2 悪事
夜半、屋敷の住人が寝静まった頃、寝室のベッドに腰を降ろした彼女は、目の前の壁に向かって話しかける。
「早かったわね。それで、調べはついたのですか?」
部屋全体に同化した醜い大小の眼が、彼女の問いに答えるように 瞬きをする。
「了」
見た目はひ弱な小娘の言葉に、複数の眼を持つ異形の者が従順に答える。傍から見ると小娘と異形の者の関係は、飼い主とペットのような関係にさえ見える。
「そう、今から覗いても宜しいですか」
「了」
彼女はベッドから立ち上がり歩き出すと、蜘蛛の子を散らすかの様に慌てて床の眼が逃げ出す。壁の前に立ち止まった彼女は、おもむろに両手を突き出すと、壁の目玉を絞り出すように引き摺り出す。
「ピギ、ピギ、ピギ、ピギ、五月蝿い! 大人しくしないと、壁から引き抜きますわよ」
「ーーーピギッ!」
彼女は、暴れる目玉を無理やり押さえ込み、自身の額に押し当てた。
★ ★ ★
見知らぬ部屋で、大司教が見知らぬ男性と何やら揉めている。
テーブルに両肘を添え、頭を抱えながら俯く大司教とは異なり、へらへらとした態度でテーブルに足を乗せながら座る男性。互いにどことなく似た雰囲気の二人だが、性格は極めて正反対に見える。
「まったく、なんて事をしてくれたんだ。お前のせいで、あの娘は自殺したんだぞ」
「仕方ないだろ、もう済んだ事じゃないか。親父」
(親父? この男は、大司教様の息子ですの!)
「あんな事するなんて、人として恥を知れ! 彼女は聖女候補の一人で、騎士の怪我も嫌な顔一つせず、治してくれた優しい娘たったのに」
「だから、何度も言うなよ」
「お前が、お前が死ねば良かったんだ」
事の重大さを諭す父とは裏腹に、当の息子は悪びれた様子もなく面倒臭そうな顔で父を見ている。
「だつたら、男爵なんかに金を渡さず、俺を騎士団に突き出せば良かっただろう」
「だから、それは…… 」
「今は、大司教を退けないと言うんだろ。だいたい俺を逃がした時から、親父も共犯なんだからな」
「………… 」
聖女認定の大事な時期に、大司教を退任するわけにはいかないが、それでも息子を騎士団に突き出すべきだった。
身勝手な思い込みだと理解してるが、その時は息子可愛さも相俟って、正しい判断が出来なかった。事の重大さを一番理解してなかったのは、今更ながら自分自身だと後悔しても後の祭りだ。
「親父も共犯なんだからな」息子の言葉に、鋭い刃物で我が身を刺された思いで、返す言葉も見つからなかった。
「なぁ、親父。心配しなくても、誰も見てないから大丈夫だって」
「どうかな、ローレンドール侯爵が疑ってる様子だった」
「調べようがないから、大丈夫さ」
不意に場面が変わり、再び見知らぬ部屋で、四人の男達が話しをしている。
二人の男性はテーブルを挟んで座り、他の二人は背後の壁に凭れながら暇そうにしている。椅子に座った見知った人物、大司教の息子が横柄な態度で喋りだした。
「親父の話では、ローレンドール侯爵が疑ってるらしい。大丈夫だろうなぁ」
「ああ、大丈夫だ。誰にも見られてない、だから安心しな」
「なら良いが、万が一にも殺したことがバレたら、俺も破滅だからな」
(えっ、殺した? エルシーを殺したの!)サリーに動揺が走る。
「旦那も、悪い人だ」
「仕方ないだろ。犯したことを、男爵に話すって言うからだ。大人しくしとけば、もっと可愛がったものを」
場面が変わった途端、行き成り強姦殺人の話だ。サリーは目の前の男らに、激しい怒りで我を忘れそうになる。
一人の女性の尊厳を踏み躙り傷つけるだけではなく、平気で殺害までする卑劣な行為に、彼女の心は張り裂けそうな強い憎しみを覚える。
「ちげぇねぇ。ただ、もう少し楽しみたかったですね」
「お前らも、殺す前に楽しんだんだろ、我儘言うな」
「すいません」
「でも、用心に越したことはない。お互い暫くは、会わないほうが良いだろうな」
「そうですねぇ、ですが、俺たちも直接手を汚したんだから、貰うものを貰ってからじゃないと…… 」
「分かっている。これだろ」
大司教の息子が、お金の入った巾着袋をテーブルの上に置くと、見知らぬ男はニヤニヤと卑猥な様相を浮かべながら巾着袋を手に取る。男は頭を下げると立ち上がり、他の二人を引き連れて部屋を出て行った。
★ ★ ★
手の力を緩め、額から目目連の目玉を離すと、見慣れた自室が現れる。
軽い目眩に蹌踉めき倒れそうになるが、踏み止まり目目連を睨みつける。睨みつけられた目目連は、目玉をギョロギョロさせながら微妙に震えていた。
「心配しないで、この怒りは貴方にぶつけたりしませんから」
「ーーー了」
「先程の、男性五人の居場所は把握していますか?」
「了」
「そうですか。今から少し付き合って下さい」
「了」
二階の部屋のベランダから飛び降り、屋敷の裏庭の奥にある人目の付かない場所まで移動すると、彼女は誰もいないことを確認する。
やがて彼女は、何も無い空間を睨みつけると、静かに呪文を唱える。
「…………吾が求め願い祀らん、急々如律令奉導誓何不成就乎、出でよ人攫い地蔵、薩婆訶」
異常に暗い闇の中からボロボロの着物に半纏を着た、人間の大きさの三倍以上もある鬼の様な地蔵が現れた。
「久方ぶりでぇ、「土御門 梓紗様」
「久しぶりですね、人攫い地蔵」
人攫い地蔵、自身を敬う心を忘れた人間を罰するために攫い、異空間に閉じ込める異形の者。根は優しく、きちんと敬えば人を救うお地蔵様だ。
「われに、何用でごぜぇますか、土御門様」
「先に言います、わたくしの事はサリーと呼びなさい」
「へぇ、それで、何用でごぜぇますか」
「目目連を伴って、男性三名を攫ってください」
「へぇ」
「目目連には案内以外で、大司教様と息子の髪の毛を頼みます」
「了」
「分かったなら、行きなさい」
異形の者は其々、闇の中に消えていった。
一時間後に、もう一話投稿します。