20、悩み
「魔物だ! 魔物が入ってきた! みんなおきろぉぉおおー!」
突然の悲鳴にも似た叫び声に、サリーは目を覚まし慌ててカレンに声をかける。
「カレン! 魔物の襲撃よ。目を覚まして」
「ん? 魔物?」
「し、静かに!」
サリーはテントの隙間から周囲を確認したが、幸いなことに魔物は確認できない。彼女は急いでテントから飛び出すと、月明かりを頼りに騎士団を探した。
騎士団の数名がすぐに見つかったが、最悪なことに魔物の入れないはずの拠点で、騎士団が二体のオークと戦っていた。
「カレン! 早くテントの外に出て」
「うん」
サリーに急かされ、カレンは慌ててテントの外に飛び出る。
「取り敢えず。状況を把握するためにも、急いで騎士団長を探さなきゃ」
「サリー、あれって、騎士団長だわ」
薄暗い森の中だったが、幸いカレンが騎士団長をすぐに見つけてくれて、サリーは急いで騎士団長の側に駆け寄る。
「どうして拠点に魔物がいるの?」
「良く分からんが、魔除光の一つが壊れたらしい」
騎士団長の話では、見張り役の一人が魔物の侵入に気づき、慌てて現場に駆け寄ったら魔除光が一つ壊れていたみたいだ。
魔除光は一つ壊れても、他の魔除光が発動していれば、外壁の一部が壊れた状態と同じで、壊れた場所からは侵入できるが、それ以外の場所は侵入できない。後は、壊れた魔除光を交換すれば良いだけだが、そのためには魔物を一度拠点から引き離さなければならない。
「ここは、どうにかするから、兎に角下がってくれ」
「分かりました」
騎士団長に下がれと言われ、サリーはカレンの側に急いで戻る。彼女は魔物の出現に、どうしたら良いのか分からず途方に暮れていた。
「カレン、念のため脱出の準備をしてください」
「はっ、はい」
元々纏めてあるリュックをテントの外に出すと、他の騎士団のリュックも一箇所に集めて、脱出の準備をする。
「団長、こっちは片付けました。そっちに手伝いに行きます」
「頼む」
どうやら侵入したオークを倒したらしく、団員から威勢のいい声が聞こえた。だが、騎士団が押さえ込んでる場所には、大量の魔物が侵入しようと列を組んだ状態で、最悪なことに今も魔物が増え続けている。
魔物の数は目に見える範囲で、百を優に超えていて、魔除光を交換するために、少しでも拠点から引き離さなければならないが、数が多すぎて限りなく不可能に思えた。
(サリー、早く逃げないと魔物に殺されてしまうわ)
(分かってますけど、わたくし一人で逃げるわけにはいかないのよ)
(でも、サリーが戦ったら、面倒なことになるわよ)
エルシーの言う通り、サリーが戦うということは、騎士団の前で陰陽師の力を見せることになる。
秘密を守るために寄生魔を使ったとしても、うっかり秘密を漏らして死んでしまったら、流石に寝覚めが悪く、フロークス大司教の時のように記憶操作を行うにも、二十人以上の記憶操作は齟齬が生じる可能性が高く使えない。
(そうだとしても、一人で逃げるわけにはいかない)
(バレても良いの?)
(良くないけど…… )
(だったら、早く逃げてよ。サリーが死ぬなんて、わたくし、許さないんだから)
念話を通し、エルシーの必死の声が聞こえてくるが、サリーは未だ決断を躊躇している。彼女の能力がバレたら、普通の生活には二度と戻れない。そんな思いが彼女の判断を鈍らせている。
彼女は、自身が敵と判断したときは遠慮なく、それこそ残酷なまでに徹底的に断罪するが、顔見知りとなると簡単に見捨てることはできない。
顔見知りのエルシーを見捨てられなかったように、カレンや騎士団の人達を、彼女は見捨てることができないでいた。
だが、自身が戦えば王族などの権力者に目をつけられ、今まで通り自由には動くことはできないだろう。そうなったら彼女は大好きな友人よりも自由を選び、皆の前から消え去ることは間違いない。
それが何よりも、辛くて判断できないでいた。
「カレン、怪我人を頼む!」
「はい。今行きます」
遂に騎士団にも怪我人が出始めたが、不思議と騎士団長からはサリーの名前は呼ばれない。こんなときにもサリーを使わない騎士団長に、彼女は憤りを感じていた。
だが、そうも言ってられなくなる。
団員の一人がブラックウルフに腕を食い千切られたのを皮切りに、騎士団の体制が崩れてしまい、更に別のブラックウルフに団員が足を食い千切られる。そうなると今までギリギリ抑えていた堰が切れたように、騎士団に怪我人が続出してくる。
「団長、このままでは抑えきれません」
「サリーローレンス、頼む、助けてくれ」
「畏まりました」
騎士団長から声をかけられたときには、既にサリーは動き出していた。
『完全回復』『治療』『完全回復』『完全なる癒やし』『完全回復』『治療』『完全回復』
サリーは聖魔法を発動させると、みるみると怪我人を治していく。それこそ通りすがりに次々と怪我人を治す彼女の魔力量と、それを何事もなく行う魔力操作に、カレンは呆然と立ち尽くす。
彼女の聖魔法による驚異的な回復力で、形勢が少しずつ変わるが、以前魔物の数は圧倒的に多い。
「もう少しだ、もう少し押し返して、魔除光の設置をやり直すんだ。だから、頑張れ」
「「「「はい!」」」」
少しでも魔物が拠点から押し返されていくと、次第に騎士団の士気も上がっていき、掛ける声も大きくなっていく。
絶望の底から微かに希望が見えてきたのだから、誰もが勝ちを信じて戦い続けていた。
「もう少しだ、頑張れ、頑張れ」
「団長の言う通りだ! みんな頑張れ!」
「そうだ、魔除光の設置さえ済ませば、魔物は入ってこれない」
団員達の心が一つになると、誰もが自然と自分たちを鼓舞するように大声をだす。それが好循環を起こし、更に魔物を押し込んでいく。
団員達の希望が遂に現実になるかと思った時、絶望の声が響いた。
「団長、大変です。もう一箇所からも魔物が!」
希望が見え始めた時に、もう一箇所の魔道具が壊れたようだ。幸い、サリー達を護衛していた団員達が慌てて応戦に向かったため、今のところ事なきを得てるが、それも時間の問題だろう。
「えぇーい、いったいどうなってるんだ」
「こんなに魔除香が使えなくなるなんて、誰かの陰謀かよ!」
「文句よりも手を動かせ! 一人でも諦めたら、その瞬間に終わるぞ!」
団長の必死な叫びも虚しく聞こえるほど、目の前の光景に団員達の心は砕ける寸前だった。
どんなに聖魔法で肉体が復活しても、先の見えない戦いは精神を削っていく。希望が無くなれば、人は動く理由もなくなっていく。
(サリー、もう無理だ。どっちみち、全員助けるのは無理なんだよ。だから、早く逃げて!)
(ダメだ、逃げたらダメだ)
(でも、サリーの力がバレたら、もう普通の生活には戻れないんだよ)
(それも、嫌だ!)
(だから一人で逃げれば、誰にもバレないのだから。一人で逃げようよ。お願い、サリー)
騎士団の皆やカレンを、全て見捨てて逃げ去れば何もかも元通りだ。そんな甘い言葉が彼女の脳裏に張り付いたとき、頭の中に警戒音が鳴り響く。
ジルに預けた四角い箱が、開けられた時に鳴る警戒音だった。




