第6話「器」
「彼のおかげで私の世界は変わった。諦めかけた未来を生きることが許され、新しい世界を見せてもらった。彼には感謝している。それはまだ小さかった私にとって、大きな希望だった」
テドウは瞼を閉じたまま、ネオ達に伝えた。
「私の唯一の、生きる希望」
東風が吹きすさぶ荒野にドウリ達の住まいはあった。と言ってもそこは地下の蔵になる。戦争時に作られたシェルターで、ドウリはそこを拠点にしている。
梯子を使って降りると肉の焼き焦げた香りが鼻孔を擽り鼻先をくんと押し上げる。テドウは思わずぐううと腹の虫を鳴らさずにはいられなかった。
「なんだ。はは、腹が減ったのか」
とドウリに豪快に笑い飛ばされると、どこか気恥ずかしかく腹を抑えた。
「恥ずかしがることはないさ。腹が減るのは生理現象生理現象!」とまた大きく歯を見せて笑い飛ばしながらテドウの頭をくしゃくしゃと撫で乱した。
壁を辿ってトンネルの奥へ進んでいくと信じられない光景が目に飛び込んできた。串に刺さった肉の塊が機械装置でくるくると回りながら自動で焼かれている。テドウは初めて見る光景に目を輝かせた。
「何だあれ。すげー!」
「俺が造った自動肉焼き器だ。凄いだろ。これなら簡単に肉が調理できる。闘いに生き延びる為には精力と筋力をつけないとな」そう言いながら肉焼き器の方へと近寄りしゃがむと十分に火が通っていることを確かめ、電源をオフにした。
「その肉。本当に…人間のないじゃないか?俺をここに連れてきたのはやっぱり、おっ俺を食う気なんだろっ!」
見知らぬこんな小汚い乞食をこんな場所へ連れ出して何一ついい事はない。そう考えるのが妥当だった。テドウはドウリを睨みつける。その目の奥は傷つき、警戒心を帯びている。ドウリは、バカとふた言、真顔で言った。
「お前を食うわけないだろ。そんな痩せっぽっちのガキ」
「っでも、分かんねーだろ!」
ドウリは腰にぶら下げているポーチからナイフを取り出し、片手を棚へ差した。
「そこの棚から皿を持ってきてくれ」
テドウは未だ解けない警戒心に肩をこわばらせながらも言われるがまま、棚の扉を開き少し背の高い箇所にある木彫りの皿を、爪先立ちと精一杯伸ばした両手で奮闘し取り出すや、ドウリにそっと近づいて手渡した。受け取った皿を下に構えて持つと、鋭い刃先で器用に分厚い肉を数切れ落とした。香ばしい香りにドウリは唾液を飲み下してその動作を飽きる事なく見守った。
「ほら。食べろ。遠慮するな」肉の乗った皿をテドウヘ差し出す。
「太らせてから俺を食うつもりなのか?」
「いいから食え。すごく美味いぞー」
テドウは、そう言われると両手で皿を受けとり、肉と睨めっこをしてみたがそれも長くは続かずに、すかさず手をつけてかぶりついた。
「あちっ」
指と口の中の熱も気にするものか。とにかく夢中で目の前の幸福をむさぼった。
「……うまいっ。うまい」
肉汁の他、塩気も口内に広がったのは、噛みしめる度に両の目から涙が溢れてやまなかったからだ。ドウリはその様子を見て充足感に瞼を弛めた。
「もっとゆっくり食え。まだいっぱいあるんだから」
ぐすりと鼻を服の袖で拭い頷く。お腹よりも別のものが満たされていく感覚がして、テドウは涙も服でごしごしと拭きながら言った
「なあドウリ。本当に幸せな未来ってくるのかな」
ドウリは感慨深げに眉の間の溝を刻んだ。
「時に未来は望んでいない形で来る。それは受け入れられない残酷な形かもしれない。だがそれでも俺達は生きていかなくちゃならない。だからこそ器が大事だ。事実を受け入れる器。自分の器を大きくするんだ。俺達人間は弱くて脆い。しかし、だからこそ大切なものを守れるんだ」ドウリは人差し指で、テドウの心臓の部分をトンと叩いた。意志の強い軍人の瞳の奥は限りなく優しい海が広がっているように思え、テドウはその海に抱かれ暖かさを感じた。
「俺にも大切なもの見つかるかな。いつか守りたいものが見つかるかな」
「これからゆっくり見つければいい。見つからないうちは、お前自身を大事にしてやればいい」
「俺自身を…。大事に」緩やかな波のような声を聞いて、段々とテドウの瞼は重くなっていった。
「そうだ。自分を親友のように、家族のように思えばいい。それにお前は俺たちの家族に──」どさり。少年は銀色の睫毛を伏せながら、大きな寝息を立てて眠ってしまった。ドウリはその子供らしい顔つきに安堵し、ふわりと髪を優しく撫でてから、よっこらせと立ち上がって彼を抱きかかえ、自分の寝室のベッドに寝かせた。
布団に沈みながら陽だまりの中を揺蕩う。その時間はまるで悠久のように長く続いた。