書ききれなかった日本陸軍の武器、つまりオマケと言うか番外編その2
《1》 試製五式四十五粍簡易無反動砲
通称ロタ砲 早い話が日本製のバズーカー
ドイツから供与された技術で作られた兵器で、末期に多数が使用されたかも。
《2》 九七式自動砲
日本軍の対戦車用ライフルで、コンクリート製のトーチカに立て籠る敵を、大型弾でぶち抜く為に作られた。
当時のアメリカ軍戦車の装甲は貫けられないものの、上陸用の水陸両用戦車アリゲーター等の装甲は貫けた。
因みに、三八式歩兵銃は八十円で、九七式自動砲は六千四白円もした。
《3》 火炎瓶
ノモンハン事件で急造された武器で、当時のガソリンエンジンだったソ連軍戦車・装甲車を肉薄攻撃で撃破するのに使用された。
第二次大戦中は日本海軍でも使用された。
直、ソ連軍は八十年代のアフガン侵攻まで、ガソリンエンジンを軍用車両に使用しており、火炎瓶や対戦車火器で乗員が火だるまに成ることが多々あった。
《4》 陶製手榴弾
末期に使用された丸い形の陶器製の手榴弾。
殺傷力は低いが、安価で大量生産可能な兵器だった。
陸軍型は型式番号不明で、楕円形で上部・株が平らなパイナップル型。
《5》 四式陶器手榴弾
海軍型で、球体型の手榴弾
詳しくは Togetterの【日本の陶器製手榴弾について】等を御覧下さい。
《6》 一式投げ丸缶
昭和16年に制式化された毒ガス兵器で。
当初は封入した青酸ガスが空気より軽い為、開放戦域では早急に拡散してしまい実用性が危ぶまれたが。
戦車・車輌内等の密閉された空間では威力を発揮できるとの事で、敵戦車阻止用兵器として採用された。
弾体自体はガラスの球体で、その中に青酸ガスと安定剤を封入、口はゴムやコルクにて封印されており、更に王冠で密閉してある。
型としては二種類あり、1つは初期に製作された金属製容器入りで、上と横に携帯用の環が付いているもの。
もう1つは金属材料の不足から厚紙容器をケースとして使用したもので携帯用のヒモが付いていた。
双方とも緩衝材として大鋸屑がケース内に入っていてショックを和らげている。
また万が一、中のガラス体が破損した時の為に、ソーダ灰等の中和剤も入っていた。
投擲時は、ケースより取り出して、球体を、戦車等の銃眼や排気口を目掛けて投げた。
《7》 十一年式発煙手榴弾
味方に対する攻撃地点の指示及び煙幕展開用の作られた手榴弾。
一〇年式手榴弾及び、九一式手榴弾と同様に、装薬室を持っていたので手投げの他、擲弾筒でも発射出来た。
点火方法及び射距離は一〇年式手榴弾及び九一式手榴弾と同様。
《8》缶型発煙手榴弾
前出の「一式手投まる缶」と同様に、発煙用薬剤を充填したガラス容器で、同じく容器によって保護されていた。
ガラス容器の中身は100%のチタニウムまたは60%のチタニウム+40%のシリコン混合剤で、それらが空気に触れると化合して発煙する。
容器は金属製で中身は緩衝材としてオガクズが入っていた。
主に対戦車用目潰しとして生産された。
《9》九九式破甲爆雷
亀の子と呼ばれた対戦車爆弾で、ノモンハン事件でソ連との戦いで使用された。
初期は訓練されていないソ連軍戦車隊、相手に野砲・火焔瓶と共にそれなりの戦火を上げたが。
やがて、日本軍の奇襲を警戒したソ連軍には肉薄攻撃は通用せず。
無線で連絡を取り合うアメリカ軍戦車隊にも、肉薄攻撃は余り通用しなくなって、日本軍部隊は苦戦を強いられるようになった。
《10》刺突爆雷
末期に沖縄戦等で使用された特攻兵器。
ドイツと違い工業力が低く、更に周辺国もまた工業力の低い植民地だらけだった日本では、パンツァーファウストの様に飛ばす為の発射器すら作る余裕はなかった。
なので、特攻兵器として兵士が槍の様に持ち、米軍戦車に最後の突撃を仕掛ける時や、伏兵攻撃の時しか使えなかった。
ベトコンも似たような武器を作って、使ったそうです。
因みに日本兵は、ベトナム戦争に参加してます。