第30話 夜の港町と、静かな変化
その夜。
ルークは宿の部屋で、鏡の前に立っていた。
魔導士のローブは脱ぎ、軽装のカジュアルな魔導服に着替える。
杖はやめ、魔導石の埋め込まれたリングに変えた。
そして――とんがり帽子も、机の上に置いたままにした。
(……リーナに言われた通りだな)
ふと思い出す。
あの花畑で、照れ隠しに怒鳴りながらも、真面目な声で言っていたこと。
――目立つ格好は狙われる。
――この街は、そういう街。
帽子を指でつついて、苦笑する。
(確かに、あれは……目立ちすぎた)
自分でも認めざるを得ない。
それに、もうひとつ。
(……かっこよくなりたいし)
誰に向けてかは、考えないことにする。
考えると余計に意識してしまうから。
リングの魔導石が、微かに冷たい。
これは“武器”ではなく、いざという時の“道具”。
ルークは深く息を吐き、部屋を出た。
夜の港町は、昼と別物だった。
酒場の喧騒はまだ残っている。
笑い声、怒鳴り声、酔いの混じった歌。
けれど、明かりの届かない路地へ一歩入ると、空気が変わる。
湿り気を帯びた静けさ。
遠くで水が滴る音。
靴音がやけに響く。
(この街の暗い部分、知らなかったな)
昼間は活気があって、海鮮がうまくて。
エールを飲めば皆が笑っていて。
でも――それは表の顔だ。
(守られない人がいるって、リーナは言ってた)
ギルドに上がらない事件。
記録に残らない被害。
警備隊も騎士団も動かない。
胸の奥が、じわりと重くなる。
そうして、考えごとをしながら歩いていたときだった。
路地の奥で、人影がよろめいて崩れ落ちるのが見えた。
「……大丈夫ですか?」
ルークは駆け寄る。
男は壁にもたれ、息が荒い。
顔色が悪い。
手元に、小さな袋――恐らく金か、何かの換金物。
その瞬間。
「へへ……また獲物が来たぜ」
背後から声がした。
振り向くと、ナイフをちらつかせた男が立っている。
目が笑っていない。
「あり金出しな」
「騒いだら刺すぞ」
ルークはため息をついた。
(……やっぱりいる)
怖さはなかった。
ただ、呆れが先に来た。
「……そういうの、やめた方がいい」
「はぁ?」
男が踏み込む。
次の瞬間、ルークの体が勝手に動いた。
手首を掴み、捻る。
関節の向きが狂い、ナイフが落ちる。
足を払う。
男は鈍い音を立てて地面に倒れた。
「ぐぇっ……!」
息が詰まる音。
ルークはそのまま男の背を押さえ、動きを封じる。
「……弱っ」
口から漏れてしまう。
でもルークは気づいていない。
“弱い”のではない。
自分が強くなりすぎているのだ。
倒れていた男性のもとへ戻る。
「怪我、あります?」
「た……助かった……」
震える声。
袋を抱え込む手が細かく震えていた。
ルークは袋を拾い、そっと渡す。
「これ、あなたのですよね」
「……あぁ……あぁ……」
何度も頭を下げられる。
その姿を見て、胸がまた重くなる。
(これが日常なのか)
ルークは強盗の服を破り、縄代わりにして縛り上げた。
人通りのある場所へ引きずり出し、壁際に転がす。
「……朝になったら誰かが見つけるでしょう」
男は呻いているが、もう抵抗はできない。
ルークは路地へ戻り、倒れていた男性を支えて大通りまで送った。
「もう、暗い道は避けた方がいい」
「……あ、ありがとう……」
それだけ言うと、男性は足を引きずりながら家路についた。
その夜だけで、同じようなことが二度起こった。
一度目は路地の脅し。
二度目は、裏通りで背後からの強襲。
どちらも、魔法を使うまでもない。
むしろ魔法を使えば、目立つ。
過剰だ。
相手が“消える”可能性もある。
ルークは淡々と、以前から身につけていた格闘術でねじ伏せた。
ー確実にルークは強くなっているー
でも、その実感がまだ薄い。
レベルや数値の話ではない。
体感として、現実味がない。
宿へ戻る頃には、月が高く昇っていた。
部屋に入り、椅子に腰を下ろす。
リングを外し、机に置く。
魔導石が、静かに冷たいまま眠っている。
(確かに、この街の夜は治安が悪すぎる)
リーナの言葉が、胸の中で繰り返される。
――弱いものは奪われるだけ。
ルークは天井を見つめ、息を吐いた。
(放っておけないよな)
英雄になりたいわけじゃないし。
正義を語りたいわけでもない。
ただ、知ってしまったから。
見てしまったから。
そしてルークは、次の日を迎えた。




