episode.4
ユリちゃんと並んで話して色んなことがわかった。
彼女は私より三歳年下、勲太くんと同い年で、実家暮らし、普段は銀行の窓口で働いていた。
「裕ちゃんが若いから学生のファンが増えちゃって。裕ちゃんドラマやったじゃない?あれからすごくそういう勘違いする若い子が増えちゃった。勲太のこともおじさん呼ばわりするんだよ。」
「勘違い?」
「いわゆるリアコってやつ?まあ裕ちゃんもいけない。あの子、ドラマのイメージ崩さないように待遇よくしすぎだから。」
忙しく歩くスーツの男性たち。
吸い込まれていくのは一部上場企業の大手企業ばかりが軒を連ねる高層ビル。
この中の誰でも、もし結婚できたなら。私はそんな風に考えて、ちっとも心が弾まないことに違和感を感じなくなってきていた。
私の結婚式は。そんな風に思いを巡らせることも、お城に住みたいと思うことも、いつの間にかなくなってしまったのに、違和感を感じなくなってしまっていった。
結局、二回目の挑戦で私は勲太くん二枚と駿喜くん一枚、ユリちゃんは裕太くんを一枚と潤くん一枚、哲柄くん一枚というラインナップだった。
私たちは現実世界でもネットの世界でも四方八方に駆けずり回って交換をした。そして私はオークションで買っておいた一枚の他に、五枚の裕太くんと一枚の駿喜くんを、ユリちゃんは六枚すべての勲太くんを手に入れた。
すべての取引を終えたころ、開場を知らせるベルが鳴り、私たちはいそいそとスタンディングの会場に吸い込まれていった。
「芽依、最近また生き生きしてるね」
深雪は私に目ざとい。あんまり連絡を取っていなくても、ランチの誘いを四回パスしてしまっても、怒ったりすねたり心配したりすることなんてなくって、こう言うんだ。生き生きしてるねって。
「いい人見つかったの?それとも仕事が楽しい?」
…そのどっちでもないとき、どんな言葉で返せば深雪は喜んでくれるんだろうか。
「芽依、聞いてる?」
「はい次の方こちらどうぞ」
「お荷物の中にカメラ・録音機などはございませんね?」
「こちらで券をお預かりします」
「スマホのカメラで画面録画などされていた場合はその場で削除していただきますので」
淡々とした説明も全く耳に入らない。
五分も経たないうちに、裕太くんが私のことを見て、すぐに触れられるような距離に来て、そうして、
「こんにちは」
五分なんてあっという間だった。たくさん妄想して、話すことを考えて、準備して準備した時間だったけれど、私はコンサートの感想を裕太くんに伝えることさえもままならなかった。
「名前は?」
「え?」
「覚えるから。名前は?」
「…芽依です。」
「芽依ちゃんか。」
裕太くんはふわっと笑って私の肩を抱いた。全身の細胞が生まれ変わったんじゃないかと思うぐらいに血流が加速して、私は顔を真っ赤にしながらうつむいた。
「芽依、コンサート楽しかった?」
「はい、裕太くんすごくかっこよくて、特に最新曲のステージは初めて生で見たので圧巻でした。」
「嬉しい~新しいコンセプト気に入ってくれたんだね」
「最後のサビの前のパートがかっこいいです、衣装も」
「じゃあ、たくさん聴いてね」
裕太くんの手は大きい。角ばった骨が男らしくて、指が長い。そんな手でマイクを持ち替えて歌うとき、本当にセクシーで見惚れてしまう。
そんな手でぽんぽんと私の頭を撫でながら、裕太くんは顔を覗き込んでいたずらっぽい顔をした。
呆然としてブースから放り出された。たった一分ぐらいの時間だったはずなのに、何時間も一緒に過ごしたような気がした。
会話をしてしまった、名前を何回も呼ばれてしまった、肩を抱かれたり頭を撫でられたりしてしまった。情報量が多すぎて多すぎて、私は混乱していた。
呆然としたままレーンの外で頭の整理を必死にしようと思ったけどできなくって慌てているうちに列はどんどん短くなっていった。
「裕太さんの列、今並んでる方で終了とします」
まだ五枚も残ってるんだ。かけた労力とお金を考えてふと冷静になる。そうだ、お金をかけたんだから、怯えたり申し訳なくなる必要はない。費用対効果だ。裕太くんだって仕事なんだ、ここは堂々といこう、いかないと。
「芽依、また来てくれたんだね!」
たった一時間ぐらいしか経っていないとはいえ、この間に裕太くんのところには何十人ものファンの人が来たはずだったのに、裕太くんは私のことを覚えていた。
「五枚かあ~芽依、どんな風に撮りたい?」
「なんか何も考えてなくって…」
「じゃあ、まずハートね」
ハートを作ったり、向かい合ったり、手をつないだり…裕太くんは流しそうめんでも流すようになめらかに、ツーショットのレパートリーを披露していった。私はそれに必死でついていった。
「芽依は社会人?」
「どんな仕事してるの?」
「明日も来てくれるの?」
「そのブラウスかわいいね、似合う」
「エルドラドの曲で何が一番好き?」
「今日は何時に起きたの?」
「ちゃんと晩ご飯食べてね」
「気を付けて帰ってね」
「また明日ね」
「芽依、ありがとう」
「愛してるよ」
それから六時間経って、私はまた昨日と同じ列に並んでいた。
「おはよさっちゃん」
ユリちゃんはこんな朝早くなのに綺麗にメイクをして、ふんわりいい匂いをさせながら現れた。
「芽依、今日も来てくれたんだね~昨日はちゃんと帰れた?」
「今日もかわいいね。もしかしてちょっとメイク変えた?」
「芽依が会いに来てくれると元気出るよ」
「じゃあ、次のステージで芽依のこと見ながら歌うね」
「ありがとう、また来月会おうね」
「芽依、芽依ってば」
深雪はぱたぱたと私の顔の前で手を振りながら、怪訝そうな顔をした。
窓の外はちらほらと紅葉し始めて、いつの間にかふんわりしたシフォンのブラウスは、少し厚手のリブニットに変わりつつあった。
「芽依、携帯ばっか見てるしさ」
深雪がついに不機嫌になるのを、私は初めて見たのだけれどなんでだろう、違和感さえ感じなかった。
“さっちゃん来月も全公演入るんだよね?”
“いいなー認知”
“また裕太くんとの幸せなレポ、楽しみにしてますね”
“来月の裕太の誕生日、プレゼント何あげるんですか?”
「さっちゃん!」
ユリちゃんと仕事の合間に会った。この前発売になった新しい曲のCDに入っている写真の交換のためだった。
「ほんとにさっちゃんって、勲太運ついてるよね~」
「ユリちゃんこそ裕太くん運ついてるから羨ましいよ」
ほんの少しのバイブレーダにも反応して、すぐにSNSを開いて、返信して、それが裕太くんのアップした投稿だったらすぐさまコメントしないといけなかった。誰よりも、一番最初に、気の利いたコメントを返さなきゃ。
“いつも応援ありがとう。似合うでしょ?”
「やった、1コメとった」
「また?さっちゃんほんとすごいよね、しかもコメントのセンスがいいし」
また震える携帯。
“ミキさんがあなたをブロックしました”
「ねえ、同じメンバー応援するファンってさ、さっちゃんは気にする?」
「いや、私は気にしないけど…絶対拒否って人もいるよね」
「そうそう、私も初期から繋がってた古参のファンの友達いたんだけど、私のほうが認知早かったから、こないだブロックされちゃった。」
「ブロックとかする人いるんだ、怖いね」
「ねー」
“ミキさんがあなたをブロックしました”
「裕ちゃんの誕生日、カフェと地下鉄、まわるよね?」
「もちろん!広告の写真集めないと」
「じゃあ、駿喜のおじいちゃんのところの焼肉屋さんでご飯食べよ」
「いいね~一度行ってみたかったんだ」
「おばあちゃん優しいよ、エルドラド好きって言ったら、写真とか見せてくれるし。ね、誕生日プレゼント、何にするの?」
「マフラーかなあって思ってて」
「いいね、マフラー!裕ちゃん、認証してくれるといいね。」
「えーっと続いてのお便りはペンネームさつきさんから…」
“さっちゃんが裕太に推されすぎてて本当興奮した”
“裕ちゃんほんとさっちゃんのこと好きだよね”
“二人のツーショットほんとにカップルみたいだもん”
“今日はメンバーと息抜きに買い物行きました。ファンの皆さんに会いたいです。FROM裕太”
「もしもしさっちゃん?見た?さっきの投稿!裕ちゃん、マフラー!あれ、さっちゃんがプレゼントしたやつでしょ?」
「芽依、」
微笑む裕太くんの顔がふっと曇る。
今日は元気がない。なんでだろう、あんなにかっこいいステージだったのに。今日も私はこんなにツーショットの券をたくさん買って、裕太くんの列に並んでいるのに。
「芽依、結婚したい?」
裕太くんの表情が読めない。どうしてだろう。こんなにたくさん会いに行っているのに。何を考えているんだろう。
この一年毎月会いに行って、毎日応援コメントも送って、手紙もたくさん書いて、こんなにツーショットの券を買って、プレゼントも送って、見た目だって少しでもかわいく見えるように、若く見えるように努力している私が、二十九歳の私が、裕太くんを大好きな私が、結婚したくないだなんて、どうしてそんなこと思うんだろうか。
うつむいてしまって何も言わない私の、空のグラスにビールを注いだ。
「芽依、俺は仕事がんばりたいからさ、結婚は本当に悪いんだけど、今は考えられない。」
汗びっしょりで目が覚めた。
ごくごくと台所で水を飲む。バイブレーダに反応して携帯を開けると先月からリボ払いにした設定がちゃんと通った通知だった。
「芽依、また忙しいの?ねえ、彼氏ができたならちゃんと教えてほしいけど、いや、言いたくないならいいんだけど、私なにか芽依のこと怒らせるようなことしたかな?」
裕太くん以外のことには一円だってお金を使いたくなかった。使えなかった。
お城のために、夢のような結婚式のために貯めた300万円はあっというまに底を尽きたけど、裕太くんの、エルドラドのスケジュールは止まらない。
ここで止まったら忘れられちゃう、あんなにがんばったのに、ほかのファンの人に追い抜かされちゃう。
「おはよ、さっちゃん」
ユリちゃんはいつだって綺麗だ。銀行の窓口の仕事ってそんなにお給料がいいんだろうか。私みたいに小さな会社で事務をしている人間は、毎日毎日残高を見るのが怖い。
「まさか。銀行だけじゃオタクはできないよ。ちょっとまあ、体力的にはきついし、サービスもしなきゃいけないけど、お金のゆとりは心のゆとりじゃない?綺麗にしてたいからコスメだって買いたいし、服だって買いたいし、それにね…」
「お!芽依、なんかファッション変わった?」
「裕太くんはどういう子が好きなの?」
「そうだなあ~芽依かなあ」
「出た、裕太くんのお世辞」
「お世辞じゃないよ~だって芽依かわいいもん」
「裕太くんがそんなこと言うから、お嫁に行きそびれたら裕太くんのせいだからね?」
「そんなこと言って怒らないで芽依、俺と結婚したらいいじゃん」
“俺と結婚したらいいじゃん”
「はい、約束。だから、そんな怒った顔しちゃだめ、わかった?」
“俺と結婚したらいいじゃん”