(252)終演_1
法歴4998年1月1日。
例年ならば年末に神託を得る儀式が行われ、その発表を待ちわびて多くの人が詰めかける聖地大神殿であったが、今年は静かに新しい年を迎えた。
神託を得る預言者ロード・ジ・アース・ナーイが大神官の座を追われたため、今年度の神託は得られていない。
現在の聖地神殿はおおよそ200年ぶりに神智派が掌握し、公同派の神官達がその地位を追われていた。しかしそんな彼らも聖地から離れることなくこの地に留まり続けていた。
これは冬の時期に移動が困難というのは勿論あるが、様々な事態の責任が全て公同派に押し付けられていた(そしてその多くが事実であった)ため、聖地を離れても行く当てのない公同派神官たちが多かったせいであった。
また現在権力を掌握した神智派やそれに協力した福音派の神官たちにしても、公同派に所属していたという理由だけで(不正を犯した者は別として)処断するつもりがないことも理由の一つであった。
神智派は政治よりも探求を欲し、福音派は現場に信仰を見出すタイプの人が多いため、政治的な思惑による果て無き糾弾よりも実利と問題解決を優先させた形だ。
しかも、聖地を実際に軍事力で陥落させ、大神官を無理やり退位させたのは聖地解放軍という豪族や王たちだ。その彼らが公同派神官たちの処断までやってしまえば、神殿の独立性が保てず、より大きな混乱を招く、という豪族たちの思惑もあった。
「俺たちは今の世界を存続させるために必要なことをやってるだけだ。そこまでは面倒見切れん」
という西方連合王国のグリゴリ王の言葉が状況を端的に表していた。
神殿の改革は神官たちでやれ、但しまた下手なことをしたら容赦しないぞ、と。
結局、得手不得手や好き嫌いに関わらず、最大派閥となった神智派と、その実質的指導者であるサミュエル・アダムス師に聖地神殿内の厄介ごとが全て集約される形になった。
そんな緊張を孕んだ聖地神殿に比べて、聖地そのものは落ち着きを取り戻していた。
現在の聖地は西方連合王国を中心にした解放軍の支配下にあるが、その都市機能は大きな被害を受け、多くの者がその影響を受けた。これは聖地神殿と解放軍の戦争によるものではなく、その多くが大神官ナーイが召喚した多くの【巨大な混沌】による被害であった。
そして、その【巨大な混沌】から市民を守るために解放軍と聖地神殿騎士団が肩を並べて戦ったことが、結果として現在の街の安定に繋がっていた。
しかしそれでも、神の祝福を受けた聖地に現れた【混沌】と聖地の被害。しかもそれを為したのが200年に渡り聖地を、ひいては全ての秩序神信徒の頂点に君臨してきた大神官によって行われたという事実。
昨日まで当たり前であったことが根こそぎ否定された事件から一か月余りが過ぎ、ようやく街並みにも人の営みにも、落ち着きと賑わいが戻りつつあった。
あと730日で世界が終わり、全てが分解されて灰色の砂漠という【秩序】に帰する。
その事がわかっている筈なのに、街の賑わいからはそうした悲壮感はあまり感じられなかった。
* * *
「やっぱり人間はすごいですね」
フードで顔を隠して街を歩くまだ年若い娘が、周囲を見回して感嘆の声を上げる。
「どういうことだ?」
同じくフード姿のもう一人。娘よりも背が低く年若い少女が乱暴な口調で応じる。
「だって、あと2年で世界が終わる。しかもそれを為すのが自分たちが信じ崇拝してきた【秩序】なんだよ。ある意味、裏切られたわけじゃないですか。なのにこんなにも街はにぎわっている。逞しいなって思って」
「2年も先のことを心配しても、腹は空く。それか、そんなことは起こらないと高を括っているか、そもそも知らないのかもしれない」
背の低い少女が少々斜に構えた意見を披露する。
「それでも、ですよ。わたしは、色々憶えていて、過去の情報と今の情報を吟味して答えを出すばっかりですけど、忘れることも時には必要なんではないかと思うのです」
「過去の経験を忘れる……ってことじゃないんだよな?」
「はい。糧にすることと囚われることは違う、という意味です」
その言葉に背の低い方が、そうだな、と小さく答えて考え込む。
「……オレもつまらない……本当にいま考えるとつまらない失敗にずっと囚われて、自分を縛っていたんだ。うん、同じ失敗を繰り返さない経験は大事だけど、失敗の記憶に尻込みして動けなくなるのは違うな」
いきなり自分語りを始める少女に、そうそう、ともう一人が応じる。軽い言い方だが軽んじている様子はなく、言われた方もそれを十分に理解していた。
「それに、2年でこの世界は終わらせません。その為の準備を進めているんですから」
「また、病院に行くのか?」
聖地が陥落した直後に世界の外を目指し、数日前に戻ってきたばかりの娘が頷く。
「はい。現調してできそうと判断しました。そこで大まかな作業の見積もりも作りました。最終的にはここに運び込むつもりです」
「魔法船には載らないだろう? どうやって運ぶんだ」
「“ととさま”とジェシーさんにお願いして人手を確保してもらっています。多分、常時50人ぐらい、延べ人数だと300人ぐらいの大所帯になると思いますから、人と資材は魔法船を使ったピストン輸送ですね。“外”での魔法はまっ君(仮称)頼りになりますから、わたしはほとんど現地に常駐ですね」
そうは言っても混沌山脈を超えた世界の外から、世界の中心たるこの聖地までの距離は遠い。
「間に合うのか?」
「間に合わせます。大丈夫、大神官の御座船を接収して荷車に改造して、それを魔法船で曳くつもりです。乗せちゃえば、そこまで時間はかからないと思います。多分、壊さないように病院から運び出すのが一番大変じゃないかな」
「……オレも行った方が」
しかしそれには首を振られる。
「GAIAに付いていて。曲がりなりにも神なんだから、めったなことは無いと思うけど、彼女を失ったら、向こうもこっちも、全部おしまいですから」
向こうの世界とこっちの世界、二つの世界の存続を頑張ります、と軽い口調で背負った娘はもう一度、通りの喧騒を見回す。
「だから、人間達に“世界が滅ぶ”と自暴自棄になられると困るんです。いざ、世界が続くとなったときに困らないよう皆さんの生活は今まで通りやっていただかないと。ですから人間達のこういう、絶望の未来から目を背け、希望を信じ、過去を適度に忘れる現金な逞しさは、今はありがたいですよ」
「……そういう言い方、やめろよ」
連れの明るい言葉に、背の低い少女が不快気に水を差す。不思議そうな表情を浮かべる娘にそのまま言葉を次ぐ。
「“人間達”とか、そういう言い方のことだよ。お前だって人間だろ。わざと線を引くような言い方するな。そういうの、言い続けてると言葉に自分が囚われるぞ」
保護者が子供に戒めるような言葉に、一瞬虚を突かれた娘。しかし、うん、解かった、と年の割に幼げな仕草で素直に頷き、そのまま大人のような少女に抱き着く。
「な、なにすんだよ、いきなり」
「なーんでもない。こうしたくなっただけ」
「いや、まて。腕に胸が当たってる。知ってんだろ、オレの中身が男だってこと」
「知ってるよー。うれしいでしょー」
ニヤニヤしながらからかう娘に、少女がしどろもどろになる。
「それと、貴方がいつもわたしを守ろうとしていたことも、わたしのことを女の子として好きでいてくれていることも知ってるよ」
誰にも聞かれていないと思って自室で奇声を発していたら、それを全部好きな娘に聞かれていた。そんな感じで秘めた想いを知られた少女はローブの上からガシガシと頭をかく。
「……ちくしょう。言うつもりは無かったんだけどな」
「どうして? 歳の差を気にして? それとも叶わないと思ったから? 女の子同士だから?」
妙にグイグイと攻めてくる娘が、胸をさらに押し付けてくる。
「だからやめろって。変な気持ちになってくるだろ……オレは、向こうに帰る。こっちには残らない。お前を……幸せにできない」
「…………………………」
「だから、いいんだ。その方がいい」
「……そっか」
「そうだ」
しばらく二人の会話が途切れ、周囲から物売りのにぎやかな掛け声だけが聞こえてきた。
「わたし……ケイスケさんの事、好きですよ」
ぐほっ、と咽かえる少女。
「愛とか、恋とか、やっぱりよく判らないんです。ただ、ケイスケさんには幸せになって欲しいの。そのお手伝いができたら、きっと、わたしが嬉しい」
「……オレからはなにも返せない」
「既にいっぱいもらってます。一生かかっても返せないぐらい、いっぱい」
そう言って、ローブの娘が、自分の肩ぐらいまでしかない少女の腕により強く抱き着き、胸の感触がより強く伝わる。
「ただ、貴方がどうすれば幸せな気持ちになってくれるか、よく判らないから。ムーちゃんに相談して教えてもらいました」
「アイツの言うことは真に受けるな! と、とりあえず、離れろ」
自分を喜ばせるために身体を使う娘を、少女は無理やり引きはがした。娘の頬も心なしか赤く、素直に離れる。きっと当人も恥ずかしい思いをしながらやっていたのだろう。
--俺が喜ぶと思って……か
「……そういうの、不誠実な気がして。なんていうか、オレにとって都合がよすぎる気がして、こう、……ケツのすわりが悪いんだよ」
「そういうところ、ほんと、イイヒトですよね。でも、安心してください。わたしはもっと打算的ですから。あくまでわたしの都合、時間限定でもいいから、わたしがそうしたいんです。それじゃあ、ダメですか?」
「顔真っ赤にしながら、なに言ってんだよ。無理すんな」
そう言われて自分の頬の熱さを手で確認した娘の顔が更に赤くなっていき、両手をもじもじとさせる。
少女はとっくに自分の背丈を追い越した娘の顔を見上げる。羞恥に染まった表情が愛おしく、そして眩しい。
初めて出会ったときは幼女だった。やがて少女となり、いま、女性になろうとしている娘から、少女の姿をした“男”は目が離せなくなった。
体が自然に動き、少女は背伸びし、娘の頬に口づけをした。
「ひゅえっ?」
娘の口からよく判らない声が漏れる。
「好きだ、アリーシャ。愛してる」
言葉は自然に出てきた。
「わ、わたしもです、ケイスケさん」
いつの間にか周囲の喧騒が鎮まり、息をひそめてなりゆきを見守っていたことに、見つめ合う二人が気付くのは数分後のことであった。
* * *
どことも知れない場所。
魔法と呪術紋を用いて幾重にも結界の張られたその部屋に、生まれたばかりの赤子を連れた人物が訪れた。
真っ白になった長いひげにつば付きの三角帽子にローブ姿。魔法使いと言われて大半の人が思い浮かべるようなベターな姿の老魔法使いであった。
その腕の中でむずかる赤子に、老魔法使いはわずかな情も動かさず、しかし丁寧に祭壇に載せる。その丁寧さは貴重な魔法の触媒を扱うかのようであった。
老魔法使いは慣れた様子で高価な触媒をいくつも並べ、呪文を唱え始めた。
それは神殿でもごく一部の者しか行使できず、また現在の神殿に、いや公同派に不可欠な魔法。即ち、
「【審議】」
その魔法は生暖かく感じる魔力として赤子の脳を侵し、神を降臨させていく。自我が形成される前の無垢な脳に神降ろしを行えば、それは神も同然の存在であるといえよう。
そして頃合いを見計らって、次の呪文を唱え始めた。
「【読心】」
老魔法使いはこうした“裏ワザ”で神の意を読み取り、新たな神託を得た。
「……やはり、神のご意思は変わらず人類の殲滅」
これまで神の認知能力で未来を予見した“予言”に政治的な誘導を混ぜた“神託”を利用してきたが、対外的に発表する場が失われたいま、“預言”を得る必要性は薄い。
それでも老魔法使いは自分の正しさを確認する自己満足のために、貴重な触媒……生まれたての赤ん坊を手に入れては、こうして“神託”を得ていた。
しかし、いくら自分の正しさ、神の望みを知っても、世界はそれから乖離していき、もはやその流れを変えることはできそうもなかった。
--まだ、何かできることはあるのではないか?
そう考え、時折衝動的に義脳で操り人形を作り出し、破壊活動をさせたりもしたが、悉く潰され、大きな成果を出せていない。
何より、老魔法使い自身がそれを完遂させる意欲の減衰を感じていた。
--これは本当に、秩序を奉じることなのか?
以前、自分と“同じ”であるはずの零等級の一人がそんなことをチャットに書き込んでいた。すぐにログに押し流されてしまったが、妙に心に残っていた。
老魔法使いは書斎に戻り、暖炉のそばでパイプを燻らした。
「……疲れた」
誰聞く者のいない中、ふと漏れた独り言は、そんな弱々しい言葉であり、自分の不甲斐なさに思わず苦笑する。
老魔法使いを囲む書斎には多くの書が整然と並んでおり、几帳面な様子から性格がうかがえた。仕事机の上は未整理の数えきれないほどの書簡が山積みされてた。その大半は読むに値しない招聘やおもねり、見当外れな批判や自称新発見であろう。
それらを手にする気になれず、老魔法使いは、別に分けられた手紙の束を手に取り、暖炉のそばの座り心地の良い椅子に身を預け、パイプを片手に手紙の束を読み進めていく。
それは知的興奮を与えてくれる示唆に富んだ文通の記録であり、同時に様々な想いが老魔法使いに去来していく。
ふっと気配を感じ顔を上げると、暗い部屋の隅に人影を見つけた。
結界が破られた様子はない。
「どなたかな?」
老魔法使いは結界の再点検を行い、破られていないことを確認しながら、内心の警戒を悟られないよう、抑えた声音で尋ねた。
暗闇の中にいた人物はゆっくりと進み出て明かりの中に姿を現した。
「突然の来訪のご無礼、お許しください。わたしは西方連合王国グリゴリ王が第3姫、アリーシャと申します」
「ほう?」
まさにいま読んでいた手紙の主の突然の来訪に、老魔法使いは目を細める。
「お目にかかれて光栄です、大賢者様」
大賢者は13話に本の作者として初めて描写され、60話でちょっと登場しています。それ以降もちらほら名前だけ出てきます。




