(227)虚ろの森_3
新たに【虚無】が生み出されている上空に魔法船が滞空し、眼下の灰色の霧を臨む。
ここからは見えないが、霧の中に数え切れないほどの魔物が蠢いているのを、探知魔法や魔力のフィールドが捉えている。
突如、霧の中から飛行型の灰色の魔物……【虚無の獣】が飛び出し、襲い掛かって来た。鷲の前身と馬の下半身を持つヒッポグリフだ。
「【鎖鋸】」
白面の騎士が呪文を唱えると、その手から鎖が伸び【獣】を迎撃する。鎖の表面には沢山の刺が生え、それが高速で回転しながら獣に絡みつき、その肉体を両断する。
「すっご」
骸骨のような酷薄な表情を浮かべた聖地神殿の騎士スケルツォ・エヴァ―ブルーの流れるような詠唱と、正確な魔法発動に、思わずムティアが呟く。
それは感性で戦うムティアとは異なる、厳格な訓練によって作られた強さであった。
「当然だ。スケルツォ様は【緑】の団長なんだからな」
何故かカシムが偉そうに言って、ムティアに睨まれる。
その後も時折襲い掛かる飛行型の【獣】を迎撃している間に、神官ホーマーが探知魔法の精度を上げて、問題の場所を探る。
「【虚無の獣】共がひしめき合っていて、よく解らんな」
「【獄炎地獄】で焼き払いますか?」
作戦級の大規模攻撃魔法の使用を事もなげに言う赤毛のお姫様に、阿呆、とホーマー。
「それじゃあ【虚無】を生み出す何かも一緒に燃やしちまうだろうが。それこそ繊細な魔導書とか呪術紋だったらどうする。すぐに暴力に訴えるな、脳筋」
四角い顔の筋骨隆々の男から脳筋呼ばわりされたアリーシャは、余りのショックに言葉を失う。しかも脳筋発言について他の誰もフォローしてくれないこともあり、二重にショックを受ける。
「ん~、ムティアちゃん、こっちこっち」
帆先に立って魔法船を操っていた黒髪のリョーコが、ムティアを手招きする。
「よっと」
リョーコが背中に手を回し、まるで最初からそこに在ったかのような自然さで一本の槍を引き抜いた。
「これ、貸しとくね。これで魔法船を操れるから、いざという時はそれで脱出して」
銀色に輝く槍には鎖が巻きついている。秩序神の象徴たる鎖槍だ。
えっ、えっ、と狼狽えるムティアに槍を押し付ける。
「じゃ、ちょっと行って、魔物達を消してくるから」
「リョーコさん!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。だって私は“作り物”だから」
ニカッと笑ったリョーコが舷側からひらりと宙を舞い、そのまま落ちていく。しかし、その身体にいきなり衝撃が伝わる。
「力を使う時はわたしも一緒って言ったでしょ!」
魔法船から飛び降りたアリーシャがリョーコに飛びついてきたのだ。
「【落下軽減】
すかさず魔法を唱えると二人の落下速度が緩やかになる。
「もう。相手が【虚無】なら私一人の方が安全で確実なのに」
「自分の身ぐらい自分で守れます」
アリーシャは左手にツタの絡まる世界樹の杖を持ち、右手に短刀を握りしめた。秩序神と混沌の悪魔の力を共に携えているのだ。
他よりも特に濃い灰色の霧が、二人の落下に合わせて晴れていく。【適正化】という形で情報を奪う【虚無の霧】が、その容量以上の情報を与えられて消滅しているのだ。
その様子をアリーシャは左の赤目で見ようとするが、どうやらその余裕は無さそうであった。二人を中心に晴れた視界の先を、灰色の魔物達が埋め尽くしているのだ。
その二人の周囲に銀光が降り注ぎ、地を埋め尽くす魔物達を銀の槍が貫いていく。魔法船からの援護だ。
一方魔物達も、反撃のため、電光や炎の息、水流を放ってくる。
「【防壁】」
アリーシャの魔法がそれらの攻撃を弾き返す。
リョーコが【虚無の獣】に触れれば、それを消すことができるため、獣が肉弾戦を仕掛けてくる限り、リョーコは無敵である。
そしてこれまで、【虚無の獣】はスキルを使用することはなかった。
「【虚無の獣】の行動パターンが変わった?」
スキル攻撃ならば、リョーコはそれを無効化できない。
「あっぶなかったぁ。アリーシャさんが居てくれてよかったわ」
襲い掛かる獣たちに蹴りを一閃させて消し去るリョーコ。
「【植物支配】」
アリーシャの呪文により、周囲の樹々が動き出し、獣を薙ぎ払い、またスキル攻撃の盾になる。
しかし、この森には数え切れないほどの【虚無の獣】が居り、二人の人間を認識したことで、周囲からこの場に集結し始めた。
「誘導スル」
フクロウがアリーシャの近くにやってくる。ホーマーの使い魔だ。
そして、アリーシャ達と目的の場所の間を塞ぐ獣たちに上空から攻撃魔法が降り注ぐ。
「目的地周辺ヘノ攻撃ハ控エル」
「【使い魔召喚・精霊狼】」
アリーシャが数体のエアウルフを召喚し、リョーコと自分の周囲を囲ませ、護衛としながらフクロウの誘導で進む。
特にスキル攻撃にはエアウルフが身を盾にして受け、アリーシャの攻撃魔法で退け、それでも捌き切れない獣をリョーコの蹴りの一閃で消し去る。
本当ならばその様子をじっくり見たいアリーシャであるが、やはりその余裕が無い。
「ココダ!」
特攻するようにある一点に突っ込んだフクロウの使い魔が獣の一撃を喰らい、光となって消えていく。
その場に居た複数の【虚無の獣】が、何かを守るように無言で威嚇するようなしぐさを取る。
そして、その背後に、まるで空気中から滲み出すように、新たな【虚無の獣】が姿を現した。それもこれまでにない大きさであった。
「ドラゴン!」
現出した灰色の竜が、翼を広げ、軽く息を吸う仕草をする。
「ああ、色が判らないからブレスの種類が予想できない!」
などと叫びながらアリーシャが防壁の魔法を急いで唱える。
その横を風が駆け抜ける。たっ、とリョーコが前に飛び出したのだ。
長い四肢で森の中をスプリンターの様に走るリョーコ。獣たちのスキル攻撃がかすり、焦げたり、凍ったりするが、その動きに躊躇いは無く、にぶりもしない。
そして体当たりするように【虚無の獣】たちに肉薄し、瞬時にその存在を消し去っていく。そして、
「ゴール」
今まさにブレスを吐かんとしていた竜の腹にその手をつき、その存在を消し去った。
* * *
竜はその大きさに見合う情報量を持っていた。厳密にはマイナスの情報という定義の上で矛盾したベクトルの力であったが、その量が大きいという事実に違いはない。
そして、リョーコが触れた途端、そのマイナスの量を相殺するプラスの情報が流れ込み、情報の対消滅を起こしてドラゴンが消え去った。
その様子を、魔法の準備をしながらアリーシャの左眼が見つめている。
前後、左右、上下、過去・未来、並行世界……三次元存在に過ぎないアリーシャには理解は勿論、言語化することもできないベクトルの力がリョーコの中からドラゴンに流れ込んでいった。もしかしたらドラゴンの中にあった力をリョーコが吸い込んだのかもしれなかったが、その意味するところは一緒であった。
その理解しがたい力……敢えて言葉にするなら【情報】によって、斯く在れ、とこの世界に存在したドラゴンの定義が書き換えられ、ドラゴンは存在しないことになった。
そのように世界が書き換えられていた。
しかしリョーコの中にそれに見合う力があるかと言えばそうではなかった。
それはまるで情動と引き換えに【底】から魔力が汲みだされるように、彼女の中に何処かから一定の圧力で供給され続けていた。
アリーシャは目を凝らし、その“何処か”に意識を向けるが、途端に殴られたかのような衝撃を受けて思わず地に手を突く。
「アリーシャさん!」
ドラゴンを消したとはいえ、【虚無の獣】はまだ数え切れないほどいる。そうした獣たちがアリーシャに襲い掛かっていく。
「くっ」
杖で受けようとするが、まだ頭がくらくらしていて、その動きは遅い。その眼前に爪が迫った。
ガキン、と獣の爪をスケルツォの剣が受け止め、そのまま【虚無の獣】の身体を押し込みアリーシャから距離を取る。
「【魔弾】」
剣と腕で獣を押し込みながらゼロ距離で攻撃魔法を放ち灰色の魔物を討ち取る。
「ほれ、立てるか」
ホーマーの力強い腕がアリーシャを無理やり立たせ、すぐ脇に魔法船がまるで墜落するような勢いで着陸する。
「リーシャぁ!」
「嬢ちゃん、船はあっちの姉ちゃんの近くに寄せろ。総員、円陣を組め、獣どもを近づけるな。姫、【虚無】の発生源の検分が最優先です」
「でも、あの方が」
アリーシャを庇い、【虚無の獣】に直接触れたスケルツォの左手の先が光となって消えていた。このままいけば時間と共に全身が消えてしまうが、処置が早ければ助けられるし、その後遺症も少ない。
ひゅっ、とスケルツォの剣が一閃し、自らの手首から先、分解されている患部を切り落とし、即座に【治癒】を唱えて傷を塞ぐ。
「早く行け」
スケルツォは死霊を召喚し、自身の鎧として【虚無】の分解の力への備えをしてから獣を牽制し、アリーシャを促す。
「新手!」
中空に新たな【虚無の獣】が滲み出してくるが、全身が出切る前にリョーコがその存在を消し去る。
そのすぐ脇に魔法船が地面の上をドリフトするように横付けされ、王国騎士や神官騎士が船とリョーコを囲むように外に向けて円陣を組む。
そこにホーマーに引きずられるようにしてアリーシャがやって来た。
「後は任せる。【剛力招来】【雷電招来】」
ホーマーの筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がり、更にその全身に電光を纏い、円陣から躍り出て【虚無の獣】に殴りかかっていく。
【虚無】の分解の力も、表面の電光を分解するだけでホーマー本体にまではその力が及んでいない。
一方、先ほどの危機とスケルツォの被害に、まだ高鳴る心臓を押さえながら、アリーシャが目を上げると、そこには意外なモノがあった。
それは、ごく普通の村に住む若者に見えた。
だがその眼は虚空を見つめ、その顔色は土気色で衰弱した様子が窺えた。そして何事かブツブツと呟いている。
そして再び虚空から灰色のモノが姿を現す。今度は小型で、且つ数が多くリョーコも消しきれない。そして出現した瞬間、リョーコ向けて何かを飛ばしてきた。ハチ型の魔物が針を飛ばしてきたのだ。
しかし、その攻撃力は小さく、リョーコに持たせた【防護】の簡易魔法の品で事なきを得る。
「これ、戦況に合わせて呼び出す【虚無の獣】をコントロールしてるよね」
リョーコの言葉に同意しながら、アリーシャが【解析】の魔法を唱える。そして同時に左の赤眼でも目の前の若者を見る
若者は魔法とは違う経路……ステータス画面を通して何処かに繋がっていた。
一つは魔力の線を束ねたライン。この若者もまた【パペット】なのだ。
そしてそれよりもはるかに強い力が“何処か”に繋がっている。それはまるで先ほどのリョーコのようであった。
先ほどの衝撃を覚悟しながら、その向こうを窺うと、やはり強い衝撃を受けてアリーシャはよろける。覚悟していてもその情報量の膨大さに頭が少しくらくらする。
「自分の身を贄にして【虚無の獣】や【虚無の霧】を生み出すマイナスの力の源に接続して、この世に引き込んでいるのか。そしてそのための手段が」
解析の魔法は若者に掛けられた魔法を読み取っていた。
「なんでこの魔法でこんなことができるのだろう」
こうしている間にも新たな【虚無】が生み出されようとしていた。
「……【昏睡】」
アリーシャの魔法により虚空を見つめていた若者の脳内のすべての活動が強制的に停止され、生まれようとしていた【虚無】もそのまま消えた。
「……リーちゃん。この魔法、ボクも使えるよ」
「え、ほんと?」
カシムもまた【解析】をかけて、若者を見ていたのだ。
「うん。第一種に合格した者だけが取得できる魔法」
「あ、途中でごめん。アリーシャさん、急いだほうがいいよ。その人、連れてく?」
円陣の外では今も【獣】との戦闘が続いている。そちらを気にしてリョーコが声をかけてきた。
「そうですね。まずはこの場を撤収しましょう。リョーコさん、手を貸してください」
「お~け~」
気安く応じて、リョーコは仰向けに倒れた若者を軽々と抱き上げた。
カチッ
瞬間、地面と若者の背の間に仕掛けられた魔法の品が発動し、周囲を火球が覆った。
* * *
--五番作戦地でトラップが作動
--例のメイドか?
--南西山脈にいたことが確認されている。五番は南西山脈地方に近い
--これで死んでくれればいいのだが
--獣を集めるか?
--いや、確証が欲しい。【白】の残党はあとどのくらいだ
--50と言ったところだ。もはや山賊と変わらんぞ
--【白】を主軸に周囲の戦力をすべて投入しろ。ここで討ち取れば我らの勝ちよ
--確実な情報が欲しい。死体でも確認できれば重畳




