第92話 石に刻まれた警告
山岳要塞都市ブロックン。
石造りの通りを、3人は歩いていた。
城壁の内側を沿うように建つ古い建物。その入口の上には、風化した石の文字が刻まれている。
歴史館
リーナが足を止めた。
「ここ?」
ミカサが頷く。
「せや。ここは前にも来たことあるからな」
「ブロックンの歴史は大体ここに残っとる」
リーナが少しだけ感心したように見る。
「さすが商人ね」
ミカサは肩をすくめた。
「商人は情報が命やからな」
ルークは建物を見上げた。
重い石造り。窓は小さく、全体がやけに堅牢だ。
まるで砦のようだった。
「……歴史館というより」
「保管庫だな」
「それは間違ってへん」
ミカサが先に立ち、3人は中へ入った。
扉が軋む。
中は静かだった。
冷たい空気。石壁。古い棚。書物や石板が、整然と並べられている。飾るための場所ではなく、残すための場所。そんな空気があった。
管理人らしい老人が、椅子に座ったまま顔を上げる。
「見学か」
ミカサが軽く手を挙げた。
「ちょっと調べもん」
老人は興味なさそうに頷いた。
「壊すなよ」
それだけ言って、また本に目を落とす。
3人は奥へ進んだ。
壁には巨大な地図が掛けられていた。
古い大陸地図。
リーナが指を差す。
「これ……」
「今の地図と違う」
ルークも近づく。
確かに違った。
山脈の形が少し違う。海岸線も違う。今では存在しない国名が記されている場所もあれば、今あるはずの国がどこにも見当たらない場所もある。
「古い地図だな」
ミカサが頷く。
「多分300年より前のもんやろな」
「300年で、ここまで変わるの?」
リーナが眉をひそめる。
ミカサは地図の端を見ながら答えた。
「戦争もある。崩落もある。街そのものが消えたこともある」
「山岳地帯は特にな。地形ごと変わることもある」
その言葉に、ルークの視線が横へ流れた。
地図の隣。
そこには石板が並んでいた。
ルークの足が止まる。
石板の彫刻。
巨大な影。街を覆う黒い雲。逃げ惑う人々。崩れる塔。裂ける地面。
リーナが小さく言った。
「……これ」
「災害?」
ミカサが腕を組む。
「ブロックンはな、昔から何回も大災害を食らっとる」
ルークが石板を見たまま問う。
「魔物災害か」
「それだけやない」
ミカサは別の石板を指さした。
そこには――
巨大な竜のような影が刻まれていた。
山より大きい。
街を踏み潰すように、空の半分を埋めるほどの巨影。
ルークの目が細くなる。
「……」
ミカサが言う。
「古い記録や。真偽は分からん」
リーナが呟く。
「でも……」
「竜って……」
ルークは答えず、石板を見つめた。
刻まれた文字。
古い文字だ。
見たことのないはずの形なのに、なぜか意味だけが頭に入ってくる。
ぞわりと背筋が冷える。
「……読める」
ミカサが振り向いた。
「ほんまか」
ルークは指で文字をなぞる。
ゆっくりと、確かめるように口を開いた。
「……空が裂けた日」
リーナが顔を上げる。
「空?」
ルークは続けた。
「山が燃え」
「海が沸き」
「黒き四柱が現れた」
ミカサの顔色が変わる。
「四柱……?」
ルークは石板の文を追いながら読み上げる。
「人はそれを――」
「災厄と呼んだ」
沈黙が落ちた。
リーナが慎重に聞く。
「四体の魔物?」
ルークは首を横に振る。
「魔物じゃない」
石板の絵を見る。
巨大な存在。
逃げる街。
並ぶ兵。
何もかもが小さすぎる。
「……災害そのものだ」
ミカサが低く言う。
「この街が山の要塞になったのは、その後や」
リーナが振り返る。
「逃げるため?」
「耐えるためや」
短い答えだった。
だが、それで十分だった。
この都市の分厚い城壁。狭い出入口。複雑な内部構造。全部が敵を拒むための作りに見えていた。だが本当は違うのかもしれない。
外から来る軍ではなく。
もっと巨大で、もっと理不尽な何かに耐えるため。
ルークは別の棚へ向かった。
そこには巻物や記録書が収められている。
1本抜き、広げる。
記されていたのは断片的な記録だった。
戦い。
崩壊。
都市消滅。
避難。
飢餓。
そして、ある頁でルークの手が止まる。
「……」
リーナが近づく。
「どうしたの?」
ルークは無言で巻物を向けた。
そこには絵が描かれていた。
空を飛ぶ騎士。
その下に、巨大な竜。
さらに左右にも、同じような騎士と竜の姿。
ミカサが目を見開く。
「竜騎士……?」
ルークは首を振った。
「いや」
「俺のとは違う」
少しの間を置いて、絵を見つめる。
「こいつらは……竜を使ってる」
リーナが息をのむ。
「乗ってる、ってこと?」
「多分な」
絵には3人の騎士。
それぞれが別の竜に乗っていた。
そしてその正面には、4つの巨大な影。
空を覆うもの。
山を裂くもの。
地を這うもの。
形すら曖昧なまま、ただ圧倒的な脅威として描かれている。
ミカサが呟く。
「……対抗戦力」
ルークも頷く。
「そんなところだろうな」
リーナが聞いた。
「その後、どうなったの?」
ルークは次の頁をめくる。
何もない。
破れていた。
その先もない。
ミカサが眉をひそめる。
「消されとる」
「いや、違う」
ルークは破れた端を見た。
古い。
無理やり最近剥がされたものではない。
「最初から残ってない」
3人の間に沈黙が落ちる。
リーナが小さく言う。
「じゃあ……」
「どうやって終わったの?」
ルークは石板を見上げた。
巨大な影。
四柱。
竜に乗る騎士たち。
そして、途切れた記録。
「……終わってないのかもな」
ミカサが即座に反応する。
「は?」
ルークは淡々と続けた。
「もし完全に終わった災害なら、こんな街は作らない」
分厚すぎる壁。
閉じすぎた構造。
避難路のような通路。
備蓄前提の区画。
この街全体に漂っていた違和感が、ここへきて1本の線になる。
リーナが不安そうに言った。
「……また来るって思ってる?」
その時だった。
地面が微かに揺れた。
ゴン。
鈍い振動。
3人が同時に振り向く。
外。
城壁の方向。
ミカサが呟く。
「……またゴーレムか?」
ルークは窓を見る。
空。
雲。
見える範囲には何もない。
だが、理由のない違和感があった。
背筋が、わずかにざわつく。
「……違う」
ルークが低く言う。
「嫌な感じがする」
リーナが息を潜めた。
「どういうこと?」
ルークは空を見たまま答える。
「昔の記録ってのは、大体誇張されてる」
「せやな」
ミカサも同意する。
ルークは視線を外さないまま続けた。
「でも」
「誇張じゃなかった場合――」
静かな声だった。
だからこそ、余計に重かった。
「それは」
「まだ終わってない話だ」
歴史館の窓の外。
山脈の奥。
遠く。
ほんの一瞬だけ。
雲が渦を巻いた。
空の奥で、何かが動いたように見えた。
だが、その異変に気づいた者は、まだ誰もいなかった。




