(173)天蓋_1
「リーシャぁ!」
アリーシャを呼びながらムティアが走って来た。後ろからはセザールも続いている。どうやってか浮遊島からこちらに移って来たようだ。
「すごかったよ、スライムがぎゅむーってなって、どわーっとして、きゅーって感じで消えちゃったの。リーシャがやったんでしょ? やっぱリーシャはすごい、ご褒美に結婚してあげる」
「ありがとう、むーちゃん。それより手分けして一緒に転移した人たちを集めて浮遊島に移動しよう。いいよね、アスカ」
「おう、ここもいつ崩れてもおかしくないからな」
ムティアのプロポーズを冗談と受け取りスルーして次の方針を確認するアリーシャ。
こうしている間もアリーシャの魔力は薄く広がり、人々を誘導していたが、不信からか動きが鈍い。正体不明の誘導だけではなく、直接声をかけていかなければならないだろう。
また、スライムに取りこまれた百有余人の人たちは、呆けたように座り込んでいる。まだ事情が呑み込めていないのだろう。
「みなさ~ん。聞こえますか~。事情は後でお話しします。ここはいつ崩れるか判らなくて危険です。まずは移動してくださ~い」
魔力を乗せたアリーシャの声が人々の耳朶を打ち、ざわめきが広がる。しかし、やはり動きが鈍い。
「一同、聞け!」
そこによく通るセザールの声が響く。
「スライムはこちらにおわすアリーシャ姫によって討伐され、スライムに取りこまれていた諸君らは姫君によって救い出された。少しでも感謝の念があるなら姫の言葉に従え! 王国騎士、起立! すぐに動け、避難誘導に協力せよ!」
弾かれたように立ち上がる騎士達。若いなぁ、などと苦笑いを浮かべながらも素直にその言葉に従い、座り込んだ者達を立たせてアリーシャ達の元へ集めていく。
「……セザール、ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「あんな声、出せるんだね。ちょっとびっくりしちゃった。なんかすっごく、男の子って感じ」
少女の言葉に耳まで赤くして少年は顔を背けた。
「連れて来たぞ~」
そこにゴライゴウの街並みの方からアスカを先頭に50名ほどの人たちが歩いて来た。10名ほどの王国の騎士らとゴライゴウの市民達のようだ。女性や子供、老人が多く、騎士におぶわれている者もいる。
「早速で悪いけどアスカは先行して浮遊島まで誘導して。崩落してもアスカなら対処できるでしょ?」
「へへ、まーな。よし、俺に任せろ」
言うが早いか、アスカはさっさと浮遊島に向けて進み、その後をアリーシャが続く。
「着いてきてくださーい。安全な場所に誘導します」
アリーシャが手を上げてそう説明した背後で、建物が地面と一緒に音もなく崩落し消えていくのが見えた。その光景に、人々の顔は青ざめ、黙って赤毛の小さな姫の言葉に従った。
グィネビアもまた赤子を抱いて黙ってついてくる。
そこに、ポトン、と何かが落ちた気配を頭に感じた。雨かしら、と無意識に手を頭にあてながら上を見たアリーシャの思考が止まる。
手の中の柔らかく温かい感覚と、そして空からポロポロと落っこちてくる“者”達の姿に。
昆虫のような羽根を備えた小さな妖精に小さな小人、緑の肌を持つ者、山羊の足を持つ者や耳のとがった者など、人型なのに、どこか人とは違う姿を持った者達が、空から降ってきた。
ぽこん、と地面に激突して、ポンポンポン、と数度跳ねてから、キューッ、と大の字に倒れる者や、地面に頭をめり込ませてジタバタする者、優雅に着地する者など、その着地の仕方は様々であったが、被害が出ている様子はなかった。
「あ、アリーシャちゃん。おっす!」
呆然とその光景を見回すアリーシャの手の中で、トンガリ帽子の小人さんが元気よく挨拶してきた。
* * *
スライムの中心がこの大地の中心であり、一番厚みがあった。一方そこから離れるほど崩落の危険は増していくのだが、その半ばに堅固な岩でできた浮遊島が墜落していた。
さっきまでは浮遊島の方が20mぐらい高い位置に居たが、今は下の地面を崩しながら下がり続け、2mほど低い位置に来ていた。
「一気に崩壊していないのは、やっぱ変な重力のせいかな。地面の上だとあんまり違和感ないけど」
「どういうことだ?」
「ん~、後で」
アリーシャが崩落の危険が無い浮遊島に移動するよう指示する。
飛び降りるには少々高いが、崩れた土砂のおかげで、泥だらけになりながら転がり落ちるように移動していく。
それを見てついてきた妖精たちは大喜び。自分たちも何度も滑り台のように傾斜を転がり落ち、泥だらけになりながらケラケラと笑っていた。
「手をお貸ししましょう」
人と変わらぬ容姿の妖精の女性が、さっと手を振るうと老人や子供らを薄い光が包み込んだ。そして光ごと、ふわりと浮かび上がり、静かに浮遊島に移動していった。
「ありがとうございます、えっと」
「タイターニアと申します、赤毛の娘、小人の友、名状しがたきものの依り代、知者にして蒙昧なるものの化身よ」
「……タイターニア、さん? 妖精の女王の?」
「女王というより、いたずらっ子たちの保母さんといったところでしょう。貴方もずいぶん手のかかる子みたいですから、保母さん達の気苦労が忍ばれますわ」
うっ、と言葉を詰まらせるアリーシャ。
タイターニアは人々にちょっかいを出して、はしゃぎ回る小人や妖精たちを先ほどと同じ光で包み浮遊島に移動していった。
全員の移動を確認してからアリーシャは体内に魔力を巡らして、魔法の力を借りずに、ひょいっと平気な顔で3m余りの坂を飛び降りた。
人々は崩れる心配のない大地で、泥だらけの汚い格好で、荒い息を吐きながらうな垂れていた。
無邪気に飛び回ったり、ぺちゃくちゃおしゃべりしたり、踊ったりと勝手な様子の妖精達との温度差は大きい。乱暴に妖精を手で払って追い散らす者もいた。
それは市民だけではなく、日々自らを鍛えてきた騎士達も同様であった。いや、騎士達こそ余計にショックが大きいと言えた。
ここに避難してくるまで、彼らは魔法を使わず、自らの手と足で悪戦苦闘しながら、移動したのだ。
そう、魔法を使わずに。正しくは“使えずに”。
彼らは、すでに自分たちが魔法が使えなくなっていることに気付いていた。
【魔法を使えないもの】
自分たちがそうなってしまった事実に、多くの者は打ちひしがれていた。
そして今、この場でもっとも事情に精通し、自信を持って自分たちを率いる者こそ、彼らの知る最も有名なサイレント……底抜けの姫である事実に皮肉な運命を感じてしまう。
「……姫君。まずは状況を教えていただけませんか」
スライムに飲まれた騎士、転移に巻き込まれた騎士の内、もっとも年嵩の騎士がそう切り出した。
「うん。みなさ~ん、もうちょっと近くに集まって下さ~い」
「待ってください。事情はまずは私達だけで」
100名以上の一般市民達にも説明する気のアリーシャを年嵩の騎士が慌てて止める。
「事情が分からず不安なのはみんな一緒です。指揮命令系統を定めて、一部の者で決定するというのは良いですが、最初はまず情報の共有と目的意識の統一です。最初から特定の人を除外すると不満が出ますよ、経験上」
どこでの経験だか知らないが、知った風な口を利くローティーンの少女に、年嵩の騎士は、はあ、と言うだけで返答に詰まる。
「妖精さん達~。しばらく静かにしていてくださいね、できますかぁ?」
「はーい」
アリーシャの頭の上でトンガリ帽子の小人が率先して手を上げ、小人さん達はそれに合わせて返事をしてくる。
一方、羽根妖精や女性をナンパしていた山羊足の妖精などからはブーイングが上がるが、妖精の女王が手を振るうとそうした者達は光に包まれ、空に浮かんだ。中から光の壁を叩いているようなので、檻のようなものなのだろう。
「ありがとうございます、タイターニア様。では皆さん。わたしも全てを把握できているわけではありませんが、判る範囲でお話しします」
礼を言ってから人々に向き直り大声を張るアリーシャ。
スライム発生直後に飲まれた騎士達もいるため、説明は初めからだ。
スライムの発生、アイテム狙いの人々とスライムの巨大化……この辺で街の南東部に住み、一番被害を被った住民から、該当する者達に冷たい視線を向けられる。
そして、スライムの性質を調べる実験中に何者かの魔法によって転移させられたこと。
「何者かって、いったい誰がこんなことを、」
「それは……判りません」
当然出る疑問にアリーシャが首を振った。しかし、
「誰が、は判っている。これをしたのは神殿だ!」
セザールが、全員に言い聞かせるような強い口調で告げると、人々は静まり返った。
「セザール! 憶測で物を言ってはダメ」
「憶測じゃない! 父上……騎士団長より神殿の手のモノが暗躍しており、アリーシャの実験を狙って何か仕掛けてくるかもしれないと注意されていた」
「偵察を何隊も出し、幾つか儀式魔法を行う集団を発見していたのは事実です」
騎士の一人が情報を補足する。
「スライム……つまり【混沌】を自分たちの目の届かない場所に転移させたんだ……俺達を巻き込んで!」
セザールの若々しい素直な怒りの言葉に、人々は躊躇いがちにだが、理解の色を浮かべる。秩序神を奉じる神殿が混沌討伐のためには周囲の被害も辞さないという話は珍しくもない。
しかし王国の領地の一部に領民を巻き込んで戦略級の魔法攻撃を行ったのだ。如何に神殿が、対混沌のためとは言ってもただでは済まないだろう。
「誰がやったかは、現時点では特定できません。ですが確かなことは、わたしのした実験がこの事態を招いたという事は事実です。実験を行わなければ魔法攻撃されることもなかったでしょうに。それに皆さんを巻き込んでしまって……」
魔法の使えない【魔法の使えないもの】になったのは、【魔法の使えないもの】の底抜け姫のせい。
その言葉に、人々は表情を歪め、剣呑な雰囲気が……
ゴチン
アリーシャの脳天に拳固が降ってきた。
「あいたぁ!」
脳天を抑えて身をかがめるアリーシャが涙目で見上げる。
「あほう。そうやってすぐ自分のせいとか言うな。スライムからみんなを救い出し、スライムの被害を減らすための調査をしてたんだろ。何にも悪いことがあるか。悪いのはそれを狙って転移の魔法を掛けたやつらだ」
アスカが我慢できないというように大声でアリーシャを叱りつける。
「大体お前はなんでもかんでも、自分が悪い、自分が悪いって、ほんと、お前の兄貴と一緒だな。自分が悪いから誰かが不幸になった、だから自分が辛い目にあえばいいんだ、不幸な人の為にも自分は幸せになっちゃいけないとでも思ってんのか。いいか、よく聞け。お前は、お前が思ってるほど世の中に影響を与えていない。お前の選択で世界が、周囲が不幸になったなんて傲慢だ。お前はそこまですごくねぇ、だから!」
自分のせいでいじめられたケイコちゃん。
自分が余計なことをしたから虐待されたケイコちゃん。
ケイコちゃんのため、を言い訳にして引きこもり続けた自分。
ケイコちゃんのため、と言い聞かせてケイコちゃんのように女装していた自分。
だれかのため、だれかのため。
「すぐに、自分のせいだとかいうな。もしそうだとしたって、お釣りがくるほどお前はみんなの為に働いてるじゃないか。その努力に胸を張ってやれよ」
いつの間にか百を超える視線の注目を集めていたアスカは、気恥ずかし気に頭を掻いた。
「ちょっといいか」
それなりに身なりの整った中年の男性が立ち上がった。
「ゴライゴウでいろいろ事業をやらせてもらってたダナンってもんだ」
“事業”のあたりで、ざわめきが広がった。どうやらその内容からして、彼の言う“事業”は、あまりタチの良くないもののようであった。
「まずは、スライムに飲まれたオレや部下たちを救いだしてくれたこと、礼を言う。助かった」
そう言って軽く目礼するダナン。
「それと、岩巨人どもを倒した【獄炎地獄】。あの魔力は底抜け姫が拠出したと聞いてます。そして2体のBOSSに止めを刺したのも、底抜け姫んだっていうじゃないですか。本当ですか?」
質問、いや確認するような問いの言葉に、アリーシャは躊躇いがちに、その横でセザールが大きく頷いた。
「そうですか……姫さん。あんのトロールのクソどもをぶっ殺してくれたこと、感謝します」
姿勢を正したダナンが真っ直ぐに頭を下げる。慌てて彼の部下たちも立ち上がり、頭を下げる。
そう。
ゴライゴウの街に住む者たちは、近隣の村々に親族や知人が多い。それらの村々を滅ぼし、人々を喰らった魔物のBOSS。その一翼を下し、もう一翼の最期を最も近くで見届けた者、そして氾濫を引き起こした真の首魁を引きずり出した者こそが、いま人々の前で自分を責めた赤毛の少女だったのだ。
誰とはなく、人々は立ち上がり、それぞれの言葉で感謝の言葉をアリーシャに伝えていった。
よくぞ家族の仇を取ってくれた、魔物に包囲された状況からよくぞ助け出してくれた、と。
「な? 何でも一人で抱え込むな」
アスカの言葉に、アリーシャが、うん、と幼い様子で静かに頷いた。
「お前さんこそ、偉そうに言うなよ。スライム出現はお前のせいだって聞いてるぞ、レッドデーモン」
「いや、まて。人質とったらスライムになる、とか予想できねーだろ。ってゆーか、レッドデーモンって言うな」
いつの間にか近づいてきていたダナンの言葉に、アスカが慌てて反論する。魔王ケルシュタインを人質に取ったときの事を言われているのだ。
無論、あんなことでアスカの責が問われるとは思えない。言い方からしても冗談っぽいが、どうやらこのダナンという男。かなり事情に通じているようであった。
それはともかく、
「レッドデーモン、って?」
どうやらアスカの事らしいその呼び名にアリーシャが首をかしげるが、アスカは言いたく無さそうであり、ダナンは喉を鳴らして笑っているだけであった。
そうして、少し緊張が解けたところで、セザールが声をかけて再度人々を座らせ、アリーシャの次の発言を待った。
「って言っても話すことは話したし。これからどうするか決めていかなきゃいけないんだけど……」
「あの。そもそもここはいったいどこなのでしょう。私達は帰れるのですか?」
そこに子供を連れた女性が発言をした。姫の言葉を遮って、一市民、それも下層の、ましてや女が口を挟んだことに騎士達に、ピリリ、とした緊張が走る。
「う~ん、説明が難しいので、皆さんにも直接見てもらった方が早いと思います」
* * *
話している間にも浮遊島は、スライムの乗った転移した大地を崩しながら高度を下げていた。
直径300m、高さ150mの半球状の大地は既に見上げるほど高くなり、アチコチが崩れ、大地が乗る地面?に落下していった。
どうやら小さなものは速く、大きなものはゆっくり落ちていくようで、見ていると違和感を強く感じる。
落ちて下方の地面?に触れた土砂は、その上を滑るように同じ方向に移動していった。
浮遊島の端から下を見下ろすのは勇気がいり、辞退する者も多いが、好奇心に負けて見た者は、その光景に目を疑った。
雪景色に覆われた大地がはるか下方に見える。ここは考えられないような高所なのだ。
しかし崩れ落ちた土砂は何もない中空で止まり、そのまま横に移動していった。まるでそこに見えない地面があるかのように。
「ああ、そんな感じ。つるつる滑って立つこともできない見えない壁、いや床が下にあるんだ」
浮遊島もまたその地面?に接触して落下が止まり、そのままゆっくりと横に移動を開始した。
「いったい、ここはどこなんです。空の上?」
先ほどの女性がアリーシャに詰め寄るが、彼女にも解らない。判っていることは、
「判っているのは、ここが【世界】の【外】だという事」
そう言って一方を指さす。
その仕草に釣られて視線を動かした人々が本日何度目か判らない驚きにより言葉を失う。
大地が崩れていくことで視界を遮る物が無くなり、その向こうに露わになったもの、それは天を突く銀色の塔と赤と青の月。
改めて周囲を見回すと、山脈に囲われた世界と、その外に広がる灰色の平野……砂漠。
「世界の外? もしかして【天蓋】の上に居るってこと?」
「知っているの、むーちゃん」
「むしろリーシャが知らないことに驚いた。魔法で空を飛んでも、ある高さより上には行けないんだって。それこそまるで天井でもあるみたいに。混沌山脈が世界の横の境界なら、天蓋は上の境界だ……って空賊闘士ムンバイ~天蓋魔境の決闘~に書いてあった」
どちらかと言えば男の子向け冒険小説を引き合いにムティアが説明する。
アリーシャは知らなかったが、何人かはムティアの話に頷いている。どうやら天蓋の話自体は、秘されるほどではない一般的な情報だという事なのだろう。
「世界の外……じゃあ、ここは秩序神のおわす【神の国】なのですか? あれが?」
女性が信じられない表情で世界の【外】を示した。
灰色の砂漠が無限に広がるナンニモナイ世界を示して……




