その2
話の全容まではもう少しお待ちを…
その2
その後よくよく考えて見てもメリスの頭の中では整理が出来なかった。なぜ裁判もしていないのに自分の刑が決まり懲役20年と決まってしまったのか。
しかし最早そのことをどうこう食ってかかる気力も体力も残っていなかった。 その代わりメリスの中である考えがフツフツと煮え起こっていた。
それは『あの白ウサギに嵌められた』と言う考えである。この監獄送りもあの白ウサギの性に違いない。
(あの白ウサギ……見つけ出して必ず…)
取り調べ室の椅子に腰掛けていたメリスは怒りとも悔しさとも取られぬ感情で拳を固く握り締めた。 それと同時に例の刑事と数人の警官が取り調べ室に入って来た。
「メリス・リベラル。これよりお前をナイネトラズ監獄へ護送する。何か言っておきたいことは無いか?」
刑事が告げる。 メリスは『てめぇのタマキンを握りつぶしてやりたかったよ』と言おうかと思ったがそれをグッと堪えその代わりに尋ねた。
「なんで全ての手順をすっ飛ばして監獄へ送られるわけ?」
刑事はやれやれと言う顔で答える。
「そんなこと俺が知るかよぉ…そう上から指示が来たからそうなんだよ。お前はもう殺人犯になっちゃったわけだ。あぁ〜何にもしてなかったら可愛い可愛いお嬢ちゃんだったからお友達になれると思ったけどお兄さんは人殺しの上に親も面会に来ないようなクソガキなんかとはお友達になりたく無いねぇ…」
「ベッ!」
その瞬間思わずメリスは刑事の顔に唾を吐きかけた。それはもう怒りや苛立ちを通り越し無意識の行動であった。
唾を吐き掛けられた刑事は数秒静止した後ニコニコとした笑顔のまま鼻の先に付いたメリスの唾を指で拭き取りそのままメリスの頬っぺたにグリグリとなすりつけた。
「ま〜だ自分の立場がわかっていないようだねぇ………」
刑事はニコニコとした笑顔のままメリスに近づき
「てめぇはただの人殺しなんだよっ! このクソガキがぁっ!」
表情を豹変させメリスのみぞおちにフックを叩き込む。男性、しかもかなり鍛えられているはずである刑事のボディーブローをもろに食らったメリスは前かがみになったままその場に血液の混ざった液体を嘔吐した。
「連れて行け…」
床に撒かれた自身の吐瀉物をボヤけた視界で眺めながらメリスは取り調べ室から無理やり連れ出された。
そこから車に乗せられ何処かへ連れて行かれた。メリスが乗せられた無論護送車の後部は窓などあるわけがなく唯一取り付けられた天井の電灯だけが明かりであった。
自分は一体どこへ連れて行かれるのか…メリスは不安で堪らなかった。口の中には先ほど嘔吐したものが少し残っており気分が悪い。がそれと同時に俗世からしばらく離れると言う事実に何処か興奮気味でもあった。刑事も言った通り自分が逮捕された時父親は愚か母親すら面会に来なかった。 上等だ…と思った。しばらくあんな奴らと会わなくて済むのならそれはそれでラッキーだ。そうとさえ思った。
「お前ナイネトラズへ送られるのか?」
自分の両サイドで銃を構えていた警備員の1人が言った。
「それがどうしたの…」
メリスは呟いた。
「気をつけろよ。お前みたいな年頃の女が無事でいられるような場所じゃあ無い」
脅しか、メリスはそう思った。
「あっそ……どんな場所でもいいわ。こんな腐った世界からおさらば出来るし」
メリスは強がって言ったつもりだったがあながち本心でもないことも無い。警備員は少し笑って言う。
「腐った世界の方がいいと思えるようになるかもな。こっちは腐ってるだけだがあっちには腐ったゴミを食うネズミ、いや野良猫がわんさといるからな」
「…それに……」
警備員が言い終わったあとメリスはまっすぐ前を見つめながら呟いた。
「ん?」
「……それにどんな場所であっても強く生きてやる…」
沈黙が流れた警備員は少し笑った。その笑顔は馬鹿にしたような笑顔ではなくどこか優しい笑顔であった。
「強く生きろよ……気に入ったよ出てきたら会おうぜ、俺はダスク・ディメンジャーだ」
メリスは突然名乗ったこの男を横目でチラリと見て溜息を付き
「バーカ…」
と言った。
男は
「フッ」
と笑った。
「降りろ」
と言われメリスは手錠をしたまま護送車を降ろされる。目の前にそびえ立つ巨大な倉庫のような建物。何処からともなく漂ってくる磯の香りがメリスの鼻を付く。その臭いにメリスは顔を顰める。 彼女は磯の香りが嫌いなのだ。幼少期から魚など魚介類の類であたり生死を彷徨ったと言う理由もあるのだろうがそれよりも子供頃海で溺れかけ誰も助けてくれないと言う恐怖を感じたのが大きいのであろう。
(そう言えば助けたのは父さんや母さんじゃなくてあの時は気がついたら沖に上がってたっけ……父さんや母さんは私が溺れていることを知ってるはずなのに……)
耳元をあの頃と同じザザァーッと言う波の音が掠めた。 ここは海の近くなのか…メリスは改めてこの場所がどこなのか確認する。
何処からどう見てもメリスの持っている判断知識ではここは港だと言うことしか分からなかった。
「ここが……監獄なの…」
あまりにも想像とかけ離れていたその姿に思わず声を漏らす。
「馬鹿、ここは港だ」
先ほどのダスクが後ろから言った。
メリスもそりゃそうかと納得する。
「お前はここで船を待つのさ」
ダスクが護送車を締めながら言った。
「船…?」
「ああそうだ。囚人の間じゃ方舟と呼ばれてるけどな。着いてこい」
メリスは前を歩き出したダスクに続く。メリスの後ろには数人の警備員が銃を構えて付いてくる為逃げ出そうなどと言う馬鹿な真似は出来ない。
「ここで時間まで待機だ。中へ入れ」
メリスが入れられたのは石造りの小さな小屋であった。内部には古ぼけた椅子が一脚だけありなるほどここはその方舟を待つ場所としてずっと使われて来たのだなとメリスは納得した。しかしやはりここにも窓は無かった。ここに窓があればもうすぐ海の彼方の地平線へ沈んでいく夕陽を眺めながら俗世から離れて行く哀愁に浸れたであろう。
部屋はなんとも殺風景で薄汚れておりメリスの気分をさらに下げさせた。
「では時間になれば呼びに来る」
そう言うと小屋のドアがバシャンと閉められ同時にガシャンと鍵を掛ける音がした。 せめてダスクが喋り相手になってくれればな…と不意に思った自分自身に少し赤面し、赤らめた顔を誰に見られるでもないのに隠そうとしたが手錠を掛けられていた為無理であった。
「私はレズビアンなのに……」
部屋には時計がない為にここに閉じ込められ何秒何分何時間いや何日経ったのかすらも分からなくなった。 しかしメリスは尿意がまだ来ていないことからさほど時間が経っていない考えた。
もしかすればこれが監獄なのではないのか? そう言う昔ムービーシアターで見た低予算のカルト映画の脚本のような考えを浮かべて自分で笑った。
時間も分からず何もすることが無いと言うのは意外に辛いのだと言うことをメリスは初めて知った。 ハイスクールではこうもボーッと時間を過ごすことが無かったから無理はない。
ふと自分の足元を見つめる。 足元を小さなゴキブリが横切ろうとしていた。
メリスは表情を変えず足を上げそのゴキブリを踏み潰そうとする。 特に理由は無い。読者諸君もこう言う状況に置かれたら自分の足元を歩く健気な虫を踏み潰したくなるものなのだ。 もし絶対そんなことは無いと言い張る読者がいるのならそれぐらいしかすることが無いほど暇であったと考えてほしい。
メリスは一思いに無感情のままゴキブリへ足を落とす。
その時で有ったーーーー
「メリス・リベラル…まあそのゴキを潰す前に僕とお喋りしないか?」
「えっ誰⁉︎」
メリスは足を上げたまま辺りを見回す。
「僕のことはもう知ってるはずだ」
姿は見えないが声が聞こえてくる。
「まさか……ゴキブリ⁉︎」
メリスが驚いたようにゴキブリを見る。
「まさか…僕はとっても偉い人間だぞ。そこらのゴキブリなどとは偉さが違うのだ」
そりゃそうか…とメリスはまた思った。
「で、あなたは誰なの…悪いけど私からは姿が見えないんだけど」
「ああそうか。ごめんごめん、このままでは分かり難かったかな」
何者かがそう言うと同時に部屋の隅の暗闇に白い棒のような物がクッキリと浮き出すように現れた。 注意してみるとよく分かるがそれは白いニッコリと笑った時に見える歯であるコトが分かった。 人間の歯であると認識すると同時に歯の上に2つの球体が出現した。 目玉である。 そしてじわじわと全身が現れる。 その姿は猫耳付きのフードを被った男(男と断定出来るものは無かったが声質が男であった)が現れた。 その顔立ちを見ても男か女かは分かりづらい極めて中性的な顔立ちであった。
「あなたは一体何者なの……?」
メリスは恐怖と興奮が入り混じった声で言った。
「僕の名前はチェーシャ」
男は名乗った。
「それはファーストネーム?それともミドルネーム?」
「さあね。チェーシャはチェーシャ。それ以上でもそれ以下でも無い」
「まあいいわ。で、そのチェーシャさんが何の用?」
メリスは恐らく自分と同じ監獄へ護送される囚人だと思った。
「君はウサギを探してるんだろ?」
「知ってるの⁉︎」
「誰を?」
「ウサギをよ!あなたがさっき言ったじゃない!」
「そっか。まあいいや。君もあのウサギに嵌められたんだねぇ。かわいそうに」
チェーシャはクルクルと室内を回りながら言う。
「やっぱりあのウサギのせいなのね」
「でももうワンダーランドへ行くと言う運命は変えられそうに無いね…彼処には狂気の全てがある。 殺しも麻薬も酒も女も…君みたいな女の子が行くようなところじゃ無い。でも仕方が無いよ。それが運命だ。あのウサギが悪いんだ」
「ウサギの居場所を知ってるんなら教えて」
「知ってどうする?」
「復讐する」
「へー面白いね君。ウサギに会いたいんなら…」
チェーシャがそう言いかけた瞬間、部屋の鍵をガチャガチャと回す音が室内に響いた。
「会いたいんならどうするの! 早く言って!時間が無い!」
メリスが焦りチェーシャに言う。
「時間はたっぷりあるさ…」
チェーシャはそう言うとメリスの背後に回り後ろで掛けられた手錠の手を持ち上げ何かをメリスの腕にはめ彼女の耳元に顔を近づけ後ろから囁いた。
「これが君を救うはずだ。気をつけろ…彼処にいるやつは全員イカれてる。また島で逢おう…」
「待ってまだ何も…」
メリスが後ろを振り向いた時には誰の姿も無かった。
「おいどうした? 誰と話してる」
鍵を開けたダスクが言う。
「え、今ここに…」
「はぁ? 何言ってる。時間だ船が着いた。方舟がな」
ドア越しで見える外は真っ暗だった。
ーー続くーー