開かずのオアシス
鮮やかなピンク色に輝く月に照らされた壮大な平原を、俺と寝具ちゃんは進んでいた。
ここに来てからずっと夢見心地なフワフワした気分でいたが、今は別の意味で信じられない気持ちだ。
推しの帝御歌ちゃんが散々話していた“異世界”とやらに、どうやら本当に来てしまったらしい。
御歌ちゃん推しからしたら、これ以上のスペシャルイベントはない。
俺の今の状況を他の御歌ちゃん推したちが知ったら、きっと死ぬほど羨ましがるだろう。
でも、そうなってくるとやはり
なぜ俺が選ばれたのだろうという疑問が残る。
ベジグリ会場で出会ったあの老人と美女は、ピンポイントで俺だけをこの世界に飛ばした感じだったな。
俺が扉に入った後、会場側がどうなっていたかは知らないが、あの場にいた御歌ちゃん推しを全員この世界に飛ばしたなんてことは、さすがにあり得ないだろう。
俺がこの世界に連れてこられたのには、必ず意味があるはずだ。
それを知っているのがおそらく、あの老人と美女なのだが――この通り、完全放置状態というわけだ。
ベジグリ会場でワープ装置らしき扉の中に強引に突き飛ばされて以来、姿を見ていないどころか、この世界を生き抜くためのアイテムや能力すら何ももらっていない。
異世界ならそういうのがあるはずだよな。
もしくはゲームみたいに、可愛い女の子やマスコットみたいなキャラクターがチュートリアルでこの世界のいろはを教えてくれたりとか。
もしかしたら俺をこの異世界に放流して、どのように動くかを監視して楽しんでいる――なんてことも……。
いよいよ俺の“異世界説”と“デスゲーム説”の折衷説の可能性も出てきたなぁ。なんとも趣味の悪い。
十中八九、大富豪や権力者たちの娯楽だろう。
でも、だとしたら御歌ちゃんのときとは違うっぽいんだよな。
御歌ちゃんは異世界に行った直後の話も配信で言及していた。
――――――
御歌「2023年のアポフェスあったじゃん?
あの日家に帰ったまでは覚えてるんだけど、帰ってからの記憶があまりなくて。
目が覚めたら、広くて天井の高い綺麗な部屋で、たくさんの人たちに囲まれてたの。
ただ、その人たちの顔とかはよく覚えてなくて……」
――――――
御歌ちゃんは、しっかりこの世界の人たちから“望まれた形”で呼び出されたような言い方だったな。
でもあのときの御歌ちゃんの話を思い出して、もう一つ気づいたことがある。
御歌ちゃんは異世界に行く前後と、元の世界に帰る前後の記憶がかなりぼやけている。
いや、それだけではない。
御歌ちゃんの異世界トークは具体的な内容も多いが、曖昧な内容も多々あり、断片的だったイメージがある。
例えば御歌ちゃんは「異世界を救って帰ってきた」と言っていたが、ラスボス的な存在が何だったのかには言及していなかった。
それに異世界のモンスターや能力者的な人たちと戦った話もよくしていたが、敵の詳細や倒し方などは詳しく話せても、
そいつらがどういう存在なのか、なぜ戦うのかなどにはまったく触れていなかった。
当時は“異世界”と言われてもあまり想像がつかなかったから気にしていなかったが、今となってはベジグリでもっと有用な情報を聞き出しておくべきだったと後悔が残る。
当然スペシャルな聖地巡礼ができたとはいえ、俺だって生きて帰りたいからな。
――――――
夜の静けさに包まれた平原には、おそらく俺の知らない生き物のものであろう鳴き声と、俺たち二人の足音のみが響き渡っていた。
そんな中、突然寝具ちゃんが歩みを止めた。
考え事をしながら歩いていた俺はそれに気づくのが少し遅れて、三歩ほど寝具ちゃんの前を歩き、寝具ちゃんの方に振り返った。
寝具ちゃんは固まっていた。
表情はやはりわからないが、まっすぐ一点を見つめていた。
俺が寝具ちゃんの見ている方に目をやると、例のピンクの月明かりのおかげで、遠くに何か小屋のような建物があるのがぼんやりと見えた。
俺は今にも踊り出しそうなほど嬉しかった。
「小屋だ……! やっと休める!」
念願だった“一晩過ごせそうな場所”をついに発見したそのときの俺には、そこにどんな人が住んでいるかなんてことを考える冷静さはなかった。
俺は「さっそく行こう」という意思を示すために、満面の笑みで勢いよく寝具ちゃんの方を向いた。
しかし、そのときの寝具ちゃんは相変わらず不安げな表情をしていた。
俺と出会ったときもそうだったが、寝具ちゃんは警戒心が強い。
扱い慣れていないであろう剣を持ち歩き、たった一人で危険なモンスターたちの潜むこの地を歩いていたのだから、ここが異世界とわかった今なら、彼女が訳ありということもすんなり腑に落ちる。
彼女の警戒心の強さも、おそらくそこからきているのだろう。
しかし、これまで俺たちは走ったり戦ったりでヘトヘトだ。
それに、こんな開放的な場所で地べたに寝転んで眠ったりなんかしたら、最悪朝が迎えられないかもしれない。
もし小屋が安全だった場合、体力も大きく回復できるし、次の動きもじっくり考えられる。
メリットが多いし大きい。
そのことを寝具ちゃんに伝えて納得してもらいたいが、依然俺たちは言語の壁に阻まれている。
こういう時、どうやったら女の子に信じてもらえるのだろう。
普段あまり女の子と接することがないから、こういう時どうすればいいのかわからない。
御歌ちゃんはどれだけ俺が鼻の下を伸ばしてキモい顔で会いに行っても、いつも変わらぬ笑顔で受け入れてくれるから、今はあてにならない。
いや、迷うことなんてない。
言葉は通じずとも、ここまで二人でなんとか切り抜けてきたんだ。
ハートでぶつかろう。
低反発の権化、寝具ちゃんなら必ず応えてくれるはずだ。
俺は寝具ちゃんの手を両手で優しく包み、こちらからはまったく見えない寝具ちゃんの瞳を「気持ちよ届け」と言わんばかりに真っ直ぐに誠実に見つめた。
寝具ちゃんは少し驚いた様子を見せたあと、そのまま俯いてしまった。
かろうじて見えていた彼女の口元すら見えなくなり、方法を間違えたかと戸惑っていると、寝具ちゃんはまたすぐに顔を上げ、真っ直ぐ俺のことを見た。
俺が彼女の手を握ったままゆっくりと歩き出すと、彼女は黙って着いてきた。
さすが低反発の権化、寝具ちゃんだ。
俺が本人の知らないところで勝手に背負わせた看板すら裏切らない。
この異世界で最初に出会ったのが寝具ちゃんでよかったと、心から思った。
――――――
一応意見が一致したであろう俺たちは、暗闇に浮かぶ遠くの小屋を目指して、ひたすら真っ直ぐ平原を進んだ。
森の中では散々な目に遭ったが、不思議とこの平原一帯には、いかにも草食っぽい鹿っぽい生き物や鳥などがまばらにいる程度で、小屋までは何事もなく安全に到達することができた。
そしてようやく小屋の前に辿り着いて、俺は初めて気づいた。
その小屋は自分が思っていた何倍も立派だったのだ。
小屋ではなく、普通に平屋の大きな建物だった。
それとなぜかその建物は、こんな大自然の中にポツンと建っているにも関わらず、近未来のような独特の外観をしていた。
俺はもちろん気にはなったが、異世界だからこんなもんかと強引に納得しようとした。
しかし、どうやら寝具ちゃんにとってもその家の外観は珍しかったようで、不思議そうに外壁を触ったりしながら眺めていた。
一応扉のようなものを発見したが、ドアノブが付いておらず、手を引っ掛けて横にスライドさせるようなくぼみも無かった。
若干トラウマがあったが、俺は仕方なくスマホのライトを再度使ってその家を調べることにした。
かつて俺たちを死に誘いかけたその白く眩い光は、希望の架け橋にも絶望の架け橋にもなり得るということを再確認させるほど力強かった。
扉周辺を調べてみたが、内側からの覗き穴のようなものがある以外は何も見つからなかった。
「あ、そういえば電気……」
ふと俺はその家に電気が点いていないことに気づき、家から少し離れて広範囲を照らしてみた。
「あれ……? 窓がない……」
外観の未来っぽさに気を取られて気づかなかったが、その家には窓が一つもなかった。
「なんだこれ……変な家だな……めっちゃジメジメしてそうじゃん……」
寝具ちゃんの気持ちを汲み取ってかなり慎重に調べていた俺だったが、ようやく見つけたオアシスになかなか入れないこの状況に、だんだん苛立ってきた。
思い切って扉のような場所をノックしてみようと思った。
しかしその瞬間――
「ギャアァァァァオ!!!!」
闇夜を切り裂くような甲高い鳴き声が響いたと思ったのも束の間、一瞬の衝撃がきた後、俺の体は宙に浮いていた。
何者かが俺のリュックを掴んで空を飛んでいるようだ。
またもやモンスターの類だろう。
今度はおそらく鳥系の。
「キャァァァァァァ!!!!」
そのモンスターと入れ替わりで、寝具ちゃんの悲鳴も聞こえた。
そして次第に遠くなっていく大地と共に、俺を取り返すため追いかけたいが
どうしようもなくて泣き叫びながら、その場でぴょこぴょこしている寝具ちゃんの姿が見えた。
「エナ リュファ! カレン ラ トゥリエンッ!」
こっちに手を伸ばしながら寝具ちゃんが何か言っている。
内容はさっぱりだが、俺に向かって手を伸ばしながら鬼気迫る叫び声を上げる寝具ちゃんを見て、ここまでの歩みで寝具ちゃんとの間に少しでも絆が芽生えていたことをちゃんと確認することができて、嬉しかった。
なんとかしたいが、今回ばかりはダメそうだ。
俺は敵に捕まれ空を飛んでいる。身動きがとれない。
寝具ちゃんは遠距離攻撃ができない。
俺はリュックを捕まれて相手に背中を向けたまま飛んでいるから、敵の正体もわからない。
この世界における俺のバイブル、帝攻略本も使えない。
「いや、そうだ。俺はリュックを掴まれてるんだ! リュックさえ手放せば抜け出せる!」
このリュック、馴染みすぎて体の一部だと勘違いしてしまうの、いい加減直さないとな。
「うわっ……でも高ぇぇ……」
ヤバいだろこの高さ……。
100メートルぐらいあるんじゃないか!?
このモンスターから逃れられても、この高さから落ちたらさすがに死ぬって……!
明らかに致死レベルの高さからの落下に臆する俺の頭に、またもやある人物の顔が浮かんできた。
――――――
御歌「ホントにすごいんだよ!
海の中にある国、傷が治る果実、足と目が一つしかない大きな鳥、
手ブラみたいな服着た女の人、全部みんなにも見せたかったよー!」
――――――
「そうだ! こんなところで死ぬわけにはいかないんだ!
俺は帝御歌推し! 御歌ちゃんが救ったこの世界を、俺はまだ1%も満喫してないんだよぉ!」
拝啓、全国の帝御歌推しのみなさま。
お元気ですか?
私は今、御歌ちゃんが行ったという異世界に来ています。
私がここに来れた理由はわかりませんが、このような特別な機会をいただいたからには、私、全身全霊をもって一足お先に――
「聖地巡礼させていただきまぁぁぁぁぁぁす!!!!」
俺は心を押し潰すほどの恐怖心を、無理やりかき消すように力いっぱい叫びながら、リュックから腕を抜いた。
その瞬間、俺は目の前が真っ暗になった。
――――――
最後まで読んでくれてありがとうございます!
御歌が言っている「アポフェス」というのは不定期開催されるアポノのライブのことです。アポフェスではライブパートだけでなく、ミニゲームやトーク、観客参加型のコーナーなど様々なプログラムが用意されています。会場では限定グッズはもちろん、メンバープロデュースのコラボメニューなども販売されます。
それと余談ですが、最後の「拝啓〜から聖地巡礼させていただきます」は最初に私が考えていたこの作品のタイトルです。長いタイトルは嫌でしたがコンパクトにできなくて、今の無難なやつになりました笑




