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サイケデリック

広いチャペルの中からは青空が透けて見えた。友里がお父さんと一緒に入場してくる。笑顔で拍手をしながら、すかさず必須項目の確認をする。ドレスのデザインは当然プリンセスラインだ。友里の体型ならプリンセスが一番似合うだろうなと納得する。招待客は七十人ぐらい。大きなスプーンでケーキを食べさせあって、泣きながら親への手紙を読む。友里らしい。初めて買ったコスメも、欲しがったバッグのブランドも、ど定番を嬉しそうにやりこなすのは友里の特技だった。誰が見ても幸せな結婚式。


 レストランウエディングを選択したのは花帆だった。花帆はマーメイドラインがよく似合う。三十人ぐらいのこじんまりとした結婚式。ご飯がおいしいのはポイントが高い。少しプライドがあって、高めのドレスを買って応戦した。花帆は美人だから、花帆らしい。


 旅行がてらとグアムまで飛んだのは亜加梨の結婚式だった。決めた部分にだけ、うんとお金をかけて簡単にまねできないことをやってのけるのは最も亜加梨らしかった。青い海と空は、何にも代られない、ここでしかできない結婚式だから、亜加梨らしい。あ、ドレスのラインはさすがに亜加梨もプリンセスだった。


 私の結婚式は。結婚情報誌は10キロ近い重さがあるのに398円だから、内容はいつだって同じなのに何冊も何冊も買ってしまう。ドレスの人気ランキングや指輪の人気ランキング、あいさつの手土産や結婚式の演出の流行、私の結婚式は。そう思うとうきうきする。二十七歳で二年付き合った彼氏がいる私は、とてもうきうきする。


二十七歳で二年付き合った彼氏がいる私。身長158センチ体重46キロをずっと維持していて、8トーンの茶色い髪を月に一回きちんとトリートメントして、出かけるときにはゆるく巻いて、毎日ちゃんと働いて、貯金が300万円あって、料理も洗濯も掃除も一通りきちんと出来る私に、ふさわしい結婚式は。


色々な相場が頭の中に綺麗にファイリングされていつでも取り出せるように並んでいた。私の結婚式は。そう思うとうきうきする。



「土曜?」

「そう、忙しい?」


蟹めしの素が売っていた。いつもどおりにお米を研いで、混ぜて炊くだけでできるから簡単なのに、豪華で、幸大はとても喜んでくれた。ぶりの照り焼きは手間が要らないからすぐに作れる。わかめの味噌汁も。ほうれん草のお浸しも。だし巻き卵も。幸大はとても喜んでくれた。


「ごめん、土曜は仕事だわ。」

「そっか、じゃあ…次の日曜は?」


どうしてだろう。いつだって、週末は私の行きたいところに連れて行ってくれる幸大なのに。いつだって私に愛の言葉をたくさん束ねて持ちきれないほどくれる幸大なのに。私は焦っていた。ウェディングフェアの話を出すたびに、このつーんと突然澱んでしまう空気に焦っていた。


「芽依、結婚したい?」


幸大の表情が読めない。どうしてだろう。二年も付き合ったのに。何を考えているんだろう。二年も付き合って、友達の結婚式に毎月のように通って、こんなに情報誌も買って、家事だって努力している私が、二十七歳の私が、幸大を大好きな私が、結婚したくないだなんて、どうしてそんなこと思うんだろうか。

うつむいてしまって何も言わない私の、空のグラスにビールを注いだ。


「芽依、俺は仕事がんばりたいからさ、結婚は本当に悪いんだけど、今は考えられない。」



寝返りを打ったらまだ夜中の二時だった。幸大は眠ってしまっていた。ごみ箱に私たちの愛の残骸が無造作に捨てられている。いやというほど幸大の匂いが染みついた毛布を頭からかぶって、何かポジティブに考えられる要素はないかと頭の中を巡らせた。


結局のところ幸大が大好きなのだから、仕事をがんばりたいと言われてしまっては、待つしかないのだった。そうは言ったって幸大は子供が好きだし、私が友達の結婚式の話をするときには熱心に聞いてくれる。何より、こうして、二年の間ずっと、私を愛してくれている。

女が焦ってはダメだと情報誌にも書いてあった。ちゃんと言ってくれたんだ。仕事をがんばりたいからって。それってとてもいいことだ。仕事をがんばりたい男性の彼女でいることは、とってもいいことだ。男性は三十一歳になってもまだ気持ちは若いというし、女性よりも結婚に興味を持つのは遅いはず。それでも変わらず愛してくれてるんだから。愛してくれてるんだから。



土曜は、幸大の仕事が早く終わったから結局お昼から会った。行けたな、ウエディングフェス…とほんの三秒だけ思って、仕事をがんばりたいからまだ結婚は考えられない幸大の横顔を見て、慌ててばかな考えを吹き消した。


二年も一緒にいるからもう歩くペースも一緒だし、つなぐ手はなじんでいるし、服装だってどことなくリンクしていて、本当に本当に、ガラス窓に映る私たちはお似合いだった。そう考えたらとても満足した。待つ時間があるということは、その分もっともっといろんな結婚式に行ったり、情報収集したりする時間がある。そう考えたら満足した。私の結婚式は。そう考えたらうきうきした。



「芽依ちゃんは結婚にこだわりすぎなんじゃない?」


今回の頼子のネイルはピンクベージュのグラデーションで大きなパールがついていた。地味カラーで揃えているのに、ここまで下品にできる頼子はもう、才能だと思う。


「頼子は結婚したいとか思わないの?」

「全然。縛られるのも縛るのも嫌。」


長い爪でサンドイッチのトマトだけを器用に引き抜きながら笑う。瞬間背筋がぞわぞわとして虫が走っているみたいな気がした。


「そうは言っても適齢期だしさ、いつまでもたくさん男が寄ってくるわけじゃないじゃない?」


精いっぱいの嫌味のつもりだった。五人も彼氏がいて、それも全員既婚者の、頼子のことが本当はとてもとても苦手だった。

人の幸せに侵食して、家庭というお城の中に土足で入る下品な頼子が、とてもとても苦手だった。


不倫なんてする男は頼子みたいな下品な女が好きなんだ。だって自分にお城があるのに、お城を守る奥さんがいるのに、まだ欲があるような男なんだから。不倫は未来なんていらない分、糖度は100%の、歯が痛くなるような甘い時間だけなんだきっと。そんな体に悪いものを、自生もできなくて欲してしまうなんて動物だ。動物だから当然、こんな頼子みたいな下品な女が好きなんだ。


この長い爪で愛を交し合う頼子を想像してしまって、唐突に吐きそうになった。うっとりと視線を絡ませながら、さも“愛”なんてばかばかしいものは滑稽だと言わんばかりに、糖度の高い時間だけを五人分、飽きもせずに生み出し続ける頼子を、本当はとってもとっても嫌だと思っていた。


「寄ってこなくなったらそうだなあ、困るね。」


ふっと笑った顔が、もう何手も先まで読まれてしまっているみたいで、また背中の虫が私を駆け巡った。


「でもさ、女の賞味期限は未婚でも既婚でも一緒だよ。結婚してたら法的に契約してるから、死ぬまで抱いてもらえるの?それならいいよね、結婚って。」



頼子に負かされるたびに私はその虚無感を打ち消したくてまた結婚式に行った。死ぬまで抱いてもらうために契約に行くんじゃない。本当に頼子は下品だ。下品だ。きちんと二年付き合った彼氏がいる私が気をもむ必要なんてあるわけないんだ。頼子は下品だ。だから既婚者なんかに手を出すんだ。頼子は結局ベッドの上でしか必要とされていない、かわいそうな女なんだ。そう思ったらやっと安心して背中の虫がいなくなっていくのを感じた。頼子の恋愛ってなんなのだろう。五人の男たちの誰も将来に夢も希望もないのに、何が楽しくて、奉仕するんだろう。



「結婚にこだわると、その恋愛が生活の最優先項目になっちゃうでしょ。生活がのっぺりしちゃうじゃない。私は他にも楽しいことがたくさんあるの。もちろん恋愛も好きよ。だから、恋愛したい時に、今日の気分に一番合う相手と恋愛する。セックスだけじゃない。ご飯も映画も買い物も、いつも決まった恋人だけがそのシーンにベストだとは、私は思わない。今日はその人がベストでも、違うシーンなら違う人がベストかもしれないし、女友達かもしれないし一人かもしれない。楽よ。メイクや香水と一緒。TPOに合った恋愛を選択するの。まあピュアな芽依ちゃんには難しいかな。」



今週末は幸大が実家に帰っている日だから、一人ぼっちだった。なんだかんだで週末はいつも、幸大と過ごしてきた。データフォルダの二人の写真を見返す。初めて行った旅行、買ってくれたネックレス、クリスマスに見た夜景、作ってあげたご飯、笑っている幸大、眠っている幸大。全部全部が愛おしくて、指でなぞった。


早く帰ってきてほしい。

心の底からそう念じた。実家に帰る日は、お正月を含め年に数回あるけれど、いつもそのあとの幸大は少しよそよそしい。よそよそしい幸大を解凍してまた二人の時間に浸すのは少し骨のいる作業だった。

幸大のお母さんは私のことを知っているんだろうか。会ってみたい。そんな風にも思った。幸大がどんな風に子供時代を過ごして、そうして今の大好きな幸大になったのか、見てみたい。そんな風にも思った。仕事をがんばりたいから今は結婚を考えられない。そう言われてしまったから、私はその手の話題を一切禁じられてしまった。本当は見てみたい。そう思っても、二度と話題に出せなくなってしまった。埋める外堀を間違えたのは薄々感じていた。


結婚願望のない彼氏に結婚を意識させる方法は大きく分けて3パターンある。一つ目は私がやったようにウェディングフェスなんかに誘い出してイメージさせる方法、二つ目は彼氏の親や兄弟から固める方法、三つ目は他に男性の影をちらつかせて危機感を与える方法。三つ目の方法は頼子みたいに下品だから即却下だった。幸大の実家がもっと近くにあったら、自然に二つ目の方法にしたのに。今更後悔したって遅い。私はため息をついた。早く解凍してもらうために、どんなメニューを作ったらいいか、ずっとレシピのページを見ていた。



「芽依ちゃん?」

突然呼び止められて振り返った。一回こっきりしか会ったことのない顔だったけれど、すぐに鮮明に思い出した。


「二年ぶりかな?変わってないね。」


亮一くんは幸大を紹介してくれた人だった。学生時代に同じゼミだった鈴木さんの当時の彼氏で、それほど仲が良かったわけでもないのに、快く合コンを組んでくれて、その中の一人に幸大がいて、そうして私たちの毎日が始まったのだった。


 そんな命の恩人みたいな亮一くんはもう、鈴木さんとは全然違う女の人と結婚して、薬指には指輪が煌めいていた。こんなところでお茶していて、奥さんや、奥さんの知り合いに見られたりしたら、大丈夫なんだろうか。心配している私をよそに、二人分の飲み物を持ってきてくれた。


「職場、この辺だったよね、あの時近いなって思ったのに全然会わないから。」

爽やかに笑いながら、先月産まれたばかりの小さな赤ちゃんの写真を嬉しそうに見せてくれた。羨ましい。私もこんな風に、幸せのお城を誰かに自慢したい。幸大に、こんな風に私たちのお城を見せびらかしてほしい。


「でも意外だったよ、芽依ちゃんってさ家庭的な感じだし、かわいいし、結婚願望とか強いのかと思ってたから。」


亮一くんがにやりと笑う意味が、私には全然わからなかった。



「芽依、一回きちんと話そう。」

薄曇りの空は今にも破裂してしまいそうだった。自分から、壊しに行ったくせに、まだ二年間をあきらめきれなかった。幸大を解凍しようと、二時間もかけてロールキャベツを作ったのに、幸大の声は暗いままだった。



「上の子、もう幼稚園じゃないかな。あの時ちょうど奥さん妊娠中で。単身赴任だし、まあ仕方ないっちゃ仕方ないよね。」

綺麗な結婚指輪が器用に煙草に火をつけて、煙はどんどんと天井に向かって吸い込まれていった。



「人はみかけによらずっていうか、あえて芽依ちゃんが幸大さんを選ぶっていうのが意外だったなあ。いや、ほんと結婚願望強い子かと思ってたからさ。あ、ごめんね。二年もそんな感じで続けるの、寂しくない?」



暖かい春の午後に、駅の近くのホテルのラウンジに別の人みたいになった幸大と、かわいらしい女の人がいた。

こうやって、泥沼、みたいなことになるときの奥さんって、キレのいい黒髪の、きつそうな、美人な、そんな女性だと思っていたし、そういう、泥沼、みたいなこと、私には無縁だと思っていたのに。


幸大の横にいる女の人は小柄でかわいらしい感じのひとだった。黄色い太いヒールのパンプスをはいて、長めの花柄のワンピースを着て、オフホワイトのカーディガンを羽織って、少しパーマの取れかかった長めのボブヘアで、小さな薬指には結婚指輪が煌めいていた。


ラウンジに入っていったとき、まだ二人は私が来たことに気付いていなかった。けれど、私はもう帰ってしまいたくなった。


こんな信じられない話があるわけがなかった。二年も、大好きで付き合っていて、そりゃあたまには実家に帰るなんて言って留守にする週末もあったけれど、外でも堂々と手を繋いで歩いてくれる幸大が、愛の言葉をたくさん束ねて持ちきれないほどくれる幸大が、どうして他にお城を持っていて、いつかはそこに帰ってしまうだなんて、疑えたんだろう。

こんなに幸大が好きで、幸大と結婚したくて、夢みたいなお城と結婚式のためにせっせと誰かの結婚式に行って夢を膨らませたり、情報誌をたくさん買って日々研究を繰り返し続けていた健気な私が、幸大のために毎日ご飯を作り続けて幸大が来てくれるのを待ち続けていた私が、どうして本当は悪者だったなんてことが起きるんだろう。



“恋愛したい時に、今日の気分に一番合う相手と恋愛する。セックスだけじゃない。ご飯も映画も買い物も、いつも決まった恋人だけがそのシーンにベストだとは、私は思わない。今日はその人がベストでも、違うシーンなら違う人がベストかもしれないし、女友達かもしれないし一人かもしれない。楽よ。メイクや香水と一緒。TPOに合った恋愛を選択するの。”



「芽依さん、」


幸大の奥さんは小柄でおとなしそうなのに、本当に強そうな目をして私をぐぐっと見た。お城なんてものじゃない。本当に結婚して、家庭を持って、子育てをしている女性というのは、お城なんて馬鹿げたところには住んでいない。


「今すぐ私と子どもたちもこっちへ越してきたいけど、学校のこともあるし無理なの。この人に仕事をやめてもらうわけにもいかないしね。本当にしんどいことなんだけど、私、あなたを信じるから、もうこんなことやめてもらえるかな。」


そんなの最初にラウンジに入った時に、二人を初めて見た時にわかっていた。ガラス窓に映る幸大と私はとてもお似合いだと思っていたけれど、それは錯覚だった。


難しい言葉や二年分のいろんな感情が私の中に起き上がり続けていて、どうやってこの泥沼の中に飛び込んだらいいんだろうとさえ思っていたし、どうにか幸大を解凍してやると息巻いていたけれど、最初に二人を見た時、頭で理解するよりも前に、二人はお似合いだと思ってしまって私はもう、帰ってしまいたくなった。誰がどう見たって、夫婦と部外者でお茶をしている図でしかなかった。こんな滑稽な終わり方ってないと思った。鮮明に刻まれていた二年間が、急に粘土細工でできたアニメになってしまって、童謡かなんかに合わせて私の頭の中を流れていった。


 もう桜が咲いていた。清々しいほどの青空の下に薄いピンクの桜が咲いていて、時々ふわっと風が吹くと花びらが舞って、まるで卒業式みたいな爽やかな午後の日だった。


幸大が最後に絞り出すように言った、ごめんという言葉は私に向けられたものだったんだろうか。

こんなに空は青いのに、こんなに気持ちのいい午後なのに、私は泣いていた。幸大を失った悲しみではない。あんなに嫌っていた頼子と結局同じことをしてしまった自己嫌悪でもない。私は泣いていた。幸大にとって私は、単身赴任中というTPOに合った恋愛だったんだろう。なんでだかわからないけれど、何も悲しい気持ちは見当たらないのに、そもそも二人がお似合いだった時点で私が泣くような立場ではないのに、私は決まったように泣いていた。とりあえず泣いておいた。感情が追い付かなくて泣いておいた。


桜の花びらが私の後を追いかけるように静かに舞っていった。

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