一年との合同授業
二時間目の授業が終わった後、疾風の在籍する二年三組は全員が筆記用具をまとめて教室を出た。他のクラスからもぞろぞろと生徒が出ている。階段を降りて一年の階に差しかかると一年生も同じ目的地へ向かうところだった。五行院学園の生徒は上履きの色で学年を分けているので一年だとすぐにわかる。
百人近い生徒が皆、同じ部屋へと入っていく。
そこは一般教室とは違い、黒板と教卓のある前方が一番低くなり、生徒が座る席は教卓から離れるごとに高くなっている階段教室だ。机は教室と違い固定式になっていて机の落下防止措置が取られていた。
教卓には木の枝、火のついた蝋燭、シャーレに入れられた土、真鍮のような色の金属片、コップに入った水が置かれている。
百人近くの生徒が着席すると、直に教師の荒垣が姿を現した。薄汚れた背広を羽織い、手にいくつか教材を抱えている。
号令をかけて授業を始めると、早速自己紹介をした。
「わしがこの魔法基礎理論・実技の担当の荒垣雷電だ。この授業は一・二年合同で行っている」
自己紹介を淡々と終えた荒垣は早速授業に入る。白墨を手にとって黒板に文字を書き始めた。
「この世のものは科学的にいえば百数十個の元素、或いは素粒子からできているが魔法学の考えでは木火土金水の五つからなると考える」
荒垣は教卓に置かれていた木の枝、蝋燭の火、土、金属片、コップを指さす。
「そして物質が存在するには気や魔力と言ったものが常に通っていなくてはならない。生きた人間には必ず血液が流れているのと同じ理だ」
「こういった考えは、日本語にも元気があるとか気合が入るとかいった形で残っているし、東洋医学にも同じような考えがある。そういった気や魔力を詠唱と共に練り、操るのが魔法と言う技術だ」
「まず体内で魔力を練る」
荒垣の雰囲気が変わる。怒っているわけでもないのに凄みを帯び、教室中にピリピリとした雰囲気を撒き散らす。
「次にその魔力を体外へ出す。このとき必ず自分で発動条件を決めておくこと」
荒垣の体表を木属性の緑色の魔力光が覆った。
「そうしないと感情が高ぶったり、寝ている最中に魔法が出たりする。実際、妖魔が出現した当初のカリキュラムでは喧嘩の最中無意識に魔法が出たり、寝ている最中に火を放ってボヤが出たりした」
「この魔力光を用いて木火土金水に分類される事象を起こすわけだが、その前に魔力光の扱い方にコツがある。そこは生徒に実演してもらうかな。二年、青葉碧。前へ」
青葉の名が出た途端、一年生はガヤガヤと騒がしくなり始める。五行院学園の授業は中等部と高等部に分けて行われ、校舎も離れているため碧の魔法を目の前で見るのは一年にとって初めてだった。
碧は面倒くさそうに立ち上がると腰まで流れる黒髪をたなびかせ、教壇へ降りていく。
壇上の荒垣の隣に立つと軽く一礼した。
碧は挨拶もそこそこに、早速実演を開始した。他生徒たちのざわめきはまだおさまっていない。
「五行の一つ、万物を灰燼へ帰すもの……」
詠唱と同時に赤い魔力光が親指と人差し指を伸ばした碧の両腕を包み込んでゆく。その光はCGでも立体映像でもなく、生身の人間が自分だけの力で創り出している。十数年前には有り得なかったことは今、常識として認められるほどの現実となっていた。
「八卦を空間にて成せ、幾何に沿え、」
碧は更に詠唱を続けていく。手を包んでいるだけだった眩いばかりの魔力光は碧の掌から少し浮いた空間に流れるように集まっていき、卓球のボールほどの小さな球形へと姿を変えた。
球形の魔力の塊は皺ひとつ、歪みひとつなく、磨き抜かれた宝石のように滑らかで、それでいて淡い魔力の光が幻想的に放たれていた。
始めはガヤガヤと騒いでいた生徒たちは、今水をうったように静まり返っていた。
「戻れ」
碧のストラディバリウスを奏でるが如き最後の詠唱と共に、卓球のボールほどの大きさだった魔力の球体は段々と縮んでいき、点となり、そして跡形もなく消滅した。
碧は桜色の唇から軽く息を吐き、一礼した。
パチパチ、と生徒たちから一人二人、拍手が聞こえるとそれは瞬く間に全員に広がって万雷の拍手となった。
拍手が止み、碧が席へ戻ると再び荒垣の講釈が始まる。
「今見たように魔法と言うのは決まった手順がある。最初の詠唱で木火土金水いずれかの魔力の『種類』を決定する。続く詠唱で『形状』や『対象』、『方向性』を決定していくわけだが、今の魔法は『形状』のみに限って操作した」
「『形状』操作は主に魔法の威力を決定する。そして『形状』のうちでも今青葉が見せた完全な球体は最難関だ。中心から一ミリのずれもなく、上下左右三百六十度あらゆる方向へ魔力を引きのばす必要があるからだ。では各自、やってみること」
他の生徒も座ったまま机の上で魔力を練り始める。手の形は指を伸ばしたもの、正拳のように握りこんだもの、片手や両手などいろいろだ。
手の形は魔法の種類ごとに決まっているわけではなく、魔法を発動する際のサイン、精神集中のための手段であり、各人が最も自分に適した手の形を探らなくてはならない。そして一度決めた手の形は通常変えることはない。「この手の形なら魔法を使う」と自らの意識と無意識に叩き込むからだ。
多くの生徒の魔力は不恰好な立体を描いたり、四角形や六面体などの単純な形になる。
碧とは違った結晶のような立体を創り出した生徒も何人かいた。それらの生徒は詠唱もスムーズで、魔力の流れも淀みない。だが完全な球体を創り出せたのは碧一人だけだった。
「先生!」
各自の魔力光実技が終わった後、一年の一人が質問した。
「魔法は五行の理論で説明されてるのはわかりました。ですが、昔から伝わる魔術や呪術はどうなってるんですか? 霊能力とかは?」
「いい質問だ。いくつか代表的なものを紹介する。まず、予知は完全に五行の外だ。テレキネシスは五行に組み込める。魔法にも火をおこしたり、土や水を動かす魔法はあるからな。霊は魔法の範囲外で、まだ研究中だ」
「大学まで行けば魔術や呪術を研究する部署もある。そちらに興味を持つのなら行ってもいい。もしくは使い手に弟子入りしてもいい。だが魔法と違ってある程度の才能があるものなら必ず使えるようになるとも限らんし、魔法の才能と魔術の才能は違う。魔法で大学の教授になったものが魔術はさっぱり使えなかったというケースは珍しくない」
「せっかく五行院学園に入ったのだ、まず魔法を極めることをお勧めする」
それから一通り荒垣が魔術の基礎理論を講釈したのち、チャイムの音で授業は終わった。
授業が終わるや、下級生の女子が数人群れをなして碧の席へと駆け寄ってくる。
「凄いですね! あんな綺麗な魔力の塊は初めて拝見しました!」
「私、青葉お姉さまに憧れてこの学園に来たんです!」
女子たちは次々と賞賛の言葉を投げかけてくる。はじめは一人ひとりの顔を見ながら微笑して聞いていた碧だったが、すぐに気だるげな表情をして視線を合わせなくなった。
「そのクールな表情、素敵です!」
「そこにシビれて、憧れます!」
「御趣味は? 好きな食べ物は何ですか?」
下級生女子たちの表情はいつの間にか紅潮し、いつのまにか碧はお姉さまになり、お見合いにまで発展している。
「私を青葉お姉さまの下僕にしてください! 踏みにじって罵って下さい!」
頬を染めて俯きながら、大声で断言した。碧は頬杖をつきながら生返事をして軽く受け流している。
「学生の身分でもう妖魔狩りをされているそうですね! お仕事のパートナーはおられますか? まだですよね、そうですよね! 私をパートナーにしてください!」
黙って聞いていた碧が初めて口を開いた。
「残念だけどパートナーは間に合ってるの。ほら、そこのそいつ」
碧は隣の席を人差し指で指さす。そこには碧の隣に座っているのに今の今まで全く無視されていた疾風が座っていた。
初め訝しげに疾風を見ていた下級生たちは、碧と同じ班番号の退魔師見習いのバッヂを見て声を上げた。
「この人が青葉お姉さまのパートナーですか?」
「うっそー。全然そんな風に見えない、どう見ても人並みで凡人」
「でもこんな平凡そうな外見と雰囲気でお姉様のパートナーを務めていらっしゃるということはきっとすごい人なのよ」
「うんうん。見た感じ地味で平凡で存在感も薄いけど、きっとものすごい力が……」
「お名前は?」
「……梔子疾風。植物の梔子に、しっぷう、って書いてはやて」
「疾風。わざわざ律儀に答えることないでしょ」
碧の肘が疾風のわき腹をつついてくる。碧は疾風の手を引いて強引に立ち上がらせた。
「こんなの放っておいて行くわよ、疾風」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
そのまま出口に向かおうとした二人を下級生の一人が引きとめた。
「なに? あたしたちこれから忙しいんだけど」
碧は目をすがめて下級生を睨み付けると、下級生は体を震わせて視線をそらす。
「す、すみません」
下級生たちは一転、疾風に頭を下げる。
「でも碧お姉さまのパートナーを務めておられるほどの先輩なら、きっとすごい魔力を秘められているんですよね」
「さっき授業でやった魔力光を練るのをやってみてください」
「お願いします」
下級生たちはこぞってお願いしてくる。
「なに言ってんの、あんなこと言われて誰が承知するわけ……」
「いいよ」
碧の声を遮って疾風が承諾の返事をした。
「ちょっと疾風、なに言ってるの? どうなるかぐらいわかってるでしょ?」
「うん」
疾風は諦めたような、悲しいような表情を浮かべた。
「でもいずれは耳に入ることだろうし。それなら今ここでやって見せてもおんなじじゃないかな」
「わかった。疾風がそこまで言うなら、もう止めない」
碧は不安げに声をかけながらも引きさがった。
「五行の一つ、万物の実り……」
疾風は五指を伸ばし、やや掌側へすぼめて詠唱を開始した。下級生たちは固唾を呑んで成り行きを見守る。
疾風の右手を「木」の魔力である緑色の光が包み込みはじめ、光る陽炎が右手を覆うようになる。
下級生たちからは少しずつ感嘆の声が漏れ始めるが、碧は不安げにその様子を見つめていた。
疾風は詠唱を続けていくが、碧のように魔力の光が球体を描くこともなければその他の生徒がやったような結晶状の形を描くこともない。
魔力の光が手を覆う、初期の段階どまりだった。
「戻れ」
疾風の右手から光が消えた。
「僕ができるのはここまでだよ」
「え?」
下級生たちは唖然としている。
「それくらいなら、私たちでも出来ますよ?」
早速数人が詠唱を始め、手を色とりどりの魔力の光で覆っていく。拙い形ながらも立体を描ける下級生もいた。
「それ、魔力の形状をほとんど定めてないじゃないですか」
「……能ある鷹は爪を隠すと古から言われる。けど出し惜しみは良くない」
多くの目が期待から失望に変わっていく中、一人だけ表情を変えず、抑揚のない声で発言した下級生がいた。
下級生の中でもとりわけ小柄な子で、身長は疾風の胸くらいまでしかないので首を反らせて立った疾風を見上げていた。あどけない顔立ちをしているが円らな瞳の奥には強さを宿している。腰元まである髪を頭の左右で縛ってツインテールにしていた。
「そうだったら嬉しいけど、本当にここまでだよ」
疾風は小柄な子に目を合わせて苦笑いする。小柄な子は疾風の目を見つめ返すようにして覗きこんできた。無表情なままなのに、目の前のすべてを読み取ろうとするかのような目。
「……その魔力光……、いや、なんでもない。それよりその魔力で青葉先輩のパートナーを務めているのはなぜ?」
小柄な子はこの女子たちの中で唯一、碧をお姉さまと呼ばなかった。
「それは……」
疾風は口ごもる。自分より優れた魔法の使い手ならいくらでもいる。
「骨があるからよ、妖魔狩りに魔力だけでやっていけるわけじゃないわ」
碧が代わりに答えた。
小柄な子は碧の瞳も見つめる。
「本当に?」
「そいつの言っている事は本当なの」
いつの間にやって来たのか、下級生たちの後ろに立っていた藍が口を挟んできた。
「わたしはナイチチや落ちこぼれ……、いえ碧やその男と同じ組で、一緒に授業を受けているの。そいつは学年中でも落ちこぼれ、本当に基礎の基礎しか使えないの。嘘だと思うなら教師連中にでも聞いてみるといいの」
疾風の魔力に対しまだ期待している色を見せていた何人かの下級生も、同じクラスだという藍の言葉ではっきりと見切りをつけたようだった。
疾風を見る目の色が期待から失望、蔑み。そういった視線に変わる。
疾風は居たたまれなくなるが、それでも視線から逃げずに真っ向から受け止めた。
「行くわよ」
碧が疾風の手を強引に引き、立ち上がらせる。筆記用具とノートも持たせると、そのままその場を立ち去ろうとした。今度は誰も止めようとせずに蔑むような憐れむような目で疾風を見つめていた。
「……そんなことない」
唯一、碧を先輩と言わなかった小柄な子だけが泰然と言い放った。
「……あなたはそれで終わるような人じゃないと思う」