237 あれ~? 乙女の憧れ。壁ドンってこんなのだっけ?
あるハズのない所に、幅3m高さ2m程の壁が突如出現した。そして、壁があるなんて思わなかった莉奈は、顔面を強打したのである。
食堂のド真ん中に、壁なんかある方がオカシイ。なんなら、ホンのさっきまでなかった。なのに、急に壁が現れたものだから、加減なんかなくドカンだよ。
莉奈は、赤くなった鼻を押さえながら、振り返った。
―――トン。
振り返った莉奈の頬を掠める様に、誰かの細く美しい右手が壁に伸びてきた。
予期せぬ壁に阻まれた莉奈の顔の横に、手が優しく優しくついたのだ。
「リナ、どちらへ?」
頭上からフワリと甘く優しい香りと、柔らかい声が降り注ぐ。
「ドチラニモイケマセン」
莉奈は壁とシュゼル皇子に挟まれ、ブルブルと小さく震えた。
目の前には満面の笑みを浮かべた、超絶美貌の悪魔がいたのだ。
―――違~う!!
こんなの、私の知ってる壁ドンっじゃな―――っい!!
乙女の憧れ、少女マンガ定番の胸キュンポイント。
うんうん。確かに胸はドキドキはするね。
でもコレ、ときめきじゃなくて、ただの動悸な様な気がする。
すさまじい美貌が眼前にあるけど、"きゃっ" じゃなくて "ギァァ――ッ" なんだけど!?
だれか――――っ!!
乙女が喜ぶ "壁ドン" ってどこ―――っ!?
「さぁ、リナ。こちらでゆっくり話をしましょうね?」
トンと軽く壁を叩き魔法壁を消し去ると、思考が停止中の莉奈の右手を手に取り、まるでダンスに誘うかの様に近くのテーブルへと促した。
莉奈に拒否権など、初めから存在しないのである。
「イベール。リナに温かい紅茶を」
「はい」
シュゼル皇子は、いつの間にかにいた執事長イベールに、紅茶を出すように言った。
莉奈は急に現れた真珠姫や壁に気を取られ、イベールが来ていたのには全く気付かなかった。
そして、やはり突如出現した壁は、シュゼル皇子が造った魔法の壁の様だった。音もなく出すなんて、さすが賢者様である。
強制壁ドンの恐ろしさ、身をもって知りました。
「さぁ。座って下さい」
シュゼル皇子が莉奈に席を勧めた……のだが、椅子は何故か向かい合わせにされていた。
真ん中に挟むのは、小さな小さな空間のみ。圧しか感じられない。
進路相談の時だって、間に机があった。なのに、シュゼル皇子と莉奈の間には、隔てる物は何もない。最悪である。
「キャラメルとチョコレートのお話をしましょうね?」
「……は……ぃ」
誰も助けてくれないと悟った莉奈は、すべてを諦めた。
◇◇◇
「はぁぁ。チョコレートとは、そんなにも甘美なモノなのですか」
キャラメルとチョコレートの話を莉奈から聞いたシュゼル皇子は、まだ見ぬお菓子に瞳を瞬かせていた。
未知のお菓子を想像し、うっとりと虚空を見つめていた。
莉奈は、魂が抜けていた。このスベり過ぎる口に、誰か滑り止めを下さい。
「どういう状況だ」
説明が終わった頃、不機嫌そうな声が間近で聞こえた。
「「兄上」」
弟2人の声がハモった。
エギエディルス皇子は、兄の纏うドス黒いオーラに気付き半歩後退している。
フェリクス王は、割れた窓ガラスをチラリと見た後、魂の抜けた莉奈と、ほんわかしているシュゼル皇子に目を落とした。
「陛下。帰還して早々ですが、明朝から世界を見て回りたいと思います」
「あ゛ぁ?」
椅子から立ち上がったシュゼル皇子は、兄を見つけ唐突に何かを言い始めていた。フェリクス王は、話が見えず眉をひそめた。
何故先程、帰還した報告の時に話すのではなく、今なのだと。
「真珠姫とこの国を軽く回って感じましたが。うちは兄上が居られるので、ある程度は瘴気を抑え込む事が出来ています。しかしながら、世界はそうはいえません。特に隣国のバレントアなど、瘴気を抑え込めていないのか、魔物が増えていると聞きます。それと、先程も報告した様に、うちとの国境に茶色の魔竜の姿が、幾度となく目撃されているとか」
「で?」
「諸事情で国交を断絶していましたが……瘴気の広がりや魔物の棲息等の情報交換をする必要があるでしょう。諸国との国交回復と対話も兼ね、早急に回って来ようかと思います」
「ほぉ。急だな? まさか、チョコレートとやらが、関係してんじゃねぇんだろうな?」
フェリクス王の目が眇められた。
突然そんな事を言い始めたシュゼル皇子の考えなど、イベールを通じてすべてお見通しの様である。
諸国を回るパフォーマンスの影で、カカオとやらを探す算段に違いない。
「関係ありませんよ?」
考えがバレた処でシュゼル皇子は何も変わらない。何事もない様子で、ほのほのと言ってみせた。
だが、言いながらチラリとイベールを見た。彼が告げ口した犯人だと分かった様である。
―――ドゴン!
「……っ」
シレッと言い切ったシュゼル皇子の頭に、鉄拳が落ちた。
「国交と情報は理解する。だが、明朝である必要はねぇ」
「で、です……っが!!」
まだ、何かを言うシュゼル皇子の頭に、もう1つ鉄拳が落ちた。
皇帝の崩御、即位、政権交代、スタンピード等、ここ数年まとめて起きたため、一時的に国交を遮断していた。
なので、回復する必要はある。情報も必要だろう。だが、動機が不純過ぎる。
シュゼル皇子は、立て続けに2度も食らった鉄拳に、悶絶ししゃがみ込んでいた。激痛に息も絶え絶えの様子だ。
「白いの」
フェリクス王はゆっくり窓際に歩きながら、窓の外に倒れている真珠姫をチラリと見た。
「……」
真珠姫からは返事がなかった。
たぶんだが、シュゼル皇子に何かをされて気絶していたのだ。
「いつまで、寝たフリしてやがる」
真珠姫が目を覚ましている事など、気付かないフェリクス王ではない。窓枠に長い脚を片足かけ、倒れている真珠姫を見下ろした。
「す……」
「す?」
「少し……気分がすぐれなかったもので……」
フラフラ、ビクビクと顔を上げ、真珠姫もシュゼル皇子同様に、言い訳じみた事を言っている。
実際は、王が怖くて気絶したフリで通そうとしていたのだ。
「ほぉ? 気分がすぐれないと、てめぇは窓ガラスを割るのか」
「……」
「窓ガラスもタダじゃねぇ。代償を払え」
「だ……代償……」
不機嫌な王が恐ろしいのか、真珠姫は首をすくめ涙目になっていた。竜がビクビクと小刻みに震え、怯えているのだ。
あり得ない状況である。
「確か茶色が、いたんだよなぁ? シュゼルと一緒に片付けて来い」
「「……え?」」
「片付けろ」
「「……」」
国境付近にいたと報告した魔堕ちした竜、茶色の魔竜を倒して来いと言われ、真珠姫もシュゼル皇子も愕然としていた。
はい、分かりました……と言える程、簡単に討伐出来る相手ではない。灰色ではないにしても、フェリクス王でも手こずる魔竜に、挑んで来なければいけないのだ。
「あっ兄上―――」
「甘味禁止の方が良かったか?」
その瞬間、シュゼル皇子の時が止まった。
「さぁ。真珠姫。魔竜討伐に向かいますよ?」
シュゼル皇子は素早く立ち上がると、颯爽と真珠姫の傍に歩み寄る。
甘味>魔竜
シュゼル皇子の頭の中は、魔竜より甘味が口に出来なくなる恐怖が勝るらしい。
「なっ! 先程、帰ったばかりですよ!?」
「あなたが窓ガラスを割るからでしょう?」
「私のせいだと!?」
「おとなしく待っていれば、こんな事には」
「はぁぁぁ~っ!? あなたがカカオとかいう―――」
「人のせいは良くありませんよ?」
「なっ! チョコレートの――――」
「さっさと行け」
「「……は……い」」
真珠姫とシュゼル皇子は、罪を擦り付け合っていたが、王に睨まれ黙り込んだ。
これ以上の論争をここでやっても、現状は何も変わらない。
ただ無駄に、フェリクス王の不興を買うだけだ。魔竜なんかと闘うよりも、遥かに恐ろしい事態になるだろう。
1人と1頭は渋々とながらも大人しく、討伐の準備に向かうのであった。




