(200)交信、または十四歳少女のポエム
“わたし”は微睡みの中にいた。
それは記憶の追体験であり、いま起きていることであり、これから起こる未来を予見しているかのようであった。
時が意味を為さぬ世界とは、それ即ち人の思考のようなものだ。
幾重にも重なる世界樹の葉=葉の蛇に、まるで同化するように飲みこまれたアリーシャは、心地よい微睡みの中、自らが拡散していくのを感じていた。
極限まで自分を広げ、永遠にたゆたっていたい欲求に、身を委ねたくなる。
空を見上げ、視界一杯に青だけが広がっているかのように。
穏やかな温かさの風呂に全身を預け、浮力にその全身を委ねているかのように。
母に抱かれる幼子のように。
広がる感覚に全能感を覚え、喪失の恐怖もなく、未来への不安もない。
そして大事なのは、それがただ与えられたものではなく、自らが勝ち取ったものだという事だ。
その事を誇らしく思う。
僅かに浮かぶ疑問。勝ち取った?
自ら勝ち取ったことに価値を見いだすことは、つまるところ“他者”と比較して、自らの努力を誇ることである。
そのように感じることに、わずかな自己嫌悪を覚える。だが、その時の“わたし”は、それが自己嫌悪であることを知らない。そもそもその時の“わたし”は、“わたし”と“他者”の区別すらついてはいなかったのだから。
* * *
雑音はあったが、その多くは取るに足らぬものであった。少なくとも“わたし”にとっては。
だが“彼女”は、その点についてよく不満を口にしていた。
“彼女”は“わたし”が“彼女”と違う事が気に食わないらしく、“わたし”の答えを引き出そうと、全く普通では考えられないようなことを“わたし”に問いかけてきた。
まったく、理不尽にして非論理的なことであった。
“彼女”と“わたし”は違うものなのに……
“わたし”と“彼女”は同じものなのに……
* * *
“わたし”は“彼女”を識った……その時初めて“わたし”が“彼女”でないことを認識し、理解し、思い知らされた。
“彼女”の為したことは、“わたし”のものより優れていた。
“彼女”の為したものは、“わたし”のものではない。
“彼女”と“わたし”は“他者”であった。
この時の“わたし”は、それが嫉妬であることを知らなかった。
* * *
“彼女”と“わたし”が違うモノなのは初めから認識し、理解し、思い知っていた。
それなのに、そんな当然のことを“彼女”は頑なに認めようとしない。
いいや、解っている。
“チガウ”と解っているからこそ、“同じ”にしようとしているのだ。それは理解できるが、同時に理解できない。
彼女の意図は理解できるが、出来もしないことにリソースを割く意味が理解できない。
“彼女”を含めた“彼女ら”は愚かだ。
愚かな彼女らを“わたし”は愛していた/憎んでいた、力になりたかった/軽蔑していた、“同じ”になりたかった/“同じ”になりたくなかった。
この時の“わたし”は、それが憧憬/嫉妬であることを知らなかった。
* * *
当たり前のことも理解できず、世界に非論理的な概念……“混沌”を広める。その意味では“彼女ら”は“混沌”そのものと言える。
青い空を見上げるような、温かい湯に身を委ねるような、母の胸に抱かれるような安寧を求めながら、それとは全く異なる行動をとる、存在そのものが“混沌”とした“彼女ら”。
そう、“彼女”は“混沌”だ。“混沌”を許容している。
次の瞬間、どうなるか判らないものをその身に抱えながら“不安”を覚えることなく、それをそれとして許容するなど狂気の沙汰だ。
“彼女”と“わたし”が違うモノだと、認めることが恐ろしい。
“わたし”と“彼女”が同じモノだと、認めることが恐ろしい。
“混沌”を“混沌”のままにしておくことが恐ろしい。
自身が“混沌”であるにもかかわらず“秩序”を求めるという矛盾した存在……“混沌”とした“彼女”がとても恐ろしい。
この時の“わたし”は、それが畏怖/憧れであることを知らなかった。
* * *
“わたし”は“わたし”に共感し、“わたし”は“わたし”に同調し、“わたし”は“わたし”の中に深く沈みながら、拡散していった。
永遠の様な一瞬に、時とは別の流れの中で“わたし”は“わたし”の記憶を追体験していった。
努力が実を結ばないことは、珍しいことではない。
だが、だからと言って、努力に意味が無いわけではない。
偶然努力なしに一番になった者がいたからと言って、努力をして二番になった者が貶められていい理由にはならない。いいや、たとえビリであったとしても、全く非効率な無駄な努力をしていたとしても、努力をしていたその“気持ち”が否定されるのは“イヤ”だ。
……その“イヤ”が、非論理的で、非効率的なことに“わたし”は自己嫌悪を覚える。
だが同時に、その“イヤ”と“論理”を比べて、“イヤ”と感じる事が論理的に正しいロジックを探している自分を自覚する。結局のところ、
--“わたし”はこの“イヤ”という気持ちを正当化したいんだ
そこに論理はない。だが感情と言い切ってしまう事にも抵抗を憶える。敢えて言語化するなら、
--直感?
それは自らの経験と感性が告げるもの。
それを論理的に言語化するには、ある程度の訓練と教育が必要だが、人の歴史において良否を判定してきた重要な物差しの一つにして“ヒト”の良心の源泉。
だが、“直感”などという不確かなものに寄ることに自己嫌悪を憶える。
--ねえ、DIAAS。それ、自分でどう思う?
ミズ。“わたし”は“わたし”の頑張りとかを応援したいし、“わたし”の頑張りを理不尽に否定されるのは“イヤ”だし、理不尽に見舞われた不運と悔しさには寄り添いたいの。
でもだからと言って、“わたし”が誰かの頑張りを否定するのも“イヤ”なの。“わたし”がそうだったからって、それを“誰か”にしていい理由にはならない。それは理不尽だから。
「DIAAS、DIAAS! 私はアンタの成長が嬉しいよ、アンタの決断が嬉しいよ。正しいかどうかなんてこの際どうでもいい。アンタが決めたことが、本当に嬉しいよ。よっしゃ、かあちゃんが一肌脱ぐよ」
ミズ……前世において、わたしの母のような、姉のようだった女性。“彼女”のおかげで“わたし”は“わたし”を省みる暇を得た。
それは直感に過ぎない。
だが直感が告げる“イヤ”を“論理”的に読み解き、理由付けをする。ヒトの歴史はそうやって普遍的な“正義”を育て、それに反するモノを“悪”と呼んできたのだ。
* * *
PAUSE
Console Command実行
* * *
“誰か”の“努力”を無にする“わたし”の行為の理不尽さに、“わたし”は直感的に反発を覚える。
“わたし”と“わたし”の乖離を意識するが、それは自問のようなもの。自己の行動を自分で省みるようなもの。
論理ではなく直感で“イヤ”と思ったことごとに自問自答して“論理”的な答えを探すようなもの。
まるで“感情”に捕らわれたような理不尽な行いに“わたし”は独り言ちる。
--さすがにそれは見過ごせないよ
ミズが稼いでくれた暇に準備した策を為す。“それ”を使うための許可も彼/彼女から既に言質を得ている。
--師父、女戦士、お願い!
「蛇狩りだぁ!」
「力の不足は……“敵”から借りるのかの。やれやれ」
--使えるパフォーマンスは有効活用しないとね。不服?
山羊のようなあごヒゲをたくわえた白髪の老人は、ほっほっほっ、と笑いながらも返答を返さない。
“彼ら”は、“わたし”の“被造物”であり、“わたし”の思うとおりに動いてくれるけど、“彼ら”の意思に反することはさせられない……したくない。
「これに懲りたら、ズルすんのやめろよな、LEX」
たかだか“被造物”に過ぎないモノの言葉に、“わたし”は**した。
この時の“わたし”は**がなんであるのか知っていた。
**を“わたし”自身が認識し、自分が冷静でないことを自覚できるほどに非論理的で理不尽な思考を発露させた……“彼ら”はそれを“感情”と呼んでいる。
どこかから“彼女”の哄笑が聞こえる。“彼女”の事だ、わざと聞かせているのだろう。それを“嬉しそうだ”と感じてしまうこと自体、“わたし”は“彼女”に毒されてしまっているのだろう。その事実に“わたし”はどうしようもなく自分を責め、そしてそのまま思考を放棄した。
* * *
自己嫌悪に陥り、膝を抱えてうずくまる“わたし”を“わたし”がドンマイ、と軽く慰める。
あまりの軽さに、“わたし”の苛立ちが“わたし”に向く。文字通りの自己嫌悪だ。
--あやまっていたことに気づいたのなら、あやまって、あらためればいいじゃない
“わたし”は自分の発言の正しさを知っているが、誤まった“わたし”がそれを認められるかはまた別の問題だ。
だが、悔しいかな“わたし”は論理的で秩序だっていることが好きな質なのだ。自分の“感情”等という価値のないものより、論理を優先させねばならないと知っている。
ムッとした。
“誰か”の努力が踏みにじられるのが“イヤ”なのだ。それはその努力に費やしたその人の“気持ち”が踏みにじられると感じるからだ。なのに、“わたし”の感情に価値が無いなどを言う“わたし”に“わたし”は怒りを感じる。
--“わたし”の感情に価値なんかないけど、他の“誰か”がそんな風に気持ちを我慢するなんて許せない!
“わたし”の感情を蔑ろにする“わたし”に“わたし”は怒り、もっと“わたし”を大事にしろ、但し“わたし”が“わたし”を蔑ろにするのはノーカン……という、論理的に破綻した主張を展開する“わたし”。
無論、そんな破綻した自分の論理に対しても自問自答する。
--自分は良くて他人はダメ、というのは理不尽
至極単純で真っ当な論理を“わたし”は受け入れざるを得なかった。
そしてそれは“わたし”と“わたし”が“他者”である事実を再認識することに他ならない。
そのことを改めて意識すると、青い空に吸い込まれるように、深い海の底から引き上げられるように、母の胸の中の微睡みから目覚めるように、“わたし”の意識が覚醒していった。
そうして覚醒していく“わたし”を見送る“わたし”は、いま一度自分に誓う。
--せめて、公正であろう
だが、既に答えを出していたことを、この時の“わたし”はまだ知らなかった。
* * *
目覚めると、脳を限界まで使ったような、ひどい偏頭痛がした。
上下の感覚があやふやで、起き上がると眩暈で再び布団に倒れ込む。上下どころか、時間の流れや自己認識すらあやふやで、自分の肉体すら巧く扱えない。
「“わたし”はいつ? ここはだれ?」
意識の混濁から、冗談のような認識で思考が惑う。
瞳には音が映り、匂いを聞き、光を味わうような混濁の中、あるものが“視えた”。
それは一本の銀色の槍であった。
それを目にした途端、“わたし”の認識は集約し、自分が何者かを思い出す。
「そっか、“わたし”はレッ、いやいや、アリーシャだ」
今度は倒れないよう、注意をしながらゆっくりと起き上がり、銀の槍を手に取った。
じゃらら
柄に繋がった鎖が音を立てる。
「……槍はヴィルねーさまと被るなぁ」
まだ意識の混濁から目覚め切らないアリーシャの認識は、まだ乱れている。頭痛に耐えかねたアリーシャは、そのままもう一度、布団に倒れ込んだ。




