6、エピローグ
ベッドから起き上がり、大司教は自身の両手を眺めながら無言で俯いていた。息子が強姦殺人を犯したという事実に、底知れぬ怒りを覚えたとしても、息子が死んでしまったという悲しみもまた拭いきれない事実でもあった。
「…………其の者ら力、吾に貸し与え給え、急々如律令、金縛り、薩婆訶」
突然、サリーは式神を使い金縛りを発動する。金縛りは大司教を狙ったため、彼は声も出せず身動きも取れなくなる。
予想もしないサリーの行動に、エルシーは慌てて彼女に振り返り抗議の眼差しを向けるが、サリーは動じる様子もなく平然としている。
「サリー様、いったい、何をするのですか」
「申し訳御座いません。このまま終えると、わたくしのほうに問題が残りますから」
元の体力を取り戻した大司教様を残したまま、部屋を出ることはサリーにはできない。このまま部屋を出ると、彼がサリーの秘密を誰かに打ち明ける可能性があるからだ。それと、もう一つ……
「問題?」
「わたくしの秘密を、誰かに話されたら困るのです」
「そ、それはそうですけど。それで、どうするのですか?」
「少し辛いでしょうが、こうします」
笑顔で持ち上げたサリーの綺麗な右手の指が、全身をうねうね動かすヒルに似た寄生魔を摘まんでいた。
「ヒッ!」
「ヒッて、エルシーは、さっきも見ましたよね」
さっきも見たはずなのに、何故かビックリするエルシーに思わず突っ込んだ。
「見ましたけど、あの時はそれどころじゃなくて…… 」
「まったく、寄生魔はわたくしの命令には絶対で、見た目はこんなですけど、これは寄生するさいに負担をかけないようにと考慮した形態なのです。それに、完璧なまでに清潔で………… 」
寄生魔は、使い方次第で優れた可能性を秘めているなどと、エルシーに対して説明するが、サリーの指に摘まれた寄生魔がうねうね動く姿に、彼女の生理的嫌悪感は拭えない。
「気持ち悪くないですか?」
「エルシーは、幽霊ですから。ーーーそういう意味では、似たようなものですよ」
「………… 」
エルシーが、体育座りで落ち込んでしまった。
サリーは少し苛ついていたのだ。あれほど寄生魔について説明したのに、エルシーは少しも理解してくれないからだ。だから、つい、ポロっと口から溢れてしまったのだ。幽霊も寄生魔も気持ち悪い点では変わらないと。
「ごめんなさい、言い過ぎました」
「やっぱり、気持ち悪いですか」
「別にそんなことは…… 」
「気持ち悪いんだ!」
「だから、そんなことないって」
「本当に?」
「………… 」
サリーは、少し面倒になってきた。
「今、面倒って思ったでしょ」
「別に」
「思ったんだぁ」
本気で、面倒臭くなってきた。
「話を戻しますよ。わたくしの秘密を守るためには、大司教様に寄生魔を受け入れていただきます」
「わたくし、サリー様には感謝してますけど、どうしても必要な事でしょうか?」
「必要です。この寄生魔は、記憶を食べることができます」
「記憶を食べる…… 」
「食べます。わたくしの秘密を話そうとしたり、自殺しようと考えたときに、この十日間の記憶を全て食べてくれます」
「自殺…… 」
息子のアリクがエルシーを殺害した話を聞いたとき、大司教は息子を殺して自分も死ぬと話していた。つまり今の状態の彼を放置すれば、自殺をするかもしれない。それなら、記憶を失ってでも生きていてほしい。
辛い記憶を抱きしめたまま生きていくか、それとも記憶を捨てて良心を咎められることのない人生を選ぶか、どちらの人生を選ぶにしても決める権利は彼にある。サリーは決定権を大司教に与えたかったのだ。
寄生魔はサリーの秘密と同時に、大司教の命も守ることにも繋がる。
「分かっていただけますね、エルシー」
「そういうことなら、サリー様、大司教様のためにもお願いします」
「大司教様、失礼いたします」
サリーは大司教に近寄り、耳元に寄生魔を近づけた。寄生魔は大司教の耳からするりと頭の中に入っていく。激しい痛みに苦しむ大司教だが、こればかりはどうしようもない。
後顧の憂いもなくなり、サリーは大司教の金縛りを解いた。
「大司教様、以上で治療は終わりました。大変ご迷惑をおかけしましたが失礼いたします」
「ーーーローレンドール・ガーランド・サリーローレンス侯爵令嬢、お気遣い感謝いたします。まだ、整理はつきませんが、己の罪と向き合っていきます。それと、キャロライン・アールズ・エルシーローラン男爵令嬢、貴女の優しさに、感謝します」
フロークス大司教は深々と頭を下げ、その目には涙が溢れていたが、サリーとエルシーは何も言わずに部屋を出た。
★ ★ ★
その後、フロークス大司教は記憶を残すことを選び、大司教の任を退任して、現在は相談役兼伝道師として旅に出ている。
後任にはトゥーラン枢機卿が選ばれ、トゥーラン大司教のもと再び聖女候補が集められ、審議を重ねた結果ローレンドール・ガーランド・サリーローレンス侯爵令嬢、サリーが聖女に選ばれた。
アリクが犯した罪については、誰も知らない。アリクの罪を裁くには、サリーとエルシーのことを説明しなければならず、フロークス元大司教が寄生魔によって彼女達の話を制限されているため、事実は闇に葬られる。
その事に関しては、サリーもエルシーも納得している。元々アリクの罪を国に裁かせたいとは思ってないからだ。
復讐、それについては賛否両論あると思うが、少なくとも彼女達は後悔はしていない。他人を殺そうとする時は、自分も殺される覚悟をしなければならない。結局は、それだけのことだ。
そしてエルシーは……
「ねぇ、本当に帰らないの?」
「今は、帰りたくないかな。だって、サリーを見ていたいから」
「わたくしを?」
「そう。サリーと一緒なら絶対楽しいと思うから」
「そっ、それなら、好きしなさい」
「はーい!」
サリーに抱き着いたエルシーは、楽しそうに笑っていた。
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次の話は、サリーに婚約者ができる話になります。