独占欲は夢に仕舞い込んで
このお話には男性同士の恋愛っぽい表現が含まれておりますので、閲覧の際はご注意ください。
ニギハヤヒの目に留まったのは、三本足のカラス。
ヤタガラスという種族のそのカラスは、全身が白く、ワカミケヌ以外の者から、忌み嫌われていた。
ワカミケヌ……若様と慕われる御方の許で、ニギハヤヒは過ごしている。
ワカミケヌは国土統一のため、長い旅をしていた。
その途中でニギハヤヒはワカミケヌと出逢い、旅に同行することとなった。
ヤタガラスは白いことを気にしており、仲間内からちくちくと皮肉を言われ続けていた。 カラスといえば黒いのが普通である。しかし、彼は白い。
気味が悪い、化け物だ、邪神の使いだ、若様を破滅へと導こうとしている――挙げればきりがないほどの、いわれなき罵倒だ。
ニギハヤヒは、そのヤタガラスを気味悪がることはしなかった。逆に、惹かれた。
そのヤタガラスは人の形に成ることができた。その姿は、凛々しく美しかった。
透き通った白髪も、きっと睨み付けるような鋭い眼差しも、つねに握りしめられた細い手も、何色にも染まらない、純白の翼も、すべて、すべてが、ニギハヤヒを魅了した。
だが白いヤタガラスは、ある日その白さを、黒く塗りつぶした。
仲間に罵倒されつづけ、我慢の限界がきていたらしい。
全身に黒の染色剤を浴びせ、黒色になった。ニギハヤヒとワカミケヌは、それを大層悲しんだ。この二人だけは、白いヤタガラスの白さを、素直に美しいと感じていたからだ。
ニギハヤヒは、白いヤタガラス――白と呼んでいるそのカラスを気に入っていた。
白もまた、ニギハヤヒを信頼していた。
遠征中は、宿があればそこに泊まらせてもらうが基本は野宿だ。
せせこましい天幕に、男どもが雑魚寝する。
白は、ニギハヤヒに信頼を寄せる前は近場の木の枝で寝ていた。カラスだからというのもあるが、白は人間、特に男を避け嫌っていた。
だからワカミケヌやニギハヤヒ以外の者からは必ず距離を取る。就寝も、基本は天幕の外だ。
そんな白が人の形をとって、ニギハヤヒの天幕に来るのは、決まって雨の日のことだった。
「ハヤ」
ニギハヤヒは、ふいっと後ろを振り向く。気まずそうに視線を落としている白が、そこに突っ立っていた。
「白か、どうした」
「ここで寝かせてほしい。外は、大雨だから」
ああ、とニギハヤヒは納得した。
白は、全身を黒く染めている。人の形を取っている際は、黒く染まっているのは髪だけだ。
手入れの行き届いた、さらさらの髪は肩より少し下まで伸びており、ひとふさ三つ編みに結っている。
黒く染めるまでは、頭巾でその髪を隠していた。
染色剤が落ちるのが嫌で、白はこうしてニギハヤヒの元へやって来る。
落ちやすい染色剤を使っているから、雨で簡単に黒が落ちる。
風呂に入る際、白は誰にも見せない様、深夜にこっそり入る。
ニギハヤヒは天幕の入口から、そっと顔を出す。
外はどんよりと鈍い暗闇に包まれている。雨音はやや強い。あんな雨に全身をうちつけられたら、白はたちまち元の白色に戻るだろう。
「雨か」
「頼む。ほかに、気を許せるものがいなくて」
「かまわんさ。ほれ、横になんな。寝心地は保証すんぞ」
「……いつも、世話をかける。狭くないか? 烏に戻ろうか?」
「いや、いいよ。ひっついて寝てりゃ狭さなんぞ忘れる」
「うん……」
白はもぞもぞと布団に潜り込む。
可笑しな光景だ。ニギハヤヒはそう思う。
ニギハヤヒにとって、雨の日はこれが日常だ。
染色剤が雨によって流れ落ちるのを避けたい白が、ニギハヤヒの天幕に避難する。
白がニギハヤヒを信頼するようになってから、それはすでにお互いにとっての当たり前になっていた。
だが、周囲から見れば異常だろう。
ワカミケヌ以外にはまるでなつかない、気高き純白の八咫烏が、他の誰かに気を許すということが、誰にとっても謎だった。異端だった。
白が、ニギハヤヒの胸に顔をうずめてくる。
誰に対しても警戒心をむき出しにする白が、ニギハヤヒ相手であると無防備になる。
常に上がっている眉は下がり、瞼を閉じて全身の力を抜いている。
静かな寝息と共に、肩がゆっくりと上下した。
安心しきった寝顔だ。ニギハヤヒは、それを複雑な気持ちで眺めていた。
白は、知らないんだ。
自分が一番信頼を寄せているこの男が、実は白を独占したいと思っているなんて。
ニギハヤヒには、妻がいる。子もいる。
誰もがそれを祝福してくれた。白もまた、ニギハヤヒに家庭ができることを、喜んだ。
ニギハヤヒは、妻と子を愛しているのに変わりはない。彼女らに対しての情に嘘はない。
だが、その愛情と同時に、白に抱く情もまた、愛情なのだ。
妻や子供に抱く愛情とはまた別の、歪んだ愛情が。
――この綺麗な白を、誰にも触れさせたくない。誰の目にもとまらせたくない。
自分だけが、この白を見ることを許され、白に触れることを許され、白の声を聞くことを許され……。
そう。妻も子も、ワカミケヌも全部捨てて、白だけを連れ去って、誰もいない、誰もたどり着けない場所に白をとじこめて、その美しさを自分だけのものにして。
ずっと愛でていたい。八咫烏のお役目も国土統一も、ぜんぶぜんぶかなぐり捨てて。
白を、永遠に自分だけのものにしたい。
白の、艶のある黒髪を、そっとかきあげてみる。触れられても、白はまるで起きるきざしがない。
ニギハヤヒは、黒髪から頬へと手を移動させる。そろりと撫でても、白は特にむずがることもない。ただ寝息を立てている。
起こさないように、くいっと顎を持ち上げるようにして、眠る白の閉じた目線を、こちらへ向かせる。
半開きにの唇からはかすかに吐息が漏れる。何も気づいていない。
おなじ天幕で寝泊まりしている目前の男が、己を脅かす怪物だと知らずに。
ただ、眠っている。
ニギハヤヒは、ゆっくりと、自分の顔を白のそれへと近づける。気づかれないように、目を醒まさせないように、慎重に。
「……はや」
「っ」
ふと、白が寝言を漏らした。
ニギハヤヒは、それで我に返った。
白の顎から手を離す。どこに触れればいいか分からず、ひとまず白の頭を撫でてやった。
――どうかしてる。
こんなどす黒い愛情を抱くなど、名折れだ。ニギハヤヒがそんな歪んだ情を、一羽の烏に抱いていいはずがない。許されるはずもない。
――眠気で頭がやられたんだ。
ニギハヤヒは、すべてを眠気のせいにした。
こんな歪んだ独占欲は、深い夢に入って捨ててしまおう。
深い深い夢の奥底に、そっと大事に仕舞い込んでしまえ。
「おやすみ、白」
ニギハヤヒのその声に、白が、かすかにうなずいた、気がした。
ニギハヤヒさんと初代八咫烏さん。独占欲にもんもんするハヤ様でございました。