第四話 レベル12の夜
宿の二階、通された部屋は質素だった。
木製のベッドが一つ。
小さな机と椅子。
壁には簡素なランプが掛けられている。
扉が閉まると、外の喧騒は嘘のように遠のいた。
「……ふぅ」
ルークは、ベッドに腰を下ろす。
剣を振った腕。
踏ん張り続けた脚。
肩口に残る鈍い痛み。
ゲームでは味わったことのない、生身の疲労だった。
(……今日は、色々ありすぎたな)
食堂でのやり取りが、頭をよぎる。
ゴブリンは、この世界では決して弱い存在ではない。
一体でも、人を殺せる。
複数で相手をするのが常識。
(……知らなかったとはいえ)
軽く考えすぎていた。
もし、ほんの少し判断が遅れていたら。
もし、一撃多く受けていたら。
(……ゾッとする)
背中に、冷たい汗が滲む。
それでも――
もう一つ、どうしても確認しておきたいことがあった。
(……さっきの、あれ)
食堂で、視界の端に浮かび上がった数字。
思わず声を上げてしまった、あの表示。
ルークは意識を集中させる。
――ステータスUI。
空中に、半透明の画面が浮かび上がった。
レベル:12
「…………」
しばらく、言葉が出なかった。
(……やっぱり、12だ)
見間違いではない。
エリシアと合流してから、
自分でレベルを確認したのは、これが初めてだった。
(レベル1から……12)
ゴブリンを数体倒しただけ。
しかも、途中からは騎士たちの加勢があった。
(……普通じゃない)
原因は、ほぼ分かっている。
ログインボーナス。
制限付きで受け取った、経験値獲得率アップ。
視線をUIの端へ移す。
小さなアイコンが、静かに点滅していた。
経験値獲得率アップ(残り時間あり)
「……マジか」
背中に、じわりと汗が滲む。
(残り表示からすると……
あと二時間前後か、このブースト)
無意識に、息を整える。
(今日の戦闘、
かなり効いてたってことだな……)
そして――
もう一つ、気になっていたものがあった。
(……時間制限の、ない方)
ログインボーナスの未読メッセージ。
あの時は、
「一度出したらしまえない」と分かって、
時間制限のあるものだけを慌てて受け取った。
だが、期限のない報酬は、まだ手をつけていない。
(……今なら、落ち着いて見れる)
少しの期待と、少しの緊張。
ルークは未読メッセージを開いた。
――表示された一覧。
10周年記念レインボーガチャチケット
レアガチャチケット
コモンガチャチケット
イベント限定武器
イベント限定防具
ゼニー
魔石
「……おお……」
思わず声が漏れる。
種類も枚数も、
一度では使い切れない量だった。
(相変わらず、太っ腹だな……)
だが、その中で――
やはり目を引くのは、ガチャチケットだ。
(……ガチャ)
グランアークにおいて、
ガチャはすべての始まりだった。
限定武具。
強力な装備。
仲間になるキャラクター。
そして、
守護神と呼ばれる存在。
ステータスを底上げし、
時には直接、戦場に干渉する神格キャラ。
(もし……
こっちの世界で使えたら……)
喉が鳴る。
ルークは慎重に、
10周年記念レインボーガチャチケットを選択した。
「……使う」
――反応、なし。
「……あれ?」
もう一度。
選択。
確定。
……何も起きない。
「……?」
コモン。
レア。
順に試してみるが、
結果は同じだった。
「……まさか……」
嫌な予感が、胸をよぎる。
(これ……
この世界じゃ使えないやつか?)
ゲーム内だから成立していた仕組み。
現実になった世界では――
「……さすがに、何でもありってわけじゃないか」
肩が、がくりと落ちる。
(ちょっと、期待しすぎたな……)
その時。
――コンコン。
控えめなノック音が、扉越しに響いた。
「……ルーク様?」
少し間を置いて、もう一度。
「起きて、いらっしゃいますか?」
現実に引き戻される。
「あ、はい。今、開けます」
慌ててUIを閉じ、立ち上がる。
扉を開けると、廊下にエリシアが立っていた。
ランプの灯りに照らされ、昼間よりも少し落ち着いた表情をしている。
「夜分に、すみません」
「いえ……どうされました?」
一瞬、言葉を探すように視線を泳がせてから、
エリシアは静かに口を開いた。
「その……本日は、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
形式的な礼。
だが、それだけでは終わらない空気を、ルークも感じ取る。
「少しだけ……お話ししても、よろしいでしょうか」
「……はい」
二人は、廊下の端に置かれた小さな腰掛けに並んで座った。
しばらく、沈黙。
先に口を開いたのは、エリシアだった。
「ルーク様は……どちらの国のご出身なのですか?」
やはり、そこか。
「えっと……」
一瞬、言葉に詰まる。
「正直に言うと……
あまり覚えていなくて」
「……そう、ですか」
疑うでも、追及するでもない。
ただ、納得しかねている様子。
「今日の戦いで……少し、気になったのです」
「気になった、というと?」
「ゴブリンに対する反応が……
この辺りの方とは、少し違っていました」
ルークは、苦笑する。
「……怖くなかった、ように見えましたか?」
「いえ。怖がっていない、というより……」
一度、言葉を選ぶ。
「知らない、という感じでした」
胸に、ちくりと刺さる。
「それなのに」
エリシアは続ける。
「貴重なポーションを、迷いなく使われました」
「……」
「さらに、金銭にも余裕があるように見えます」
一度、視線がルークの装いに向く。
「ですが、身につけていらっしゃるものは……
ごく普通の旅人剣士のもの」
責める声音ではない。
純粋な疑問だ。
「少しだけ……
不思議だな、と」
ルークは、しばらく黙ったままだった。
(そりゃ、そう思うよな……)
だが、転生者だと話せるはずもない。
「……色々あって。
自分でも、うまく説明できないんです」
正直な、嘘だった。
「……そうですか」
エリシアは、それ以上踏み込まなかった。
「無理に、お聞きするつもりはありません」
そう言って、柔らかく微笑む。
「ただ……
今日のような無茶は、もうなさらないでください」
「……気をつけます」
短い沈黙。
「それでは……
お休みなさいませ、ルーク様」
「おやすみなさい、エリシアさん」
扉が閉まり、再び部屋に静けさが戻る。
ルークは、ベッドに腰を下ろした。
(……鋭いな)
転生を疑われているわけではない。
だが、常識の欠落と、持っているものの不釣り合い。
(このままじゃ、いずれ気づかれる)
そう思いながら、天井を見上げる。
この世界は、
ゲームによく似ている。
だが――
人の目と、常識は、現実そのものだった。
一方で、エリシアは静かに自室へ戻っていた。
(……少し、踏み込みすぎたでしょうか)
扉を閉め、背を預けて小さく息を吐く。
まだ出会って間もない相手だ。
本来なら、あそこまで聞くべきではなかったのかもしれない。
(私自身も……何も話していないのに)
胸の奥に、わずかな後ろめたさが残る。
自分の素性。
なぜ一人で旅をしているのか。
どこへ向かおうとしているのか。
それらを、彼には何一つ明かしていない。
(……それでも)
今日、あの場に立ち向かった姿が、
どうしても脳裏から離れなかった。
無知で、危うくて。
それでも、誰かを守ろうとした人。
(……不思議な方です)
そう思いながら、
エリシアはランプを落とした。
彼女自身もまた、
まだ語られていない事情を抱えていることを、
この夜は、胸の内にしまったまま。




