5 復讐とは
「助けてくれ、頼む、頼むよ…… 」
呪いで僅かな声しか出せないが、アリクは必死に訴える。だが、その話を聞く者はこの部屋には誰もいない。
他人の命を奪っておいて、今更自分は許してもらうなんて、虫が良すぎる話だ。反省するなら、最初から強姦殺人なんてしなければ良い。
「アリク様、この妖はわたくしが使役している式神で、名前を寄生魔と言います。この妖は貴女の耳から入り頭の奥へと進んでいきます。かなりの痛みを伴いますが、彼女の苦しみを考えたら、大した事などないと思いますので我慢してください」
悲壮な顔で「止めてくれ」と叫ぶ、彼の精一杯の救いの声を無視して、アリクの耳元にヒルに似た寄生魔を近づける。寄生魔がスルスルと耳から入っていく瞬間、彼は激痛に耐えきれず叫び続けていた。
「今から、寄生魔に貴方の喉を潰すように指示します。それから少しずつ貴方の体を壊していきます。ですけど安心してください、死んだりしませんから」
再びアリクが激痛で苦しむが、今回は叫び声はなかった。
アリクが苦しむ間、エルシーは彼の耳元で「もっと苦しめ、もっと苦しんで地獄に落ちろ」と囁いている。
直接触ることのできない彼女は、復讐を果たすべく思いの丈を吐き出していた。
彼女の憎しみや怒り悲しみがサリーの心を冷徹に働きかけ、彼女も淡々と自らの役目を果たす。
「それでは、治療を始めます」
サリーは、アリクの体に近寄り聖魔法を発動させる。
「癒やし」
ヒールの魔法でアリクは少しだけ元気になるが、その分痛みは倍増する。
「簡単には殺さないよ、お前には知り得る限りの痛みを与えてやる。アハハハハハハハ。最後に死ぬ時は、わたくしに感謝してから死ぬが良い。アハハハハハハハ」
今やすっかり放心状態になったアリクに、彼女は耳元で笑い続けていた。
「そろそろ、大司教様の所に戻りますよ」
「そうですね」
「満足しましたか?」
「分からない。でも、だいぶ、満足したかな」
「殺しますか?」
「それは…… 」
「どうしますか?」
「もう、いいかな。辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった、辛かった。でも、もう殺して」
「分かった」
「令・百・由・旬・|内・無・諸・衰・患 、吾の願いし呪詛を祓い給え、急々如律令、禁無黒病、薩婆訶」
呪いを解いた。その瞬間、呪いで死ぬことのできなかったアリクは、やっと死ぬことができた。
復讐に疲れたのか、それとも満足しただけなのか、エルシーから険しい表情が消え、生前の優しい顔を取り戻し始めていた。
彼女が何を考えているのか分からないが、サリーは彼女が納得するまで付き合うつもりでいる。
復讐とは 結局のところ、本人が納得するかどうかだ。互いにそのことを確かめるかのように頷くと、二人は部屋を出た。
★ ★ ★
大勢の視線を受けながら、サリーは大司教が待つ部屋に入る。エルシーは再び姿を消しているので、部屋に入ったのは彼女一人となる。
部屋に入るなりトゥーラン枢機卿からアリクの事を聞かれた彼女は「最大限の治療を試みたが、残念です」と恰も事実のように話した。
バレないようにと真面目な顔で話をしたが、サリーの心配は杞憂に終わる。話を聞いた枢機卿は、興味無さげに「そっか」とたった一言で話を切った。
最初から治療は無駄だと思っていたのか、単にアリクに時間を取られることが嫌だったのかと言えば、後者になる。枢機卿はアリクが嫌いだった。
大司教の息子というだけで横柄な態度を取るアリクが好きになれず、今回の病気の件でも助けたいという感情が湧いてこない。寧ろ邪魔者がいなくなることに、胸を撫で下ろしてたぐらいだ。
「早速では御座いますが、大司教様の治療をお願いします」
「承知しました。では、治療を始めたいと思いすが…… 」
「畏まりました。私達は部屋を出ますので、大司教様のことくれぐれも宜しくお願いします」
サリーの言葉を待たず、枢機卿は部屋にいる全員に声をかけて部屋から出ていった。彼の態度からは、一分一秒でも時間が惜しいという思いが感じ取れる。
「…………其の者ら力、吾に貸し与え給え、急々如律令、音遮界、薩婆訶」
再び部屋全体の音を遮断する結界を張り終えると、後はエルシーに任せる。
「大司教様、わたくしキャロライン・アールズ・ダンドリュー男爵が娘、キャロライン・アールズ・エルシーローランです」
「ーッ! ーーーそうか」
驚いたのも最初だけで、すぐに普段の表情を取り戻した大司教は、全てを悟ったかのような顔でエルシーを見つめる。
「あまり、驚かないのですね」
「驚いたさ、だが、納得もした」
「納得?」
「君が来たと言うことは、私を殺してくれるんだろ」
「いいえ、殺しません」
息子が病気にかかり、誰にも癒せないとなれば、これは大病か魔法かと考える。当初大病ではと考えたが、身体が黒く変色するうえ進行が早く激痛に苦しむ状況は、他に類を見ない症状だ。
幾ら考えても理解できず、五里霧中の状態で自らが病気にかかり、それが息子と同じ病気となれば、疫病かと不安になる。気持ちの整理が付かない状況で、男爵令嬢が枕元に立てば、自ずと考えてしまう。
これは、祟りだと。
「なぜ殺さない、殺しに来たのではないのか?」
「殺したいほど恨みました。大司教様があの時、アリク様を騎士団に突き出してくだされば、わたくしは殺される事はなかったのです」
「こ、殺されたと言うのか!」
強姦だけではなく殺人まで犯していたなんて、もはや人として真っ当に生きてくことはできないだろう。
(せめて、私が殺してやる)
理屈ではない。大司教という身でありながら殺人を考えるなど、自身が地獄に落ちることは仕方ないとしても、親として最後の努めを果たさなければと考えたのだ。
呪いにより全身が激痛に襲われるなか、激昂した大司教はベッドから起き上がろうとするが、幾ら動かそうとしても腐った身体は言うことを聞かない。
「知らなかったのですね」
「知っていたら、息子を殺して私も死んでいる」
アリクの指示で街のチンピラ三人に、エルシーが殺されたことを、大司教は知らなかった。その事をサリーはエルシーには伝えている。
知らない振りをしているのは彼女に考えがあるからだ。彼女なりに大司教の様子が気になったのだろう。
事実を知っても平気でいられるのか、それとも息子の罪や、己の行動により一人の娘が死んだ事実に苛まれるのか、大司教の本音が知りたかったのだろう。
「アリク様は、わたくしが殺しました」
「ーッ! こ、殺した?」
「はい。わたくしが殺しました。わたくしの復讐は、わたくしだけのものです。誰にも譲りません」
「………… 」
「わたくしが、憎いですか?」
「いや…… 息子の死は当然の報いだ。憎いのは、あんな風に育てた私自身だ。ーーー息子を、愛していることは今も変わらない。だからこそあの時、アリクを騎士団に突き出せばと何度も悔いた。女性としての尊厳を奪われた、貴女の辛さに比べたら私の辛さなど…… 況してや命まで…… 」
悔いても悔やみきれるものではない。あの時、騎士団に突き出せばと、考えても時は戻らない。大司教にできるのは、只々涙を流すことだけだ。
「大司教様、ーーーやはり、大司教様はわたくしの知っている優しい方でした。それなのに、苦しめてしまい申し訳御座いません」
「そんな事はない! 息子の罪を見て見ぬ振りをした私は、恨まれて当然だ。貴女は何も悪くない。それよりも、子の罪は親の罪。私は、聖クライリストル教会の大司教なのだ。多大なる権力を有する私の罪は、重い」
子の罪は親の罪、これはクライリストル経典に載ってる言葉で、法律ではない。大司教としての矜持がそれを許さないだけだ。
体を動かすことのない彼は、流れる涙を拭うこともできない。次第に彼女の姿も霞んで見えなくなる。
「その言葉を、お聞ききしただけで十分です。サリー様、大司教様を許してください」
「ダメだ。私を治すことは許さない。頼む、このまま逝かせてくれ」
「でも…… 」
「私が息子を突き出せば、キャロライン嬢が殺されることもなかった。頼む、このまま…… 」
「………… 」
「さぁ、もう帰りなさい。何もしなくて良い、早く帰りなさい」
「サリー様。お願いします、大司教様を治してください」
許した! エルシーは心の底から大司教様を許したのだ。許したなら、サリーがやることは一つだ。
『完全なる癒やし』
激しい黄金の光が大司教を覆うと、大司教の体は健康な体を取り戻していく。それでも魔法が収束すると、再び肌の色が青黒く染まっていく。呪いが力を取り戻したのだ。
「…………吾の願いし呪詛を祓い給え、急々如律令、禁無黒病、薩婆訶」
瞬く間に大司教の肌の色が良くなり、微かだが呼吸も穏やかになり呪いが完全に解かれる。呪いは解けたが今度はパーフェクトヒールの恩恵も一瞬で消え去り、大司教は死の淵に立たされていた。
呪いのせいで彼は死ぬほど苦しむが、呪いのお陰で彼は死ぬことも無かった。
『完全回復』
再び黄金の輝きが彼の身体を覆い尽くし、フロークス大司教の体は元の体に戻っていく。
夢黒病呪に、パーフェクトリカバリは意味をなさない。故に最初はパーフェクトヒールで体力を少しでも復活させ、次に禁無黒病にて夢黒病呪の呪いを解呪。最後に、パーフェクトリカバリによって、大司教を完全回復させたのだ。




