493 意外な事実
「あ」
莉奈が何かを思い出した様に呟けば、リック料理長達が半歩下がった。
莉奈の"あ"にはもう慣れたが、今はスライムを口にした後だ。その"あ"が妙に怖かった。
「そのモラセスシロップをパン生地に入れて焼くと、独特な風味がついて美味しいよ?」
黒糖パンみたいなモノだ。
黒糖を入れるより風味が強く出るし、焼き色もキレイに出る。黒糖の風味が嫌いでなければ、パン生地に入れてもいい。
「そうか、パン生地か!!」
「酒に入れたり、果物にかけたりはしていたけど、パン生地はやった事がなかったな」
「王宮には、砂糖があるから余り使ってこなかったけど、この風味を活かせる料理なら、逆に砂糖代わりに使うのもアリか」
「私はコレ、あんまり好きじゃないけど、ヨーグルトにかける人もいるよね」
莉奈が提案すれば、それにヒントを得た皆は次々とアイデアを思い浮かべた様だった。
確かにクセはあるが、上手く使いこなせば砂糖の代用になる。
砂糖が高価過ぎて手に出来ない庶民は、割と安価なこのモラセスシロップを砂糖代わりにしている人もいるそうだ。
「やった事はないけど、パン酵母を作る時に入れる砂糖の代わりにも使えるんじゃないかな?」
発酵には砂糖の代用にハチミツがありなんだから、このモラセスシロップもありな気がする。
「なるほど!」
「パンの発酵を促すには糖分だもんな」
「確かに砂糖よりは安いもんな」
「……だけど、モラセスはラム酒やカシャッサの原材料だからなぁ」
「パンか酒かと言ったら」
「「「酒だな」」」
「……どうしてそうなる」
皆は何故か当然だと大きく頷いていた。
カシャッサは初めて聞く名称だが、それもお酒なのだろう。そんな皆を見て、莉奈はこの国はどうかしているとため息を吐いていた。
感覚的には、日本でいう所の米か酒かの選択肢と同じなのだろう。
酒の飲めない莉奈は米一択だけど、酒呑みは当然酒だよね。
アッチもコッチの世界も、主食と酒の原料が同じとか、一部使用されるとか……どうにかならないのかなこの方程式。
魔法や魔物がいる世界なんだから、何からでも酒を造り出す魔導具や、魔法があったってイイのに。
莉奈は皆を見て、深いため息を吐いたのであった。
◇◇◇
リック料理長が口にした事で、気になり始めていた皆の為に、黒スライムミルクティーを少しだけ置いて、莉奈は黒狼宮のとある一室に来ていた。
あの美味しさが分かれば、黒スライムの討伐者が増える事だろう。
子供でも狩り獲れるのであれば、小遣い稼ぎになるのではと、莉奈は思った。
弟みたいな幼い子供に、危険な事はして欲しくないが、それは平和な世界で暮らしている側の勝手な言い分だ。
狩りをしなければ暮らしていけない子もいるし、それが生業の人達もいる。食文化同様、色々あると思うしね。
ーーただ。
そんな事より、莉奈には1つ気になる事があった。
「聖樹のおかげで、魔物がいなくなるのはイイけど……魔物が食べられなくなるのかな?」
ただでさえ魔王フェリクスのせい……じゃない、おかげで魔物が全く寄り付かない。オマケに魔物肉が美味しいと、討伐しまくり始めている。
そこに聖樹の力である。
需要と供給のバランスは崩れる事だろう。
そんな考えや思いが口から漏れ出ていたのか、苦笑いと呆れる声がした。
「魔物を食べ物だと思っているのはリナだけですよ?」
「魔物がいなくなったら、他の食肉を育てられるんだぞ?」
「あぁ、魔物が簡単に食べられなくなるんですね」
「「ヴィル」」
そのとある一室には、シュゼル皇子とエギエディルス皇子がいたのだが、その他の1名から嘆きが聞こえていた。
ーーそう。
黒糖タピオカ風、黒スライムミルクティーを美味しそうに飲む、魔法省のタール長官である。
ゲテモノ……いや、珍味好きの彼にしたら、魔物消滅は非常事態かもしれなかった。
そんな彼を、シュゼル皇子とエギエディルス皇子が窘めていた。
魔物がいなくなるのを残念に思うなんて、魔法省長官としてダメな事である。
「ですが……このモチモチしていて美味しい黒スライムが、いなくなるのかもしれないんですよ?」
「スライムなんか食わなくても、生きていけるだろうが」
まだ嘆いているタール長官に、脚を組んでいるエギエディルス皇子が呆れていた。
ちなみに、シュゼル皇子とエギエディルス皇子は黒スライムミルクティーは口にしていない。タール長官が跳ね上がる様に喜んでいたので、気にはなるみたいだが、グラスの底に沈んでいる黒スライムを見ると、一歩先へ踏み出せないらしい。
「そうですが……聖樹の聖力で瘴気が浄化されてしまえば……いずれスライムも」
「"されてしまえば"とか言ってんじゃねぇ。"瘴気"の浄化は念願だっただろう!?」
魔物殲滅、瘴気の浄化は、この世界共通の願いである。
なのに、魔物の味を知ったタール長官は、魔物殲滅より食べられなくなる悲しみの方が上回っている気がする。
エギエディルス皇子は思わず、何を言っているのだと言いたくなってしまったらしい。
だが、莉奈は魔物を食べる食べないより、聖力と瘴気の浄化の話に耳を疑った。
「え? あの木って瘴気を浄化出来るの!?」
皆の話を聞くと、そんな感じだ。
もし本当に、瘴気を浄化する作用があるなら嬉しい話である。
でも、莉奈の記憶が確かなら、【鑑定】で視た時にそんな表記はなかったハズだ。
「……お前、聖樹を【鑑定】したんじゃねぇのかよ?」
エギエディルス皇子が呆れ果てていた。
【鑑定】して視ていないエギエディルス皇子でも、"聖なる力"でピンときたのに、【鑑定】をした莉奈が何も分かっていない。
何のための【鑑定】なのだ。せっかく表記されても、それを視なければまったく意味がない。本を開いただけで読まないのと同じなのだ。
莉奈は"ナニ"を視ていたのだとエギエディルス皇子は呆れたのだった。
「え? 【鑑定】したけど、そんな事……書いてあったかな?」
莉奈は記憶違いかなと、もう一度よく思い出していたら、シュゼル皇子が小さく笑っていた。
「ありませんよ。魔物を寄せ付けない効力と【聖なる力】と表記されていただけですね」
「ん? なら何故、浄化作用があると?」
「【聖なる力】とは"聖女"特有の"聖"魔法で、瘴気の浄化作用があるとされているんですよ。なので、聖樹の"聖なる力"も同じでは? と【検索】したら【瘴気の浄化作用】があると表記されてました」
「……ソウデスカ」
莉奈は何とも言えない表情をしてしまった。
同じように視られる魔法を持っていながら、莉奈は使いこなせていなかったのである。まさに宝の持ち腐れだ。
「ですが、即効力はない様ですし……何より王城には兄上がいますからね。やはり、ここはカカオ探しの旅に……」
「「「……」」」
だから何故、カカオにこだわる。
シュゼル皇子がブツブツと呟く側で、皆は深いため息を吐いていたのであった。




