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episode.5

「面接希望の方?」

「経験ないんですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、最初はみんなそうですから。早速ですけど明日から入れますか?」




除夜の鐘がぼーんぼーんと遠くで聞こえる。吐く息は真っ白なのに私の身体はかっかと火照った。



「さっちゃん帰省のときの空港、撮りにいく?」

「うん、前日から空港泊まるわ」

「おっけ、じゃあまた明後日ね」




裕太くんに会える時間は一秒だって惜しい。だって結婚しようって行ったんだから。


私はわかったんだ。幸大と結婚できなかったのは、会いたいときに我慢したからだ。

結婚のためにわがままを我慢したから手遅れになっちゃったんだ。裕太くんはちゃんと私の話を聞いてくれる。会いたいって言って、会いに行ったら、ちゃんと話してくれる。

プロポーズだってしてくれた。約束って、結婚しよう、約束って…。



「裕太くん」



私はその日初めて裕太くんが心底嫌そうな顔をして私を見つめる目に圧倒された。

訳が分からなかった。私は動揺した。あんなに優しかったはずの裕太くんが私を睨みつけるなんて。あんなに優しかったはずの幸大が私を疎ましそうな顔で見るなんて。



「やば、裕太くんの投稿スルーしてた」

「珍しい~さっちゃんがコメント忘れるなんて。」

「四時間前って何してたっけ?」

「仮眠?」


ああよかった。なんだそんなことか。

裕太くんも寂しかったんだ。

きっと幸大も寂しかったんだ、だから奥さんのところに帰っちゃったんだ。

あの時つなぎとめておければ、あの時もっと私がわがままを言っておけば、もっと引き留めておけば、行かないでって泣いていれば…。



もう同じミスは繰り返さない。

私の結婚式は。私は目を閉じた。

裕太くんの眩しい笑顔と白いタキシード、私のドレスはプリンセスラインだろうか。ユリちゃんも呼ぼう、勲太くんと二人で受付をやってもらったらいい。きっと幸せだ。幸せでしかないんだ。




「あ…」

「裕太くん今日もカッコよかったよ。」

「芽依、お疲れ様。今日もありがとう」



私は焦っていた。特典会に行くたびに、このつーんと突然澱んでしまう空気に焦っていた。

裕太くんの顔は曇ったままだった。朝マンションからマネージャーの車に乗るときに目が合った時と同じ、生気のない曇った眼をしていた。



「裕太くん疲れてるんじゃないかな?」

「そう?私には普通だけどな」

「勲太くんはいいよね、ステージと特典会とプライベート全部同じテンションだもん。」

「そうね、裕ちゃんはちょっとプロ意識足りないかもね」

「今度喝入れなきゃ」

「勲太はまあ、それ以外もあんな感じだけどね」

「それ以外?」





“勲太抜けるらしいよ”

“ファンと繋がるとかありえないよね”

“そんな風に見えなかったのに”

“繋がってた子、見たことあるけど地味な子だったよ”

“さっちゃんといっつも行動してる子だよね”

“さっちゃんもオキニだもんな”

“あの辺すごいよね、熱が、圧が”




「はーい、今日もありがとうお疲れ様」


裕太くんはこのところ私の名前を呼んでくれない。もしかして忘れちゃったのかもしれない。私は唐突にすごくすごく焦った。怖くてたまらなかった。


幸大との二年が粘土細工で作ったアニメになって童謡かなんかに合わせて私の頭を流れていったあの瞬間と同じように、裕太くんとの思い出が、そんな風になってしまったら、もう私はきっと私は




「裕太くん、名前呼んで」

「名札?今更」

「やっぱり覚えてくれてるんだね」

「芽依、あのさ」


裕太くんはいつになく真剣な顔をした。私にしか見せない顔、私しか見られない顔。



「芽依、そんなファンじゃなかったよね、昔はたくさん会いに来てくれて、コメントもたくさんくれて、ファンの中でも人望があって、誕生日の企画とか仕切ってくれて。すごく俺は、芽依が俺のファンで居てくれることが嬉しかったんだよ。」


「今も変わらないよ、たくさん会いに行くし、誕生日だって、裕太くんに似合いそうなものをプレゼントしたいけど今年は意見が割れちゃったから、一人でお金出したほうが早くて…」


「違うよ、今の芽依は違う。会いに来てくれるのは嬉しいけど、プライベートはダメだよ、こうやって仕事で会える時にしてほしい。それに、すごく高価なプレゼントは負担なんだ。あんな30万円もするネックレス、認証しないわけにいかないけど、他のファンの子が見たらなんて思うかな?芽依みたいにやらなきゃ自分はダメって思っていなくなっちゃったら俺、ファン減っちゃうんだよ?」


「いいじゃない、だって私は裕太くんが好きなんだもん。世界一好きなんだもん。」


「芽依以外にも俺を応援してくれてる人はいるよ。」


「でも私たちは結婚するんでしょ?」


「え?」


「約束したじゃない、忘れたの?」




「はい、20枚分のお時間終了です。」






ロールキャベツを突きながら幸大は嬉しそうに笑った。


「芽依の料理は美味しいなあ。ずっとこうやって芽依の作るご飯食べる生活がしたいな。」


“幸大さんの奥さんは共働きだからね、大学の先輩だったし、どちらかと言えば厳しい方で。だからなんか年下で家庭的でかわいい芽依ちゃんに癒されたかったのかな。”


“結婚にこだわると、その恋愛が生活の最優先項目になっちゃうでしょ。生活がのっぺりしちゃうじゃない。私は他にも楽しいことがたくさんあるの。もちろん恋愛も好きよ。だから、恋愛したい時に、今日の気分に一番合う相手と恋愛する。セックスだけじゃない。ご飯も映画も買い物も、いつも決まった恋人だけがそのシーンにベストだとは、私は思わない。今日はその人がベストでも、違うシーンなら違う人がベストかもしれないし、女友達かもしれないし一人かもしれない。楽よ。メイクや香水と一緒。TPOに合った恋愛を選択するの。まあピュアな芽依ちゃんには難しいかな。”





「幸大、」

「ん?」

「何十年待っても私と結婚できないんでしょ?」

「なんでそんな悲しいこと言うの?」

「じゃあ奥さんと別れるの?」

「…」

「今は仕事がんばりたいって言ったじゃない」

「芽依いつから知ってたの?」

「答えてよ、今っていつまで?待ってれば、来るの?その今は来るの?」

「芽依、一度ちゃんと話そう」

「答えてよ、結婚しようって言ったじゃない、約束したじゃない。」




裕太くんの顔はどんどん幸大の顔になっていった。そんなわけない。裕太くんにはちゃんと思ったことを伝えてる。会いたいときは素直に会いに行ってる。幸大とは違う、違う、違うんだ。


今度こそ、私は結婚できるんだ、約束したんだから。





「芽依ちゃん?」


頼子と言われなければ頼子とわからないぐらい、ごく自然に幸せな顔をしていた。

ボーダーのTシャツを着た真面目そうな男の人と二人寄り添って、スーパーで買い物をしていた。



「今の私のTPOには彼が合ってるの。不思議よね。朝起きてから寝るまで、これから先の人生全部、彼と過ごしたいTPOなんだ。」


ネイルなんてすっかりしていない薬指には、その男の人とお揃いの、銀色の細い指輪が光っていた。





“裕太活動休止だって”

“怪我?”

“いや、メンタルらしい”

“勲太のこともあったしね”

“なんかストーカーみたいなファンがいたらしくて”

“何それ怖い”

“夜中に部屋にいたんだって、ワールドツアーの時、メキシコの時のホテルで”

“それはさすがに犯罪”

“どこまで本当かわからないけど裕太も災難だよね”





「深雪、久しぶり」

「やっと会ってくれた」



もう春だった。あと二か月もしないで私は三十二歳になる。


メインボーカルの一人がファンと交際したために脱退し、もう一人が精神を病んで活動休止したエルドラドには、日ごとにアンチが湧くように増えていった。


そうしてワールドツアーを途中で中止し、電撃解散した。



結局私は、エルドラドのファンなのに、彼らの、“世界中のファンに会いたい”という夢を奪い取ってしまった。


会見で頭を下げる残りの三人のメンバーのことも大好きだった私はただひたすら愕然とした。

エルドラドの曲が、ステージが、五人の夢が、大好きだったはずの私は、いつまで経ってもテレビの前から立ち上がれそうになかった。




「芽依がそこまでエルドラドのファンだったとはね?」

「ずっと言ってなくてごめんね」

「私のいとこもファンだったから芽依にグッズとか頼めばよかったなあ~」

「深雪…」

「冗談だよ」



ロイヤルミルクティーをかき混ぜる深雪の薬指にはほっそりした指輪が光っていた。



「裕太くんだっけ?その子どうしてるの?復帰できた?」

「うん、アイドルはやめて役者になって、復帰作の映画で共演した相手役の女優さんと結婚したよ」

「そう…」




「芽依は私の親友だから、芽依も見つかるから、花の咲くサボテン、見つかるから」



深雪はいつまでもいつまでも泣いていた。私も決まったように泣いていた。とりあえず泣いておいた。感情が追い付かなくて泣いておいた。桜の花びらが私の後を追いかけるように静かに舞っていった。





「芽依先輩、新人の子、あとで案内してあげてくれますか?」

「なんで私?」

「先輩、康野裕太のファンだったでしょ?見たら笑いますよ?すごく似てるから」



とくん。

裕太くんが役者に復帰して生き生きとしている姿をみて、私は本当に本当にこの人の“ファン”だったって思った。



もうファンクラブも入っていないけれど、どうしてもミュージカルを見てみたくって、二階席からこっそり見た。


大好きな歌声と伸びやかなダンス、結婚したと思えない、一児のお父さんになったとは思えないスリムな体型で、あの時と全然変わってない、かっこいい裕太くんが、そこにいた。



「芽依…?久しぶりだね」

「裕太くん、千秋楽おめでとうございます。」


少しだけびっくりした顔をしたけれど、すぐに裕太くんは昔と同じふんわりした笑顔にもどって、そして笑った。

怖くて怖くて、申し訳なくて、何度も諦めようと思ったけれど、意を決して並んだ。

真っ赤な顔でうつむきながら、終演後パンフレットサイン会に並んだ私を見て、裕太くんはふんわりと笑った。



「あの時は本当にごめんなさい」

「いいよ、もう。俺も若くて未熟だったから」

「…」

「これからも、ステージ見に来てね」




ステージでキラキラ輝く裕太くんは、三十四歳になってしまって、真っ暗な後悔と自己嫌悪とキラキラした幸せな記憶が詰まった思い出BOXの中で泣いていた私を、そっと連れ出してくれた。


私はようやく自分だけの足で歩き出した。春だった。桜の花びらが舞っていた。





「峻菱大学から参りました、新入社員の神原浩輔です。」



春だ。



また出会いの季節がやってくる。



「ね、芽依先輩、康野裕太に似てません?」


私の結婚式は。

三十五歳で毎日会社に行って、生きるコストを捻出して息をしている私の結婚式は。


そんな平凡な毎日が幸せなんだって思える私の結婚式は。誰かが出会って別れるのをこうして見ているだけで穏やかな感情が流れる私の結婚式は。




「先輩、来週の長期休暇何するんですか?」

「ん?コンサートだよ」

「えーまた新しい若い子見つけたんですか?」

「そ、かわいいの、息子みたい」

「どんな感情ですか。息子って」



私の結婚式は。

三十六歳で毎日会社に行って、稼いだお金でこれから実力が伸びそうなアイドルグループを見つけてはコンサートに行って応援している私の結婚式は。




“さちさんって特典会は行かないんですか?”

“そうだね~パフォーマンスだけ見れたらいいかな”

“えーでも会ってみたいって、話したいって、触れてみたいって思わないんですか?”




私の結婚式は。

いつか来るのかもしれないし、もう来ないのかもしれない。そんな結婚式に、思いを馳せることは遂になくなったけれど、それでも私の毎日はサイケデリックで、私は今日も少しだけうきうきした。



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