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幻獣-DEVIL−  作者: もる
第一章 カルガリア・リグレット編
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第一話 ミーシャ

がんばって続けます。

 俺はその日もいつもの街に帰った。

 その日は雨が降っていた。

 街に入るためには、大きな門の門番をしている衛兵に身分証明書を見せなばならない。

 リュックから身分証を取り出して衛兵に見せると、すんなり街に入れた。

 俺の身分証は泥で汚れていたが、毎日顔を合わせているので、一目でそれとわかったらしい。

 今となっては適当な紙切れでも大目に見てくれるようになった。


 俺はそのまま自宅である路地裏まで帰ろうとして、ふと立ち止まった。

 視界の端に、何やら見覚えのないものが映ったからだ。

 それは、かなり大きめの牢屋に見えた。

 下の方に大きな車輪がついている。

 移動式の牢屋か何かだろうか。


「お、兄ちゃん興味あるのか? あとはそいつだけなんだが」


 牢屋の近くの椅子に、俺と同じように傘もささないで座っている男がいた。

 男は雨に濡れたたばこを吸いながら、退屈そうな目で俺をみた。


「そいつ?」


「ほら、隅の方で丸くなってるやつがいるだろ。あいつだけ売れ残っててな。よかったら買ってかないか?」


 男の視線を辿ると、牢屋の奥に、黒く、小さな人影があるのに気づいた。

 こちらに背中を向けている。

 俺はそれをみて、ようやくこの男が何者なのかを理解した。


 この男は奴隷商だ。

 彼らは、そこらから拾ってきた孤児やら密輸で手に入れた奴隷やらを売っている。

 牢屋の中の小さな孤児は、この男に見つかって連れてこられたのだろう。


 俺の胸中は、微かな同情と、自分もこの男に捕まえられる危険性がある、という恐怖の二つの気持ちに支配された。

 このナリを見れば、身寄りがないことなど簡単にバレてしまう。

 だから俺は一刻も早くこの場から逃げ出そうとした。

 だが、それはできなかった。


 なぜか、俺の目は牢屋の中の孤児に釘付けになって動けなかったのだ。

 本当になぜかわからない。

 それどころか、さっきまで同情と恐怖の二つの気持ちが支配していた胸中は、この孤児のことを全て知りたいという強い欲でいっぱいになってしまった。

 なぜか?わからない。

 その問いと答えの連続だった。


「……買う」


「お、ほんとか。……そうだな、どうせこいつは売れ残りだ。大した労働力にもならん。安くしといてやるよ」


 とうとう俺は自分の欲に負けてしまった。

 男はにんまりと笑って牢屋を開け、中にいた孤児の首輪に繋がれた鎖を引っ張って、無理やり外に連れ出した。

 男は鎖を俺に渡して、俺にとってはかなり高いと言える値段を言ってきた。おかげで俺の財産がなくなってしまった。


 後をつけられでもしたら困るから、念の為、俺はそのまま男が街の外から出ていくのを見送って、孤児の首輪を外してやった。

 自由になれたというのに、孤児は逃げ出さなかった。

 俯いたその表情は見えなかったが、泣いているように見えた。

 だがそれも、雨の中でははっきりとわからなかった。


 俺はそれからしばらく歩いて、自宅である路地裏に着いた。

 敷いてある段ボールの上に荷物を下ろして、隣に孤児を座らせ、残ったスペースに俺が座ると、俺の家には余裕がなくなってしまった。

 今までコツコツ貯めた金もない。

 さらに守るべきものもできてしまった。

 これまで以上に生活に苦しみそうだ。


「おい、そっちはダメだ」


 俺が将来の不安について考えていると、孤児は家から出てまっすぐに隣の家に歩いて行った。

 俺の家よりも多くのダンボールが敷いてある。

 あいつはそれを狙っているのだろうか。


「おまえ、戻ってこい」


 孤児は俺の言葉が聞こえないのか、そのまま隣の家までたどり着いてしまった。


「やめろ」


 俺は急いで孤児を抱き抱えて自分の家まで走って帰った。

 ほんの少しだけだったのだが、目を離すとすぐに危ないことをしてしまうようだ。

 それにーー、


「……そうか、おまえって言ってもわかんないよな。名前で、呼ばないと」


「ーーーー」


「名前は?」


「ーーーー」


「あー、まさか言葉が分からないのか?」


「ーーミーシャ」


「……ミーシャ、ミーシャか。……え?おまえ女?」


 孤児、ミーシャはその場でこくこくと頷いた。

 それは、彼女が初めて見せてくれた、人間らしい動作だった。


「そっか、ミーシャ。……これからは俺が面倒見るから、さっきみたいに余計なことはするな。いいか、ここにはルールがあってな……」


「ちがう」


「ちがう?」


 ミーシャは、俺が路地裏のルールを教えてやろうとしたら、今度は首を横に振った。

 目まで隠れる長い黒髪が、さっきから動くたびに俺の服に当たっている。


「あれ」


「あれって……あ!」


 俺は、ミーシャが指す方向を見て、思わず声を上げてしまった。

 だってそこにはーー、


「俺の腕時計!」


 もう亡くなってしまった母からもらった、大切な腕時計があったからだ。

 最近無くしてしまって、必死に探していた。

 こんなにも近くにあったとは。


 俺の隣のやつは、腕時計のことを知っているはずなのに、何も言ってくれないなんて。

 俺の隣にはロクなやつが住んでいないようだ。

 腹いせにダンボールを一枚はぎ取って敷地を減らしてやった。


「ありがとう、ミーシャ!」


 ミーシャには出会って早々大きな借りを作ってしまった。

 この生き方において、借りを作るというのはかなり危険なことだ。

 でも、今はミーシャに借りを作ったことよりも、別のことが気にかかる。


「でも、ミーシャはなんで俺の腕時計のことを知ってたんだ?」


「きみのうで」


「腕……日焼け跡のことか?」


 ミーシャはこくこくと頷いた。

 俺の日焼け跡から推理できたのは見事だが、それだけでは隣のやつの腕時計が俺のものだと確信はできない。

 推測だけで動くのは危険だと教えておく必要がある。


「あなたは?名前」


「あ?……ないな、そんなもん」


「ない?」


「ああ。俺の母さんが死んだ時に、一緒に捨ててきちまったからな。もう忘れちまった」


「……そっか」


 ミーシャはまた俯いてしまった。

 名前のことを聞いたのを申し訳なく思っているようだった。

 別に俺は気にしてないんだが。

 ただ、昔のことを少し思い出しただけだ。


「お前が呼びやすいように適当に呼んでくれ」


 気まずい雰囲気になってしまったので、俺はとりあえず適当なことを言って名前の話題にケリをつけた。


 それにしても、自分の名前か。

 俺は、母さんにつけてもらった名前は、母さんに呼んでもらえないと意味がないと思っている。

 母さんが死んでしまった以上、俺の名前はもう不要というわけだ。


 自分の名前……その時は、なんだか妙に気にかかった。

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