日本陸海軍の試作した、自動小銃&半自動小銃&オマケに中国軍の試作品も~~
今回は、試作されたが正式採用されなかった日本軍の自動小銃を語ります。
wikiに書いてある、甲・乙・丙は以前軽く紹介したので、今回は扱いません。
それから、試作されただけで実戦投入されたか分からない四式自動小銃は解説します。
【日本陸軍】
《1》 日野式自動小銃
日本の銃器発明家である日野氏によって、設計された幻の銃である。
日野式拳銃と同じく、ブローフォワード式であり、1897年の初期型は三八式歩兵銃と同じく5発クリップ式の弾倉を備えていた。
また、他には10発・15発の物も存在する。
日野式拳銃とともに、本銃も日本陸軍に実験用に、1897年から1904年にかけて提出されたが正式採用はさなかった。
この銃を設計した、日野氏は日本敗戦後に資料を全て焼き捨てた為に、現在では本銃の性能が分かっていない。
まあ、ブローフォワード方式の銃は発砲すると・・・。
前方に反動と衝撃が行くため、反動その物が強すぎて、命中率は悪かったと思われる。
因みに、BF1には中国の劉将軍が考案し、米国企業と共同開発した、劉将軍小銃と言う半自動小銃が登場する。
これは、後に解説します。
さらに、後の中華民国ではチェコ製のZHー29半自動小銃が採用されて、ZBー26軽機関銃とともに、日本軍を苦しめた。
これを受けて、日本軍は後に複数の試作型・半自動小銃銃を本格的に研究する事になる。
日野式自動小銃・劉将軍小銃は、ともに悲劇の銃であり、採用されていれば歴史を変えただろう。
1900年は義和団の乱があり、また1905年には日露戦争が開始された年である。
劉将軍は、衰退する清国を憂い外国の侵略から祖国を守るために、本銃を設計したのであろう・・・。
《2》 試製超機関銃
6、5ミリ有坂弾を連射する軽機関銃として、日本特殊鋼に試作された。
軽機関銃と言うよりは、自動小銃と言った方がいい。
日本軍発の自動小銃だが、九六式軽機関銃と言う優れた軽機関銃があるので、短機関銃と同様に必要なかったのであろう。
ガスオペレーション方式のトグルアクション銃である。
トグルアクションとは、尺取虫のように動く機関部であり、その中でも代表的なのはルガー拳銃だ。
試験記録から分かるのは、色々な性能が悪すぎて、もちろん正式採用されなかったと言う事だ。
因みに、銃本体の重量は5、6キロである、
防盾を付ければ、10キロにもなる。
ボルトアクション小銃、半自動小銃、自動小銃~~これ等は通常4キロの重量だ。
正式採用された銃で、例外は第一次世界大戦時のフランス軍が活用した、RSC半自動小銃の5キロくらいだ。
《3》 三八式改造自動小銃
三八式歩兵銃の半自動小銃化も考えられており、萱場製作所(現・KYB)が1931年(昭和6年)、に半自動化改修に関する特許申請を行なっている。
これは、既存の三八式歩兵銃の機関部を取り替えるだけで、半自動発射機構を可能にするという改修方法であった。
外見上では20発弾倉、半自動化の機関部(機関部にリコイルスプリングケース、マガジンキャッチが追加されているなど)が特徴であったが、計画のみとなり、想像図しか残されていない。
なお、似たような改造を行った小銃としてピダーセン自動小銃が挙げられる。
と、上記はwikiからの拝借ですが・・・。
日野式自動小銃・試製短機関銃の開発失敗が1897年から1920年代にかけて、日本では続いていた事。
それから、1930年代からは日本軍独自に自動小銃の開発計画を開始した事で、ワザワザ萱場製作所で作る必要が失くなった事もあり、図面だけの設計で終わったのでしょう。
また、日本軍の末期にも自動小銃が開発されたらしいのですが、引用すると怒られそうなので、藤田研究所と言うサイトを御覧ください。
【日本海軍】
《4》 四式自動小銃
アメリカ製のM1ガーランドを日本海軍がコピーした銃
日本海軍の四式は、7、7ミリ弾を使用するが、これは機関銃用の7、7ミリ弾が余っていた為に自動小銃用として転用しようとしたので、弾薬を共通にした。
四式の箱型固定弾倉には、5連発ストリッパー・クリップ2個使用して、10発装填できる。
250丁ほど量産されているとも、実際には125丁しか生産されていない等。
様々な説があり、正式に生産された数は分からない。
幾つか、極少数が末期の沖縄戦に投入された可能性も極僅かながらある・・・と、思う。
BFシリーズでは、タイプ5(五式小銃)、と言う間違った名前で多数の四式自動小銃が登場する。
これは、米軍に滷獲された本銃が誤って、タイプ5として書類に名前が記されたためである。
【番外編・中国の半自動小銃】
《5》 劉将軍小銃
1905年に設計された、ボルトアクション・半自動の切り替えが出来る素晴らしい銃だった。
だが、軍正式となる前に、第一次世界大戦が勃発してしまい、米国企業はボルトアクションライフルの生産を余儀なくされて、生産計画はキャンセル。
加えて、劉将軍本人も船舶の上で事故に合い、後に失くなったので計画自体が白紙とされた。
しかし、数丁は現存しており、また生産計画で購入された機械は、後にドイツ製の小銃を生産する設備としつ活用された。
さらに、後の中華民国ではチェコ製のZHー29半自動小銃が採用されて、ZBー26軽機関銃とともに、日本軍を苦しめた。
これを受けて、日本軍は後に複数の試作型・半自動小銃銃を本格的に研究する事になる。
日野式自動小銃・劉将軍小銃は、ともに悲劇の銃であり、採用されていれば歴史を変えただろう。
1900年は義和団の乱があり、また1905年には日露戦争が開始された年である。
劉将軍は、衰退する清国を憂い外国の侵略から祖国を守るために、本銃を設計したのであろう・・・。
中国のサイトを見たが、後に極少数だけ試作品が生産された。
その後、さらに少数生産された物が国民党軍に使われたとか。
この辺り、うろ覚えなんで間違いかも知れないです。
《6》 向應式半自動步槍。
先に上げた、劉将軍小銃・・・正式には劉将軍歩槍だろうか。
これ以外にも、中国には1944年に路軍晉綏區兵工廠にて、廃棄の小銃パーツで、三八式騎銃をベースに製作された半自動小銃が存在した。
設計開発されたのは1944年だが、正式名称が与えられたのは、戦後1946年に共産党政治委員である向應式氏が亡くなってからである。
製造数は少なく、僅か10丁以上しかない。