第3話「愛するあなたにお休みは言わない.1」
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男の肥大した肉体が歩く度にズシンと振動する。ふうふうと口からは息が漏れ額には汗が滲み、その度にハンカチでしきりに拭っていた。男はテドウの側近のヤマダという学者だ。少々鈍いものの仕事の側面では極めて優秀だった。ヤマダは気が弱く、ロボットの事やロボット政治学、とにかくロボット以外のことに関してはまるで駄目だった。まず目に力がない。丸い眼鏡の奥には穏やかな糸のような目がいつも垂れ下がっている。
「ここ最近でのロッド様の行動について一言申し上げてもよろしいですか?」ヤマダは、統帥椅子に座るテドウにビクビクとした眼を向けた。テドウは床から数センチ程浮いている椅子に足を組んで座っている。
「言ってみたまえ」
政府関連者以外立ち入り禁止、国際ロボ司令塔(international・robot・controltower)の上部に位置する統帥室。扉を開けば真っ先に目に入るのは、最高権力者のみが腰を下ろす事が許される席と、その後ろには部屋半分に及ぶ窓が緩やかなカーブを描いて、空を移している。
「あの、あの。ロッド様は最近任務をお休みになっておられるようです。あのような行動原理はいかがなものかと。い、いい一度検診を受けさせたらいかがですか?」
ヤマダは瞳を左右に散らして、両の指を忙しなく擦りわあわせた。これ程緊張感を覚えるのは塵も埃も一切無い無機質すぎるこの部屋のせいだろう。几帳面で汚れを嫌うテドウ統帥の性格がよく現れていた。
「その必要はない」
「で、でも。僕はロッド様が心配で」
「ふ、心配か。そんな事よりもお前は他にやる事があるだろう」テドウが威圧的にそう言ったのでヤマダは巨体を縮こまらせて、一層両指を擦り合わせる癖が速まった。
「アレの開発は順調です。テドウ様の計画もいずれ遂行できるでしょう。ふひ」
「そうか。お前には感謝しているよ、ヤマダ」
「とんでもございません!ヤ、ヤマダめは、ロッド様を、あっ愛していますので」
その言葉を吐いた時、ヤマダの目には崇拝と寵愛の輝きがあった。
「お前の愛はある種の病気だが、私は仕事を果たしてくれる以上、何も言うまい。これからも頼んだぞ」
「は、はい!ふひひ」
『シヴァBチーム、到着致しました』AIの声が部屋に響いた。テドウは黙って、テーブルに映されるシステムにアクセスし、手のひらをスライドさせて施錠を解除した。ウィーンと自動扉が開く。ネオ達が部屋に入ってきた。統帥席の前に横一列になって三人共並んだ。
退屈な場所が苦手なネオにとってこの部屋は居心地が悪かった。ここにいたらいつか不感症になるだろうな、匂いすら無機質な気がする。そう密かに思っていた。
テドウ統帥を知る者は、皆口を揃えて言う。恐ろしいと。その淡々とした佇まいから、あの人は本当はロボットなんじゃないかと噂もあった。
その場に居るだけで醸し出す厳かな存在感は恐怖心も与えるが、どこか人を惹き付ける魅力もあった。後ろに撫で付け綺麗に整えられた銀髪や、深く刻み込まれた眉間の皺、それから両手に嵌められた真っ白な手袋。それらは完璧主義であり潔癖なテドウの性格を物語る。
そして誰一人としてテドウの心を読み取る事は不可能だった。両目をレーザーグラスで常に覆っているからだ。息子のロッドでさえそのの目を見た事がなかった。
ヤマダはビクビクとして、三人の様子をちらりと見ていたので、ネオは悪戯っぽく笑みを浮かべてから面白半分で「わあ!」と前のめりになって驚かせた。「ひい!」と言ってヤマダは怯えながらネオ達に距離を取る。その様子を見てルウは呆れてため息を吐き、リックは「ネオ!コラ!報告!」と叱りつける。
「へーい」ネオはつまらなそうに返事をした後、背筋を伸ばして大きな声で「Bチーム!リーダーネオ!報告します」と敬礼をした。
「報告を許可する」と、テドウが言う。
「データ通り何事もなく任務を遂行しました」
その報告を聞き、テドウは組んだ手の上に顎を預けながら、少し俯いた。
「そうか。ご苦労。だが、報告をし忘れている件があるな」
「いや別に無いっすよ。壊れたロボットも廃棄所に転送されたでしょう。それに負傷者も出てないし、うん。全て問題ない」
と、ネオが言い終わらぬうちに、統帥は席を立ち上がった。
「嘘の報告をするならお前達全員連帯責任としてペナルティを言い渡す」
三人は黙って口を噤んだ。三人共ペナルティの恐ろしさを身を持って知っていた。脳に映像を直接連携させ精神的苦痛と体感を浴びせられるのだ。ネオが前に経験した時は、その後三日は食事が喉を通らなかった。
「さあ答えろ。リーダー。もう一度報告を。今度は間違えないように」
「知らねーよ」冷や汗をかきながらも、ネオは依然として固く口を閉ざし、食らいつくようにテドウを見据えた。ヤマダはあまりの緊迫感に床にうずくまってぶつぶつと独り言を唱えていた。
チッと舌打ちをし「あのバカ息子が」とテドウが目を背後の窓へと移す。
「何故だ。何故この私の言う事を聞かん!私の顔に泥を塗る気か?」
「あー、あいつも思春期なんじゃねーかなぁ?」
「ネオっ!」
リックはネオを睨みつけた。
「思春期か。青臭い言い訳だな」
テドウは鼻で笑うと、テーブル上に飾られている花瓶の中に一輪咲いている淡い赤の花弁を白い手袋でそっと触れた。その花は寄り添うように懐いているように見えた。
「総帥。ロッドは体調を崩していただけなんです」と、リックがフォローをする。
「貴様らは一体いつまでオシメをしているんだ。全くシヴァも教育をもっと強化しなくては。特にネオ、お前はもう少し大人になる事だ。 仲間を庇うのはいいが、お前にはまだ他人を守る力などない」
耳が痛いセリフに、ネオの心臓は小さく棘が刺さった。
「何だと、このやろ……」
そう言いかけて止めた。代わりにきつく指を結んで掌に食い込ませた。
「統帥室に直接入れるのはそれだけお前達の働きに期待しているからだ。それを肝に銘じておけ。以上で解散だ」
テドウは言うや頭を抑えた。ネオは期待、という言葉が自分に相応しくない言葉に思えた。ネオが扉を出る前に、テドウはもう一つ声をかけた。
「ロッドを見かけたら直ぐにここへ来いと伝えるように。頼んだぞ」
ネオは「はい」と小さく返事をして部屋を出た。
夕暮れを越えたジャポニは、一層明るく華やかな都会となる。道行く人々は眠れぬ夜をまやかす為に、音楽を奏でていた。古き良き楽器の音色。太鼓とラッパとそれから鼓笛。眠れぬ子羊達のパレードが今宵も始まりを告げる。