(172)スライム_6
ジョン・スミスともみ合いながら虚空に身を躍らせたアスカ。
「アスカ!」
アリーシャの叫びを背後に聞きながら落下していく二人。身体強化魔法をかけているジョンを、素のステータスでSTRの高いアスカが振りほどき、蹴り落して距離を取る。
自由落下で加速し続ける速度に負けないようにアスカが上を向く。
するとその視界を追い越すように魔法陣が広がり、アスカはもちろん、浮遊島すらも包み込んだ。
「な!」
驚きの声を発する間もなく、球形の魔法陣が光を放った。
* * *
一瞬後、アスカの視点が変わった。
先ほどまで見ていた、本拠地の浮遊島が浮かぶ妖精郷(というゲーム設定)の空とは比べ物にならないほどの高空からの視点。
「のわあああああああああああああっ」
妙にクリアな視界に広がるのは、山脈に囲われた閉ざされた世界。そしてその外に広がる灰色の平野。
その光景に強い違和感を感じる。
--丸くない
元の世界の感覚でこれだけ高度があれば、地平線が丸みを帯びているはずであった。しかし、そんな見慣れた丸みが無く、灰色の平野はただただ、無限に平らであった。
--やばい、流石に死ぬ
臓腑がきゅうっと縮むような感覚で、パニックになりかけた直後、地面?に激突した。
「?」
地面に到達するまで、まだまだ時間はあるはず。それに激突したのにまったく痛くない。今にして思うと落下中の速度も大したことはなかったように思えた。
しかし、疑問を感じる暇はない。
ふと、周囲が暗くなったので、上を見ると、視界一杯に黒い巨大なモノが迫ってきていた。何か大きなものがアスカの上に落ちてくるのだ。
「【縮地】」
明るい方を射目指してスキルを連続使用し、巨大なモノの下から抜けようとする。巨大なモノの落下速度が遅く見えるのは、大きいが故の錯覚ではなく、実際に落ちている速度が遅いようであった。
そして、巨大なモノから逃れて、地面?に足を踏んばり、背後に振りかえろうとしたが、そのまま転んでしまった。
全く踏ん張りが効かない。それだけではない。転んだ勢いのままアスカの身体が地面を滑っていく。
「???」
起き上がろうと地面?に手をつくがそれも滑り、止まることはおろか、上体を起こすこともできない。
「【縮地】」
仕方なくスキルで中空に移動する。
「【縮地】! 【縮地】! 【縮地】!」
そのまま上空に向けてスキルを連続使用し、高度を取る。巨大なモノより高所に来たため、ようやく、その正体が判った。
それは半球状に抉られた地面であり、その上にはスライムとゴライゴウの街並みの一部が乗っていた。
その形状故に、端の方から崩れて下の地面?に落ち、そのまま滑って離れていく。悲鳴のような声が聞こえるので巻き込まれた人もいるのだろう。
端から崩れていくが、その地面の大半にはスライムが居る。やがて逃げ場が無くなるだろう。
しかし今は他人の心配をしている暇はない。
「【縮地】!」
高度を取ったので今度は横に数度跳び、ようやく普通の地面に降り立った。
「あっぶねぇ、SPギリギリだ」
SP回復ポーションを飲みながら、滑ることのない普通の地面で一息入れたアスカ。
「浮遊島も巻き込まれたみたいだけど、アリーシャ達は?」
上空から見たとき、スライムの乗る地面の端に浮遊島が接触しているのが見えた。アスカはそちらを目指して移動を開始した。
* * *
アスカと謎の男が落下した直後、爆発的に広がった魔法陣が自分達を囲い、光で視界が覆われた。
一瞬後、視界が一転していた。
妖精郷が広がり、落下するアスカが居たはずの視界の代わりに、スライムとゴライゴウの街並みが目に飛び込んできた。
「なに、これ?」
ムティアが呆然と呟くが、アリーシャはじっと下を見つめる。
--目測で200m、落下まで4.5秒のはず。明らかに遅い。重力が小さい? ううん、定速運動? 加速度が働いていないの?
そして、その感じにアリーシャは覚えがあった。
光の姿のお兄様と共に飛び降りた時もこんな感じだった。
視界を下方から周囲に向ける。
山脈に囲われた世界とその外に広がる灰色の砂漠、そして世界の中央にそびえ立つ銀色の塔……死に瀕してコミックヒロインと相対した神の右腕。
ずうん、というスライムの載る地面と浮遊島が接触した音が響く。その規模に比して小さいが、それでも十分な衝撃を伝えた。
そしてその衝撃によって端に近い街並みが地面ごと落下し、悲鳴が上がる。
「巻き込まれた人がいるんだ」
浮遊島と違い普通の土に過ぎないため、半球状の土は端からどんどん崩れていく。その場に居る人の逃げ場はどんどん失われ、中心付近……つまりスライムに追い立てられていくことになる。
「むーちゃん、セザール。スライムの中心までわたしを送って!」
「おまっ! こんなときになに言ってんだよ」
「リーシャ、魔法が使えない!」
セザールの文句をムティアの声が遮る。
「魔法の品は?」
言いながらアリーシャも触媒を手に呪文を唱えて、その手ごたえを確認する。
「魔法の品は使えるようだ」
「わかった。二人はここに残って」
「! ふっざけんな、バカ」
「リーシャはバカじゃない!」
「今はそういう話じゃねーよ」
「ごめん、二人とも。緊急事態だから行くね」
言った瞬間、アリーシャの姿が掻き消える。正確には二人の目にも止まらぬ速さで高速移動したのだ。
一瞬後、中空に姿を現すアリーシャ。しかしそれも瞬時に消え去り、数十メートル下の地面に向かって2m刻みで瞬間移動?を繰り返していく。
魔法が使えない二人はただ見送ることしかできなかった。
魔法を習得していなくても魔法が使える魔法の杖。その中でも希少な物品のである【穿貫】の魔法の杖。それを手に呪文を予め数十回唱え、それを連続起動したアリーシャ。
無論、それだけの魔法を同時に使用する魔力は勿論、それを並列起動することも、数十回分の移動先の座標を予め定めておくことも、常人には不可能な技であった。
そうして地面に降り立ったアリーシャは薄く魔力フィールドを広げる。スライムに触れさせないよう気を付けながら、スライムの外周に沿ってゴライゴウの街並みを走査する。
「50人ぐらいかな」
魔力の手をそうした人々に結びつけ、地面が崩れそうな場所からも、スライムからもなるべく離れた場所に誘導する。
身動きの出来ない人もいたので、無事な人を数名、そちらに誘導する。
「そして、こっちを何とかしないと」
地面が崩れるにしたがって、スライムが周囲にゆっくりとあふれ出してきた。スライムと街並みの乗るこの地面は遠からず崩壊し、ここにいるすべての人がスライムに飲まれてしまうだろう。
アリーシャは静かに深呼吸をする。
「……確証はない」
直感に過ぎないが、できる気はしている。
前世のDIAASだったら、そんな根拠のない意見など一蹴しただろう。いや、つい最近も、王国の会議室で散々論拠の希薄な意見を叩き潰していたっけ。
「いや、これは違うし。あれはダブルスタンダードで自己憐憫に溢れた非難のための非難みたいなものだったし。わたしのこれは違う、うん」
自分の決断と唾棄すべきクズ意見を同列に扱ってしまったことを否定し、改めてスライムに向き直る。
「アスカ、黒騎士、グィネビアさん。スライムに取りこまれない3人に共通しているのは、何者かによって“作り出された”存在であるという事」
それは単に道具を作る、といった一般的な意味ではなく、世界に干渉して存在そのものを定義された者達。
「そしてそれは多分、わたしも同じ」
一瞬だけアリーシャの手の中に【生贄の短刀】が現れる。
「これが身の内にある間は、魔物から見て人とは認識されないほど大きな力がわたしに宿っている。そしてこの身体自体も」
この身体は“アリーシャであれ”と翡翠の竜が赤い目と短刀という二つの神の力を用いて作り出したものだ。
母の元にアリーシャを帰す。ただそれだけを想って。
そのナマ子の肉体もまた、他ならぬ神によって作り出された器だ。
神自らが“そうあれ”と定めたものだ。
遠くの空に浮かぶ青い月と赤い月。神の両目がいまも自分を見つめているのを感じる。そして同じ視線をスライムの中からも感じる。
「この視線がある限り、この身体は神によってアリーシャと定義され続ける。だから【混沌】に飲まれることは無い……確証はない、でも」
確信はある!
巻き込まれた人たちの誘導を確認してから、アリーシャはスライムを目指して駆けた。
--論理は! 理論は! 成功率は!
--ぶっつけ本番にリスク評価なんかないわよ!
かつての自分と自分のやり取りを思い出し、少し愉快な気持ちになった。
* * *
アスカの証言通り、近づくほどに逃げるように退いていくスライム。しかし実際はもう、スライムに飲まれているのだろう。
自分が気付いていないだけで、もしかしたら、既に取りこまれているのかもしれない。
ふと思いついて片手を横に広げ、スライムの中からある物をすくい取る。
思いのほかあっさりと丸い物をつかみ取り、拍子抜けする。
「スライム……ううん、【混沌】。取り止めが無いからこそ、あらゆる可能性を内封したモノ。まさに……」
自分を見つめる視線と目が合う。
スライムの中に浮かぶ赤い目だ。だがその視線が遮られた。
「坊やには近づかせない!」
ケルシュタインを守り、甘やかす存在として定義されたグィネビアのドレスが鞭のようにアリーシャに襲い掛かった。
スライムに餌を与えるわけにいかないので、魔力フィールドを使わず、体内の魔力も最低限にしていたため反応が遅れたアリーシャは、マトモに攻撃を受け、その勢いのまま地面に叩きつけられる。
「がはっ」
鞭のような攻撃で肉が裂け、また叩きつけられた衝撃で呼吸が止まり、続いて鋭い痛みが全身を駆け抜ける。
「坊や、わたくしの坊や。あの人との間にできたわたくしの宝物なのに! 底抜けの子など跡継ぎにできないだの言ってたくせに、他が居なくなるとわたくしから奪って、幽閉して、ああ、坊や、わたくしの坊やを奪わないで、返して、返してよ……せめて一目会わせて、お願い、お父様……」
物理法則すら曖昧なこの空間で、あらゆる可能性を内封した【混沌】のただなかにあって、いま、グィネビアは同時にマリアでもあった。
200年近くが経って、様々なことを諦め、怒りと悲しみが薄れたマリアの想いが、偶然にしろ作られたグィネビアの想いと干渉しあい、激しい慟哭の叫びを上げていた。
そのグィネビアの横っ面が張り倒されアリーシャの視界から消える。
「何やってんだてめぇ、殺すぞ」
代わりに目に入った赤い服の金髪少女の背中は、怒りにわなわなと身体を震わせていた。
「アスカ」
「使え」
アスカは倒れ伏したグィネビアから視線を逸らさずに無造作にアリーシャに薬瓶を放った。
アリーシャは以前見たアスカを真似てゲームアイテムのポーションを自分に振りかける。すると見る見る傷が癒えていく。しかもそれだけでなく魔力も気力も体力も回復して、心なしか衰えた筋力すら上がったような気がした。
アスカは手持ちのゲームアイテムの内、最高級ポーションを渡したのだ。
「ありがと」
チラッとアスカが視線を動かし、慌てて目を背ける。
首をかしげるアリーシャに、アスカが、服、と短く答える。流石のゲームアイテムもこの世界の普通の服まで直すことは無く、鋭い攻撃で切り裂かれたアリーシャの胸元が露わになっていた。
あわてて胸元を隠したアリーシャは、自然な様子で手を伸ばし、スライムの中からケープをつかみ取り、軽く羽織った。
そうしている間も、グィネビアのドレスは幾本もの鞭となって二人に襲い掛かるが、アスカは慌てることなくクサリガマの鎖を回転させ、その全てを叩き落とした。
「これからどうする?」
「スライムの中心にいく」
「俺が引き付ける、行け!」
「ラジャ!」
言うが早いか、アリーシャは脇目も降らずに赤い目を目指して駆けだした。グィネビアの攻撃などまったく警戒していないかのように。
「行かせません!」
その背後からドレスを延ばした幾つもの鞭がうなりを上げる。
「行かせねぇよ」
しかしその全てをアスカの鎖が叩き落とし、
「スキル【三倍斬】」
返す刀でグィネビアを切り裂く。しかし、その傷も切り裂かれたドレスも、みるみる回復していく。
「無駄よ。ここは坊やの中。この姿でいることを坊やが望んでいるんだもの」
「……奇遇だな。俺のこの姿も望まれ、変わらねーんだ」
「貴方みたいなヘンタイと一緒にしないでくださらない?!」
二人の人型の人外の攻撃が交差した。
* * *
アスカがくれた回復ポーションのおかげか、アリーシャは疲れることなく赤い目の間近まで一気に駆けてきた。
背後ではアスカが戦ってくれているはずだが、何の音もしない。スライムの中では、音も伝わらないらしい。
アリーシャの緑がかった左目と、スライムの中に浮かぶ赤い目の視線が交差する。
自分がアリーシャを見、アリーシャが自分を見ているような不思議な感覚。
「……そうか、まだケルシュとも繋がっているのか」
瞳の中の緑はケルシュの瞳。
アリーシャから赤い目を借りていった時に、ケルシュが残していった、言わば担保。
魔王ケルシュタインが自らの存在を投げ捨てても、まだそれはアリーシャの中にある。
アリーシャは赤い目に手を伸ばした。
「あなたが勝手に借りていったもの、返してもらうよ」
赤い目と接触し、肉体の目と神の目の双方で、いま居る世界を認識する。
そしてアリーシャの中の【生贄の短刀】が、その認識に沿って世界を書き換える。
物理法則も因果も関係ない。
斯く在り
そうと認識し、そうと記述すれば、それはそうある。
【混沌】は、その身をうねらせ、その無限の可能性を集約させ、アリーシャが持つ赤い目を通して認識した姿へとその姿を変えていった。。
スライムに飲まれた騎士ら25名に、魔法の品欲しさにスライムに挑んで飲まれた人々おおよそ80名、そして……。
* * *
ガシィ!
アスカの常人離れした身体能力をもってしても、目の前の女性は強敵だ。
人を傷つけることを忌避してきたアスカだったが、アリーシャが傷つけられたことで初めて人(?)に刃を振るい、攻撃スキルを放った。
その事を意識して、少し狼狽えたが、すぐにそんなことは考えられなくなっていた。
まるで一人でBOSS狩りをしているかのような緊張の連続に、目の前の戦いに集中していった。
ギィン!
彼我の距離が離れ、睨み合いになった際に、周囲の異常に気付いた。
いつの間にかスライムが消え、地面に倒れ伏す百名あまりの人々の姿が目に入った。そして、
「マリア先生」
背後からの呼びかけに、咄嗟にドレスの鞭が振るわれた。しかしそれは寸でで止まる。
赤みがかった左眼を持つ少女は、手の中の嬰児を女性に差し出した。
わなわなと震えながら、それを受け取る女性。
女性とアリーシャの手が触れた瞬間、女性はピクリと身体を震わせた。
しかし、すぐに何事もなかったかのように赤子を受け取り、ぎゅっと抱きしめた。
「……坊や」
そのまま座り込み、女性はただただ熱い涙を流した。




