11、決闘の罠
闘技場は学院内でも最も大きな建物で、石造りの外壁は無骨ながらも威厳を感じさせる。そんな貴族学院でも代表的な建築物の大きな扉の前で、サリーは軽く息を吐いた。
(それでジルは、まだ、無事かしら?)
(えぇ、まだ何もされていません。どうやら、サリー様の居場所を聞いてるようです)
(そう、それで中の様子はどうなっているの?)
(男性が八人と、女性が四人。女性の四人は、サリー様が裸にしたチェリーナ達です)
(だから、やり過ぎたことを後悔していると、何度も言いましたよね!)
エルシーの話は、以前チェリーナ達に絡まれたとき、殴られそうになったジルを助けるため、式神で鎌鼬を呼び寄せたサリーは、四人の衣服を切り刻んでしまう。
不可抗力とはいえ婚姻前の貴族の女性を、下着姿で学院内を走らせたことに変わりはなく(あれは完全にやりすぎです。彼女達が一生独身でしたら、サリー様のせいですからね)と、エルシーに怒られた。
エルシーが怒るのも当然で。婚姻前の貴族の女性が、他人に肌を見せることは純潔を失うことに等しく、同じ貴族からの婚姻相手が見つからなくても、至極当然と言える。
サリーは闘技場の大きな扉を開け、闘技場の中に入っていく。
貴族学院には御令息が学ぶ剣術、槍術、弓術があるため、小学校の運動場ぐらいの闘技場が設けられている。建物内部は野球場のような作りになっており、周囲は全て見物するための席が設置されていた。
「ねぇ、ジルに何をしたの?」
ジルの安全を確かめるように、サリーはゆっくりと近づいていく。彼女に気づいた彼らは驚いた様子も見せずに、卑猥な笑みを浮かべる。
「ようやく、来たわね」
ジルの前に立ちふさがるように移動したチェリーナが、淡々と話しかけてくる。
「ようやく? ーーージルを捕まえて、何をする気なのかと聞いているのです」
「なんでもないわ。今からジルと決闘する予定なの」
「どうしてジルが、決闘しなければならないのですか」
「あら、私が手袋をジルに投げつけて、ジルが拾ったから正式な決闘になるのよ」
貴族同士の決闘には幾つかある。一つは大勢の目撃者の前で堂々と名乗りを上げ、決闘を申し込み、それを相手が受け入れた場合だ。条件として、赤の他人五人以上の証言が得られると、正式な決闘と認められる。勿論証人は、条件に述べられている彼らだ。
二つめは裁判で決着がつかないときに、裁判官たる法務官が決闘にて決着をつけるように申し渡すときだ。これは法務官が認めた正式な決闘で、国が証人となる。
三つめが今回の手袋を相手に投げて、相手が拾った場合の決闘だ。この方法は古い貴族同士の取り決めとなり、両方の知り合いが揃った時に初めて決闘として認められる。この場合の知り合いとは親、兄弟、夫、妻、親友等の親しい人物に限る。勿論この時の証人は、条件に述べられている彼らだ。
「ジル、手袋を拾って渡したのですか?」
「落ちて手袋を拾った時、声をかけられたから渡しただけで、決闘とは思わなかったのです」
「だったら、これは決闘とは認められないわ」
「それが何? ジルは手袋を拾って渡したと貴女に証言したわ。そして証人の貴女が現れたのだから、決闘は成立するはずよ」
チェリーナの言う通り、この決闘は最低限の条件を満たしている。
(相手が一枚上手です。サリー様)
(どう言うこと?)
(ジルが手袋を拾って渡したと、サリー様に証言しました。その瞬間、この決闘は正式に認められました)
(そうなの?)
(そうです。だから今までジルに手を出さなかったのです。サリー様がジルのことを心配して探しにくることを前提にした計画です。たとえサリー様がジルのことに気づかなくても、誰かがサリー様に、ジルとチェリーナが闘技場にいると伝えるだけで、サリー様は闘技場に駆けつけるはずですから」
エルシーの読みは当たっていた。実際チェリーナの仲間が、サリーを探して学院内を走り回っていた。
「だから貴女は、そこで默まって見ていなさい」
「わたくしが目的なのでしょ」
「うふふ、どうでしょ。わたくしは、ジルとの決闘でも宜しいのですよ」
「ハッキリ言ったらどうなの」
「そうね、貴女との決闘に切り替えても良いわ」
目的は最初からサリーだが、チェリーナは敢えて含みを持たす。
「条件は、なに?」
「簡単なことよ。貴女がジルの代わりに戦うのなら、こちらも代わりを選ぶというだけです」
「それで、わたくしは誰と戦えば良いのですか?」
「勿論、わたくし以外、全員とです」
「ーッ! な、何を言うのですか! サリー様、わたくしが戦います。ですから、引き受けないでください」
「別にわたくしは、誰でも宜しいのですよ。ジルが相手でも、サリーローレンス嬢を苦しめることに、変わりないのですから」
興奮したジルが、慌てて自分が戦うと叫んでも、チェリーナは大した問題ではないと、余裕な態度で笑みを浮かべる。チェリーナの目的は、サリーを追い詰めることなので、目的を達成した彼女は既に勝ち誇っていた。
「分かりました。わたくしが戦います」
「言いましたわね! 言質、取りましたわよ」
まさか引き受けるとは思っていなかったチェリーナは、驚喜に身を震わせていた。貴族の決闘とは元々命をかけるもの、たとえ死んでも文句は言えないからだ。
男爵相手なら、適当に嘘を吐いてでも決闘にもっていけるが、相手が侯爵なら簡単にはいかない。それが蓋を開けたら、侯爵が釣れたのである。喜ぶなというほうが無理というものだ。
「分かったと言ってるでしょ。ジルを離して」
「それは、ダメよ。離して逃げられたら、元も子もないからね」
「どうするつもり」
「ジルは、わたくしの側にいてもらいます。その間に、貴方達で勝手に戦ってください」
サリーにジルを見捨てることなど端からなく、どうしたら今後ジルに手を出さなくなるのか、どう痛めつけたら今後ジルに手を出さなくなるのか、その事ばかりを考えていた。
「おい、おい、おい、おい、俺たち全員って、それはないだろ!」
「まったく、たかが女一人に。ーーー俺たちも貴族だぞ。プライドってもんがあるんだ」
「静かにしろ!」
ガヤガヤと騒ぎ出した男達が、体格の良い男の一声で静かになる。
「なぁ、チェリーナ、俺たちにも貴族の誇りってもんがあるんだよ。その女をボコボコにすれば良いんだろ。やり方は、俺らに任せもらうからな」
「もちろん良いわよ、ドーゴン様。でも、やるからには徹底的にやってよね。でないと、わたくしがあの方に叱られるのだから」
「聖女相手にムキになることもないだろ。まぁ、ひん剥いてボロボロにするけどな」
「「「「ギャハハハ」」」」
卑猥な言葉をかけながら、サリーを笑う男らを尻目に、彼女は呪文を思い浮かべていた。
(…………吾が求め願い祀らん、急々如律令奉導誓何不成就乎、出でよ妖魔惨、薩婆訶)
いつの間にか彼女の右手には、真っ黒な日本刀が握られていた。