433 勉強熱心な2人
ーー翌朝。
「わしはまだ飲むんだぁ」
「もう、バカ言ってないで帰るわよ。師匠。じゃあね、リナ」
「包丁とナイフ、ありがとうございました」
夜が明け始めた頃。
ひと眠りしていたバーツは、ほんのり酔ったアーシェスに引き摺られて帰って行った。
アーシェスもかなりの量を飲んでいたにも関わらず、フラつかないのだから彼も相当な酒豪である。
そして、入れ替わる様に来た夜勤明けの警備兵達が、朝食代わりのハイボール祭りを開催し、早朝から色んな場所でフラついていた。
「うぇぇっ! 吐くぅ」
「飲み過ぎたぁぁ」
「そこで吐くなよ?」
早朝勤務の警備兵達が、すれ違い様に仲間達に苦笑いしながら注意している。
確かに王宮で吐いたら大問題である。
片付ける侍女達から不興を買うし、執事長イベールから地獄よりキツい説教があるに違いない。
莉奈はそんな彼等を横目に、いつもより早く厨房に来ていた。
仕事明けで夜遅くにハイボール祭りをしていたリック料理長達は、程々に抑えられたのか、元からお酒に強いのか平然と作業をしている。
パンを焼いたりスープを作ったり、相変わらず早朝からここは激務である。
手伝おうと見ていた莉奈は、固いパンを見習い組がザクザクと細かく切っているのを見て、懐かしいなと目を細めた。
「毎日、色んなパンが出るようになったよね。バゲットも種類が豊富だし、フォカッチャまで作っちゃうんだもん。脱帽だよ」
石の様な固いパンを作っていた人達とは、まるで別人である。
料理人達は水を得た魚のように、どんどん吸収してどんどん改良していた。水や小麦粉を足したり引いたりと配合を変え、時には違う食材を加え、日を追うごとに増えるパンの種類に、莉奈は素直に感服していた。
この調子ならその内、食パンやイングリッシュマフィンだって作れる様になるだろう。
「リナのおかげだよ。パン作りが楽しくて楽しくて」
「水や粉の配合一つで全く違うパンになるし、すっごい面白い」
「この間教わった製法も試してるの!!」
「難しいけど面白い。俺はパンの中でチーズ入りのバゲットが好き」
「私はオリーブオイルを付けて食べるフォカッチャ」
「レーズンパン!!」
一時期パン生地の中に、生魚を入れて焼いていた人達の台詞とは思えない。
今思い出しても、あれは衝撃だ。
「まぁ、酵母の管理は大変だけどな」
リック料理長が苦笑いしていた。
天然酵母は温度管理や衛生面をしっかりとしないと、すぐに腐るから難しい。液体より扱い易い元種にしても、毎日管理をしないと発酵しなくなる。
でも、ここは皆がしっかり管理、徹底出来るから環境はバッチリだった。
「でな。実は、最近マテウスとリンゴ以外で作る酵母も試していたんだけど……」
「コレがどうも上手くいかない」
副料理長のマテウスが、頬をポリと掻きながら苦笑いしていた。
莉奈が他の果物とかでも出来ると、リンゴ酵母の時になんとなく言っていたのを覚えていたらしい。
勉強家な2人の事だから、深夜遅くまであ〜でもないこ〜でもないとやっていたに違いない。
「あ〜、オレンジ」
そう言って見せてくれた瓶は、皮ごと切ったオレンジが液体に浸かっていた。
だが、水は濁りに濁り、白や緑色のカビが生えている。
莉奈はその光景に、思わず複雑な表情をしてしまった。
「オレンジでやるなら、外の皮は剥いた方がいいと思うよ?」
リンゴと違って、オレンジやミカンは皮が厚いので、外皮は剥いて薄皮の状態で瓶に入れて作るのである。
何故かは知らないけど、多分リンゴ同様に皮を剥かないでそのまま作ると、皮が厚いから発酵しにくいとか、こうなるのではと想像する。
「え? あ、皮ごとじゃないのか!!」
「リンゴが皮ごとだから、オレンジも皮ごとだと思ってた」
リック料理長とマテウス副料理長が、顔を見合わせ納得していた。
リンゴ酵母は皮も丸ごとだったので、丸ごとでないと酵母菌とやらがないのかと勘違いしていた様である。
「皮の厚い柑橘系は薄皮だけ、外皮は剥いて大丈夫だよ。後、オレンジはハチミツを入れると風味が良くて美味しい」
「「ハチミツ!!」」
リック料理長達は莉奈を驚かせたくて、ヒッソリやっていたけど、全く敵わないなと改めて思うのであった。
莉奈に訊けば、対処法も改善点もすぐに返ってくるのだ。まだまだ、足元にも及ばないと感服するばかりである。
「そうそう。酵母っていえば、そこにあるハーブからも出来るし、ヨーグルトからも出来るんだよ?」
「ハーブ」
「ヨーグルト」
そう言って莉奈は、試しに作ってみたハーブやヨーグルトのパン酵母の瓶を、魔法鞄から取り出した。
シュゼル皇子に貰った果物や、厨房にあった食材でも出来るかな? と試してみたら、なんだか面白くなって、勢いそのまま色々と作っていたのだ。
こんなのからも出来たよと見せようと思っていたのだが、魔法鞄に入れっぱなしですっかり忘れていた。
その過程で改めて思ったのが、やっぱり【調合】だけじゃなく、料理に役立つ技能が自分には絶対あるなと莉奈は感じた。
だって、ハーブやヨーグルトから作れるのは知っていたけど、実際作った事はない。
なのに、感覚で作って上手くいくのだから、技能以外、莉奈には説明が付かなかったのだった。
莉奈が次々と色んな果物や食物から作った酵母を出せば、皆は目を見張っていた。
リンゴ以外も出来そうだとは思っていたが、そんなに色々あるとは想像していなかったのである。
「ハーブは糖分が少ないから、初めから砂糖を入れないと難しいかも。逆にヨーグルトは発酵食品だから、発酵が早く進む。あ、1番いいのはレーズンかな。酵母自体にクセがないから、パンに余計な風味がつかなくていいと思うよ?」
「「レーズン」」
「ただ、見栄えを良くするために、オイルコーティングしてあるレーズンは、コーティングが発酵の邪魔をしてダメだった。私的にはグリーンレーズンがお勧めかな?」
「「はあぁ」」
リック料理長とマテウス副料理長は、苦笑いが止まらない。
驚かすつもりが、逆に驚かされるばかりである。果実だけからだと思っていたら、ハーブやヨーグルトからも天然酵母が作れるらしい。
もう、莉奈を驚かせるためには、余程の事でもしない限り無理だと悟ったのである。
「はいはーい!! なら、この魚からも酵母が出来るの?」
リリアンが、ニコニコ笑いながら右手に生魚を持ち、元気良く左手を挙げていた。
莉奈の話を聞いていて、何からでも出来ると勝手に思い込んだらしい。
「腐るよ」
海にいる生き物に酵母菌が付いている訳がない。
莉奈はリリアンの無邪気な発想に、脱帽するばかりである。
イワシとかなら塩をたっぷり入れて、1年くらい寝かせれば魚醤は出来るかもだけど、ただの水と生魚では発酵する以前にすぐ腐る。
リック料理長やマテウス副料理長とは違いリリアンの発想は、典型的な失敗パターンだなと、莉奈は長いため息が出るのだった。




