第4話 「機械ノ影」
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12歳の頃の事を思い出した。
空から無数の銀の雪が舞い降ってきた。銀の雪は美しさとは裏腹に、地上に着いた途端、人々の皮膚を溶かした。焦げついた臭いが今でも忘れられない。
世の中は争いを繰り返した。地面に腰を下ろしてネオは空を見上げる。
未来が見えない時、いつも自分の人生を振り返る。人生の中で最大の苦痛はあったか?と聞かれたら、はいと答える。それは今この時ですと。
空が、宇宙がどんなに壮大だろうと、人間を救ってはくれない。善人であろうとも、容赦なく鉄槌を下してくる。
「妖精の粉みたい」と、無垢な少年が舞い上がっているのをネオは見た。助けようと声を上げたが遅かった。
少年は、形を保てずに腐り果てた。
「ごめん、ごめんっ……ごめんなさい」
ネオは膝を抱いて体を揺らすと、何かに向かって懸命に謝った。
光を失ってしまった少年の瞳は、最期に大空を見上げていたが、その後少年は空が飛べたのか、ネオには分からない。
震えは止まらない。物陰に隠れながら、ネオは必至に現実を見ないようにした。
「何を怖がってるの?」
無責任な口調をした女の声に、ネオは顔を上げた。 若草色の長い髪の少女が、顔を覗き込んでいた。
「怖くなんかない」
への字口をしながら虚勢を張り、また腕の中に顔を埋めた。
「ウソ、本当は怖いんでしょう。あの雪が怖いの?」
「怖くねェって言ってんだろ。あんなの、ただの薬品だ。当たらなきゃいいだけなんだ」
「ふーん、強いんだね」
ふわりと柔らかい手の感触が髪に伝ったのが分かった。再び顔を上げると、少女は太陽の方に顔を向けてオレンジ色に照らされていた。
「私は怖いよ。死ぬことを考えると」
少女の髪は風に揺らされ、輝いていた。その様子に、ネオは暫く見蕩れていた。
「俺は、男だから……」
「そうだね……。男の子は、痩せ我慢しなくていいのに。いつも頑張ってるんだから。本当に辛い時は、誰かの胸で泣いたっていいの」
自分と同じ歳のように見える少女は、やけに大人びた口調と表情をしていた。ネオはふと肩の力が抜けていくのが分かった。
「怖い。凄く怖い。怖くて怖くて仕方ない」
毎秒聞こえてくるのは、過去に死んだ人々の悲鳴や呻き声。生きている自分に向かって恨めしそうに手を伸ばす人々の映像も過ぎる。
「そう。良かった。あなたも一緒なら恐怖も半分になるわ」
頬に伝う生暖かい液体に、ネオは気づいた。どうして涙が零れてくるのか、理由は分からない。
「怖いのは死ぬ事じゃない」
ネオの瞳は、目の前の光景とは違う何かを捉えていた。
「あいつらと一緒になるのが怖い。段々感情が無くなってくるんだ。日に日に目の前の景色に慣れてくる自分が怖い。人が死んでも何も思えなくなると思うと怖くて堪らない」
心臓が激しく脈を打つ。ネオは頭を抱えて必至に恐怖を押さえ込もうとした。そんなネオの様子を見て、少女ははっきり言い切った。
「大丈夫。そうはならない」
「何でそんな事分かるんだ?」
ネオは、未だ青ざめた顔をして、少女の顔を見あげた。
「そうはならないよ」
「嘘つくな!そんな中途半端な嘘、聞いたって何も届かない」
ネオが叫んだ瞬間、そう遠くない場所でまた誰かの悲鳴が聞こえた。年若い女の子の声のようだった。ネオはまた口を噤んだ。
「嘘じゃないよ」
少女は屈みながら、真っ直ぐネオの目を見つめた。
「今のあなたを知っている私がいる限り大丈夫。私の記憶の中に、今のあなたはずっと生き続けているよ。それに、あなたも今のあなたを忘れられない限り、何があっても自分を見失わないはず」
少女は真剣な顔をして、ネオを見続けていた。
「あなたに、大切な人はいる?」
「いる。アンタは?」
「いる。その人の為なら、私何でも出来るの。そう、思わせてくれるような人なの」
少女は高い場所を見据えていた。視線の先には、空高く聳え立つ司令塔が威風堂々と建っている。その頂点に立つ一人の人物がネオの頭の中に思い浮かんだ。呆れ返るほどに厳格で謎めいた人物の事を。
「テドウ総帥のことか?」
「まさか。私、あの人大っ嫌い」
少女は苦虫を噛み潰したような顔をした。本当に嫌いなのだろう。
「忠告しとくけど、あそこに居る連中はろくな奴らじゃないって話だぜ」
「そんな事無いわよ。単なる噂じゃない」
「落ちこぼれの肥溜めだって、軍人達が話してた。イカれた連中ばっかだって。ロボットを壊す事を快感にしてる奴もいるらしい」
「そう……。でも、あの人は違うと思う」
少女は少し瞼を細めたが、視線はぶれずにいた。この少女は、大分その男に惚れているのだな、とネオは思った。
「あの人は、ロボットと人間の争いを望んでない」
「俺だってそうだ。でも、あそこにいるって事は争いをしてるって事だろ?」
「何もしなきゃ戦争は終わらない。それに、あの人はお父さんに従順なだけなのよ」
「そっか。アイツか」
ネオは小さく呟いた。一人心当たりがある人物がいた。話した事はないが、よく話を耳にしたり、総帥の隣でいつも高い所から喋っているのを目の当たりした事があった。
あの男なら確かに納得だ。自分と違って地位も高く、教養もある。
ネオは勝手な敗北感に駆られて、立ち上がった。
「どこに行くの?今出歩くのは危険よ。暫くそこにいなくちゃ」
少女は、ネオの身を案じた。
「俺みたいな奴の心配をしてくれんのか?」
「もちろん、ダメ?」
ネオは小さく笑み、少女の心情を無視するように、衝動的に建物の陰から姿をさらけ出した。
慌てながらその背中を眺めていると、ネオは踵を止め、振り返った。
「俺もそいつみたいに完璧になったら、もう不安に怯えなくても済むのかな」
ニッと歯を見せて笑って見せた。心は前よりも軽くなっていた。
「そしたら、俺の事もいつか好きになってくれるか?」
「え?」
少女のきょとんとした顔を見て、ネオは満足そうに争いの渦の中を走って行った。
「あっ!」
少女が引き止める暇もなく、ネオの姿はあっという間に見えなくなった。
走りながらネオは明日のことについて考えていた。居ても立ってもいられない衝動に身を任せ、久しぶりに空の形をじっくりと眺めていた。
(未来か。俺は諦めない。俺の未来、絶対に変えてやる!)