472 誰にも止められない
「どうしたのですか?」
莉奈が碧月宮の外に出れば、少し離れた場所に胸元を真っ黒にした真珠姫が、今にも火を吐かんばかりの形相でいたのだ。
真珠姫が莉奈に会いに来る時は、大抵が上機嫌か不機嫌かの2択しかないから怖い。しかも、選択肢がない究極の選択だ。
辺りにいた警備兵も恐怖で固まっているし、莉奈と一緒に来たラナ女官長とモニカは、小さな悲鳴を上げると仲良く腰を抜かしていた。
「どうしたもこうしたもないのですよ!!」
「はぁ」
「何故、女王たる私を差し置いて、いつも碧空のを優先するのですか!?」
「……」
一体なんの話をしているのだろうか?
莉奈は意味がまったく分からず、ポヤンとしていた。
莉奈がポヤンとすれば、さらに火に油を注ぐようなモノだったらしく、真珠姫は怒りが増しただけだった。
「この私を無視するとは……喰いちぎられたいのですか?」
無視しているのではなく、言っている意味が分からないのだ。
莉奈の顔に真珠姫の生温かい息がかかっていた。
今にも莉奈を食いちぎらんと、顔の前で真珠姫が大口を開けているのである。ラナ女官長とモニカは顔面蒼白で、震えまくっていた。
このままでは、莉奈が真珠姫に喰われてしまうと。
だが、警備兵達は、莉奈を助けるべきかどうか悩んでいた。
当の莉奈が余裕どころか、呆れ顔で真珠姫を見ていたからだ。
「いやイヤいや?」
「なら、なんですか!?」
「あのですね。一体何に怒っているのか分かりませんけど、自分の番を優先するのは当たり前ではないのですかね?」
それこそ、真珠姫を贔屓していたら、碧空の君に喰われそうだ。
「……ぐっ!」
莉奈の正論に、真珠姫が一瞬押し黙った。
莉奈は真珠姫の番ではないのだ。誰が見ても、真珠姫が自分を優先しろと言うのは、筋違いである。
「ハイハイ、何かありましたら番であるシュゼル殿下にお願いしますね。私も暇ではないので」
怒れる竜すら怖くない莉奈は、真珠姫を軽くあしらっていた。
この世で1番恐ろしいのは、魔王である。あの方の怒りに比べたら、真珠姫なんて可愛いもの。
莉奈はさて、帰ろうと踵を返したのだがーー
ーーガシッ。
「あ」
怒り狂う真珠姫により、莉奈は捕縛されたのだった。
要するに、右前足で掴まれたのである。強硬手段とはこの事だ。
「「ヒィッ!!」」
ラナ女官長とモニカが、小さな悲鳴を上げて倒れているのが、"空"から見えた。
警備兵達が慌てふためいているのも、良く見えた。
そう、それもすべて空からである。こうなってしまえば、さすがの莉奈もどうする事も出来ない。
莉奈はもう叫ぼうが暴れようが無理だと悟り、すでに諦めモードになっていた。竜って、頭の良い生き物だと思っていたのだが、どうしてこう脳筋が多いのだろうか。
真珠姫になすがままの莉奈は、澄み渡る大空を強制的に駆けながら、コレは"シュゼル・スペシャル"の出番かなと独りごちる。
◇◇◇
白竜宮の前の竜の広場では、数頭の竜達が日向ぼっこを楽しんでいた。
その近くでは、近衛師団兵達が演習を行っている。
竜が広場に降りて来るのは日常なので驚かないが、"手に何か持って"いれば別である。
1人また1人と気付き、手を止めていたのだった。
「アレって」
「「「リナだよなぁぁ〜っ」」」
あんな掴み方をされて竜に運ばれて来るのは、獲物か莉奈くらいなものである。
何をすれば、あぁやって運ばれて来るハメになるのだろう。
2度目ともなれば、近衛師団兵達や他の竜達は、慌てるよりなんとも言えない表情が漏れていた。
そんな注目の中、莉奈はコロンと竜の広場に降ろされた。
竜の背に乗るのは楽しいが、掴まれて飛ぶのはやはり恐怖しかない。
だが、そんな事を我儘娘に言っても聞かないのだから、拳で語るのみである。
莉奈はゴソゴソと魔法鞄を漁り、万が一の為にとコッソリ常備してある【シュゼル・スペシャル】を一気に飲み干した。
相変わらず美味しくない。
そんな感想を漏らす暇もなく、身体がポカポカとそしてカッと熱くなってきた。
力が漲ってくるのが、全身で感じる。
とにかく"竜"を蹴りたくて足がウズウズしていた。
「いつまで蹲っているのですか」
今は自分の事しか頭にない真珠姫は、莉奈が例の"シュゼル・スペシャル"を飲んでいたなど、微塵も気付かなかった。
いつもの真珠姫なら、匂いで察したハズだ。あるいは似たようなシチュエーションが、以前にもあったなと気付いた事だろう。
だが、今の彼女は自分の欲求を満たすためだけで動いている。
なので、この後起きるだろう惨事など考えもせず、莉奈の身体をツンツンと前足で突っついていた。
ーーボブッ!
「ヒギャーーッ!!」
莉奈に顔を近づけた瞬間、真珠姫の悲鳴が広場に響き渡った。
普通に戦っても勝てる訳はないので、莉奈は先手必勝だと、真珠姫の顔面に激辛唐辛子"ペッパーZ"の粉を袋ごと投げつけたのである。
目の粘膜を刺激され、激痛を伴った真珠姫は慌てて顔を振るが、粉は周りにも漂っている訳で……息を吸うたびに鼻や口まで刺激され、噎せれば器官まで焼けるように熱くなっていた。
ーードカン!!
「どうして学習しないのかな?」
「ンギャ!?」
あまりの痛さにその場で泣いている真珠姫の下顎を、莉奈はサッカーボールの様に蹴り上げた。
サッカーで言うところのオーバーヘッドキック、格闘技で言うならサマーソルトキックである。
目を瞑っていた真珠姫は、何がなんだか分からないまま、下顎に莉奈の蹴りをモロに食らったのだ。
目や鼻、肺や顎など色んな痛さに、真珠姫はもはやなすがまま。だが、魔法薬や怒りで、身体がフツフツと高揚しまくっている莉奈が、その一発で納得して終わらせる訳がない。
蹴り上げた勢いそのままに、華麗に後方宙返り《バック転》で地に足をつけた莉奈は、すぐさまに空高くジャンプした。
ーードゴーーン!!
そして、その高さと勢いを利用し、渾身の踵落としを真珠姫の脳天に決めたのだった。
ーーそして。
真珠姫は、派手な音と共に地に頭を沈めたのである。
急に始まった2度目となる闘い。莉奈vs真珠姫。
皆が息を潜め見守る中、再び莉奈の圧勝でここに閉幕したのであった。




