(17)リンゴ狩り
地面にぺたんと座り込み、アリーシャはぼーっと西の方を見ていた。少し肌寒いが空は抜けるように青く、気持ちのいい日であるが、その方角には圧し掛かってくるよう威圧感を持った混沌山脈がそびえていた。
「王都に行ったらこれも見えなくなるのかな」
混沌の悪魔が築いたと謂われる混沌山脈。その向こうには秩序の支配する平和な世界があるというが、赤ん坊の時に見た夢?を思うと、物事はそう単純ではないかもしれない。
少しでも多くの情報を集め、人々の要望を聞き取り、リソースを把握し、最善の道を模索する。
「その為には王都に行くのはいいセンタク、でも、」
兄らの声に反し、誤った選択をしたアリーシャだったが、それ自体は後悔していない。でも、その結果王都に行く、いや、この村を出る、という話にどうしても気持ちが納得できないでいた。
「にいさま、リーはどうしたらいいんだろう」
アリーシャの頭の中に引き籠った『お兄様』に問いかけるが返事はない。
「アリーシャ。にいさまって誰の事?」
いつの間にか近くに来ていたバルバラが話しかける。その後ろには拘束を解かれたステラも控えていた。
アリーシャが告白した次の日、王妃とジョーとステラの三人で随分長いこと話をした後、解放されていた。
「リーにいろいろ教えてくれた、かっこいいにいさまなの」
「いまはどこにいるのかな?」
「う~ん、この辺?」
自分の頭の左後ろの方を指さす。ステラの顔色が変わるが二人とも気が付いていない。
「どんな人なの?」
「う~ん、ヘタレ」
「『HETARE』?」
ほかにもヒキコモリとか、色々と聞かされたバルバラであった。
「ちっちゃい子って見えないお友達を作ったりするよね」
バルバラが小声でステラに話すと、
「そうですね。バルバラ姫様も妖精さんと、」
「わーわーわー、ステラったらやめてよ」
頬を赤くして恥ずかしそうなバルバラと笑うステラ。
「……ねーさまとステラは仲良しさんです」
ねーさまは笑顔を返し、ステラはバツが悪そうに視線をそらした。
* * *
一方そのころ。
「治癒を行って、その後アリーシャの快気祝い。そうだ、今までのお礼も兼ねて村の酒場を借りて、村の方も参加してもらいましょう」
三児の母(三一歳)こと王妃ブリージダはルンルン、というオノマトペが見えそうな浮かれようであった。
いろいろな懸案事項に目処が立ち、愛しい娘と一緒に年が越せる。
また、今まで壁を感じていたバルバラもマテス村に来てから年相応の表情を見せるようになったのが嬉しく、ことあるごとに抱きしめ娘成分を補給して、更に王妃のテンションは上がっていた。
「女は口出すな、とか言ってたから当分お父様に仕事押し付けて暫く娘たちと一緒に居ようかしら。ヴィル(第一姫)も捕まえて。うふふふ、楽しそう」
周囲の無理解や非難などのストレスや罪悪感から来る自己否定などから一種の鬱症状を見せていた王妃は、それらから解放されポジティブな方向に歯止めが利かなくなっていた。
* * *
ジョーとアリーシャの仲たがいの原因がリンゴだという話をしたところ、食べさせたいアリーシャと、興味を持ったバルバラらの言葉を受けて、リンゴを採りに行くピクニックに行くこととなった。
メンバーはアリーシャ、ジョー、ステラ、バルバラ、それに王妃の五人に道案内として王妃に雇われた狩人のおっちゃん。更にアリーシャがムティアとカシムを誘った。加えて侍女二名と護衛三名が同行し、総勢十三名で村を出発した。
しかし普段運動とは無縁の王妃や姫はもちろん、侍女やジョーも途中でへばってしまい、騎士たちに【肉体強化】を掛けてもらったりして森の中を進んでいった。
ステラは結構鍛えているのか、平気な顔でついてくるが、やはり村の子供たち三人の体力が抜きんでていた。障害物もひょいひょい跳んで避け、面白そうなものを見つけるとアリーシャがそこに走り、他の二人もついていく、という寄り道を幾度もしながら、遅れるどころかむしろ一行を先導するように進んでいく。
アリーシャら三人は本当に楽しそうに笑い、森を駆けていく。その様を嬉しそうに、羨ましそうに見ていたバルバラが、
「村の、はぁ、コドモは、ふぅ、すごいのですね」
と感心するが、狩人のおっちゃんが、アイツらはなんでか判らんが特別だ、村の子供全てがああじゃない、と否定する。
「まさか?」
ジョーはある疑問と予測を立てたが、日頃の運動不足と王妃が来てから回数の増えた酒宴のせいで息も絶え絶えな**歳のジョーには、移動中に子供たちを捉えることはできなかった。休憩を待ってムティアとカシムの背後から近づき、その肩に手を置く。
「……魔力を流していますね」
ジョーの声に二人は身を固くする。
「ぼ、ボク何もしゃべってないよ」
「わ、わ、わたしだってリーシャのことは何にも言ってないんだから」
明らかに動揺する二人。以前アリーシャが魔力を使えることについてジョーは彼らに口止めすると言っていたが、いったい何をしたのやら。
「そっちではないです。あなたたち、身体中にずっと魔力を巡らせていますね。大丈夫ですか?」
「? 全然。フツーだよ」
「寝るときとかは止めるけど、慣れたらずっとしてられるよ」
「姫に教わったのですね?」
素直に頷く二人にジョーは溜息を吐く。
「なるべく他の人にばれないように。またアリーシャ姫から教わったと他の人に言うことを禁止します。いいですね?」
禁止というところを強調した付加疑問文に、イエスマム、と二人はピンと背中を伸ばした。本当に何をしたのやら。
目的地には何本ものリンゴの樹が生えていた。
この辺まで来ると混沌山脈にずいぶん近づき、灰色の霧に隠された頂を見ようとすると首が痛くなってくるほどだ。
上の方の美味しいところはだいぶ鳥に食われてしまっているが、まだまだ多くの実をつけており、探せばまだまだ美味しそうなのが幾つも生っていそうだ。
「リンゴの目利きはアリーシャに任せときな。アイツがなんだかんだで一番モノを知ってる」
森のエキスパートであるはずの男が五歳の子供を指して言うには問題のある発言だが、こと【適正化】されていないモノに関しては言葉の通りであった。
アリーシャは樹の上の方を見て(時にはおっちゃんに肩車をしてもらって)アタリをつけてから、樹をするすると昇っていく。
初めて見るその様子に母・姉・世話人は呆然としてしまい、心配するいとまがなかった。
「なげるよ~」
言うが早いか収穫したリンゴをおっちゃんに向けて投げ、それを器用に受け取り、ムティアやカシムに渡す。
そんなことを何本かの樹で繰り返し、二十個ほどのリンゴが採れた。
「じゃあ、さっそく食おうぜ」
「魔法かけちゃダメだかんね~」
おっちゃんとアリーシャの言葉に子供たちは喜ぶが、他の反応は引き気味であった。
ナイフ片手にリンゴを剥こうとしたアリーシャにジョーが声をかけ、周囲、特に護衛や侍女の引きつった表情に気が付き、表情を暗くする。
「大丈夫だよ。実の中はキレイなんだよ?」
「姫様。大丈夫かどうかではなく、周囲からどう見られるか、です」
長い時間をかけて根付いた価値観は文化と同じだ。一方的に価値観が間違っている、と正論を言っても受け入れられない。
相手の禁忌を侵さず、相手の価値観に配慮して妥協点を見つける。それがいつものやり方だったじゃないか。それを思い出したアリーシャはうん、と考えてから、この場で一番相応しい人物の知恵を借りることにした。
「ステラ、教えて。【調理】魔法や【食用】を掛けなくても、食べても平気って思えるぐらいキレイにする魔法ってある?」
「私にそれを聞くんですか……」
呆れるステラに、
「ステラが平気ならみんなも平気かなって思ったんだけど?」
確かにその通りだが、そういう言われ方は少々癪だ。
「まあ、あえて言うなら【清潔】ですかね。食品にかける魔法ではないですが」
「それなら触媒も水だけだし、いいかもね。ジョー、お願いできる?」
「切る前にしますか、切った後にしますか?」
「切った後にしよう。あ、その前に実験」
アリーシャはリンゴを一個、スルスルと剥いていく。更に皮のところに切り込みを入れて、
「うさぎさん!」
とドヤ顔で披露したが、困惑した表情が浮かぶだけで反応が無かった。
その抽象表現をウサギと認識する文化的土壌がないのだろう。アリーシャは悲しい気持ちでそう分析した。
ーーとがった二つが耳ってことか、いやウサギの耳は赤くないし、白か茶か、薄いピンク色ってことも、果肉が白だから耳も白じゃないと……
どうでもいいギャラリーの議論はスルーして、リンゴの一つに【清潔】の魔法をかけてもらい、魔法をかけてない方と食べ比べてみた。
「うん、味に変化はない。大丈夫そうだね」
それを確認してから、アリーシャ一人でリンゴをどんどん剥いていき、持ってきたお皿に並べられたリンゴに、侍女が【清潔】の魔法をかけていく。
初めにジョーと王妃が手を伸ばし(子供たちはおっちゃんが抑えていた)、美味しい! と絶賛。
押さえつけていたステラの手を振りほどきバルバラも手を伸ばし、子供達も食べ始め、侍女、護衛も恐る恐る手を伸ばすが、食べなれたいつものリンゴとまるで違う美味に、
「リーの! リーのもとっといて!」
一生懸命リンゴを剥きながらも、目の前でどんどんリンゴが消費される様に必死に叫ぶ。
「はい、あ~ん」
バルバラが口元にリンゴを持ってきてくれる。全部は一度に食べられないので、半分だけ齧って咀嚼する。その間もリンゴを剥き続けている。
その手の動きにバルバラも、すごいねぇ、と感心しながら食べ終わった頃合いに半分残ったリンゴを食べさせる。
それを見ていた母ズが、自分もやろうとリンゴを持ってくるが、押し合いへし合いになってしまい、
「ジョーもかかさまもじゃま~。ナイフ持ってるのにアブないでしょ!」
とド正論で五歳児に叱られてしまい、二人して1m以内立ち入り禁止を命じられてしまう。
王妃の侍女がアリーシャに、あ~ん、をしたときなど王妃は血涙を流さんばかりで、
「後で見てなさいよ」
「かかさま、パワハラだめ!」
とまたまた叱られてしまっていた。
* * *
「これ、うまくやれば村の特産品になるんじゃないかな?」
一息ついた中でのおっちゃんの言葉。
「【適正化】してない食材ですよね。一部の好事家用に出回ってると聞きますが……」
「インベントリが使えないから、手で運ばなきゃいけないのが面倒そう」
「でも、また食べたいかも」
騎士や侍女も話しに乗って来る。
「それって魔法が使えない人でもできるシゴト、ってことだよね? こういうのがもっと増えれば、サイレントも自活できるようになるよね」
アリーシャの言葉に、そんな状況が想像できず、一同は顔を見合わせた。
--たぶんそれが私が目指すべき未来
続きはたぶん週末になります




