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狼とエイリアン

「あなたがテーブルに着いて最初に接触する男が、レイル・ターウィンズです」

 マーチライトがレファリアを指差して告げた。

 これから投げるダーツがどこに刺さるか宣言するように。

 カジノで待ち伏せするのだと説明されたときだった。

「……接触?向こうから?」

 レファリアは腑に落ちない様子で訊き返した。

 獲物が自ら罠に嵌るなど、そんな都合良く事が進むとは考えられなかった。

 マーチライトは頷き、冷淡に続けた。

「彼は自らの意思で、破滅を選択する結果になります」

 言葉からは確信が感じられた。

「レファリアさん、あなたが罠で、ターウィンズが獲物である以前に、あなたは女性で、ターウィンズは男性です」

 それが答えなのだと、マーチライトは豪語した。

「……ハニートラップ?」

 レファリアは怪訝に顔を(しか)めた。

「ロマンス詐欺だと、初めにお伝えしたかと思いますが?」

「……正気なの?ハニートラップ?他にいくらでも手段はあるでしょう?しかも、待ち伏せで?ターウィンズが他の女性を選んだらどうするつもり?そもそもカジノに現れない可能性だって──」

「落ち着いて下さい、レファリアさん?」

 マーチライトが人差し指を口に添えた。

 丁寧な言葉遣いをする彼なりの"黙れ"のジェスチャーだ。

 レファリアはマーチライトを噛んでやりたい衝動に駆られたが、代わりに抗不安剤(ボム・キャンディ)の小瓶を煽って、そっちを噛んだ。

「"星に手を伸ばして(シェルディラ・モッカ)"に一人で宿泊する若い女性は大変珍しいでしょう。絶世の美女となれば尚更です。そして、私たちが潜入する翌日はエピック・オークション、特別な日の前にはこれ以上ない至福を求めるのが、私たち男性の特性です。ターウィンズが他の女性を選ぶかもしれないという点に関しては、心配いらないでしょう。自信を持って下さい、あなたは選ばれるに相応しい美女です」

 レファリアは不満を全開にする。

「答えになってないわ。わたしが指摘しているのは確実性の低さよ。記憶の所在を聞き出す必要があるなら、拉致して拷問するほうが簡単で確実じゃない」

「強硬手段は好ましくありません。お伝えした通り、ターウィンズは厄介なボディガードを侍らせています。暴力に甘んじては多分に血が流れる結果になるでしょう。争いを避けて秘密を暴くためには、色仕掛けが最も効果的です」

「だからわたしに抱かれてこいって?」

 レファリアが声を荒げた。

「そこまで強要するつもりはありません。あくまでもあなたの役割はターウィンズから記憶の所在を聞き出すことです。そのために性交渉が必要なのであれば、そうして頂きたいですが、手段はお任せします」

 マーチライトの態度は一貫して冷徹だ。

「ご安心を。悪いようには致しません。不満でしら報酬を上乗せ致しましょう。それでも気分が乗らないようでしたら、辞退して頂いても結構です。こちらにはセカンドプランの用意もありますので」

 マーチライトはレファリアを宥めるように言い、言葉尻で部屋にいるもう一人の女を一瞥した。

 カウチソファに行儀悪く座り、勝手にデリバリーしたピザを粗暴に喰らう、刃物のように鋭い双眸(そうぼう)の女がそこにいた。

 恐ろしい女だ。

 初めて見たとき、レファリアはシンプルにそう感じた。

 少し焼けた褐色の肌には雪山の王たる狼のような猛々しい面構えがあり、その美貌に嫉妬した蛇の刺青(タトゥー)が首筋から這い上がり、右の目尻を噛んでいる。

 赤茶(ブラウン)の髪は適当にばっさり。

 なにより目に留まるのは、凄惨なナイフ痕だ。

 左の目頭から鼻筋に伸びるそれが、美貌を破壊している。

 レファリアと同じく飾付け(ドレスアップ)されていたが、富裕層(ブルジョア)の令嬢が好んで着るような暗緋色(バーガンディ)のボディコンドレスも、この女が着ていては鮮血に染められた死神の装束にしか見えない。

「んだア?その窮したような(ツラ)は?ようは美人局だろ?あたしは文句ねえぜ?そっちの警官(ピッグ)上がりの女みてえに、貞操観念なんてだせえ小言を吐くつもりもねえ」

 女はピザを頬張りながら臆することなくマーチライトを睨み返し、レファリアにまで眼光炯々とした視線を向けた。

「男の相手をするのがイヤだなんて言った憶えはないのだけれど?わたしは計画の曖昧さを指摘したまでよ」

 レファリアと女は真逆の表情で視線を交錯させた。

「てめえの(ツラ)みりゃわかンだよ。プライドかあ?別に良いじゃねえか、記憶の売人野郎もハンサムなんだしよお?」

 女はけたけたと高らかに笑い、レファリアを揶揄(からか)った。

 不快感に歪められたレファリアの表情を肴にして缶ビールを喉に流し込み、品性の欠片もない醜態で噯気(あいき)した。

 驚くべきは、その隙の無さだ。

 女の視線は一瞬たりともレファリアから外されていない。

 大股で寛いでいながら、臨戦態勢を維持していた。

「四年前の戦争のとき、金持ちの公務員たちは徴兵を免れたらしいじゃねえか?」

 女は鬱陶(うっとう)しそうにレファリアとシャンディを睥睨(へいげい)した。

 レファリアは無意識に目を逸らした。

 シャンディは安全を確約された自身の立場を誇るように、嘲った態度で女を眺めている。

「てめえらにはわからねえだろうが、三等地(スラム)で泥水飲んでたあたしは前線まで引き摺られて、()()()()()()。わかるか?慰安婦(クランペット)として使い捨てにされたんだ」

 女は怨讐に燃えていた。

 だというのに、女は次の言葉を吐いたとき、()()()()()

 生涯で最も愉快な出来事を思い出して。

「だから殺してやったんだ。あたしを()()した軍人たちも、隣できゃんきゃん喘いでやがった馬鹿な女たちも」

 高笑いは猟奇的なものへと変貌していった。

 瞳孔が拡張され、口角からは涎が滴っている。

 興奮(アッパー)系の薬物(ドラッグ)に壊された者のそれだ。

「そのツケが、この顔と脚だ」

 女は鼻筋のナイフ跡を引っ掻き、威嚇するようにして脚でローテーブルを蹴り飛ばした。

 明らかに生身の女性の脚力ではなかった。

「地雷だ。地雷で脚を失くした。戦争が、脱走兵として駆か出したあたしから、逃げるための脚までもを奪いやがった。そこで朽ちるはずだった。それなのにだ、目が覚めたら野戦病院で望んでもいねえ機械の義脚が取り付けられてやがる。そいつでもう一回突撃してこいってさ。イカれてやがった。医者(そいつら)も殺したとき、あたしは漸く自由を手に入れた」

 女の膝から下には軍用サイボーグ技術──硬化皮膚(ソリッド・スキン)で形成された合金性の義脚が接続されていた。

 小腿に内蔵されたスラスターで空を穿ち、単騎で敵国の空挺部隊を壊滅にまで追い込んだとき、"手が届か(クランペット・イ)ない女(ン・ザ・ハイ)"と畏怖された義脚だ。

 そうした過去を隠すように、女は純黒のタイツで義脚を包んでいたが、軍人たちから刻まれた"慰安婦(クランペット)"の蔑称は、戒めとして──雪辱を忘れないように──コードネームに転用していた。

「化粧で隠せない傷を刻まれたその日から、女として生きることは辞めてンだ。もう男に抱かれるなんて屁でもねえさ。覚悟は決めてんだよ。だから躊躇(ためら)ってるようなヤツとは組めねえ、なあ?どうなんだ?警官(ピッグ)上がり?」

 詰るようなクランペットの視線は、レファリアがこれまで見てきたいかなる凶悪犯のそれよりも鋭く、()()()()()

 静寂に包まれた部屋で、不意に手を叩く音が響いた。

 シャンディが拍手していた。

「素晴らしい演説をどうも。膝から上は無事だから、膣は問題なく使えるという内容で間違いないかね?──失礼、職業柄つまらない話には慣れているはずなんだがね、やはり長すぎてはどうにも退屈してしまう」

 飢えた狼が牙を剥いて襲う刹那、マーチライトが宥めた。

「挑発が過ぎますよ、ミスター・シャンディ?」

 シャンディは咳払いをして、

「そのつもりはなかったんだがね?」

 と心にもない弁明を口をした。

 見兼ねて発言したのはノックバーだ。

「まあまあ、険悪になっても埒が開かない。仲良くしよう?さっきマーチライトの旦那が言ってたのを忘れちまったか?僕らはチームだ。作戦は女性陣の二人がカジノでターウィンズからのナンパを待つ、本命がレファリアで、対抗がクランペット、この認識でオーケーかい?」

 マーチライトが頷いた。

 レファリアは釈然としない様子で抗不安剤(ボム・キャンディ)を噛んでいる。

 実際、クランペットに言われた通りで、男と身体を重ねることには抵抗があった。

 愛していた人を思い出してしまいそうで。

「レファリアさんの意見も聞くべきじゃないかな?」

 不意に、これまで部屋に飾られた美術品の数々を眺めていたラミルがおっとりとした口調で口を挟んだ。

 ラミルがレファリアの傍まで歩き、

「もしも、嫌だと思うなら──」

 そっとレファリアの手を握ったとき、その()()は起きた。

「──ぼくが()()()を務めることもできるよ?」

 それまで爽やかな少年のそれだったラミルの顔面が、レファリアの手を握った途端、()()()()()()()()()のだ。

 それこそ、強烈な酸でも浴びせられたかのように。

 たちまち瞼の上下が一つになり、鼻は形を失い、髪までもが液体と化し、全てが溶け合わさった象牙色(アイボリー)のねばねばした体液が、地表を平らげるマグマのように、顔面だった場所を緩やかに流れ始めた。

 グロテスクなんて騒ぎではない。

 少年の顔面がぐっちゃぐちゃに溶けたのだ。

 至近距離にいたレファリアは即座に握られていた手を振り解き、身構えるように後退した。

 他の四人も怪奇現象を前に騒然としている。

 顔面の起伏は綺麗さっぱり溶けて失くなり、つるりとした象牙色(アイボリー)の球体と化した。

 次の瞬間──フライパンで焼かれたパンケーキ生地の表面でぼこぼこと気泡が弾けるように──球体の表面がぶくぶくと不規則に泡立ち、()()を始めた。

 鼻があるべき位置が盛り上がり、反対に目があるべき位置は窪みとなって、顔面を()()()し始めたのだ。

 その悍ましい光景が数秒繰り広げられ、漸くして落ち着いたとき、そこには新しい顔面が覗いていた。

 完璧に()()されたレファリアの美貌が。

「……複製(コピー)したのかい?」

 ノックバーが目を剥いて尋ねた。

「そう、複製(コピー)──それが、ぼくの能力なんだ」

 と自慢げに呟いた声までもが、レファリアのものだった。

「驚かせてごめんね」

 ラミルは顔を引き攣らせたレファリアに向けて、にっこりと微笑んだ。

 全く同じ顔で。

 それから悪戯の種明かしをするような調子で、

「ぼくの体組織は全て万能適合細胞(バーサタイル・セル)で構成されているんだ。骨から皮まで、際限なく、人体のいかなる細胞にでも変異するユニークな細胞さ。元々は病気や事故で身体を欠損した人の欠損部位を再現してあげるための特許医療技術として開発されたんだけど、定期的な検診が必要だったりと、あまりにもコストが高いせいで廃れた技術でもあるんだ。なにせ腕一本の値段で一等地(オアシス)の豪邸が買えちゃうんだからさ」

 嬉々とした様子で語り明かした。

万能適合細胞(バーサタイル・セル)の量産に成功すれば、人類はあらゆる病気を克服するとまで謳われたけれど、結局繁殖コストを削減する方法は確立されなかったんだ。腕よりも豪邸が欲しいと治療を拒否する人もいてね?それでも万能適合細胞(バーサタイル・セル)の神話を諦められなかった製薬企業のガンマゲノミクスが、プロパガンダの一環として膨大な研究費用を投じて創造した人工生命体(ミュータント・エクス)の被験体、それがぼくなんだ」

 ラミルはそこで言葉を区切り、片手を掲げた。

 つい先刻、レファリアに触れた手だ。

「ぼくは触れた人間の遺伝子(D.N.A)情報を読み取り、細胞に複製(コピー)させられるんだ」

 それが、"素顔のな(ルック・ライク)い道化師(・エニーワン)"のからくりだった。

 レファリアはあんぐりと開いてしまった口を動かし、

「……あなたに代役を頼むのは遠慮するわ。自分のクローンが男と寝てるなんて、考えたくもない」

 苦虫を噛み潰したような表情で言った。

 ラミルはどこか残念そうな表情を、再び溶かし始めた。

 レファリアは発狂しそうになった。

 自分と瓜二つの顔面が目前で溶けているのだ。

 鏡の中で異変が起きるタイプのホラー映画を見ているような気分になり、必死に吐気を堪える。

 反射的に身体を折って蹲り、ゆっくりと顔を上げたとき、ラミルの顔面は爽やかな少年のそれに戻っていた。

「まるでエイリアンだな」

 シャンディが毒を吐いた。

「過去に複製(コピー)した人にはいつでもなれるのかい?」

 ノックバーがどことなくうきうきした様子で訊いた。

「入念に馴染ませた身体なら、できるよ。みんなが馴染みのある人の声を真似られるのと同じようにね」

 レファリアが遮り、

「ごめんなさい、ハニートラップはわたしがやるわ。だからわたしに化けるのはやめて頂戴、絶対に。それと、セックスはしない。記憶の所在くらい、手短に聞き出してみせるわ」

 断言した。

 ラミルの能力を披露されては、そうする他になかった。

「協力に感謝します」

「囮役は決まりだね?それじゃあ、今度は僕から質問する。確かに、これだけ魅力的な美女が二人もいれば、ターウィンズが一目惚れしてくれる可能性も高そうだけれど、レファリアも指摘していたように、彼が他の女性を選んでしまう可能性も捨て切れない。カジノに現れない可能性だってそうだ。そうなった場合にはどうするつもりなんだい?」

 ノックバーが訊いた。

 さりげなくクランペットが頼んだピザを摘みながら。

「ターウィンズからの接触がなければ、こちらから接触するだけですよ。カジノに来なかった場合も同様です。レストランでも、ナイトプールでも、彼と接点を持つ機会はいくらでもあるでしょう」

「それなら、初めから僕たちからアタックするほうが確実に思えるが?どうして待ち伏せを?」

「相手に選ばせること、それが重要なポイントなんです」

「脈絡もなしに擦り寄ってきた人物には疑心を抱く心理を逆手に取り、相手に選択を委ねる。詐欺の常套手段さ」

 悪徳弁護士が口を挟んだ。

 経験者は語るというやつだ。

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