第十六話 闇は静かに育つ
公爵邸の奥。
分厚い扉に閉ざされた執務室には、怒気が渦巻いていた。
「――まだ捕まらんのか」
ミゲル・ハリスは床を踏み鳴らす。
「あの大罪人を野放しにするな!」
「生きて連れて来い!」
配下の騎士たちは青ざめて頭を下げる。
「現在、街道・宿場・国境付近まで捜索を――」
「逃げたばかりの女、一人だぞ!!」
机を叩き割らんばかりに怒鳴る。
「すぐ捕まるに決まっている!」
「どこへ行けると思っている!!」
(俺は公爵家の跡取りだ)
(この国の未来だ)
(逆らえる者などいない)
歪んだ笑みが浮かぶ。
(あやつは捕まえたら性奴隷だ)
(私がしっかり躾けてやらねば)
(その後は我が配下どもの玩具にでもして)
(心を壊してから殺す)
その時――
部屋の隅で控えていたミクが、一歩前へ出た。
怯えたふり。
伏せた瞳。
か細い声。
「……ミゲル様」
「もし……差し出がましくなければ……」
彼女は震えながら続ける。
「賞金を……少し上げてみては……」
「民の目も増えますし……」
(人は金で動く)
(まず囲い込む)
ミゲルは鼻で笑った。
「無駄だ」
「すぐ捕まる」
――だが捕まらなかった。
数週間後。
ミゲルの怒りは増すばかりだった。
「なぜだァァ!!」
召使を蹴り倒す。
「無能ども!!」
血が床に散る。
その横でミクは静かに見ていた。
(いいわ)
(もっと苛立ちなさい)
今度は少しだけ声に芯を入れる。
「ミゲル様……」
「暗殺専門の者たちがいます」
「奴隷として育てられ、命令で動く者たちです」
(使い捨て)
(証拠なし)
ミゲルの動きが止まる。
「……ほう」
「使えるのか」
「はい……確実に」
沈黙の後――
「よし」
「暗殺部隊を手配しろ」
「それと前に言っていた」
「有益な情報を持ってきた者には賞金を与えろ」
ミクはすぐに頭を下げる。
「さすがでございます、ミゲル様」
(私の案)
(でもあなたの決断)
気分を良くしたミゲルが言う。
「他にも案があるなら聞かせろ」
ミクは小さく頷いた。
「街道には密輸組織を」
「港には偽商団を」
「宿場には情報屋を」
「逃亡者の動きはすべて掴めます」
ミゲルの目が輝く。
「……それだ」
「全て俺の支配下に置け」
そこから半年。
闇はゆっくり、確実に育った。
闇の構造
■ 表
・公爵家商会
・治安組織
・輸送ギルド
■ 裏
・奴隷市場
・麻薬工房
・暗殺部隊
■ 情報網
・宿屋
・行商人
・浮浪者
・娼館
国の裏側は、すでにミゲルの縄張りだった。
ミクは甘く囁いた。
「奴隷の流通が増えれば……」
「良い主人に巡り会える者も増えますわ」
「皆、救われるのです」
「麻薬も……」
「苦しむ心を癒します」
「貧民も貴族も、幸せになれます」
「結果として国は発展しますわ」
ミゲルは信じ切る。
「国は俺が正す」
こうして怪物は完成した。
そして現在。
闇は国を覆っている。
だが――
その端が、すでに崩れ始めていることを、
彼らはまだ知らない。
盗賊団が消え、
密輸路が潰れ、
闇商人が姿を消していることを。
それがあるもの達の仕業だとも。




