与えてくれ。どうかこの男に死ぬよりも苦しい罰を」と言った。
憎しみに満ちた瞳に自分自身を重ねて小さく頷いた。ルドの両足両手首を拘束し、司令塔の人間犯罪課へ通報をし、一連の映像データとメッセージを転送しその場を去った。
*
東の空を刺しそびえる司令塔。テドウは、総帥室の真下の階の、己以外進入不可の秘密の部屋へ入った。
部屋の中で、薄赤色のスターチスがこの世へ祝福を捧げるかの如く咲き溢れ、中央の台座に横たえる美しい女性は白いドレスを身にまとい、女神のように指を胸の谷間に組んで眠っている。
「随分髪が伸びたな。また切らなくては」
床にまで伸びきった絹糸のような金色の髪を労るように指で撫で梳く。そして愛おしそうにその寝顔を眺めて話しかけた。
「リアン、聞いてくれ。もうすぐだ。もうすぐそこに、遥か過去に覚えた陽の光の温かさがやってくる。私の理想は現実へと近づき、今では手で掴める程に確かになった。全ての願望が叶う時、美しい地球が本来の姿に戻り、私と貴女の二人だけが、永遠となる」
手袋を外すと指先で、生まれた時から変わらぬような滑らかな頬に触れる。それから寵愛を込めて赤い唇へとキスを落とす。
「愛している、リアン。貴女の目が覚める日まで私は決してお休みを言わない」
この世で一番美しい彼女の髪に、花を一輪差して飾る。テドウは汚れなき彼女の姿を飽くる事なく眺められた。そこには純粋な少年の姿があった。
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