新入り参入
疾風は制服のポケットから鍵を取り出すと鍵穴に差しこみ、回す。それから「第三班」とプレートのかかった部屋の戸を開いた。
その部屋は教室の半分ほどの広さの部屋で、中央に机とパイプ椅子数個、ガラス戸の付いたスチール製の本棚にファイルと本がいくつか入っている以外は、何もない。
「班」というのは学園長から妖魔狩りを認可された生徒たちの区分けで、五行院学園高等部には全部で五つの班があり、妖魔狩りの際には緊急時を除き班ごとに行動するのを基本としている。
普通は班といえば四、五人のグループで動くのを常とするが第三班は上級生が抜け、そのままだったので二人しかいなかった。
本来は班長である碧が鍵を持つのだが、「失くしそうでやだ。疾風よろしく」という理由で疾風に任せていた。
疾風が部屋の引き戸を開き、中に入ると無人のはずの部屋に先客がいた。
文庫本を読みふけっていたが、戸をあける音に反応して立ち上がり、疾風たちに向きなおる。
その子は特別教室で疾風のことをいろいろと質問してきた小柄な子だった。
「……今日からこの第三班でお世話になる、一年二組の倉敷胤です。よろしくお願いします」
疾風と碧は呆気にとられた。彼女の胸に菊の花と班番号の三が意匠された銀製のバッヂが付いている。
「ひとまず、詳しく話を聞かせてもらいましょーか」
碧と疾風、胤は長机を挟んで座っている。
碧は長い足を組み、白魚のような指を太腿の上で組んでいる。
疾風は背筋を伸ばし両手を軽く握って膝頭の上辺りに乗せていた。
胤は小柄な体をちょこんと椅子の上に乗せ、やや背中を丸めていた。
「……話せることは話す」
自己紹介の時の丁寧な言葉遣いは初見時のどこかぶっきらぼうな言葉遣いに戻っている。
「班に入るってそんな簡単なことじゃないはずよ? あたしだって高等部に入ってから色々と特別試験とかあったのに、四月からって早すぎない?」
碧が感じた第一の疑問はそれだった。一年は今日が最初の授業のはず。妖魔狩りの試験を受ける暇などなかったはずだ。
「……高等部に入ってすぐ、妖魔狩りの班の第一班に入ることが決まっていた。試験と書類審査は中等部の春休みに受けた。それを急遽この第三班に変えてもらっただけ」
「第一班って」
疾風はその名前を聞き羨望と、胸の奥がざわざわするような嫉妬が湧きあがってくる。
第一班は別称「エリート班」とも呼ばれ、最精鋭の生徒だけで構成されている班だ。余程の魔力と実績がなければ選考にすらかからない。
碧も学園きっての才媛と言われたので推薦はあったが、先輩とトラブルを起こしたために第一班への入班は取りやめになった。
「そこに推薦があったのも凄いけど、なんでそれを蹴ったのよ?」
碧の質問に、胤の顔にやや影が差す。
「……大人の言うとおりにするのが癪だった、っていうのが一つ。それと青葉先輩にはもともと興味があったから、できるなら第三班に入りたかった。親や中等部時代の教師も第三班なら、って許可してくれた」
「あたしに興味、ね……。ほかの下級生との温度差を思い出すと、とても本当には思えないけど」
碧は顎に手をやりながら返答する。
「……本当。学園始まって以来の才媛と謳われる魔力、複合魔法、それにその美貌。興味はつきない。一日中一緒にいたい」
眉一つ動かさず、声の調子が全く変わらぬままに胤は言ってのける。
「本心なのか冗談なのか、判別がつきづらいね」
疾風は苦笑するが、碧は驚愕と警戒心を一度に表情に浮かべた。ソプラノボイスが一オクターブ低くなり凄みを伴う。
「あなた、どこでそれを知ったの?」
「……情報のソースは教えられない」
疾風は事情が分からず、胤と碧の間で視線をさまよわせる。
碧は必死に腹を探ろうとしているのか、狩人のような鋭い視線を胤に向ける。
だが胤は蛙の面に水といわんばかりの表情でそれを受け流す。
「……まあそれはそれとして」
胤は背もたれに深く背中を預け、かすかに声の調子を緩ませる。肌に刺すようなぴりぴりとした雰囲気が少しだけ弛緩した。
「…それと、もう一つ理由がある」
胤はそこで疾風に視線を向けた。
「……疾風先輩にも興味を持った」
疾風と碧は、揃って目を丸くした。
「なんで、僕なんかに?」
疾風は今までの学園生活を省みるが、自分が注目に値されるような覚えは何一つとしてなかった。魔力は留年すれすれな上に大会に行ったとか、コンクールで入賞したなど課外活動でめぼしいものもない。
「……青葉先輩と同じ班に唯一所属している男子生徒と聞き、入学前からいろいろと調べた。二年になっても基礎の基礎の魔法しか使えない」
事実を冷厳に指摘してくる胤の言葉は、ぐさぐさと疾風の心に突き刺さる。
「……にも拘らず才媛と名高い青葉先輩と同じ班に属している上、妖魔狩りの許可を学園長から貰っている」
「……許可が下りた理由を荒垣先生から聞いてみた。青葉先輩と組ませることで青葉先輩の能力を引き出せる、というのが大まかな理由だった。詳しく聞いてみると、青葉先輩の立ち位置や死角にいち早く潜り込み、妖魔をかく乱・陽動する能力に長けているということ。前回のクラゲ型の妖魔との戦いでも、その能力は如何なく発揮されたと」
「そんな凄いものじゃないよ」
疾風は気恥ずかしくなって頭を掻く。自分は足止めしただけで、妖魔に傷一つつけられなかった。とどめを刺したのはすべて碧の魔法だ。
「……でも伝聞やレポートだけでは真実には迫れない。戦場の呼吸というものは同じ場所に立ってみなければわからない。青葉先輩のパートナーに選抜された、疾風先輩という人間を知りたい」
「疾風を、知りたい、ね」
碧は胤に対し睨むような視線を向けた。
場の雰囲気が刺々しくなるが、疾風には理由がわからず、碧とともに胤へと視線を向ける。
初めて出会った時や、二度目のときは詳しく観察する暇がなかったがこうして改めて倉敷胤という少女を見てみると、相当な美少女だ。
背丈と胸は人並み以下。発育不良といってもよいかもしれない。だがそれ以外はとびぬけた容姿といっていい。
髪の艶は鏡のようで、肌は処女雪のように白く滑らか。他人を寄せ付けないような雰囲気をまとっているが、長い睫毛、その下の円らな、幼げな瞳。
口調や雰囲気と外見がアンバランス、というのもミステリアスな魅力を持たせていた。
こうして胤と目を合わせていると胸の奥が熱く、鼓動が速くなってくる。
ふと横から視線を感じて目を向けると、碧が仏頂面でこちらを見ていた。
「碧、どうしたの?」
「べっつに~」
碧はぷいと顔を背けてしまった。
それから視線を胤、次に疾風へと向け唐突に宣言する。
「疾風、この子はあたしたちの第三班には入れないわ。班長命令よ」
「なんで?」
「なんで、って……」
碧の顔から先ほどまでの仏頂面が消え失せ、急にあたふたとしはじめる。
「今まで何か月も二人でやってきたのよ、そこにいきなり人が入り込んできたらチームワークが乱れるわ」
「……それは三人で訓練を繰り返せばいいだけの話。他の班は四、五人いるからそれよりは連携が取りやすいはず」
「うっ」
もっともに見えた碧の反論も、胤は瞬く間に封じてしまう。
「まあ誰かさんはこの子にご執心のようだから、肩持つんでしょうけどねー」
「ご執心?」
急に話の矛先を向けられるが、疾風は意味が分からずきょとんとする。
「この朴念仁」
「……疾風先輩は了承した。それに顧問の荒垣先生の了承も得ている。班長一人で覆すことは不可能」
胤は淡々と、理路整然と反論してくる。
碧は渋々ながらも両手をあげて降参のポーズをとった。
「わかったわよ、認めるわ。胤、あなたは今日からこの第三班の班員よ」
碧の了解が得られたところで疾風は胤に右手を差し出した。
「というわけで、よろしく。倉敷、さん」
「……胤でいい。後輩なんだから。それに倉敷って苗字が好きじゃない」
疾風は差し出した手を危うく引っ込めそうになった。それまで淡々とした態度しか取っていなかった胤が、急に吐き捨てるような口調になったからだ。
「わかった、じゃあ、胤ちゃん」
だがそう言って握手を交わすと、すぐに元通りの口調に戻った。碧とも握手を交わす。
その直後、ポケットに入れてある携帯が震動した。着信やメールの震動とは明らかに違う、大きく、激しく、不快な振動。
疾風と碧は一瞬で意識を切り替えた。
「妖魔狩りよ。場所は、うちの校庭」